クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
|
Calendar |
Recent Entry |
Recent Comment |
Category |
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
最近、海外のクラニオ指導者Michael.J.shea氏の「Biodynamic Craniosacral Therapy volume one」
という英語クラニオ本を買って読んでいます。幾つか前の記事にも書きましたが、昨年のクラニオアドバンス講座で、教室脇にさりげなくこの本が置いてあることに気づいて眺めてみたら面白そうだったので、アマゾンで購入してみました。
もっとも、読んでいる…といっても、解剖学などの専門用語も多く、私の微妙極まりない英語力では細かく読んでいるといつまでたっても終わりそうにないので、何となく大意を把握しながら斜め読みしているレベルなのですが、その程度の読み方でも興味深い内容があったので、今回は自分の勉強のために訳してみます。具体的には「2章 胎生学」p107-108の「成人の身体機能は胎児期にすでに働いている」とある部分の訳です。
なお、このパートも辞書を引きつつまともに訳しようとしたのですが、やはり胎生学の専門的な内容が入ってくるだけに私には難易度が高く、2行くらい意味が良く判らず飛ばしたりと甚だ適当な訳なので、内容は一部間違っているかもしれないが、おおよそこのような内容なのだろう、という程度に考えてください。以下、その適当翻訳部です。
■<本文1>
成人の身体に現れているあらゆる身体機能は胎児期初期から存在しています。成人のあらゆる身体機能はこの時期に、(成人時の働きの前段階的な)働きをしていると言い換えることもできます。
肺呼吸が良い例です。胚子は受精の際、ブレッヒシュミッド博士が「吸引のフィールド(suction field)」と呼ぶ動きをし始めます。インハレーションやエクスハレーションといった形で現れる相互張力体液運動も胚子の液の構造に見ることができます。ブレッヒシュミッド博士はこれを肺機能の前兆とまとめています。後に胚子の発達が進むと、「吸引のフィールド(suction field)」に似た働きの変容により、胸部の空洞にある原始前腸内部の、肺のもとになるフィールドから肺胞が発生します。
<アバウトな補足1>
「胚子」は発生初期の胎児のことです。また、ブレッヒシュミッド博士というのは胎生学の先生です。氏に関する日本語の書籍が(多分)存在しないのと、私の胎生学に関する知識不足から、いまいち凄さが把握できていないのですが、この文で言われている「機能が構造に先んじる」という主張はとても画期的な内容なのだと思います。
なお、インハレーションとエクスハレーションというのは1次呼吸のリズムのことです。ここでは胚子の初期段階から、これらの液の動きという形で1次呼吸の働きが見られるとあります。
また、このパートの肺の例では、胎児の肺が物理的に存在する前に(肺ができてから肺呼吸をし始めるのではなく)、呼吸の原型的な機能と思われる「suction fieldに似た働き」が既に存在していて、その働き自体が後に肺そのものを形成する動力になる…ということを言っているのだと思います。
ちなみに肺の話なのに「腸」という名称が出てくるのは、胚子の内胚葉という部位から初期に「腸管」という管ができ、基本的に肺を含む内臓はこの管が複雑に折りたたまれる中で作られていくためです。
■<本文2>
別の例としては、胚子の表層における血流の循環があります。血液は心臓が現れる前に、胚子表層に正確に形成されます。心臓ができる前段階では、血液はそれ自身の力によって胚子表層で循環しており、やがて、胚子の中心部に(心臓という)つながりを作り出します。(この時点で)下肢の(筋肉の圧縮による)毛細血管の血液循環などはできないため、成人の血液循環は胚子の時期からこのような前段階的な形で働き始めていると考えられます。
<アバウトな補足2>
この部分は心臓と血流についての話ですが、ここも肺と同じく、心臓ができてから血液循環が始まるのではなくて、血液の循環という機能が胚子の中心部に集約されて心臓という構造を作り出す、という内容が書いてあるようです。心臓の原型ができるのも確か受精後4週間くらいなので、このパートとあわせて、もっとも重要な臓器の1つというイメージがある心臓も実はできるまで案外時間がかかることがうかがえます。
■<本文3>
また、体液の自動性(motility)は組織の可動性(mobility)に先んじて存在します。構造に先んじて機能が存在していると言い換えることもできます。「先んじて」というのは、単に時間的に先に存在するという意味ではありません。機能と構造の間には階層的な関係(機能>構造)が存在します。機能と構造はいずれも「機能」の表現ということができ、編成の原理や機能のフィールドは(構造そのものより)上位の概念です。
このように考えると、胚の発生における「鶏が先か卵が先か(機能と構造のどちらが先か)」という問題は解決します。胚子は機能としての形と、生物学的挙動としての形、両方を表現していると考えられます。
<ブログ主によるアバウトな補足3>
我ながら分かりづらい訳ですが、アバウトな解説1,2にあるように、胎児期の器官の生成にあたっては、動き(機能)が先にあって、それが器官(構造)を作る動力やガイドラインになっているようだ、というまとめだと思います。
ちなみに、冒頭の自動性(motility)というのは、ある臓器などが自らの内側からの働きで自律的に動く性質(自律的と言っても、内側の何らかの働きに動かされているという意味では他律的ですが)、可動性(mobility)というのは、隣接する他の部位等の動きによって臓器や骨格などが動かされている性質といった感じです。
■
翻訳部は以上です。1ページ程度の分量なのですが、まともに訳そうとしたら結構苦戦しました。それはともかく、このパートを取り上げてみようと思ったのは、一般的な思い込みを覆すようなブレッヒシュミッド博士の説の面白さもありますが、その説がクラニオや1次呼吸について深く理解するヒントになりそうな気がしたというのが大きいです。
著者のShea氏は、「クラニオバイオダイナミクスの発展に胎生学とソマテックエクスペリエンスは重要な影響を果たしている」と、この本の別の部分で書かれているのですが、「胎生学の重要な影響」という部分がこのパートにある程度集約されて表現されているように感じました。
私はクラニオにとって重要な「1次呼吸」について、「脳脊髄液をリズミカルに動かしている人体のリズム」とか「胎児期から続く、人体を編成するリズミカルな働き」といった説明をしてきましたが、人によってはイメージが難しいようだったり、自分で説明していてなんですが、「編成の働き」といっても具体的な姿がどうも自分でも釈然としない部分があったので、このパートを読んで、多少納得感が増した感じはあります。
クラニオ基礎講座でも、このパートのその1にあったように、受精後既に受精卵内に1次呼吸らしき液のリズミカルな動きが生じている(そして、それが胚子の成長に影響を与えているらしい)という説明を受けましたが、それは、suction fieldという概念を提示していたり、「機能は構造に先んじて存在し、機能が構造を形作る」というブレッヒシュミッド博士の胎生学を参考にしつつ、いまいちつかみどころのない部分がある1次呼吸の具体的な姿を明らかにしようとしてきたのかもしれないなと、このパートを読んで思いました。
もっとも、このパートでは心臓を形成するのは血流(の原型のような働き)、肺を形成するのはsuction fieldに似た働きとあり、文脈からするとこれらの働き自体は1次呼吸と関係はあるかもしれないにせよ、1次呼吸そのもの…というわけでもなさそうです。そのため、ブレッヒシュミッド博士の説が正しいとして、(私は胎生学のスタンダードや最新情報を把握できていないので、「正しい」とは断言できませんが、実際の人体の臓器発生の順番は人間なら誰しも同じだと思うので、一定の説得力がある説なのだろうとは思います。)「1次呼吸」はここでいう「機能」の最たるものと言えますが、結局のところ、1次呼吸の「機能」によって「何が」形成されているのか、あるいは、1次呼吸が具体的に胚子の形成過程において、具体的にどんな役割を果たしているのかは、個人的にまだあいまい感があり、もう少し理解(あるいは復習)が必要と感じられるところです。
まあ、個人的に1次呼吸に関してもまだ理解不十分な点は多いですが、いつもお世話になっている自分の身体そのものからして、かなり謎が多く不思議な存在であることが、このパートの心臓や肺の発生の説明を読んでより実感できた気はします。
<参考文献>
Michael.J.Shea (2007)「Biodynamic Craniosacral Therapy volume one」 North Atlantic Books
※このシリーズは現在vol.5まであります。1冊数百ページありますが、全部読んだらとても
クラニオ分野で物知りになれそうです。ただ、検索したら暫く前にはあった著者のスクール
のサイトがなくなっているようなので、何かあったのか少し気になります…。
という英語クラニオ本を買って読んでいます。幾つか前の記事にも書きましたが、昨年のクラニオアドバンス講座で、教室脇にさりげなくこの本が置いてあることに気づいて眺めてみたら面白そうだったので、アマゾンで購入してみました。
もっとも、読んでいる…といっても、解剖学などの専門用語も多く、私の微妙極まりない英語力では細かく読んでいるといつまでたっても終わりそうにないので、何となく大意を把握しながら斜め読みしているレベルなのですが、その程度の読み方でも興味深い内容があったので、今回は自分の勉強のために訳してみます。具体的には「2章 胎生学」p107-108の「成人の身体機能は胎児期にすでに働いている」とある部分の訳です。
なお、このパートも辞書を引きつつまともに訳しようとしたのですが、やはり胎生学の専門的な内容が入ってくるだけに私には難易度が高く、2行くらい意味が良く判らず飛ばしたりと甚だ適当な訳なので、内容は一部間違っているかもしれないが、おおよそこのような内容なのだろう、という程度に考えてください。以下、その適当翻訳部です。
■<本文1>
成人の身体に現れているあらゆる身体機能は胎児期初期から存在しています。成人のあらゆる身体機能はこの時期に、(成人時の働きの前段階的な)働きをしていると言い換えることもできます。
肺呼吸が良い例です。胚子は受精の際、ブレッヒシュミッド博士が「吸引のフィールド(suction field)」と呼ぶ動きをし始めます。インハレーションやエクスハレーションといった形で現れる相互張力体液運動も胚子の液の構造に見ることができます。ブレッヒシュミッド博士はこれを肺機能の前兆とまとめています。後に胚子の発達が進むと、「吸引のフィールド(suction field)」に似た働きの変容により、胸部の空洞にある原始前腸内部の、肺のもとになるフィールドから肺胞が発生します。
<アバウトな補足1>
「胚子」は発生初期の胎児のことです。また、ブレッヒシュミッド博士というのは胎生学の先生です。氏に関する日本語の書籍が(多分)存在しないのと、私の胎生学に関する知識不足から、いまいち凄さが把握できていないのですが、この文で言われている「機能が構造に先んじる」という主張はとても画期的な内容なのだと思います。
なお、インハレーションとエクスハレーションというのは1次呼吸のリズムのことです。ここでは胚子の初期段階から、これらの液の動きという形で1次呼吸の働きが見られるとあります。
また、このパートの肺の例では、胎児の肺が物理的に存在する前に(肺ができてから肺呼吸をし始めるのではなく)、呼吸の原型的な機能と思われる「suction fieldに似た働き」が既に存在していて、その働き自体が後に肺そのものを形成する動力になる…ということを言っているのだと思います。
ちなみに肺の話なのに「腸」という名称が出てくるのは、胚子の内胚葉という部位から初期に「腸管」という管ができ、基本的に肺を含む内臓はこの管が複雑に折りたたまれる中で作られていくためです。
■<本文2>
別の例としては、胚子の表層における血流の循環があります。血液は心臓が現れる前に、胚子表層に正確に形成されます。心臓ができる前段階では、血液はそれ自身の力によって胚子表層で循環しており、やがて、胚子の中心部に(心臓という)つながりを作り出します。(この時点で)下肢の(筋肉の圧縮による)毛細血管の血液循環などはできないため、成人の血液循環は胚子の時期からこのような前段階的な形で働き始めていると考えられます。
<アバウトな補足2>
この部分は心臓と血流についての話ですが、ここも肺と同じく、心臓ができてから血液循環が始まるのではなくて、血液の循環という機能が胚子の中心部に集約されて心臓という構造を作り出す、という内容が書いてあるようです。心臓の原型ができるのも確か受精後4週間くらいなので、このパートとあわせて、もっとも重要な臓器の1つというイメージがある心臓も実はできるまで案外時間がかかることがうかがえます。
■<本文3>
また、体液の自動性(motility)は組織の可動性(mobility)に先んじて存在します。構造に先んじて機能が存在していると言い換えることもできます。「先んじて」というのは、単に時間的に先に存在するという意味ではありません。機能と構造の間には階層的な関係(機能>構造)が存在します。機能と構造はいずれも「機能」の表現ということができ、編成の原理や機能のフィールドは(構造そのものより)上位の概念です。
このように考えると、胚の発生における「鶏が先か卵が先か(機能と構造のどちらが先か)」という問題は解決します。胚子は機能としての形と、生物学的挙動としての形、両方を表現していると考えられます。
<ブログ主によるアバウトな補足3>
我ながら分かりづらい訳ですが、アバウトな解説1,2にあるように、胎児期の器官の生成にあたっては、動き(機能)が先にあって、それが器官(構造)を作る動力やガイドラインになっているようだ、というまとめだと思います。
ちなみに、冒頭の自動性(motility)というのは、ある臓器などが自らの内側からの働きで自律的に動く性質(自律的と言っても、内側の何らかの働きに動かされているという意味では他律的ですが)、可動性(mobility)というのは、隣接する他の部位等の動きによって臓器や骨格などが動かされている性質といった感じです。
■
翻訳部は以上です。1ページ程度の分量なのですが、まともに訳そうとしたら結構苦戦しました。それはともかく、このパートを取り上げてみようと思ったのは、一般的な思い込みを覆すようなブレッヒシュミッド博士の説の面白さもありますが、その説がクラニオや1次呼吸について深く理解するヒントになりそうな気がしたというのが大きいです。
著者のShea氏は、「クラニオバイオダイナミクスの発展に胎生学とソマテックエクスペリエンスは重要な影響を果たしている」と、この本の別の部分で書かれているのですが、「胎生学の重要な影響」という部分がこのパートにある程度集約されて表現されているように感じました。
私はクラニオにとって重要な「1次呼吸」について、「脳脊髄液をリズミカルに動かしている人体のリズム」とか「胎児期から続く、人体を編成するリズミカルな働き」といった説明をしてきましたが、人によってはイメージが難しいようだったり、自分で説明していてなんですが、「編成の働き」といっても具体的な姿がどうも自分でも釈然としない部分があったので、このパートを読んで、多少納得感が増した感じはあります。
クラニオ基礎講座でも、このパートのその1にあったように、受精後既に受精卵内に1次呼吸らしき液のリズミカルな動きが生じている(そして、それが胚子の成長に影響を与えているらしい)という説明を受けましたが、それは、suction fieldという概念を提示していたり、「機能は構造に先んじて存在し、機能が構造を形作る」というブレッヒシュミッド博士の胎生学を参考にしつつ、いまいちつかみどころのない部分がある1次呼吸の具体的な姿を明らかにしようとしてきたのかもしれないなと、このパートを読んで思いました。
もっとも、このパートでは心臓を形成するのは血流(の原型のような働き)、肺を形成するのはsuction fieldに似た働きとあり、文脈からするとこれらの働き自体は1次呼吸と関係はあるかもしれないにせよ、1次呼吸そのもの…というわけでもなさそうです。そのため、ブレッヒシュミッド博士の説が正しいとして、(私は胎生学のスタンダードや最新情報を把握できていないので、「正しい」とは断言できませんが、実際の人体の臓器発生の順番は人間なら誰しも同じだと思うので、一定の説得力がある説なのだろうとは思います。)「1次呼吸」はここでいう「機能」の最たるものと言えますが、結局のところ、1次呼吸の「機能」によって「何が」形成されているのか、あるいは、1次呼吸が具体的に胚子の形成過程において、具体的にどんな役割を果たしているのかは、個人的にまだあいまい感があり、もう少し理解(あるいは復習)が必要と感じられるところです。
まあ、個人的に1次呼吸に関してもまだ理解不十分な点は多いですが、いつもお世話になっている自分の身体そのものからして、かなり謎が多く不思議な存在であることが、このパートの心臓や肺の発生の説明を読んでより実感できた気はします。
<参考文献>
Michael.J.Shea (2007)「Biodynamic Craniosacral Therapy volume one」 North Atlantic Books
※このシリーズは現在vol.5まであります。1冊数百ページありますが、全部読んだらとても
クラニオ分野で物知りになれそうです。ただ、検索したら暫く前にはあった著者のスクール
のサイトがなくなっているようなので、何かあったのか少し気になります…。
PR
先の記事で密かに紹介したミニ講座「クラニオのニュートラルに学ぶⅢ」が終了しました。
今回はまとめや所感などをアバウトに書いてみます。
■
前も書いた気がしますが、講座の題名が「ニュートラルを学ぶ」でなく「ニュートラルに学ぶ」とあるように、講座の主な目的は「プラクティショナーニュートラル」を身に着けてもらうことというより「自分の身体感覚や静けさの体感と親しんでもらうこと」でした。
今回の内容は実は普遍性の高い重要な秘訣を伝えているとか、これをやると健康にすごく良い…ということもなく、単にそういった感覚に親しんでもらうことが主目的です。その目的も「強いて言えばそういう表現になる」という程度でとりあえずクラニオ的なネタを色々身体を使ってやってみよう、というノリで実施しました。
そんな本講座では「プラクティショナーニュートラル」になるこつであるところの「プラクティショナーファルクラム(これまでこの言葉は意外と使っていませんでしたが、説明する際には結構便利だなと今更ながら感じました)」のうち、私がクラニオ基礎教程最初期に学んだスタンダードなものを紹介したり、私が日常やっている稽古の準備運動的な内容を抽出したものや、私が過去参加した講座から一部拝借した身体感覚系の内容を、「自分の身体感覚や静けさの体感に親しんでもらうネタ・素材」として紹介しました。このミニ講座はこれまで3回実施させてもらいましたが、使った素材が回により少し異なるだけで、講座の方針は(私の中でどの程度明確化されているかは回により違いましたが)毎回ほぼ同じつもりです。
■
もちろん、講座でなにがしか落ち着きやすいこつレベルのことが身につくに越したことはないのですが、プラクティショナーニュートラル自体はハウツーものではないので、3時間で身に付く内容はごく限られるのも確かです。
私自身、クラニオ基礎教程の初期にプラクティショナーニュートラルについて概要と重要性について学びましたが、その後、教程が進むにつれ、プラクティショナーファルクラムとして活用できそうな幾つかの要素を学んだり、プラクティショナーニュートラルの重要性について色々な形でしばしば聞いたりしたものの、実はプラクティショナーニュートラルそのものを体系だって細かく教えられたことはありません。
どんな技能でもそうだと思いますが、プラクティショナーニュートラルもまた時間をかけて向き合うからこそ深まる部分が多く、私と同じ教程の仲間も、たくさんのセッションを行う中でそれぞれの試行錯誤を経て、安定したニュートラルを身に着けてきたのだと思います。そのため、たぶん同期でも個人ごとにプラクティショナーニュートラルを実施するためのコツ(プラクティショナーファルクラム)はかなり異なると思います。
また、プラクティショナーニュートラルは、本来は様々な変動要素があるクラニオセッションで実際に使ってこそ意味があるものとも思うので、話だけ聞いて何となく納得しても仕方ないといえば仕方ない部分はあります。かといって、ここぞという「使いどころ」「深められる場面」がクラニオセッション以外にあるかというとこれまた結構微妙だし、そもそもバイオダイナミクス系のクラニオを習っている方なら、私がプラクティショナーニュートラルについて説明したような内容は普通に知っていると思うので(少なくとも市販のフランクリン・シルズ氏のクラニオ本にはほぼ同内容のことが書いてあります)、自分で選んでおいてなんですが、講座テーマとしては中々悩ましいと思う部分もあります。
まあ、「何か役に立つか」という視点から見た場合、今回紹介したような素材の一部をちょっと記憶していたり、何となく体の方が覚えていて、日常で何かあった時に多少心を落ち着ける役に立てば上々というところでしょう。あるいは、クラニオについて良く知らない方や心身に関する何らかのワークを学び始めたかたが、こういった感覚に触れたことを期に、クラニオやいろいろなワーク等の世界により興味を持っていただくきっかけになれば、というところでしょうか。
■
ちなみに、講座の目的は身体感覚と親しむこと、などと書いていますが、そんなに難しいことをしたわけではありません。ごくスタンダードなプラクティショナーニュートラル体験の他には、一般的なプラクティショナーファルクラムを利用して立って落ち着いてみるとどんな感じだろう、とか、その状態を保って歩いてみたらどんな感じだろう、といった私にとってもやや実験的な取り組みをしてみました。
この取り組みの内容は、講座前に自分の稽古経験や実施難易度などを踏まえつつ色々考えたのですが、やってみたら中国武術の一般的な立ち方の要点をきわめて緩くしたような内容になりました…。中国武術の立ち方そのものが教えられれば良いんでしょうが、現在の私には教えられるだけの理解がないですし、肉体的にもハードになるので、これはこれでまた悩ましさがあります。まあ、これに関しても、やってみて害があるわけでもなければ、凄い変化があるわけでもないと思いますし、何かを習う前段階、もしくは日常で身体感覚と親しむにあたっての遊びのような素材と捉えて頂ければというところです。
なお、私が考えるところの「感覚に親しむ」というのは姿勢に多少気を付けるとか、食事を味わうとか、鳥の声を聴くとか、なんとなく周囲に気を配るとか、あくまで、五感をおろそかにしないレベルで身体を意識しながら暮らす、といった程度の内容です。そもそも、感覚が無暗と鋭くなると、日常では逆にしんどい場面が増えてしまうと思いますし、個人的にもなにか凄い精神的境地に到達しようとしたり、すごく鋭敏な感覚や特殊能力みたいなものを身に着けることも目的としていないので、ごく無難で安全な方針で行きたいところです。
当たり前ですが、身体は色々な感覚を通じて常にいろいろな情報を受け取っており、ポジティブな情報のみならず、五感を通じて様々な形で警戒すべき情報なども伝えてくれていると思うので、それを日常受け取りながら無視し続けるのもちょっと悲しい話ですし、何らか身体に関するワーク等を学ぶにあたっても、自分の姿勢や動きの変化を実感できたり、自分の意識や動作の使い方の癖を知ったり、学んだ内容のうち理解不十分な部分を自分のからだを通じて発見・解消しながら学ぶ方が興味を持って学べると思うので、自分の身体に意識を多少でも(過剰に意識を向けるのも良くないので、ほどほどに)向ける習慣はあるに越したことはないと思っています。
■
まあ、身体や感覚(五感)と親しむ体験をしてもらうならば、素材は静けさ重視でなくても良いのでしょうが、運動系・活性化系のアクティブな素材は世にあふれていると思うので、今回のような、クラニオ的な地味で静けさ重視素材に触れてみるのも時にはありなんじゃないかと思いました。
とりあえず、かなり地味な内容でしたが、内容を楽しんで頂けた方もおられたようで幸いでした。
今回はまとめや所感などをアバウトに書いてみます。
■
前も書いた気がしますが、講座の題名が「ニュートラルを学ぶ」でなく「ニュートラルに学ぶ」とあるように、講座の主な目的は「プラクティショナーニュートラル」を身に着けてもらうことというより「自分の身体感覚や静けさの体感と親しんでもらうこと」でした。
今回の内容は実は普遍性の高い重要な秘訣を伝えているとか、これをやると健康にすごく良い…ということもなく、単にそういった感覚に親しんでもらうことが主目的です。その目的も「強いて言えばそういう表現になる」という程度でとりあえずクラニオ的なネタを色々身体を使ってやってみよう、というノリで実施しました。
そんな本講座では「プラクティショナーニュートラル」になるこつであるところの「プラクティショナーファルクラム(これまでこの言葉は意外と使っていませんでしたが、説明する際には結構便利だなと今更ながら感じました)」のうち、私がクラニオ基礎教程最初期に学んだスタンダードなものを紹介したり、私が日常やっている稽古の準備運動的な内容を抽出したものや、私が過去参加した講座から一部拝借した身体感覚系の内容を、「自分の身体感覚や静けさの体感に親しんでもらうネタ・素材」として紹介しました。このミニ講座はこれまで3回実施させてもらいましたが、使った素材が回により少し異なるだけで、講座の方針は(私の中でどの程度明確化されているかは回により違いましたが)毎回ほぼ同じつもりです。
■
もちろん、講座でなにがしか落ち着きやすいこつレベルのことが身につくに越したことはないのですが、プラクティショナーニュートラル自体はハウツーものではないので、3時間で身に付く内容はごく限られるのも確かです。
私自身、クラニオ基礎教程の初期にプラクティショナーニュートラルについて概要と重要性について学びましたが、その後、教程が進むにつれ、プラクティショナーファルクラムとして活用できそうな幾つかの要素を学んだり、プラクティショナーニュートラルの重要性について色々な形でしばしば聞いたりしたものの、実はプラクティショナーニュートラルそのものを体系だって細かく教えられたことはありません。
どんな技能でもそうだと思いますが、プラクティショナーニュートラルもまた時間をかけて向き合うからこそ深まる部分が多く、私と同じ教程の仲間も、たくさんのセッションを行う中でそれぞれの試行錯誤を経て、安定したニュートラルを身に着けてきたのだと思います。そのため、たぶん同期でも個人ごとにプラクティショナーニュートラルを実施するためのコツ(プラクティショナーファルクラム)はかなり異なると思います。
また、プラクティショナーニュートラルは、本来は様々な変動要素があるクラニオセッションで実際に使ってこそ意味があるものとも思うので、話だけ聞いて何となく納得しても仕方ないといえば仕方ない部分はあります。かといって、ここぞという「使いどころ」「深められる場面」がクラニオセッション以外にあるかというとこれまた結構微妙だし、そもそもバイオダイナミクス系のクラニオを習っている方なら、私がプラクティショナーニュートラルについて説明したような内容は普通に知っていると思うので(少なくとも市販のフランクリン・シルズ氏のクラニオ本にはほぼ同内容のことが書いてあります)、自分で選んでおいてなんですが、講座テーマとしては中々悩ましいと思う部分もあります。
まあ、「何か役に立つか」という視点から見た場合、今回紹介したような素材の一部をちょっと記憶していたり、何となく体の方が覚えていて、日常で何かあった時に多少心を落ち着ける役に立てば上々というところでしょう。あるいは、クラニオについて良く知らない方や心身に関する何らかのワークを学び始めたかたが、こういった感覚に触れたことを期に、クラニオやいろいろなワーク等の世界により興味を持っていただくきっかけになれば、というところでしょうか。
■
ちなみに、講座の目的は身体感覚と親しむこと、などと書いていますが、そんなに難しいことをしたわけではありません。ごくスタンダードなプラクティショナーニュートラル体験の他には、一般的なプラクティショナーファルクラムを利用して立って落ち着いてみるとどんな感じだろう、とか、その状態を保って歩いてみたらどんな感じだろう、といった私にとってもやや実験的な取り組みをしてみました。
この取り組みの内容は、講座前に自分の稽古経験や実施難易度などを踏まえつつ色々考えたのですが、やってみたら中国武術の一般的な立ち方の要点をきわめて緩くしたような内容になりました…。中国武術の立ち方そのものが教えられれば良いんでしょうが、現在の私には教えられるだけの理解がないですし、肉体的にもハードになるので、これはこれでまた悩ましさがあります。まあ、これに関しても、やってみて害があるわけでもなければ、凄い変化があるわけでもないと思いますし、何かを習う前段階、もしくは日常で身体感覚と親しむにあたっての遊びのような素材と捉えて頂ければというところです。
なお、私が考えるところの「感覚に親しむ」というのは姿勢に多少気を付けるとか、食事を味わうとか、鳥の声を聴くとか、なんとなく周囲に気を配るとか、あくまで、五感をおろそかにしないレベルで身体を意識しながら暮らす、といった程度の内容です。そもそも、感覚が無暗と鋭くなると、日常では逆にしんどい場面が増えてしまうと思いますし、個人的にもなにか凄い精神的境地に到達しようとしたり、すごく鋭敏な感覚や特殊能力みたいなものを身に着けることも目的としていないので、ごく無難で安全な方針で行きたいところです。
当たり前ですが、身体は色々な感覚を通じて常にいろいろな情報を受け取っており、ポジティブな情報のみならず、五感を通じて様々な形で警戒すべき情報なども伝えてくれていると思うので、それを日常受け取りながら無視し続けるのもちょっと悲しい話ですし、何らか身体に関するワーク等を学ぶにあたっても、自分の姿勢や動きの変化を実感できたり、自分の意識や動作の使い方の癖を知ったり、学んだ内容のうち理解不十分な部分を自分のからだを通じて発見・解消しながら学ぶ方が興味を持って学べると思うので、自分の身体に意識を多少でも(過剰に意識を向けるのも良くないので、ほどほどに)向ける習慣はあるに越したことはないと思っています。
■
まあ、身体や感覚(五感)と親しむ体験をしてもらうならば、素材は静けさ重視でなくても良いのでしょうが、運動系・活性化系のアクティブな素材は世にあふれていると思うので、今回のような、クラニオ的な地味で静けさ重視素材に触れてみるのも時にはありなんじゃないかと思いました。
とりあえず、かなり地味な内容でしたが、内容を楽しんで頂けた方もおられたようで幸いでした。
以下講座は終了しました。
お越しいただいた方々、ツイッターで宣伝やRT頂いた方々、ありがとうございました。
=====================
ブログ管理人の講座のお知らせです。
3/15(土)に「ココロとカラダの学びの場」さんに招かれ、埼玉県東松山市で
「クラニオのニュートラルに学ぶ」というワークショップを行うことになりました。
<概要>
・題名 :クラニオのニュートラルに学ぶⅢ (さりげなく3回目開催となります)
・日時 :2014年3月15日(土) 13:30~16:30
・費用 :3000円 (当日支払い。この講座のⅠ,Ⅱに参加した方は2500円)
・会場 :埼玉県東松山市内 (申し込みされた方に担当の方からご連絡)
※お申込み・お問い合わせは以下の「ココロとカラダの学びの場」サイトまでお願いします。
ココロとカラダの学びの場HP: http://manabinoba.exblog.jp/
■
この講座では、当ブログでもしばしば語られる「プラクティショナーニュートラル」というクラニオ・バイオダイナミクスを行う人が用いる落ち着きの身体感覚を主なテーマとしています。ただ、これは今回の時間内である程度の実感はできるかもしれないにせよ、すぐに身に着くものでもないため、クラニオをしない方がこの講座を受けた後、日常の場面で使いこなせるか、となると何とも言えない部分はあります。
そのため、本講座ではあくまでプラクティショナーニュートラルは、素材・ねたとして位置づけ、講座メインテーマは何かのスキルの習得というよりは、「私が紹介するいくつかの素材を通じて、落ち着きや静けさの感覚を探求してみる」ことや「静けさ重視の非日常的(かもしれない)感覚経験をする中で、自分の身体と向き合ってみる」ことと考えています。これを機に「参加された方がご自分の身体や身体感覚との付き合い方について見直す機会」を作れれば、というのが個人的な希望です。
なお、プラクティショナーニュートラルのこつ紹介以外の簡単なワーク(というほど大層なものではないですが)もやる予定です。ちなみに、クラニオの実施方法そのものや対人セラピーについてお教えする講座ではないので、その点はご注意ください。
黙々とした展開が予想される静けさ重視講座ですが、
何か心に響くものを感じた方はお気軽にお越しください。
お越しいただいた方々、ツイッターで宣伝やRT頂いた方々、ありがとうございました。
=====================
ブログ管理人の講座のお知らせです。
3/15(土)に「ココロとカラダの学びの場」さんに招かれ、埼玉県東松山市で
「クラニオのニュートラルに学ぶ」というワークショップを行うことになりました。
<概要>
・題名 :クラニオのニュートラルに学ぶⅢ (さりげなく3回目開催となります)
・日時 :2014年3月15日(土) 13:30~16:30
・費用 :3000円 (当日支払い。この講座のⅠ,Ⅱに参加した方は2500円)
・会場 :埼玉県東松山市内 (申し込みされた方に担当の方からご連絡)
※お申込み・お問い合わせは以下の「ココロとカラダの学びの場」サイトまでお願いします。
ココロとカラダの学びの場HP: http://manabinoba.exblog.jp/
■
この講座では、当ブログでもしばしば語られる「プラクティショナーニュートラル」というクラニオ・バイオダイナミクスを行う人が用いる落ち着きの身体感覚を主なテーマとしています。ただ、これは今回の時間内である程度の実感はできるかもしれないにせよ、すぐに身に着くものでもないため、クラニオをしない方がこの講座を受けた後、日常の場面で使いこなせるか、となると何とも言えない部分はあります。
そのため、本講座ではあくまでプラクティショナーニュートラルは、素材・ねたとして位置づけ、講座メインテーマは何かのスキルの習得というよりは、「私が紹介するいくつかの素材を通じて、落ち着きや静けさの感覚を探求してみる」ことや「静けさ重視の非日常的(かもしれない)感覚経験をする中で、自分の身体と向き合ってみる」ことと考えています。これを機に「参加された方がご自分の身体や身体感覚との付き合い方について見直す機会」を作れれば、というのが個人的な希望です。
なお、プラクティショナーニュートラルのこつ紹介以外の簡単なワーク(というほど大層なものではないですが)もやる予定です。ちなみに、クラニオの実施方法そのものや対人セラピーについてお教えする講座ではないので、その点はご注意ください。
黙々とした展開が予想される静けさ重視講座ですが、
何か心に響くものを感じた方はお気軽にお越しください。
遅ればせながら今年初ブログです。今年もよろしくお願いします。
先日やはり「今年初クラニオセッション」を行う機会がありましたが、その際「プラクティショナー(以下、術者)によってセッションの個性はあるのか」という質問を受けました。「あると思う」とか、「いや、ないのかもしれない」とか、「技量の面では明らかに違いが…」などと色々矛盾したことを言っているうちに時間が無くなり、中途半端に終わってしまったのですが、これはまともに捉えると、色々回答しようがあるなかなか難しい質問だと思いました。そこで、今回はこのことをお題に雑感など書いてみようと思います。
大雑把に考えると、これは視点の違いによって答えが変わってくる質問といえそうです。
■
まず、「セッション手順の個性」という視点で見ると、展開のさせ方にある程度の個性はあると思います。クラニオにはいろいろな「ハンドポジション(触れる位置とその位置特有の触れ方)」がありますが、バイオダイナミクスの場合はセッション開始時のハンドポジションや2番目以降に使うハンドポジション、1セッション中いくつのハンドポジションを使うか、などに大まかな方針はあるものの、明確なルールがあるわけではありません。クライアントさんの状況を見ながらアドリブで決めていくので、ハンドポジションの選択に術者の感性や得意な触れ方が反映されることはあると思います。メカニカルなクラニオの場合は技術として明確に触れる順番が決まっていることもあると思うので、バイオダイナミクスはそれよりは自由度があるともいえそうです。
もっとも、開始時のハンドポジションとして頭部などの敏感な場所を選ぶことはほとんどないのと(クライアントさんがクラニオを受け慣れていたり、信頼関係が十分にある場合は別ですが)、クライアントさんによっては、特定部位に触れられることが非常に負荷が大きいこともあるのとで選択肢が最初から極めて限定されている場合も多く、その場合は「個性」は発揮しようがないとも言えます。
このように、結局はクライアントさんの状態に合わせて触れているので、うがった見方をすると、ハンドポジションを決めるにあたって術者自体は何の個性も発揮しておらず、「クライアントさんの身体の個性」に合わせているだけともいえるのかもしれません。
■
次に、「セッションを受けた時の体感・感触」という視点です。あくまで個人的な経験ですが、体感としては、セッションの導入部分で距離の取り方の癖など、若干個々人の差を感じることはありますが、受け始めてから十分くらいたって落ち着いた後の感触というのは、数年以上位学んだ、ある程度熟練した術者から受けた場合、だいたいどなたでも似たような感じ(そんなに個性は感じない)ではという気がします。私は達人といわれるような人や他のバイオダイナミクスの組織の術者のセッションを受けたことがないので、何とも言えない部分はありますが、基本的に劇的な感触のワークではないので、あくまで感触に関して「熟練者」と「達人」と比べた場合、その違いは意外と微妙なものではという気もします。その微妙な部分が非常に大きいのだろう、とも思いますが。
習いたての慣れていない術者から受けると、それらしきことが起きてはいるけれど、何だかしっくりこない感じはありますが、そもそもこれは熟練度等の話で、個性と違う気はします。また、バイオダイナミクスの術者として非常に高いスキルを持っていても、ワークの性質上、クライアントさんの状態によって毎回起きることが違い、上手な人がやればいつも同じ結果になるという事もないので(少なくとも何か納得感のある感覚は提供できると思いますが)、「体感」で術者の個性を語ること自体が難しい部分があるともいえそうです。
なお、少し話はずれますが、全体の傾向としてみた場合、共通してある種の静けさや深さのような「クラニオ・バイオダイナミクスらしさ」というものはあるので、「体感」に関しては、「術者個々人の個性」は薄くとも、「ワークとしてのクラニオ・バイオダイナミクス全体の個性」なら割とはっきりしているといえるかもしれません。
■
最後に「術者のクラニオバイオダイナミクスのスキル」という視点です。これは多分結構個性があるのだと思いますが、見た目から非常にわかりにくい部分でもあります。一応目に見えるスキルとしては、触れ方(文字通りの接触の仕方)やセッション中の姿勢がありますが、大まかな傾向としては「割と真っ直ぐなリラックスした姿勢」「負荷をかけない触れ方」なのでやはりある程度の熟練者ならば、同じハンドポジションを用いて触れた場合、見た目上はそんなに変わらないようにも見えます。
当たり前ですが、術者によって体格などが違うので、クライアントとして術者に触れられた時の印象はそれぞれ違うかもしれません。たとえば、私はそれなりに体格があって、掌も割と大きいので、後頭部などは割と大雑把に触れても全体をカバーできますが、手の小さい人はバランスなどを慎重に見極めて触れているかもしれません。これをセッションの個性というべきかは何とも言えないですが。
一方、姿勢の維持にあたってのこつや、セッション中の意識の用い方などの「外から見えない部分のスキル」はかなり個性がある気がします。同じ原理原則を学んだり、術者の安定度に関わる「プラクティショナーニュートラル」を維持するこつとして共通の知識を得てはいますが、ここには過去の経験や知識、自分の得意な意識や感覚の使い方などが出てくると思うので、最も「術者の個性」が出るのはこの部分かもしれません。
しかし、外から全く見えないのと、私自身、他の術者になにをやっているのか詳細に聞いたことがないので、どう違うのかはあまりわかりません。結構抽象的な部分で、人によっていろいろな表現をしそうなので、そもそも聞いても正確にはわからなそうな気もします。
たとえば、私の場合は姿勢の安定度の維持にあたり、中国武術の稽古経験が非常に大きなウエイトを占めていますが、これは少なくとも私の同期にはない点なので、「私のセッションの個性」といえそうです。もっとも、これも私が何か特別なことをしているというよりは、稽古の中で身に付いたものが自動的に発揮されているような部分も多く、また、前述のように、私の同期とのこの微妙なスキルの差異が、クライアントさんの受けた「感触」に「明瞭な違い」としてフィードバックされているかは謎です。
■
他にも視点はありそうですが、とりあえず、このようにざっと書き出してみると、セッションに術者の個性はあるともないともいえる、曖昧な内容になってきました。
ただ、あえてまとめるならば、クラニオバイオダイナミクスは術者が受け手に対して何かをするような性質のワークではなく、「自分」という「個」が前に出るワークではないので、能動的なワークに比べれば「個性」という言葉を用いるのにややそぐわないところがある、とは言えるかもしれません。
クラニオバイオダイナミクスにおいて「個性」という語を使うとしたら、前述のように、『「クライアントさんの身体のそのものの「個性」(同じ方でもセッションのたびごとに微妙に異なる)」に対し、クラニオの原理に則って術者が「個」を出さずに対応していく』とか、『ワークとして「個」を前面に出さないよう、術者が自分自身を制御するために用いるスキル(意識や姿勢維持など)の中に「個性」がある』というのが、割としっくりくる表現ではあります。
セッションの中でより適切にクライアントさんの変化に従うことができるとともに、その過程の中で自身の「個」を感じさせない割合が高いほど、クラニオ・バイオダイナミクスの術者としては熟練度が高いとも言えるかもしれません。
何だか言葉遊びのような感じになってしまいましたが、こうやって色々な角度で書いているとクラニオについて少しは私の理解が深まるかもしれないですし、特に大体的に広めようとは思わないにせよ、縁のある方がクラニオに興味を持つきっかけ位は作れるかもしれないので、今年もボチボチ書いていこうと思います。
先日やはり「今年初クラニオセッション」を行う機会がありましたが、その際「プラクティショナー(以下、術者)によってセッションの個性はあるのか」という質問を受けました。「あると思う」とか、「いや、ないのかもしれない」とか、「技量の面では明らかに違いが…」などと色々矛盾したことを言っているうちに時間が無くなり、中途半端に終わってしまったのですが、これはまともに捉えると、色々回答しようがあるなかなか難しい質問だと思いました。そこで、今回はこのことをお題に雑感など書いてみようと思います。
大雑把に考えると、これは視点の違いによって答えが変わってくる質問といえそうです。
■
まず、「セッション手順の個性」という視点で見ると、展開のさせ方にある程度の個性はあると思います。クラニオにはいろいろな「ハンドポジション(触れる位置とその位置特有の触れ方)」がありますが、バイオダイナミクスの場合はセッション開始時のハンドポジションや2番目以降に使うハンドポジション、1セッション中いくつのハンドポジションを使うか、などに大まかな方針はあるものの、明確なルールがあるわけではありません。クライアントさんの状況を見ながらアドリブで決めていくので、ハンドポジションの選択に術者の感性や得意な触れ方が反映されることはあると思います。メカニカルなクラニオの場合は技術として明確に触れる順番が決まっていることもあると思うので、バイオダイナミクスはそれよりは自由度があるともいえそうです。
もっとも、開始時のハンドポジションとして頭部などの敏感な場所を選ぶことはほとんどないのと(クライアントさんがクラニオを受け慣れていたり、信頼関係が十分にある場合は別ですが)、クライアントさんによっては、特定部位に触れられることが非常に負荷が大きいこともあるのとで選択肢が最初から極めて限定されている場合も多く、その場合は「個性」は発揮しようがないとも言えます。
このように、結局はクライアントさんの状態に合わせて触れているので、うがった見方をすると、ハンドポジションを決めるにあたって術者自体は何の個性も発揮しておらず、「クライアントさんの身体の個性」に合わせているだけともいえるのかもしれません。
■
次に、「セッションを受けた時の体感・感触」という視点です。あくまで個人的な経験ですが、体感としては、セッションの導入部分で距離の取り方の癖など、若干個々人の差を感じることはありますが、受け始めてから十分くらいたって落ち着いた後の感触というのは、数年以上位学んだ、ある程度熟練した術者から受けた場合、だいたいどなたでも似たような感じ(そんなに個性は感じない)ではという気がします。私は達人といわれるような人や他のバイオダイナミクスの組織の術者のセッションを受けたことがないので、何とも言えない部分はありますが、基本的に劇的な感触のワークではないので、あくまで感触に関して「熟練者」と「達人」と比べた場合、その違いは意外と微妙なものではという気もします。その微妙な部分が非常に大きいのだろう、とも思いますが。
習いたての慣れていない術者から受けると、それらしきことが起きてはいるけれど、何だかしっくりこない感じはありますが、そもそもこれは熟練度等の話で、個性と違う気はします。また、バイオダイナミクスの術者として非常に高いスキルを持っていても、ワークの性質上、クライアントさんの状態によって毎回起きることが違い、上手な人がやればいつも同じ結果になるという事もないので(少なくとも何か納得感のある感覚は提供できると思いますが)、「体感」で術者の個性を語ること自体が難しい部分があるともいえそうです。
なお、少し話はずれますが、全体の傾向としてみた場合、共通してある種の静けさや深さのような「クラニオ・バイオダイナミクスらしさ」というものはあるので、「体感」に関しては、「術者個々人の個性」は薄くとも、「ワークとしてのクラニオ・バイオダイナミクス全体の個性」なら割とはっきりしているといえるかもしれません。
■
最後に「術者のクラニオバイオダイナミクスのスキル」という視点です。これは多分結構個性があるのだと思いますが、見た目から非常にわかりにくい部分でもあります。一応目に見えるスキルとしては、触れ方(文字通りの接触の仕方)やセッション中の姿勢がありますが、大まかな傾向としては「割と真っ直ぐなリラックスした姿勢」「負荷をかけない触れ方」なのでやはりある程度の熟練者ならば、同じハンドポジションを用いて触れた場合、見た目上はそんなに変わらないようにも見えます。
当たり前ですが、術者によって体格などが違うので、クライアントとして術者に触れられた時の印象はそれぞれ違うかもしれません。たとえば、私はそれなりに体格があって、掌も割と大きいので、後頭部などは割と大雑把に触れても全体をカバーできますが、手の小さい人はバランスなどを慎重に見極めて触れているかもしれません。これをセッションの個性というべきかは何とも言えないですが。
一方、姿勢の維持にあたってのこつや、セッション中の意識の用い方などの「外から見えない部分のスキル」はかなり個性がある気がします。同じ原理原則を学んだり、術者の安定度に関わる「プラクティショナーニュートラル」を維持するこつとして共通の知識を得てはいますが、ここには過去の経験や知識、自分の得意な意識や感覚の使い方などが出てくると思うので、最も「術者の個性」が出るのはこの部分かもしれません。
しかし、外から全く見えないのと、私自身、他の術者になにをやっているのか詳細に聞いたことがないので、どう違うのかはあまりわかりません。結構抽象的な部分で、人によっていろいろな表現をしそうなので、そもそも聞いても正確にはわからなそうな気もします。
たとえば、私の場合は姿勢の安定度の維持にあたり、中国武術の稽古経験が非常に大きなウエイトを占めていますが、これは少なくとも私の同期にはない点なので、「私のセッションの個性」といえそうです。もっとも、これも私が何か特別なことをしているというよりは、稽古の中で身に付いたものが自動的に発揮されているような部分も多く、また、前述のように、私の同期とのこの微妙なスキルの差異が、クライアントさんの受けた「感触」に「明瞭な違い」としてフィードバックされているかは謎です。
■
他にも視点はありそうですが、とりあえず、このようにざっと書き出してみると、セッションに術者の個性はあるともないともいえる、曖昧な内容になってきました。
ただ、あえてまとめるならば、クラニオバイオダイナミクスは術者が受け手に対して何かをするような性質のワークではなく、「自分」という「個」が前に出るワークではないので、能動的なワークに比べれば「個性」という言葉を用いるのにややそぐわないところがある、とは言えるかもしれません。
クラニオバイオダイナミクスにおいて「個性」という語を使うとしたら、前述のように、『「クライアントさんの身体のそのものの「個性」(同じ方でもセッションのたびごとに微妙に異なる)」に対し、クラニオの原理に則って術者が「個」を出さずに対応していく』とか、『ワークとして「個」を前面に出さないよう、術者が自分自身を制御するために用いるスキル(意識や姿勢維持など)の中に「個性」がある』というのが、割としっくりくる表現ではあります。
セッションの中でより適切にクライアントさんの変化に従うことができるとともに、その過程の中で自身の「個」を感じさせない割合が高いほど、クラニオ・バイオダイナミクスの術者としては熟練度が高いとも言えるかもしれません。
何だか言葉遊びのような感じになってしまいましたが、こうやって色々な角度で書いているとクラニオについて少しは私の理解が深まるかもしれないですし、特に大体的に広めようとは思わないにせよ、縁のある方がクラニオに興味を持つきっかけ位は作れるかもしれないので、今年もボチボチ書いていこうと思います。
「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」そのものの発展の歴史について前から気になっていたのですが、それに関して参考になりそうなページを見つけたのでまとめてみます。
■
これまで何度も書いてきたように、「クラニオセイクラルワーク(クラニオ)」は20世紀初頭~半ばごろに米国のオステオパス・サザーランド博士によってまとめあげられたボディワークです。
これまで日本語訳されているクラニオ本や先生から聞いた情報から分かるのは、クラニオのうち、私が学ぶ「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」はサザーランド博士が晩年に語ったという「ブレスオブライフ」の概念や人体の液のシステムに働きかける原理をもとに発展してきたワークという点のみで、それがどのように広まったのかについては個人的にはかなり曖昧でした。
サザーランド博士の没後、訓練を積んだオステオパスにのみ伝えられてきたクラニオを一般に広めたのは、オステオパスのアプレジャー氏とされていますが、アプレジャー氏が広めたのはバイオダイナミクスとセッション方針が異なる「メカニカルなクラニオ」で、一方の「バイオダイナミックなクラニオ」がどのように広まったのかの情報はどう探してよいのか、今一つ分からなかったので、この件は、気にはなっていたもののずっと放置していました。
■
今回、先の記事でフランクリン・シルズ氏が「ミッドタイド」の命名者と知ったことを機に、同氏がクラニオ・バイオダイナミクスを巡るキーパーソンであることが理解できてきたので、氏のプロフィールについて書いてあるページを探していたら、以下のページを発見し、クラニオ・バイオダイナミクスの発展についてもある程度の情報が手に入りました。
○シルズ氏の略歴(とクラニオ・バイオダイナミクスの発展 英語です)
http://www.craniosacral-biodynamics.org/history2.html
大雑把にまとめると、イギリス在住のシルズ氏はもともとポラリティセラピーというワークを1970年代に学んでいたが、ポラリティセラピーがサザーランド博士の思想に影響を受けているワークと知ってクラニオに興味を持ち、イギリスでオステオパスとしてのトレーニングを受け、「クラニアルワークを行っていたあるオステオパス(サザーランド博士ゆかりの方なのだろうと想像していますが、不明です)」に出会って影響を受けつつ研究を深める中で、サザーランド博士が提唱する原理との共通点を見出してまとめたものが、氏が提唱する「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」の原型にあたるようです。
その後、シルズ氏は1980年代半ばに他のオステオパスの勧めを受けてクラニオの教授を開始。当初はメカニカルなクラニオとバイオダイナミックなクラニオの両方を教えていたが、やがてバイオダイナミックなクラニオの教授のみに注力し、長年の試行錯誤を経ながらワークを発展させ、世界中の多くの人にバイオダイナミックなクラニオを教えたり影響を与えるに至る、というのがだいたいのあらましのようです。先のページの4ページ目には関係者(活躍している生徒?)として私の先生の名前も出ています。また、日本語訳されているクラニオ本「ウィズダム イン ザ ボディ」の著者Kern氏や、先日紹介したクラニオ本の著者Shea氏の名前も3ページ目に見られます。
■
上記から推測すると、オステオパシーを体系的に学んだ経験や「クラニアルワークを行うあるオステオパス」の出会いはあるにせよ、シルズ氏が誰かにまとまった体系としての「バイオダイナミクス」を習って、それをそのまま伝えてきた、というわけでもなさそうです。自らがオステオパシーで学んだ内容や臨床経験をもとにしつつ、自らが率いる団体「カルナ・インスティテュート」のスタッフなど多くの協力者とともに、サザーランド博士やベッカー博士の言葉などと照らし合わせながら、少しずつ発展させてきた流れが「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」なのかもしれません。
これまで、個人的にシルズ氏は有名なクラニオ・バイオダイナミクスのプラクティショナーだとしか思っていませんでしたが、この記述から判断するに、あまり知られていなかったバイオダイナミックなクラニオを研究・再構成し、世界に広めた功労者といえそうです。
そもそも、私が持っている民間資格(というか称号的なもの)「BCST」も、シルズ氏が中心になって編成した「IABT(The International Affiliation of Biodynamic Trainings)」という連盟に加盟しているクラニオトレーニング団体の教程卒業生に対して発行されるものなので、私自身もシルズ氏の活動の恩恵にあずかっている立場といえますね。
○IABT(とBCSTの説明)
http://biodynamic-craniosacral.org/bcst/
■
ここまでの情報で流れが説明できるならば、クラニオ・バイオダイナミクスのルーツについて探し回ったり考え込むこともないのですが、状況はそう単純ではなく、クラニオ・バイオダイナミクス発展の功労者としてよく名前が出てくる「ジム・ジェラス氏」の名前がシルズ氏のサイトにはありません。そこで、ジェラス氏の略歴も調べてみると、以下のサイトが見つかりました。
○ジェラス氏の略歴(英語)
http://www.biodynamische-osteopathie.com/English-Version/teacher.html
こちらは、まさにクラニオ創始者の伝統を受け継ぐ重厚な経歴という印象です。サザーランド博士の直弟子で、バイオダイナミクスに通じた術者として有名なベッカー博士から直接学んだほか、ジェラス氏の兄弟がサザーランド博士が晩年に暮らした場所の近所に住んでいたことから、サザーランド博士の晩年を共に過ごしたお弟子さんと縁ができたり、長年サザーランド博士と研究を続けてきた先生など、サザーランド博士と縁のあった多くの先生から直接学び、ご本人もオステオパシー大学の指導者として高い評価を受けている、という、まさに正統派です。おそらく非常にいろいろな試行錯誤をされたであろうシルズ氏と比べると非常に安定感のある経歴と言えます。
ジェラス氏が多くの先生から受け継いだものをアメリカのご自身の学校等で伝えている内容が、世界的に有名なもうひとつの「バイオダイナミクス」の流れといえそうです。もっともこちらはサイトの題名からして「バイオダイナミック・オステオパシー」というのが正式名称のようで、「クラニオ」という名のワークというより、オステオパシーとしての側面もかなり強そうなので、関係者の方が「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」と一緒にされることを歓迎するかはわかりませんが。
■
このほかにも、サザーランド博士の直弟子の方から直接バイオダイナミックなクラニオワークを学んだ方や、誰かに体系的にメカニカルなクラニオやオステオパシーを学んだのち、独自に研究してきた方がいると思うので、当然ながら「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んだ方は、シルズ氏とジェラス氏に直接つらなる人のみではないと思います。たとえば、日本語訳されているクラニオ本「スティルネス」の著者のRidley氏は同書のプロフィールを見る限りは、どちらかのルートからも学んでいないようにも見えます(サザーランド博士の直弟子の一人をはじめとする多くの方に学んだようです)。
このように、クラニオバイオダイナミクスにも実際は色々な団体があり、「バイオダイナミック・クラニオセイクラル・セラピー」など、団体によってワーク名が微妙に違うこともありますが、基本的に「バイオダイナミックアプローチを行うクラニオ」の有名な勢力で、同アプローチの発展に特に大きな影響を与えたのは、シルズ氏とジェラス氏の2つの勢力のようだ、と今回の調査で概ね理解できた気がします。(ただし、あくまで先に紹介したサイトの情報からの判断なので、確信があるわけではありません。私が勘違いしている点が多々ある可能性がある点はご了承ください。)
これまで「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」はなんとなくサザーランド博士から1つのルートで直線的に伝わってきたような曖昧な印象を持っていましたが、少なくとも、発展と普及にあたってはこの2つかそれ以上の流れがあった、と考えると多少わかりやすい気はしてきました。
■
さて、大雑把に2大勢力があると仮定した場合、単純な好奇心として、そのワークの共通点と違いには純粋に興味が涌きます。シルズ氏も探求の過程においてジェラス氏と接触したことがあるのかもしれないので、両者の関係やワークとしての違いは現時点では私にはわかりませんが、ワークの基本原理そのものは同じであるにせよ、解釈の仕方やセッションのコンセプトなどの違いはあるのでは、と想像しています。
個人的には、プロのオステオパス仕様、解剖学ベース・治療寄りなのがジェラス氏の系統で、専門職でなくても学びやすく、西洋神秘学等の思想も含んでいるのがシルズ氏の系統なのでは、と想像しているのですが、単純にこの2派にわけて良いものなのかもよく判らず、仮にこの2派に分けられるとしても、両派のワークの実物を比較する機会がないので何とも言えません。なお、上記の違い(想像)はあくまでわかりやすくやや極端に書いたもので、「どちらかというと」という程度の違いと想像しています。
ジェラス氏に学び、同氏に信頼を寄せられているというトム・シェイバー氏の講座は日本でもしばしば開催されていると聞くので、その講座に出る機会があれば、ジェラス氏のコンセプトが若干見えてくるのかもしれないな、とも思います。私の先生の旦那さんも現在オステオパスとしてジェラス氏に学んでいるとのことなので、そちらのルートから何か伝わってくる可能性にも期待したいところです。ほぼすべて同じという可能性もありますが。
私がジェラス氏の講演を7,8年前くらいに聞いた時にこの辺りの事情が良く理解できていればシルズ氏の流れとのちょっとしたコンセプトの違いなどが肌でわかったかもしれませんが、当時の私はクラニオってなんだというレベルだったので仕方ないところです。(現在、記憶と照らし合わせる限りは、テクニックレベルはともかく、少なくとも話された内容に関してはほとんど私が学んだ内容と同じという印象ではあります。)クラニオバイオダイナミクスの発展ルートやバイオダイナミックなクラニオ各派の違い等について更なる情報が見つかるかは不明ですが、個人的にまだいまひとつ納得しきれていない部分もあるので、今後もテーマにしていこうと思います。
◆<後日追記>
色々考える所はありますが、上記のリンク先の文などを見る限り、方針や伝わっている技術の差はあるかもしれないにせよ、両派いずれも根本に据えている原理はサザーランド博士やベッカー博士のものである以上、ベースはほとんど同じなのではないか、となんとなく思っています。サザーランド博士の晩年の教えにどのように向き合うかの違いなのかもしれません。
サザーランド博士も晩年にバイオダイナミックなクラニオという選択肢は見出したものの、後進にいくつかの言葉や原理を残したのみで、メカニカルなクラニオに比べると、生前には十分に体系化できなかったのではないか、とも何となく思います。なので、上ではジェラス氏がそのまま教えを伝えているような書き方をしてしまいましたが、シルズ氏にしろジェラス氏にしろ、時間をかけて、それぞれのバイオダイナミックアプローチを体系化してきたという点は共通なのかもしれません。
また、上ではジェラス氏とシルズ氏の2つの流れをやや大雑把に対比させてしまいましたが、上記はあくまでWEBから拾ってきた情報から私が推測したもので、事実とは異なる可能性があります。実際に両方の系統を学んだわけでもなく、憶測の域を出ない以上、興味関心以上の目的で両者の違いをあら探ししたり、ましてや両者の優劣を論じることにあまり意味はなく、どちらの流れにもそれぞれ良い点があるのだろうと思います。
そもそも、両者とも十分な経験を積み、実力もあるからこそ世界で認められてきた、という前提は当然ながらあると思います。どんな技術でもそうですが、結局はだれに習って、どこに所属しているか、ではなくて(色々な方にセッションを行うことを想定しているならば、前提としてある程度しっかりしたトレーニングを受けることはほぼ必須だとは思いますが)、最終的には「その人自身」ということになるのでしょう。
■
そんなこんなで、少々怠けがちなこのブログではありますが、これが今年最後の記事となりそうです。
私自身に関しては、今年は伊豆のクラニオイベントも無事完遂でき、アドバンスコースに出てセッション展開について納得感が深まったり、この記事のように、クラニオ・バイオダイナミクス絡みの英語情報も少しは調べてみようという気も出てきたりしたので、会社員兼の活動としてはまあまあ頑張ったかなというところです。ちなみに、来年もどうも伊豆イベントはあるようなので、クラニオの出番があるかは不明ですが、もし出番があるならまた協力していきたいところです。
それでは皆様良いお年を。
■
これまで何度も書いてきたように、「クラニオセイクラルワーク(クラニオ)」は20世紀初頭~半ばごろに米国のオステオパス・サザーランド博士によってまとめあげられたボディワークです。
これまで日本語訳されているクラニオ本や先生から聞いた情報から分かるのは、クラニオのうち、私が学ぶ「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」はサザーランド博士が晩年に語ったという「ブレスオブライフ」の概念や人体の液のシステムに働きかける原理をもとに発展してきたワークという点のみで、それがどのように広まったのかについては個人的にはかなり曖昧でした。
サザーランド博士の没後、訓練を積んだオステオパスにのみ伝えられてきたクラニオを一般に広めたのは、オステオパスのアプレジャー氏とされていますが、アプレジャー氏が広めたのはバイオダイナミクスとセッション方針が異なる「メカニカルなクラニオ」で、一方の「バイオダイナミックなクラニオ」がどのように広まったのかの情報はどう探してよいのか、今一つ分からなかったので、この件は、気にはなっていたもののずっと放置していました。
■
今回、先の記事でフランクリン・シルズ氏が「ミッドタイド」の命名者と知ったことを機に、同氏がクラニオ・バイオダイナミクスを巡るキーパーソンであることが理解できてきたので、氏のプロフィールについて書いてあるページを探していたら、以下のページを発見し、クラニオ・バイオダイナミクスの発展についてもある程度の情報が手に入りました。
○シルズ氏の略歴(とクラニオ・バイオダイナミクスの発展 英語です)
http://www.craniosacral-biodynamics.org/history2.html
大雑把にまとめると、イギリス在住のシルズ氏はもともとポラリティセラピーというワークを1970年代に学んでいたが、ポラリティセラピーがサザーランド博士の思想に影響を受けているワークと知ってクラニオに興味を持ち、イギリスでオステオパスとしてのトレーニングを受け、「クラニアルワークを行っていたあるオステオパス(サザーランド博士ゆかりの方なのだろうと想像していますが、不明です)」に出会って影響を受けつつ研究を深める中で、サザーランド博士が提唱する原理との共通点を見出してまとめたものが、氏が提唱する「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」の原型にあたるようです。
その後、シルズ氏は1980年代半ばに他のオステオパスの勧めを受けてクラニオの教授を開始。当初はメカニカルなクラニオとバイオダイナミックなクラニオの両方を教えていたが、やがてバイオダイナミックなクラニオの教授のみに注力し、長年の試行錯誤を経ながらワークを発展させ、世界中の多くの人にバイオダイナミックなクラニオを教えたり影響を与えるに至る、というのがだいたいのあらましのようです。先のページの4ページ目には関係者(活躍している生徒?)として私の先生の名前も出ています。また、日本語訳されているクラニオ本「ウィズダム イン ザ ボディ」の著者Kern氏や、先日紹介したクラニオ本の著者Shea氏の名前も3ページ目に見られます。
■
上記から推測すると、オステオパシーを体系的に学んだ経験や「クラニアルワークを行うあるオステオパス」の出会いはあるにせよ、シルズ氏が誰かにまとまった体系としての「バイオダイナミクス」を習って、それをそのまま伝えてきた、というわけでもなさそうです。自らがオステオパシーで学んだ内容や臨床経験をもとにしつつ、自らが率いる団体「カルナ・インスティテュート」のスタッフなど多くの協力者とともに、サザーランド博士やベッカー博士の言葉などと照らし合わせながら、少しずつ発展させてきた流れが「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」なのかもしれません。
これまで、個人的にシルズ氏は有名なクラニオ・バイオダイナミクスのプラクティショナーだとしか思っていませんでしたが、この記述から判断するに、あまり知られていなかったバイオダイナミックなクラニオを研究・再構成し、世界に広めた功労者といえそうです。
そもそも、私が持っている民間資格(というか称号的なもの)「BCST」も、シルズ氏が中心になって編成した「IABT(The International Affiliation of Biodynamic Trainings)」という連盟に加盟しているクラニオトレーニング団体の教程卒業生に対して発行されるものなので、私自身もシルズ氏の活動の恩恵にあずかっている立場といえますね。
○IABT(とBCSTの説明)
http://biodynamic-craniosacral.org/bcst/
■
ここまでの情報で流れが説明できるならば、クラニオ・バイオダイナミクスのルーツについて探し回ったり考え込むこともないのですが、状況はそう単純ではなく、クラニオ・バイオダイナミクス発展の功労者としてよく名前が出てくる「ジム・ジェラス氏」の名前がシルズ氏のサイトにはありません。そこで、ジェラス氏の略歴も調べてみると、以下のサイトが見つかりました。
○ジェラス氏の略歴(英語)
http://www.biodynamische-osteopathie.com/English-Version/teacher.html
こちらは、まさにクラニオ創始者の伝統を受け継ぐ重厚な経歴という印象です。サザーランド博士の直弟子で、バイオダイナミクスに通じた術者として有名なベッカー博士から直接学んだほか、ジェラス氏の兄弟がサザーランド博士が晩年に暮らした場所の近所に住んでいたことから、サザーランド博士の晩年を共に過ごしたお弟子さんと縁ができたり、長年サザーランド博士と研究を続けてきた先生など、サザーランド博士と縁のあった多くの先生から直接学び、ご本人もオステオパシー大学の指導者として高い評価を受けている、という、まさに正統派です。おそらく非常にいろいろな試行錯誤をされたであろうシルズ氏と比べると非常に安定感のある経歴と言えます。
ジェラス氏が多くの先生から受け継いだものをアメリカのご自身の学校等で伝えている内容が、世界的に有名なもうひとつの「バイオダイナミクス」の流れといえそうです。もっともこちらはサイトの題名からして「バイオダイナミック・オステオパシー」というのが正式名称のようで、「クラニオ」という名のワークというより、オステオパシーとしての側面もかなり強そうなので、関係者の方が「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」と一緒にされることを歓迎するかはわかりませんが。
■
このほかにも、サザーランド博士の直弟子の方から直接バイオダイナミックなクラニオワークを学んだ方や、誰かに体系的にメカニカルなクラニオやオステオパシーを学んだのち、独自に研究してきた方がいると思うので、当然ながら「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んだ方は、シルズ氏とジェラス氏に直接つらなる人のみではないと思います。たとえば、日本語訳されているクラニオ本「スティルネス」の著者のRidley氏は同書のプロフィールを見る限りは、どちらかのルートからも学んでいないようにも見えます(サザーランド博士の直弟子の一人をはじめとする多くの方に学んだようです)。
このように、クラニオバイオダイナミクスにも実際は色々な団体があり、「バイオダイナミック・クラニオセイクラル・セラピー」など、団体によってワーク名が微妙に違うこともありますが、基本的に「バイオダイナミックアプローチを行うクラニオ」の有名な勢力で、同アプローチの発展に特に大きな影響を与えたのは、シルズ氏とジェラス氏の2つの勢力のようだ、と今回の調査で概ね理解できた気がします。(ただし、あくまで先に紹介したサイトの情報からの判断なので、確信があるわけではありません。私が勘違いしている点が多々ある可能性がある点はご了承ください。)
これまで「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」はなんとなくサザーランド博士から1つのルートで直線的に伝わってきたような曖昧な印象を持っていましたが、少なくとも、発展と普及にあたってはこの2つかそれ以上の流れがあった、と考えると多少わかりやすい気はしてきました。
■
さて、大雑把に2大勢力があると仮定した場合、単純な好奇心として、そのワークの共通点と違いには純粋に興味が涌きます。シルズ氏も探求の過程においてジェラス氏と接触したことがあるのかもしれないので、両者の関係やワークとしての違いは現時点では私にはわかりませんが、ワークの基本原理そのものは同じであるにせよ、解釈の仕方やセッションのコンセプトなどの違いはあるのでは、と想像しています。
個人的には、プロのオステオパス仕様、解剖学ベース・治療寄りなのがジェラス氏の系統で、専門職でなくても学びやすく、西洋神秘学等の思想も含んでいるのがシルズ氏の系統なのでは、と想像しているのですが、単純にこの2派にわけて良いものなのかもよく判らず、仮にこの2派に分けられるとしても、両派のワークの実物を比較する機会がないので何とも言えません。なお、上記の違い(想像)はあくまでわかりやすくやや極端に書いたもので、「どちらかというと」という程度の違いと想像しています。
ジェラス氏に学び、同氏に信頼を寄せられているというトム・シェイバー氏の講座は日本でもしばしば開催されていると聞くので、その講座に出る機会があれば、ジェラス氏のコンセプトが若干見えてくるのかもしれないな、とも思います。私の先生の旦那さんも現在オステオパスとしてジェラス氏に学んでいるとのことなので、そちらのルートから何か伝わってくる可能性にも期待したいところです。ほぼすべて同じという可能性もありますが。
私がジェラス氏の講演を7,8年前くらいに聞いた時にこの辺りの事情が良く理解できていればシルズ氏の流れとのちょっとしたコンセプトの違いなどが肌でわかったかもしれませんが、当時の私はクラニオってなんだというレベルだったので仕方ないところです。(現在、記憶と照らし合わせる限りは、テクニックレベルはともかく、少なくとも話された内容に関してはほとんど私が学んだ内容と同じという印象ではあります。)クラニオバイオダイナミクスの発展ルートやバイオダイナミックなクラニオ各派の違い等について更なる情報が見つかるかは不明ですが、個人的にまだいまひとつ納得しきれていない部分もあるので、今後もテーマにしていこうと思います。
◆<後日追記>
色々考える所はありますが、上記のリンク先の文などを見る限り、方針や伝わっている技術の差はあるかもしれないにせよ、両派いずれも根本に据えている原理はサザーランド博士やベッカー博士のものである以上、ベースはほとんど同じなのではないか、となんとなく思っています。サザーランド博士の晩年の教えにどのように向き合うかの違いなのかもしれません。
サザーランド博士も晩年にバイオダイナミックなクラニオという選択肢は見出したものの、後進にいくつかの言葉や原理を残したのみで、メカニカルなクラニオに比べると、生前には十分に体系化できなかったのではないか、とも何となく思います。なので、上ではジェラス氏がそのまま教えを伝えているような書き方をしてしまいましたが、シルズ氏にしろジェラス氏にしろ、時間をかけて、それぞれのバイオダイナミックアプローチを体系化してきたという点は共通なのかもしれません。
また、上ではジェラス氏とシルズ氏の2つの流れをやや大雑把に対比させてしまいましたが、上記はあくまでWEBから拾ってきた情報から私が推測したもので、事実とは異なる可能性があります。実際に両方の系統を学んだわけでもなく、憶測の域を出ない以上、興味関心以上の目的で両者の違いをあら探ししたり、ましてや両者の優劣を論じることにあまり意味はなく、どちらの流れにもそれぞれ良い点があるのだろうと思います。
そもそも、両者とも十分な経験を積み、実力もあるからこそ世界で認められてきた、という前提は当然ながらあると思います。どんな技術でもそうですが、結局はだれに習って、どこに所属しているか、ではなくて(色々な方にセッションを行うことを想定しているならば、前提としてある程度しっかりしたトレーニングを受けることはほぼ必須だとは思いますが)、最終的には「その人自身」ということになるのでしょう。
■
そんなこんなで、少々怠けがちなこのブログではありますが、これが今年最後の記事となりそうです。
私自身に関しては、今年は伊豆のクラニオイベントも無事完遂でき、アドバンスコースに出てセッション展開について納得感が深まったり、この記事のように、クラニオ・バイオダイナミクス絡みの英語情報も少しは調べてみようという気も出てきたりしたので、会社員兼の活動としてはまあまあ頑張ったかなというところです。ちなみに、来年もどうも伊豆イベントはあるようなので、クラニオの出番があるかは不明ですが、もし出番があるならまた協力していきたいところです。
それでは皆様良いお年を。
プロフィール
|
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
最新記事
|
(07/01)
(12/27)
(02/16)
(10/26)
(06/29)
最新コメント
|
日記カテゴリ
|
ブログ内検索
|