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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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最近そこそこ忙しく、あまりこのブログを書く時間がありませんでした。状況は一段落したようなので、またぼちぼち書こうかなと。で、自分で設定した次のお題は「クラニオ(クラニオ・バイオダイナミクス)は上達するとどんな風に変わっていくか」らしい。我ながら書くのがめんどくさそうなお題を考えてくれたものです。

実際、なかなか答えるのが大変です。そもそも、私自身が「上達している」と語れるほどクラニオをやりこんだわけではないので、本当の熟練者がどうなっているのかは良く分かりません。ただ、私が学んだスイスの先生がふと口にした「ただ座る(すると必要な事は起こっていく)」という表現にその一端が表れている気もします。


要するに、クラニオの上達のひとつの結果とは「余計な事をしなくなっていく」ということなのではないかと。これは手を抜くといったことではなくて、「絶対的に必要最低限の事だけを行う」「それは行おうとするまでもなく、半ば自動で行われる」といった意味とも考えられます。

これまで語ってきたように自分が「相手に向かって何かしよう」とすればするほど、相手の方の身体におきるプロセスを阻害することになる、というのがクラニオの考えなわけです(あくまでクラニオではそう考えているというだけです)。しかし、それをしなくても、やる人はああだこうだと自分の姿勢の正確さについて思い煩ってみたり、ぼんやりしたりするわけです。そして、そういったやる側の「あり方」が受ける側のプロセスを阻害することもあるようなのです。

それでまあ、私程度の段階だと自分の身体の意識を置く場所を工夫したり、姿勢を時々確認して意識が散らないようにするわけですが、多分これもかなり当初より「余計な動作」は減っているが、それでもなお「余計なこと」は色々しているんだろうと思われます。
しかし、上達すると、多分そこらの「自分を整える最短の過程」自体を身体自体が覚えていて、相手の前に座っただけで既に「相手の方に対するための最適セットアップ」が完了している感じになるのでは、と想像しています。そして、「ただ座ればすでに準備完了しており、あとはそれを状況に対応しながら維持するだけ」、という事になるんではないかと。


とはいえ、「自動でやってくれる段階」が上位だからといって、クラニオ初心者がただぼんやり座っていたら、自分が眠ってしまってセッションにならないのも確かと思われます。結局のところ、基本として教わったことをきっちり守ったり、それをもとにああだこうだと工夫したりする段階を経なければ、上位者の境地と思われる「自分そのものが技」みたいになるプロセスには至らないのだろうと思います。

これは多分身体の技芸・技法に関してはほぼ共通なんだろうと思っています。たとえば、古流剣術などで、いきなり「奥伝」の型をやろうとしたところで、それ以前の段階の学びをきっちり完了し、技を繰り出すに適した身体ができており、その流派の戦術や世界観を十分理解していなければ、上位の形だけ覚えても意味がないというのと似ているかもしれないですね。結局のところ、1日2日で身につくものはただの形だけで、それが「技」「術」とよべるほどのものに至るには、相応の時間がかかるものなのでしょうね。

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◆ベッカーの3ステップ
「ベッカーの3ステップ」なにやら妙な名称ですが、以前ブログ用に自己設定したお題一覧を見たらこれが含まれていたので書きます。クラニオ・バイオダイナミクスの完全な内部知識で、どの程度一般公開して書いて良いものか良く分からないので、なんとなく、おおざっぱに、書いてみます。
「ベッカーの3ステップ」というのは、クラニオのセッションを受ける人の身体がどんな風に変化するかを表現した言葉です。何度もセッションを受けて徐々に身体が変化するという意味ではなくて、「1度のセッション」の中で、クラニオを受ける方の身体が起こす変化の要点をまとめた言葉、もしくは法則みたいなものです。なので、セッション1回の中で身体が何度か変化すれば、この「3ステップ」も複数回観察されることもあります。
なお、これはクラニオ・バイオダイナミクスで言われていることなので、「それ以外のクラニオ」でどのように捉えられているかは不明です。

◆ベッカーさん
ベッカーというのは人の名前です。クラニオそのものの創生期に活躍した達人みたいな人だと思っておけば概ね間違いないと思われます。クラニオ創始者のサザーランド氏のお弟子さんに当たる方だそうです。ベッカー氏はクラニオの色々な技法面での発展に寄与したようで、クライアントさんへの触れ方(ハンドポジション)の中には「ベッカーホールド」と呼ばれるものもあります。

◆ベッカーの3ステップが起こる時
クラニオセッションで、プラクティショナー(クラニオやる人)に触れられ、十分落ち着くことができた身体は、自分の身体のバランスを自分で整えようとするプロセスに入ります。これは受ける方の身体が勝手にやることなので、プラクティショナーは、その働きが阻害されないような環境を整えて見守ります。
で、見守っていると、受け手の方の身体が「ベッカーの3ステップ」が行っている流れで変化をすることが多いと気づく、というわけです。別にこの3ステップを使ってなにかするのではなくて、この3ステップの知識を目安にセッションの進行具合を確認するという感じです。ひとつの物差しという所ですね。
その3ステップとは以下になります(簡略化した表現です)

 1.身体は自分の「中心」がどこかを探すかのような動きをする
 2.「中心」を見つけた身体は静まり、変化のためのエネルギーを蓄える
 3.身体は見つけた「中心」を基準として再編成する

…いまいち分かりにくい表現ですね。気休めかも知れませんが補足などしてみます。

◆ステップ1補足
1で言う「中心」というのは、厳密な身体の真ん中という意味ではなく、これから身体が変化するにあたって「基準」となりそうな点や線というような意味です。これから変わろうとする時に、どう変わればいいかを教えてくれる目印みたいなものが、ここでいう「中心」です。例えば「首のある骨を基準にできた身体全体の歪みのパターン」があるとしたら、「首のある骨」が「中心」であると体が自動的に認識し、そこをこれから変化を起こす基準点として設定するイメージです(かなり大雑把な表現で、実際はもっと複雑です)。

◆ステップ2補足
次に2.ですが、ここで面白いのは、「中心」を発見しても、いきなり変化するのではなくて、身体は一度静まるということです。これは本当に止まったようになります。勿論息はしていますし、心臓も動いていますが、それすらも静けさの中にいるような独特の感じです。かなり長い時間止まったようになっていることもあります。我々はこの状態を「ニュートラル」と呼んでいます。クラニオ・バイオダイナミクスではもっと深い静かな状態を示す「スティルネス」という概念もありますが、ここでは省略します。
静かにしている間に身体が何をやっているのかは、場合によって異なると思いますが、ここでは、代表的な説明である「変化に必要なエネルギーを蓄えている」としておきます。身体のどこかが変化するにはエネルギーが必要で、それを一度溜めるような過程があるわけです。そのため、疲れ切っている人にセッションした場合、身体はまず、このエネルギーを蓄えることに集中する場合が多いです。変化をするためには、ある程度の余裕が必要とも言えます。
この段階は、蝶の幼虫が実際に蝶になる前のさなぎの段階のようなものと考えると、なんとなく位置づけが想像しやすいかも知れません。

◆ステップ3補足
最後の3.では、身体の実際の変化が始まります。身体が、今よりバランスのとれた状態に向け、自らを新たに作り替える過程という所です。静まっていた身体が動き出す時は、止まっていた時計が動き出すかのようで、いつ見てもなかなか神秘的です。
この過程では骨や膜が動いたり、神経系の緊張が解けたり、放熱が起こったり、体液が良く流れたり、エネルギーの奔流のようなものが身体を通過していったり、いろいろなことが起こります。1.で身体が自らのどこを中心と見定めたにせよ、結果的に身体全体が少しずつ変わるので、身体は多様な変化を起こすということですね。
例えば、1.の例のように首の歪みを「中心」に再編成がおこなわれたとしたら、その結果である3.では、首そのものの負荷の軽減のみならず、頭や腹部の緊張、体液の状態など、「全体」が変わることが大半です。受ける方の身体の知恵にお任せする方針なので、クラニオをやる側が開始前に予想もしなかったような変化をする場合もあります。


まあ、あまり分かりやすくなかったかと思いますが、こんな感じでしょうかね。とりあえず、「身体がセッションを通じて自ずから変わる」とひとくちにいっても、それはちょこっと骨が動くといった程度のことではなく、実はかなりドラマチックなことをやっているんだ、ということを少しでも想像する手助けとなれば幸いです。身体は賢いです。

拍手[6回]

クラニオ・バイオダイナミクス(以下クラニオ)では「リソース」と呼ばれる概念があります。ふつうは資源とかそういう意味の英単語ですが、クラニオでは多少違った意味合いを持っています。

◆リソース
簡単に言えば、クラニオで使う「リソース」は「自分にとって活力を与えてくれるもの」というところです。それは、自分の心地よい身体の感覚だったり、好きな光景や物語であったり、落ち着けるような漠然としたイメージであったり、いろいろです。「呼吸に意識を向ける」などもひとつのリソースであるかも知れません。
この「リソース」自体は具体性のあるイメージに近いものですが、イメージといっても身体に少なからず影響は及ぼすものなので、リソースをしっかりと感じる事で自分自身を落ち着けることも可能です。


◆セッション中のリソース
クラニオのプラクティショナーはこの「リソース」の力を活用してセッションを進めることもあります。例えば、自分の身体の痛みが気になる人に、自分が痛くない、できれば安心な感じのする身体の部位(足の親指とか、耳とか、突拍子もないところでも良いのです)を探してもらって、そこの感覚をじっくり感じてもらうなどです(大けがの場合はそうも行かないでしょうが、そもそもクラニオに来る人はそこまで大変な状態ではないはずなので)。すると、痛みから目が逸らされた身体は落ち着きを多少なりとも取り戻し、クラニオセッションの恩恵を受けやすい状態になるわけです。

もっとも、「身体のどこなら気持ちいいですか」「どういうイメージだと心地よいですか」と突然聞くのも、初めての人にとっては戸惑うことだと思うので、個人的には、余程しんどそうな人かクラニオを受け慣れている人以外にはあまり聞きません。私自身があまり意識してそういう「リソース探し」をしない人だというのもあります。

◆日常のリソース
私の場合は武術稽古で得られる「何か良い身体の感じ」が多分リソースに相当する物で、その感覚にはあまり意識しなくても、いつも少しはつながっているような感じもするので、あまり熱心に探すまでもないのかも知れません。いろんな趣味や仕事を持っている人がいますから、人によってかなり色々なリソースがあるんじゃないかなと思います。

思うに、むしろリソースが価値を発揮するのは、クラニオセッションのような特別な場所よりも、日常で不安や痛みに出会った時かもしれません。そういう時に、不安そのものに目を向けると、それを増幅させることになりやすいです。
しかし、自分の身体の安定した部分や今ここでないどこかの風景や思い出といったまったく別の方向に一時意識を向けてしまうことで、一息ついた身体には、かえって不安に立ち向かう力が生まれることもあります。
浮き足だったまま対象に向かわないで、少し落ち着き、一度面倒ごとに立ち向かえる身体状態になってから立ち向かう、というわけですね。まあ、全力で逃げねばならない時などは落ち着く暇がないと思うので、場合にもよりますが。

◆物足りないかも知れないけれど
どうも人間は不安なことに何故か好んで首を突っ込みたがる性質があるようで、気がつくと自分で自分を不安にすることを積極的にしていることもあるような気がします。たとえば、過激なキャッチコピーの週刊誌でも(たとえその情報によって自分が余計興奮や混乱するとしても)売れるのは、人が強い刺激になにか魅力を感じる部分があるからなんでしょう。

まあ、そういう物が存在すること自体は全然問題ないんですが(私自身も過酷な展開のアクション漫画やゲームは好きですし)、精神的にくたびれている時までそういう刺激を求めると、余計疲労してしまったりすることもあるので、そういう時には自分の中の心地よい感覚やイメージを探してみるのも手かも知れませんね。リソースの感覚はおだやかだったり暖かだったりで、刺激としては物足りないかも知れないけれど、それはその「物足りなさならではの思わぬ力」を持っているかもしれません。

拍手[0回]

◆プラクティショナーニュートラル
プラクティショナーニュートラルというのは、文字通りクラニオセイクラル・バイオダイナミクス(以下クラニオ)のプラクティショナー(クラニオをやる側の人)の安定した(ニュートラルな)状態を示す言葉です。クラニオバイオダイナミクスのセッションでは非常に重要です。
プラクティショナーニュートラルは具体的な形のあるものではなく、「身体状態」というところで、それ自体は結構曖昧な概念です。大雑把に言うと「偏りのない視点を持ったまま非常に安定している身体状態」という感じでしょうか。

◆展開方法
ニュートラルというだけあって、学び初めの頃は自分の中心線(というか背骨ですね)を意識するとか、自分の足や地面をしっかり意識するとか、まっすぐの姿勢で座って、自分の肘はしっかりベッドにつけて安定させるとか、「形」から入る部分が結構あります。これらのこつは「プラクティショナーファルクラム(ファルクラムは支点の意味)」とも呼ばれたりします。
このように、自分が安定してリラックスした状態になれる姿勢をまず作り、その上で、クライアント(クラニオ受ける人)に意識が集中しすぎないように気をつけつづけることで、プラクティショナーニュートラルは自然に身についてきます。まあ、プラクティショナーニュートラル自体が一個の技のようなものですから、一朝一夕では身につけ難い部分はあると思います。
ここまで色々な事をひとつずつやるのは最初のうちで、慣れてくると、少し自分の姿勢と意識の位置を動かす程度で、ほとんどどこでもできるようになります。もっとも、このプラクティショナーニュートラルにも、他の多くの技術と同じく熟練度や段階があります。私が知っている体感より深いプラクティショナーニュートラルもあるだろうし、どんな場面でも無理なくプラクティショナーニュートラルを展開することにも経験が必要となります。

◆どんな感じか
プラクティショナーニュートラルを展開すると、自分の体感としては、視野が広くなり、自分の意識は周囲から一歩引いた感じとなり、客観的に周囲が見られるように感じられます。自分の全身も局部だけでなく全体が同時になんとなく感じられます。リラックスしているがぼんやりもせず、落ち着いてもいる感じです。いま目に見えているもののどれにも肩入れせずに「ただ見ている」「ただそこにいる」感じです。
…まあ、これは調子がいいときの状態ですが。

◆セッションでは
このプラクティショナーニュートラルの状態を保ったまま、クライアントに触れつづけることが、クラニオのセッションでは必要です。前述のようにプラクティショナーニュートラルという状態に「なること」にもこつが必要なわけですが、プラクティショナーニュートラルで「あり続ける」こと自体もひとつの技といったところでしょうか。

なぜプラクティショナーニュートラルのまま触れつづけるのが重要かというと、前の記事でたびたび書いているように、クラニオでは「クライアントの身体が変化する過程でプラクティショナーの意図を押しつけない」ことが原則なためです。
プラクティショナー自身がどこか特定の方向に意識を長時間おいている場合、クライアントもその方向に影響を受けてしまいます。例えば、クライアントが右方向ばかりを意識していると、クライアントの身体は本来右に変化する必要がなくても、プラクティショナーが意識する方向に気を取られ、本来できるはずの身体の変化が十分にできないかもしれません。
つまり、プラクティショナーの「視点に偏りの少ない中立的な身体状態であり続ける」という態度そのものが、クライアントの身体が必要な変化を起こしやすくなる環境を作りだす…という風に考えられているわけです。

◆リアルタイムに対応してます
もちろん、常時完璧にプラクティショナーニュートラルの状態でいるのは困難なことです。プラクティショナーニュートラルを一度展開しても、プラクティショナーも人間ですから、数分くらいも経てば(場合によっては数十秒で)気が散ったり、自分の思考が入ったりして、プラクティショナーニュートラルの状態が崩れてしまうことは普通にあります。
そんなわけで、セッション中は、プラクティショナーニュートラルが崩れるたびに、プラクティショナーはそれを展開し直し、常に安定した身体状態を更新しつづけているわけです。これも例によって、見た目からはほとんど見えない変化です。プラクティショナーがただじっと座っているように見える中にも色々なドラマがあるわけです。

◆本来は応用範囲が広いはずなのだが
このように、プラクティショナーニュートラルは身体感覚の類なので、上記では少し分かりづらい点があるかと思いますが、このプラクティショナーニュートラルの感覚は、手っ取り早く落ち着く必要があるときや、頭が煮詰まっているように感じられたときなど、クラニオセッション以外のあらゆる場面において非常に有効と個人的には思っています。

この体感が身についていれば、色々助けになるのではと思うので、いずれ、なんとかほかの人にも具体的に分かりやすく伝えることができたらとも思うのですが、この記事の文章表現のようすでは、それにはもう少し時間がかかりそうですな…。

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またクラニオ・バイオダイナミクスの基本的な概念についての話に戻ります。今回はクラニオのセッションのだいたいの組み立て方について。

クラニオについて、このブログでは「触れてじっとしているだけ」などと良く書いていますが、一応ボディワークの技術体系なので、ある程度手順はあります。「触れてじっとしている」を何回か繰り返すその流れみたいなものともいえます。
クラニオ・バイオダイナミクスのセッションはだいたい以下のような手順で進みます。もっともこれは「私が習った教程では」ということで、バイオダイナミクス派でも、少し違う進め方のところはあるかも知れず、絶対というわけでもありません。

1.
クライアントさん(受ける人)の話を聞きます。体調や世間話、クラニオについて知らない方にはクラニオの簡単な説明などもしたり。まあ、普通のことですね。

2.
クライアントさんにはベッドに横になってもらいます。プラクティショナー(やる人)は距離を取って静かに待ちます。この時、プラクティショナーはクライアントさんとの適切な距離感を感じたり、自分自身が十分落ち着いたり、実際に身体に触れる前の準備をします。ここでクライアントさんに幾つか今感じている身体の状態を聞く場合もあります。

3.
頭など敏感な場所にいきなり触れると、ショックが大きかったり落ち着かなかったりするので、クライアントさんにとって抵抗がなさそうな部位(肩、身体の側面、足など)に触れます。私が学ぶ教程では身体の側面(「右肩と右膝」など)に触れる事が多いです。身体全体をなんとなく把握できる感じがあるので、個人的にもよく側面から開始します。

4.
プラクティショナーはそのままじっとしています。身体全体のリズムが十分に落ち着くのを待ちます。

5.
プラクティショナーは移動して、「気になる部位」に触れます。何となくここに触れると良さそうだという、ある種の勘で決めます。決定にはある程度慣れも必要です。プラクティショナーが初心者の頃は「身体の停滞感がありそうな場所」に触れてみたりもしますが、実際は必ずしも、クライアントさんが「問題(痛みとか歪みとか)を感じる部分」に触れるとは限りません。逆に、「特に身体の中で元気がある」と感じられる部位に触れることもしばしばです。

「問題を感じる箇所」に必ずしも触れないのは、クラニオバイオダイナミクスが「身体システム全体のバランスが整うのを助ける(「ひたすら整いやすい環境を用意して待っている」ので、「整える」とも違う)」方針でセッションを進めるためです。バランスが取れた結果として問題も解決することを目指しているともいえます。

これは例えば、ある身体の歪みだけをなくしても、その歪みは身体全体としっかり結びついたものでもあるので、全体のバランスが変わらないとまた元に戻ってしまうということもあります。また、問題だろうと思った歪みでも、無理やり変えようとすれば、それに身体が抵抗することもあります。身体全体にとって無理のないように変容を促していくのがクラニオの特徴です。

触れる場所は、「そこに触れる事で特に身体全体の調整作用が適切に働いてくれそうだから」という基準で決まる、と考えても良いかと思います。

6.
触れる場所が決まったら、ここでもやる側はじっと長時間触れます。なお、「気になる場所」が何カ所かある場合は、複数箇所に触れる場合もありますが、せいぜい2,3箇所です。変化が大きすぎると大変なので、1度のセッションでむやみやたらと多くの部位に触れる事はないです。この段階では、プラクティショナーは、クライアントさんの身体が自ら整う様子に気づきつつ、静かに待ちます。

7.
最後に、クライアントさんが落ち着ける場所に触れます。主に足か仙骨であることが多いです。ここでも触れる場所が決まったら、プラクティショナーは触れながらしばらくじっと待ちます。それらの部位に触れることで、身体全体のシステムがセッション中に起きた変化を整理し、日常生活にしっかり戻れるように助けます。

8.
これで終了です。セッションを受けたクライアントさんは眠い場合が多いので、起き上がれるようになるまで待ったり、足を軽くマッサージしたりします。起きられるようになったら、セッションの総括などを話します。

…こんな感じです。ひとくちに「じっとしている」といっても、セッションの進行具合によって、それぞれ多少意味あいが違う、ということですね。まあ、見た目は同じなわけですが。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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