クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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久々の記事ですが、またも最近読んだ本「オステオパシーを巡る旅」の読後の雑感です。
これはオステオパシーの大家として知られるジェームス・ジェラス D.O(以下ジェラス氏)の著作です。私のように英語が不得意な人間には嬉しいことに日本語版です。若干直訳っぽい所もあり、また個人的に一部知らない用語もありましたが、クラニオを習っている方なら何となくニュアンスは伝わるのではと思います。ちなみに本の形式は「オンデマンドのペーパーバック」で、どうもAmazonでしか扱っていない模様です。
・参考までに書籍のページは → こちら
本の冒頭に「この本は教科書ではなく、オステオパスになろうとしてきたひとりの男の旅の記録」とあるように、内容はセッションにおけるプラクティショナーのあり方や、ローリン・ベッカー氏といったジェラス氏の師匠とのエピソードなどが主です。
むしろ教科書的な内容ではないからこそ普遍性があり、クラニオセッションにおいても参考になる点が多く、個人的には大変ためになりました。本の値段は4400円と若干お高めですが、入手の価値は十分あると思います。
■特に印象に残った点2つ
解剖学や臨床事例についての細かめの記述もありましたが、個人的に印象深かったのは、プラクティショナー自身の「休息」の大事を何度も説かれている点、セッションではクライアントに介入しないのは当然として、プラクティショナーニュートラルは維持しつつも「己を大いなる何かに明け渡す」くらいの徹底的な「我を捨てるスタンス」が必要そうだと感じられた点です。
一見シンプルな言葉であるものの、ジェラス氏の言う「休息」には深い意味や理解のレベルがありそうに思います。ひとまず、個人的には、単に一定時間の睡眠を取っているとか、動かずにごろごろしていることではなく、ヘルスにつながっている、ニュートラルで内的に整っている、または内なる静けさに休まっている…ような状態に自身がきちんと還ることかなと解釈しました。何かというと、目の前のクライアントや脳内の妄想に意識が行きがちですが、人のこと以前に自分自身は休まっているのか?という問いでもあると思います。
そういった「休息」ができているのか己を顧みるに、たまに行うクラニオ活動でもセッション中に雑念に埋もれている時間は長く、また日常でも、家に帰ってからも会社で起きた面倒事やネガティブな感情に意識が留まっているなど、あまり心身が落ち着いていない日が結構あり、私としては「反省。」とコメントするほかありません…。言葉としての意味合いの理解も含め、「休息」はもう少し意識したいと思いました。
もう一つの、「己を明け渡す」については、セッション中は己の作為を極力カットする必要があると理解はしているつもりでしたが、そこに本来求められる「我を捨てる度」は自分の想像をはるかに上回るレベルなのではないか、と本を読んで思わされました。
クラニオでも、クライアントのパターンへの余計な介入やシステムの「のぞき込み」はクライアントに新たなパターン(というか負荷)を付与してしまうのでNG、と習いましたが、そこまでではないにせよ、実は自分で思っている以上に、クライアントの変容プロセスの邪魔をしていることがあるかもしれないと思いました。
ちょうどしばらく前のセッションで、自分のセッションの中でどうしたら良いか良く分からなくなり途方にくれる、という経験がありましたが、変に自信を持っているより、毎回、自分でないもの(ブレスオブライフとかポーテンシーとか)にすべてを委ね、何が起きるか分からない少し不安な気持ちで始めるくらいの方が、より自分(我欲)を投げ出すような心境に近くなってちょうど良いのかもしれないと思いました。
■「「クラニオ」とのちがい」を考える
一方で、改めて意識させられたのは(バイオダイナミックな)オステオパシーとクラニオの流派・流儀としてのちがいについてです。ジェラス氏がやや辛口なコメントをしているパートがあり、かなり考えさせられました。
私がクラニオを習っているICSBでは、会の代表がジェラス氏ゆかりのオステオパシーも習っており、その内容が講座にもフィードバックされていると聞いているので、我々の現在のクラニオセッションのスタンスや基本的な進め方はバイオダイナミックなオステオパシーと近い部類に入るのでは、と思うのですが、それでも両者はやはり違うものであり、源流であるオステオパシーへのリスペクトは持ち続けていたい、とこの本のいくつかの記述から思いました。
正当派・伝統的でないとダメといった意味ではなく、少なくともクラニオの存在や、(時にクラニオ固有のものであると捉えがちかもしれない)ワークとしての哲学や特徴は、オステオパシーという体系の存在とサザーランド博士ほか多くのオステオパシーの先駆者の叡智があってこそ生まれたものだという意識と感謝は必要だろう、ということです。
ちなみに、本を読んで意識した「ちがい」は、技術や方法の違いというより体系や流派としての風情や暗黙知のような部分です。技法や蓄積経験の面でも、オステオパシーにあってクラニオに伝わっていないことは色々あるとは思いますが、ワークの手順や知識については比較的外部にも伝わりやすい要素と言えます。一方、創始者の代から受け継がれてきた哲理やわざを使った時にまとう雰囲気・教えてもらう時の独特の空気感(手渡ししてもらう感覚に近いかもしれない)のようなものは、直接学んだ人以外には伝わりがたい要素で、そういったものが「ジェラス氏が先代から継承、発展させてきたオステオパシー」の見えざる価値なのだろうと感じました。
前に別の日記でも少し書きましたが、ジェラス氏のワークはサザーランド博士の直弟子にあたる先生方からじかに教えを受けて構成されているのに対し、「クラニオ」は歴史的にはオステオパスであったアプレジャー氏が「医療従事者でない一般人でも扱えるよう、オステオパシーの一部のスキルや叡智を抽出した技法」といえると思います。
その時点から更に数十年が経った現在、世の中には、非常に多様な「クラニオ」の形態があると思われ、広まって良かった点も、良くなかった点もあり、そこはジェラス氏としても思うところが色々あるのだろうと感じました。似たような状況(分派の発生、流派の正当性議論、実践性の議論、広域普及と教授の質のバランスなど…)がしばしば生じる伝統武術界の片隅に居るものとして、私もその気持ちは何となくわかる気がします。
■
一方で、経緯はどうあれ、この世界に「クラニオ」が誕生し、一定のニーズもあって存在し続けている以上、そこには「簡易版のオステオパシー」ではない存在意義があるともいえると思います。例えば、私自身に関していえば、クラニオがこの世に存在しなかった場合、習える人が限られるバイオダイナミックオステオパシーを学べた可能性は低く、結果、他人へのワークができないのみならず、今用いているささやかな自己調整スキルや、辛い時に自分の支えになってくれたマインドセット(リソース)や、武術稽古でも参考になっているニュートラルといった恩恵も得られず、どんな生き方をしていたか分かりません。
その点で、少なくとも私がクラニオを習った意味はあると思いますし、源流へのリスペクトを保ちつつクラニオというワークの存在を客観的に意識することで、また何かが見えてくる気もします。
なんにせよ、「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」しか知らない私としては、この本で頂いたヒントも参考に、ひとまずは、できるだけベストなセッションが実現できるよう(この本の内容に従えば、できる、できないとか思うこと自体ダメかもしれないですが)細々と進んでいくのみであります。
一方で、この本を読み、オステオパシーから派生・発展してきたクラニオとは何もので、それを学んできた私は何ができるのか(ワークとしての表面的な効く効かないなどとは関係なく、ほかの分野に活かされる道なども含め…)には引き続き私なりに向き合っていきたい、とも改めて思った次第であります。
これはオステオパシーの大家として知られるジェームス・ジェラス D.O(以下ジェラス氏)の著作です。私のように英語が不得意な人間には嬉しいことに日本語版です。若干直訳っぽい所もあり、また個人的に一部知らない用語もありましたが、クラニオを習っている方なら何となくニュアンスは伝わるのではと思います。ちなみに本の形式は「オンデマンドのペーパーバック」で、どうもAmazonでしか扱っていない模様です。
・参考までに書籍のページは → こちら
本の冒頭に「この本は教科書ではなく、オステオパスになろうとしてきたひとりの男の旅の記録」とあるように、内容はセッションにおけるプラクティショナーのあり方や、ローリン・ベッカー氏といったジェラス氏の師匠とのエピソードなどが主です。
むしろ教科書的な内容ではないからこそ普遍性があり、クラニオセッションにおいても参考になる点が多く、個人的には大変ためになりました。本の値段は4400円と若干お高めですが、入手の価値は十分あると思います。
■特に印象に残った点2つ
解剖学や臨床事例についての細かめの記述もありましたが、個人的に印象深かったのは、プラクティショナー自身の「休息」の大事を何度も説かれている点、セッションではクライアントに介入しないのは当然として、プラクティショナーニュートラルは維持しつつも「己を大いなる何かに明け渡す」くらいの徹底的な「我を捨てるスタンス」が必要そうだと感じられた点です。
一見シンプルな言葉であるものの、ジェラス氏の言う「休息」には深い意味や理解のレベルがありそうに思います。ひとまず、個人的には、単に一定時間の睡眠を取っているとか、動かずにごろごろしていることではなく、ヘルスにつながっている、ニュートラルで内的に整っている、または内なる静けさに休まっている…ような状態に自身がきちんと還ることかなと解釈しました。何かというと、目の前のクライアントや脳内の妄想に意識が行きがちですが、人のこと以前に自分自身は休まっているのか?という問いでもあると思います。
そういった「休息」ができているのか己を顧みるに、たまに行うクラニオ活動でもセッション中に雑念に埋もれている時間は長く、また日常でも、家に帰ってからも会社で起きた面倒事やネガティブな感情に意識が留まっているなど、あまり心身が落ち着いていない日が結構あり、私としては「反省。」とコメントするほかありません…。言葉としての意味合いの理解も含め、「休息」はもう少し意識したいと思いました。
もう一つの、「己を明け渡す」については、セッション中は己の作為を極力カットする必要があると理解はしているつもりでしたが、そこに本来求められる「我を捨てる度」は自分の想像をはるかに上回るレベルなのではないか、と本を読んで思わされました。
クラニオでも、クライアントのパターンへの余計な介入やシステムの「のぞき込み」はクライアントに新たなパターン(というか負荷)を付与してしまうのでNG、と習いましたが、そこまでではないにせよ、実は自分で思っている以上に、クライアントの変容プロセスの邪魔をしていることがあるかもしれないと思いました。
ちょうどしばらく前のセッションで、自分のセッションの中でどうしたら良いか良く分からなくなり途方にくれる、という経験がありましたが、変に自信を持っているより、毎回、自分でないもの(ブレスオブライフとかポーテンシーとか)にすべてを委ね、何が起きるか分からない少し不安な気持ちで始めるくらいの方が、より自分(我欲)を投げ出すような心境に近くなってちょうど良いのかもしれないと思いました。
■「「クラニオ」とのちがい」を考える
一方で、改めて意識させられたのは(バイオダイナミックな)オステオパシーとクラニオの流派・流儀としてのちがいについてです。ジェラス氏がやや辛口なコメントをしているパートがあり、かなり考えさせられました。
私がクラニオを習っているICSBでは、会の代表がジェラス氏ゆかりのオステオパシーも習っており、その内容が講座にもフィードバックされていると聞いているので、我々の現在のクラニオセッションのスタンスや基本的な進め方はバイオダイナミックなオステオパシーと近い部類に入るのでは、と思うのですが、それでも両者はやはり違うものであり、源流であるオステオパシーへのリスペクトは持ち続けていたい、とこの本のいくつかの記述から思いました。
正当派・伝統的でないとダメといった意味ではなく、少なくともクラニオの存在や、(時にクラニオ固有のものであると捉えがちかもしれない)ワークとしての哲学や特徴は、オステオパシーという体系の存在とサザーランド博士ほか多くのオステオパシーの先駆者の叡智があってこそ生まれたものだという意識と感謝は必要だろう、ということです。
ちなみに、本を読んで意識した「ちがい」は、技術や方法の違いというより体系や流派としての風情や暗黙知のような部分です。技法や蓄積経験の面でも、オステオパシーにあってクラニオに伝わっていないことは色々あるとは思いますが、ワークの手順や知識については比較的外部にも伝わりやすい要素と言えます。一方、創始者の代から受け継がれてきた哲理やわざを使った時にまとう雰囲気・教えてもらう時の独特の空気感(手渡ししてもらう感覚に近いかもしれない)のようなものは、直接学んだ人以外には伝わりがたい要素で、そういったものが「ジェラス氏が先代から継承、発展させてきたオステオパシー」の見えざる価値なのだろうと感じました。
前に別の日記でも少し書きましたが、ジェラス氏のワークはサザーランド博士の直弟子にあたる先生方からじかに教えを受けて構成されているのに対し、「クラニオ」は歴史的にはオステオパスであったアプレジャー氏が「医療従事者でない一般人でも扱えるよう、オステオパシーの一部のスキルや叡智を抽出した技法」といえると思います。
その時点から更に数十年が経った現在、世の中には、非常に多様な「クラニオ」の形態があると思われ、広まって良かった点も、良くなかった点もあり、そこはジェラス氏としても思うところが色々あるのだろうと感じました。似たような状況(分派の発生、流派の正当性議論、実践性の議論、広域普及と教授の質のバランスなど…)がしばしば生じる伝統武術界の片隅に居るものとして、私もその気持ちは何となくわかる気がします。
■
一方で、経緯はどうあれ、この世界に「クラニオ」が誕生し、一定のニーズもあって存在し続けている以上、そこには「簡易版のオステオパシー」ではない存在意義があるともいえると思います。例えば、私自身に関していえば、クラニオがこの世に存在しなかった場合、習える人が限られるバイオダイナミックオステオパシーを学べた可能性は低く、結果、他人へのワークができないのみならず、今用いているささやかな自己調整スキルや、辛い時に自分の支えになってくれたマインドセット(リソース)や、武術稽古でも参考になっているニュートラルといった恩恵も得られず、どんな生き方をしていたか分かりません。
その点で、少なくとも私がクラニオを習った意味はあると思いますし、源流へのリスペクトを保ちつつクラニオというワークの存在を客観的に意識することで、また何かが見えてくる気もします。
なんにせよ、「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」しか知らない私としては、この本で頂いたヒントも参考に、ひとまずは、できるだけベストなセッションが実現できるよう(この本の内容に従えば、できる、できないとか思うこと自体ダメかもしれないですが)細々と進んでいくのみであります。
一方で、この本を読み、オステオパシーから派生・発展してきたクラニオとは何もので、それを学んできた私は何ができるのか(ワークとしての表面的な効く効かないなどとは関係なく、ほかの分野に活かされる道なども含め…)には引き続き私なりに向き合っていきたい、とも改めて思った次第であります。
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クラニオ本ではないですが、ISCBのクラニオ関係者にお勧め本として情報が回ってきた「ポリヴェーガル理論入門」を読了したので、大まかな概要紹介と所感などです。自分の頭の整理も兼ねて書いていきますが、私の勘違いがあるかもしれないので、詳細に興味がわいた方は書籍を実際に読んでみることをお勧めします。
ポリヴェーガル理論入門 → 出版社の同書紹介ページ
■理論の概要
「ポリヴェーガル理論」は哺乳類の神経系と社会活動の関わりについての理論で、この本は同理論提唱者のポージェス博士(ポージェス博士はセラピストや臨床家ではなく研究者)と臨床家何名かとの対談形式で同理論やその関連情報を紹介しています。ちなみに日本語版翻訳者の方にICSBのメンバー(クラニオプラクティショナー)2名が協力していたそうで、あとがきで初めて知って驚きました。
本書によると、同理論では自律神経系には交感神経・副交感神経による活性、鎮静の働きのみならず、迷走神経(腹側迷走神経、背側迷走神経の2つがある)による制御もかかっており、その制御の状態によって、以下のような身体反応につながるとのこと。
(日常)
・腹側迷走神経が優位・背側迷走神経と関連する自律神経系がバランスよく機能
→安全の感覚があり、社会活動を円滑に行える
(危機に瀕したときの生理的な防衛反応)
・パターン1:背側迷走神経の働きが抑えられる → 闘争/逃走反応で危機に対処
・パターン2:背側迷走神経が急激に優位になる → シャットダウン(気絶などの「凍り付き」)・乖離で危機をやりすごす
私も、過去にもクラニオ講座やセラピー手法「ソマテックエクスペリエンス(以下、SE)」の本「心と身体をつなぐトラウマセラピー(雲母書房)」で「シャットダウン」の身体状態や「社会交流と自律神経系にかかわりがあるらしい?」という話は聞いていました。
しかし、一般に言われる「交感神経=活性、副交感神経=鎮静」程度の理解しかなく、理屈の上ではいまいち理解できていませんでした。本書で各反応に迷走神経によるブレーキ機能が介在していたことを知り、ようやくメカニズムをある程度理解できました。
また、これらの神経系のバランスが十分に取れているときの「社会活動を円滑に行える」を、これまで私は単に日常生活が送れる程度の話だと思っていたのですが、本書を読み、「周囲にあまり警戒を抱かない、文字通りの「社会交流に適した心身状態」」のことらしいと理解できました。これに関する記述を読み、自分自身の会社での仕事の様子などを顧みるに、現代の日本社会では災害や事故に遭ったり実際の争いにならなくても、自律神経系レベルでは「闘争/逃走状態」のまま対処しているケースは思いのほか多いのでは…等と考えさせられています。
■トラウマセラピーとのつながり
本書では同理論を踏まえたトラウマセラピーの例の紹介もあります。前述のSEもポリヴェーガル理論を踏まえてできた技法の1つとして名前だけ紹介されていますが、本書では他にポージェス博士が提唱する「LPP」という手法も紹介されています。
大雑把にまとめると、「トラウマ」「トラウマ化」は前述の「自律神経系の防衛反応」が休む間もなく必要な状況(戦場や災害現場など)に置かれたり、強烈な体験(事故や事件など)による急激なシャットダウンといった強い防衛反応を契機に、本来は身を守る時だけ発動すればよい防衛反応のスイッチが日常もしくは特定の状況下で入りやすい身体状態になってしまうこと…と言えるかと思います。
防衛反応自体は適切な反応で、そのおかげで危機も乗り越えられるのですが、野生動物より人は脳が複雑にできているので、その影響が神経系・身体に残ってしまうことがある(トラウマ化は思い込みや心の弱さではなく、「身体の生理的反応の結果」)…とSEの本では説明されていたと思います。
SEの本では主に身体感覚に意識を向けてもらう必要性について語られていた覚えがありますが(詳しくはSEの書籍やサイト参照…)、「LPP」の手法はトラウマ化して「防衛反応」に入っている人の「音の聞こえ方」に着目し(誤解があるかもしれませんが、神経系が警戒態勢に入っていることで、内耳の筋肉に影響があり、脅威にかかわる音が聞こえやすくなり、安心をもたらすような周波数の音が聞こえにくくなるようです)、神経系の安心につながる波長の音をクライアントに一定期間聴かせ続けるのだそうです。
症状やトラウマ化に至った出来事をむやみと深堀せず、「神経系が安全を感じられる環境」の提供によって機能回復を目指す、という方向性は、人の身体機能を踏まえつつも押しつけがましさがなく、興味深いものがあります。トラウマ化と由来は異なるようですが、自閉症の方へのセラピーでも活用されている手法だそうです。
■同理論を踏まえた、セラピー・クラニオの役割
また、本書では最後に、セラピーの目的(文脈ではトラウマセラピーやLPPのことを指していると思いますが)として「様々な場面に適用するための能力を高めていくこと」「防衛を適正に抑制できる神経回路にアクセスし(中略)生きていくために柔軟性を持てるようになること」という表現が出てますが、これはトラウマセラピー以外にも適用できそうな、納得感のある表現だと思いました。
個人的には、「適応力のある(柔軟性の高い)、よりバランスの取れた心身(自律神経系)状態を実現する支援」や「心身(自律神経系)の柔軟性が一定以上失われている時にバランスを取り戻す支援」は、専門のトラウマセラピーほどではないにせよ、セッションがもたらす独特の体感や静寂などにより、クラニオでもある程度提供できそうな気はしています(なお、過去のクラニオ講座で本理論を踏まえたクラニオならではのお役立ちポイントの説明があった可能性もありますが、私の記憶は曖昧です…)。
いずれにせよ、そう言い切るにはもう少し実例やデータが欲しい所なので、あくまで仮説ですが、「身体の歪みを物理的に調整」といったことよりは「自律神経系のバランス調整」のほうがクラニオセッションで主に起きていることの表現として近い気がします。また、この「役割」は病院や一般の医療行為と違うボディセラピー(クライアントに丁寧に触れるタイプのセラピー)ならではの役割として、クラニオ以外のいくつかの技法にも当てはめられる余地がありそうです。
咀嚼しきれていない部分もありますが、自律神経系と心身のつながりについて色々なことが学べて考えさせられる本で、読んだ甲斐がありました。セラピーをされている方や心身のかかわりに興味がある方にはおすすめです。私もたまに読み返しながら、上記の問題意識も頭の片隅に置きつつ、今後もできる範囲でセッションを続けていきたいと思います。
ポリヴェーガル理論入門 → 出版社の同書紹介ページ
■理論の概要
「ポリヴェーガル理論」は哺乳類の神経系と社会活動の関わりについての理論で、この本は同理論提唱者のポージェス博士(ポージェス博士はセラピストや臨床家ではなく研究者)と臨床家何名かとの対談形式で同理論やその関連情報を紹介しています。ちなみに日本語版翻訳者の方にICSBのメンバー(クラニオプラクティショナー)2名が協力していたそうで、あとがきで初めて知って驚きました。
本書によると、同理論では自律神経系には交感神経・副交感神経による活性、鎮静の働きのみならず、迷走神経(腹側迷走神経、背側迷走神経の2つがある)による制御もかかっており、その制御の状態によって、以下のような身体反応につながるとのこと。
(日常)
・腹側迷走神経が優位・背側迷走神経と関連する自律神経系がバランスよく機能
→安全の感覚があり、社会活動を円滑に行える
(危機に瀕したときの生理的な防衛反応)
・パターン1:背側迷走神経の働きが抑えられる → 闘争/逃走反応で危機に対処
・パターン2:背側迷走神経が急激に優位になる → シャットダウン(気絶などの「凍り付き」)・乖離で危機をやりすごす
私も、過去にもクラニオ講座やセラピー手法「ソマテックエクスペリエンス(以下、SE)」の本「心と身体をつなぐトラウマセラピー(雲母書房)」で「シャットダウン」の身体状態や「社会交流と自律神経系にかかわりがあるらしい?」という話は聞いていました。
しかし、一般に言われる「交感神経=活性、副交感神経=鎮静」程度の理解しかなく、理屈の上ではいまいち理解できていませんでした。本書で各反応に迷走神経によるブレーキ機能が介在していたことを知り、ようやくメカニズムをある程度理解できました。
また、これらの神経系のバランスが十分に取れているときの「社会活動を円滑に行える」を、これまで私は単に日常生活が送れる程度の話だと思っていたのですが、本書を読み、「周囲にあまり警戒を抱かない、文字通りの「社会交流に適した心身状態」」のことらしいと理解できました。これに関する記述を読み、自分自身の会社での仕事の様子などを顧みるに、現代の日本社会では災害や事故に遭ったり実際の争いにならなくても、自律神経系レベルでは「闘争/逃走状態」のまま対処しているケースは思いのほか多いのでは…等と考えさせられています。
■トラウマセラピーとのつながり
本書では同理論を踏まえたトラウマセラピーの例の紹介もあります。前述のSEもポリヴェーガル理論を踏まえてできた技法の1つとして名前だけ紹介されていますが、本書では他にポージェス博士が提唱する「LPP」という手法も紹介されています。
大雑把にまとめると、「トラウマ」「トラウマ化」は前述の「自律神経系の防衛反応」が休む間もなく必要な状況(戦場や災害現場など)に置かれたり、強烈な体験(事故や事件など)による急激なシャットダウンといった強い防衛反応を契機に、本来は身を守る時だけ発動すればよい防衛反応のスイッチが日常もしくは特定の状況下で入りやすい身体状態になってしまうこと…と言えるかと思います。
防衛反応自体は適切な反応で、そのおかげで危機も乗り越えられるのですが、野生動物より人は脳が複雑にできているので、その影響が神経系・身体に残ってしまうことがある(トラウマ化は思い込みや心の弱さではなく、「身体の生理的反応の結果」)…とSEの本では説明されていたと思います。
SEの本では主に身体感覚に意識を向けてもらう必要性について語られていた覚えがありますが(詳しくはSEの書籍やサイト参照…)、「LPP」の手法はトラウマ化して「防衛反応」に入っている人の「音の聞こえ方」に着目し(誤解があるかもしれませんが、神経系が警戒態勢に入っていることで、内耳の筋肉に影響があり、脅威にかかわる音が聞こえやすくなり、安心をもたらすような周波数の音が聞こえにくくなるようです)、神経系の安心につながる波長の音をクライアントに一定期間聴かせ続けるのだそうです。
症状やトラウマ化に至った出来事をむやみと深堀せず、「神経系が安全を感じられる環境」の提供によって機能回復を目指す、という方向性は、人の身体機能を踏まえつつも押しつけがましさがなく、興味深いものがあります。トラウマ化と由来は異なるようですが、自閉症の方へのセラピーでも活用されている手法だそうです。
■同理論を踏まえた、セラピー・クラニオの役割
また、本書では最後に、セラピーの目的(文脈ではトラウマセラピーやLPPのことを指していると思いますが)として「様々な場面に適用するための能力を高めていくこと」「防衛を適正に抑制できる神経回路にアクセスし(中略)生きていくために柔軟性を持てるようになること」という表現が出てますが、これはトラウマセラピー以外にも適用できそうな、納得感のある表現だと思いました。
個人的には、「適応力のある(柔軟性の高い)、よりバランスの取れた心身(自律神経系)状態を実現する支援」や「心身(自律神経系)の柔軟性が一定以上失われている時にバランスを取り戻す支援」は、専門のトラウマセラピーほどではないにせよ、セッションがもたらす独特の体感や静寂などにより、クラニオでもある程度提供できそうな気はしています(なお、過去のクラニオ講座で本理論を踏まえたクラニオならではのお役立ちポイントの説明があった可能性もありますが、私の記憶は曖昧です…)。
いずれにせよ、そう言い切るにはもう少し実例やデータが欲しい所なので、あくまで仮説ですが、「身体の歪みを物理的に調整」といったことよりは「自律神経系のバランス調整」のほうがクラニオセッションで主に起きていることの表現として近い気がします。また、この「役割」は病院や一般の医療行為と違うボディセラピー(クライアントに丁寧に触れるタイプのセラピー)ならではの役割として、クラニオ以外のいくつかの技法にも当てはめられる余地がありそうです。
咀嚼しきれていない部分もありますが、自律神経系と心身のつながりについて色々なことが学べて考えさせられる本で、読んだ甲斐がありました。セラピーをされている方や心身のかかわりに興味がある方にはおすすめです。私もたまに読み返しながら、上記の問題意識も頭の片隅に置きつつ、今後もできる範囲でセッションを続けていきたいと思います。
当ブログにありそうでなかった、クラニオ・バイオダイナミクス関連書籍トピックです。
あくまで個人的に知っている本を載せているだけなので、見落としはご容赦ください。
<日本語本>
残念ながら、もともとあまり日本語訳されている本がないうえ、
絶版のため半数が手に入りづらいという悲惨な状態ですが、
クラニオバイオダイナミクスについて深い興味がある方にはいずれも参考になると思います。
セラピーについて知識がない方向けの読み物としては少し難しい内容かもしれません。
■クラニオセイクラル・バイオダイナミクス VOLUME 1
Franklyn Sills著、高澤昌宏 訳(2007)、エンタプライズ出版部
http://eppub.jp/archives/1059
最近復刊されたため、日本語クラニオ本としては、比較的手に入りやすい1冊です。
バイオダイナミクスの原理や基本的なポジションについて書かれています。
■クラニオセイクラル・バイオダイナミクス VOLUME 2
Franklyn Sills著、森川ひろみ 訳(2006)、エンタプライズ出版部
http://eppub.jp/archives/1065
こちらも最近復刊され、比較的手に入りやすいです。
色々なハンドポジションなど、主にスキル面でvol1より突っ込んだ内容について書かれています。
ただ、表現が少々くどいので、辞書のように使った方が良いかもしれないです。
■ウィズダム イン ザ ボディ
Michael Kern著、高澤昌宏 訳(2007)、エンタプライズ出版部(絶版)
※絶版本なのでアマゾンのリンク
日本語訳されたクラニオ・バイオダイナミクスの本の中では最も読みやすい本です。
残念ながら絶版ですが、個人的に日本語本4冊の中では最もお勧めです。
■スティルネス
Charles Ridley著、高澤昌宏 訳(2007)、エンタプライズ出版部(絶版)
※絶版本なのでアマゾンのリンク
著者が強い意志を持ってクラニオ・バイオダイナミクスを定義している、やや強烈な印象の本ですが、
バイオダイナミクスのセッションの在り方を考えるにあたって興味深い1冊です。絶版です。
なお、上記4冊は本によっては訳に難ありとの意見もあるようなので、
英語が自由に読める方は原書を取り寄せる手もあるかと思います。
<英語本>
洋書ならクラニオ・バイオダイナミクスの本は探せば上記以外にも色々あると思います。
以下に参考までに私が乏しい英語力で眺めた2冊を紹介。前にこのブログでも紹介したものです。
□Stillness of life
Rollin E. Becker著(2000)、Stillness Pr Llc
※アマゾンのリンク
クラニオ・バイオダイナミクスの成立に大きな役割を果たしたベッカー博士の
講演録や関係者への手紙をまとめた本です。クラニオ創始者サザーランド博士との
往復書簡もあり、クラニオの歴史を考えるにあたり興味深い本です。
□Biodynamic Craniosacral Therapy: Volume One
Michael.J.Shea著(2006)、North Atlantic Books
http://www.michaelsheateaching.com/
クラニオバイオダイナミクスのセラピスト Shea博士のシリーズ本その1です。
現在5巻まで出ているようです。著者の興味からか仏教や瞑想等と関連する話題も多いですが、
著者ならでは視点からのクラニオの歴史や用語のまとめが個人的に参考になりました。
以上です。
どの程度熱心に探すかは未定ですが、クラニオ・バイオダイナミクス関連本を新たに発見したらまたこの記事に追加しておきます。なお、「バイオダイナミクス以外の流派のクラニオの本」なら検索すれば日本語本ももう少しいろいろ出てくると思います。
あくまで個人的に知っている本を載せているだけなので、見落としはご容赦ください。
<日本語本>
残念ながら、もともとあまり日本語訳されている本がないうえ、
絶版のため半数が手に入りづらいという悲惨な状態ですが、
クラニオバイオダイナミクスについて深い興味がある方にはいずれも参考になると思います。
セラピーについて知識がない方向けの読み物としては少し難しい内容かもしれません。
■クラニオセイクラル・バイオダイナミクス VOLUME 1
Franklyn Sills著、高澤昌宏 訳(2007)、エンタプライズ出版部
http://eppub.jp/archives/1059
最近復刊されたため、日本語クラニオ本としては、比較的手に入りやすい1冊です。
バイオダイナミクスの原理や基本的なポジションについて書かれています。
■クラニオセイクラル・バイオダイナミクス VOLUME 2
Franklyn Sills著、森川ひろみ 訳(2006)、エンタプライズ出版部
http://eppub.jp/archives/1065
こちらも最近復刊され、比較的手に入りやすいです。
色々なハンドポジションなど、主にスキル面でvol1より突っ込んだ内容について書かれています。
ただ、表現が少々くどいので、辞書のように使った方が良いかもしれないです。
■ウィズダム イン ザ ボディ
Michael Kern著、高澤昌宏 訳(2007)、エンタプライズ出版部(絶版)
※絶版本なのでアマゾンのリンク
日本語訳されたクラニオ・バイオダイナミクスの本の中では最も読みやすい本です。
残念ながら絶版ですが、個人的に日本語本4冊の中では最もお勧めです。
■スティルネス
Charles Ridley著、高澤昌宏 訳(2007)、エンタプライズ出版部(絶版)
※絶版本なのでアマゾンのリンク
著者が強い意志を持ってクラニオ・バイオダイナミクスを定義している、やや強烈な印象の本ですが、
バイオダイナミクスのセッションの在り方を考えるにあたって興味深い1冊です。絶版です。
なお、上記4冊は本によっては訳に難ありとの意見もあるようなので、
英語が自由に読める方は原書を取り寄せる手もあるかと思います。
<英語本>
洋書ならクラニオ・バイオダイナミクスの本は探せば上記以外にも色々あると思います。
以下に参考までに私が乏しい英語力で眺めた2冊を紹介。前にこのブログでも紹介したものです。
□Stillness of life
Rollin E. Becker著(2000)、Stillness Pr Llc
※アマゾンのリンク
クラニオ・バイオダイナミクスの成立に大きな役割を果たしたベッカー博士の
講演録や関係者への手紙をまとめた本です。クラニオ創始者サザーランド博士との
往復書簡もあり、クラニオの歴史を考えるにあたり興味深い本です。
□Biodynamic Craniosacral Therapy: Volume One
Michael.J.Shea著(2006)、North Atlantic Books
http://www.michaelsheateaching.com/
クラニオバイオダイナミクスのセラピスト Shea博士のシリーズ本その1です。
現在5巻まで出ているようです。著者の興味からか仏教や瞑想等と関連する話題も多いですが、
著者ならでは視点からのクラニオの歴史や用語のまとめが個人的に参考になりました。
以上です。
どの程度熱心に探すかは未定ですが、クラニオ・バイオダイナミクス関連本を新たに発見したらまたこの記事に追加しておきます。なお、「バイオダイナミクス以外の流派のクラニオの本」なら検索すれば日本語本ももう少しいろいろ出てくると思います。
プロフィール
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
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