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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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めんどい事は当分書かない等といっておきながら、唐突に「トラウマ化」について書いてみます。読みたい方は自分に当てはまる!とか、あまりびびらないで読んで下さい。特別なことをしなくても、多分なんとかできてます。すくなくとも、薬などでどうこうする状態ではないです。

◆トラウマ化とは
クラニオでいう「トラウマ化」は、「○○が苦手」であるとか、「過去の出来事に付随した嫌な体験」という意味では使いません。色々な心身のストレスを受けた結果、自律神経系が過剰に活性化しやすくなり、自律神経が「ニュートラルな(ふつうの)状態」に戻りにくくなっている状態のことを呼びます。病気ではありません。あくまで「そういう身体状態」です。ちなみにこの「トラウマ化」の考えは、「ソマティック・エクスペリエンス」という心理学関連のワークの考えをほぼそのまま踏襲したものです。心理系のワークなので、クラニオとアプローチは違いますが、「トラウマはあくまで身体の状態」「解決に過去を振り返る必要なし」と喝破した画期的なワークです。

ちなみに、自律神経系とは、交感神経と副交感神経から成る神経系です。簡単に言えば、活動と鎮静のバランスを司る神経ですね。活動を司るのが交感神経、鎮静を司るのが副交感神経です。行動が必要な時は交感神経が活性化し、休息などが必要な場合は副交感神経が活性化する、という感じで、生きていくにはどちらの機能も必要です。両方がバランスよく働いているのが、ひとつの理想的な状態といえるでしょう。それらが過剰に活性化することも、別に悪いわけではありません。実際、激怒したり、尋常でなく落ち込んでしばらく無気力だったり、といった状態は誰しも経験はあるかと思います。でも、人間の身体は自動的に自分の状態を調整し、環境に適応するための働きを持っているので、大抵は、これらの過剰に活性化した自律神経系もある程度時間が経てば元に戻ります。

ただ、事故などの非常に強力なストレス要因に出会ったり、長期にわたるストレス状態に置かれると、交感神経や副交感神経のスイッチが入ったままになってしまい、興奮すべきでないところでも興奮していたり、といったことが起きます。例えば、交感神経の過活性が常態化すると、常に周囲が全部敵だと思えるとか、眠いはずなのに眠れないなどが起こり、副交感神経が過活性になる場合は、いつまでも無気力状態だったりします。目の前の出来事が大変厳しい場合、自律神経系の過活性は、その場を凌ぐのに必要な選択肢の一つですが、その危機が去り、過活性が必要なくなってもそのままだと、いろいろ生活に不都合なので困るということです。それが「トラウマ化」の状態です。
人の身体は自分で調整ができるけれども、その調整機能には限界もあるので、その調整の方向がたまにオーバーだったり、現状に適切でない方向に向かったまま止まっていることもあるということですね。アレルギーの説明などでしばしば聞く「免疫系がオーバーに働いている」の、自律神経版みたいに考えるとよいかもしれません。

◆対応できるトラウマ化
これらの「トラウマ化」という状態はただの概念や精神論ではなく、肉体(おそらく人体周囲に展開するエネルギーフィールドも含む)の状態と連動しており、「トラウマ化」した身体状態は、自律神経系が存在する脳幹の緊張や、身体各所の微妙な緊張、身体内のエネルギーの不均衡などの形で表現されていることが多いようです。「トラウマ化」という名前はごついですが、前述の通り、結局は肩こりなどと同じ「ある身体の状態」なのだから、いちいち複雑な手段を用いなくても、適切な身体への働きかけでなんとかなる可能性は高いと思います。実際、たいていの人の身体調整・適応機能は、一時ずれていても、色々な出来事を通じて自機能の状態を再認識し、自分に負荷がかからないよう、無意識のうちにある程度対応できているのだと思います。

クラニオは、それらのトラウマ化状態に対応しうる技法のひとつとされていますので、トラウマ化状態の負荷軽減や早期解決の助けになることもあると思います。まあ、しんどくなくても、何だかんだいって、自律神経系の状態は自分ではなかなか判断しようもなく、結構お疲れだったりするようなので、楽にはなるかも知れません。クラニオの場合は、セッションを通じて、受け手の方の身体に、今よりもニュートラルな・楽な状態を「探してもらう(受ける人自体はだいたい寝てますが、身体のほうがやってくれるということです)」ことを通じ、自ら「自律神経がニュートラル・ふつう」な状態を取り戻す手助けをすることになります。調整する働きを持っているのは身体自体であり、トラウマ化と言っても、その調整の方向性が一時的に少々ずれただけなので、クラニオはあくまでそれのサポートに徹するのみで大丈夫、ということですね。
ちなみに、うつ状態くらいなら、トラウマ化の範疇かも知れませんが、トラウマ化と精神疾患はイコールと断言できません。ゆえに、多重人格など、複雑な精神疾患のケースはクラニオではサポートくらいはできても、完全な対応は難しいと思われます。いずれにせよ、トラウマ化は「病気以前の状態」というところだと思うので、大変な精神疾患に対しては、クラニオ等よりも心療の専門家の方のところに向かうのが適切であるとお断りしておきます。

◆対トラウマ化
なお、いうまでもないですが、強いストレスや継続的なストレスを受けても、誰しもがトラウマ化するわけではありません。トラウマ化しないで冷静に対応できるどころか、苦難を自分の糧にしてしまうような人もたくさんいます。何ヶ月か前に話題になった、チリの落盤事故でも、同じ出来事に遭っているのに、かなりダメージを受けた人から、他の人をケアできる程余裕がある人まで様々だったことからも分かると思います。クラニオ云々を超えて、ストレスを上手に乗り越えられる人にはどんな違いがあるのかについて明確化、普遍化できれば色々益するところは多そうに思います。とりあえず、以下の2点は(当たり前なんですが)「ストレス対応術もといトラウマ化しづらさ」と関係が深そうです。

ひとつは、その人には「既存の出来事によるトラウマ化の影響がほとんどない」ので、落ち着いて行動できるという点。トラウマ化していると、刺激に過敏に反応しやすくなりますが、逆だと、その人本来の普通の対応がしやすいので、少々困難な状況でも乗り越えるための力を発揮しやすいでしょう。この実現には、クラニオや他の適切なワークを受けても助けになるかも知れないし、その人なりの日常の習慣や行動パターンなどが役に立っていることも多いかも知れません。いうなれば、対ストレスの「土台」の部分ですかね。

もうひとつは、自律神経系が容易に過活性しないような身体技法やこつを身体で体得している、という点。これは、メカニズムについては不明ですが、様々な人生経験を乗り越える中で、ストレスをうまく受け流すコツを覚えていたり、武術やヨガなどを学ぶ中で、自分の状態をニュートラル・冷静に保つ習慣を身につけている、といったことが関連しているものと思います。特に武術の対人稽古は「攻撃という形で自分に与えられたストレスを、自分への被害を最小限にしたまま、如何に冷静かつ適切に処理するか」という性質が強いと思うので、日常のストレスにも応用できる部分は大きいと思います。前述のように、トラウマ化といっても「身体の特殊な緊張状態」みたいなものなので、身体技法への取り組み方によっては、いかようにも対応のしようはあるのでは、とは思われます。こちらは対ストレスの「技術」に当たる部分でしょう。


…というわけで、トラウマ化について色々語ってみました。まあ、ひとくちにトラウマ化といっても、程度の差もあるだろうし、案外身近なものであると同時に、絶望するほど大袈裟な状態でもないといえるとは思います。思うに、身近に興奮しやすい人や、気力が著しくなさそうな人などがいるとして、彼らも本当はそういう性格ではないのに、「なんか酷い目にあって一時的にトラウマ化している」だけかもしれないですね。まあ、結構付き合いもしんどいでしょうから、仏のように親切にするのは難しいかも知れないですが、なにかその人に問題があっても、正面から非難したり激突したりするのを避けたり、仕事の割り振りなどでも大きすぎる刺激に圧倒されないよう工夫してあげれば、時間が経つにつれ落ち着いてくるかも知れません。周囲もトラウマ化についての理解やサポートへの協力も必要かも知れませんね。私自身はこの程度しか分かっていないですが、このトラウマ化への理解やストレス対応方法によって、結構色々なことが楽になると思うので、今後も理解を深めていきたいと思っています。

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◆「じっとしている=何もしていない」…ではない
クラニオ(今回語る「クラニオ」は特にクラニオ・バイオダイナミクスの話です)は、外見だけ眺めると、相手の方に尋常でなく静かに触れてじっとしている…という技法です。奇妙といえば奇妙な光景です。
でも、触れてじっとしているからといって、「なにもしない(放置)」わけではありません。何をしているのか、と問われれば、「相手の方に入力(刺激ともいえる)を与えずに静かに触れている」とでもなりましょうか。そして、「入力を与えない」ことを続けるには結構な努力が必要なわけです。クラニオでは、これまでも(たしか)書いてきたように、相手の方の肉体を押したり引っ張ったりしないことはもちろん、エネルギーを送ってみたり、心の中で話しかけてみたり、祈ったりもしませんし、受け手の方の身体状態を無闇に観察してみたり、この骨は動くべきだといった意図も持たないようにします。「入力」というのは、これら一連の「押したり引っ張ったり~」の「相手に対して何かしよう」「相手の身体はこうなるべきだ」といった行動(意思の働き含め)全てですね。つまり、見た目が似ていても、気功やエネルギーワークとはやっていることが異なるわけです。一見何事もおこらなそうな「触れているが刺激を加えないようにしている(でも放ってはおかない)」ことが、受け手の方の身体に必要な働きを引き出す…という独特の方法論がクラニオにはあるためです。何かを治そうとか、何とかしてあげたいといった意志もクラニオのセッション中は障害となります。「可能な限り中立に、ただそこにある」ことがより重要とされます。

前述の表現をもう少し詳しくすると、「自分の姿勢を正しながらリラックスして相手に触れ、相手の中でおきていることを見守りながらも、相手への入力を与えないようにし続ける」とでもなりますかね。つまり、入力を与えないといっても、同じ状態でただ石像のように止まっていればよいというわけでもありません。相手の方を放置しないように、変動していく身体の状態が分かっている必要もありますし、自分の姿勢がぐらぐらすると、相手の方の動きに自分が引っ張られてしまい、セッションが成り立たなくなりかねないので、ちゃんと姿勢を正して座っている必要もあります。

◆実はやることが多い
更に、受け手の方の身体が変化(例えば、固まって動かなくなっていた部位が開いてきた場合など)してきたら、やる側もその変化にあわせた対応をしばしば行います。例えば、やる側が最初と同じ状態のままだと、受け手の方の広がりつつある身体を結果的に締め付けてしまうことがあるので、相手の方の身体が微妙に広がった分(外見に現れない程度ですが)、手を柔らかくしたり意識を引いたりして、外見に現れない範囲でごく微細に間合いを調整するなどです。相手にあわせるといっても、「相手の変化を助長させる」わけでもありません(そういうスキルもあるので、必要だと思ったらやるかもしれませんが)。受け手の方の動きを過不足なく把握し、必要がある時だけ、外見に現れない程度に動く感じです。もちろん、息はしてますし、時計を見たり、たまに深呼吸したり、ちょっと足を動かしたりのくらいの「見える動き」はしています…。これをやる側の人は自分の意識や姿勢が大きく乱れぬ程度にリアルタイムで行っています。
セッションには色々な展開があるので、距離感の調整は必ずやっているわけではありませんが、適切な距離感が分かること自体は快適なクラニオセッションの実施にほとんど必須と思います。どなたでも案外距離感には敏感だったりするものです。

…というわけで、クラニオをやる人は、実は止まっているようでいて、以外に色々な事をしており、受け手の方の変化にも対応しているわけです。これは、知識として分かっていてもなかなか実行は難しいものがあります。意識を広げるなどの対応は外からは全く見えないので、自分で把握するほかなく、十数分同じ姿勢のまま(あまり)動かないことが普通ですので、伝統武術で要求されるほどでないにせよ、しっかりと地に足が付きつつもリラックスした姿勢がある程度できている必要もあります。クラニオの教程の修了に長い時間がかかるのも、この「姿勢」や「相手に入力を与えないようにし続けるための細かな技術」をある程度でも身につけるのに相当な時間がかかるからだと思っています。触れ方だけなら数日の講座でも身につくと思いますが、それはクラニオの「外形」であり、「中身」は先生や先輩のアドバイスや、自分が受けた時の体感なども参考にしつつ、実践にて自得し、何年もかけて深めていかねばならないという事ですね。実に武術稽古的ですね(違うか)。

◆結局謎なわけですが
何故「外部からの入力(刺激)がない(でもひとりぼっちでもない)」が、受け手の方に何らかの恩恵をもたらしうるかは厳密な意味では謎です。ただ、「入力なし」状態での接触を続けることで、より静かな場が構築されると、受け手の方の身体(主に中枢神経系)システムは深いリラックス状態に入り、骨や体液や膜のシステムが身体深層から再構成するといった恩恵もしばしば得られるらしい…という先人たちの発見があった(そして後に続く我々もどうやらそれを感じている)だけです。そして、その「入力しない」かつ「相手の方の変化に適切に対応する」技法の精度を高めていく方向で、クラニオ(バイオダイナミクス)独特のセッション技術は発展してきたのだろうと思っています。ちなみに、念のためいうと、クラニオがそういった働きを起こさせるわけではなく、クラニオ技法はもともと身体が持っている、環境に適応しようとする(あるいは自ずから整おうとする)働きを邪魔しないようにするというだけです。身体の再構成などは身体自身がやっています。

もっとも、そう語ったところで、上記が理屈としては正体不明であることは変わりなく、私としても「「入力しない」こそ絶対の方法論だ!」とか「クラニオは史上最強の万能技術なのだ!」とか言い張る気は全然ありません。実際、ほとんどの身体技法では、様々な「入力」の手段が身体に快適さをもたらす例が多々あり、クラニオ全体を見ても、多少の入力を加えることで問題解決をしようとする方法もあるので、これらの方法論に「正しい答え」はないし、それでいいのだろうと思っています。このように、技法それぞれに独特の身体・生命観が存在する身体ワーク世界においては、「見た目上派手に効くことが正しい」「理屈で説明できれば正しい」わけでもないと思うので、最終的に、どれを自分がやるか、受けるかは、セッションの体感や技法の世界観の好みの問題、あとは縁としかいいようもない気もします。

まあ、今回書いたようなことは「そういうこともあるのかもしれないな。」と受け入れられる余地のある方が受け入れてくださればよいかなとも思っています。「目に見えない」部分が多い技法というのは、クラニオに限らず、謎や分かりづらさがつきまとう部分もありますが、私としては、このクラニオ・バイオダイナミクスの「謎やわかりづらさ」の部分をこそ大切にしていきたいとも思うのでした。

※2013/10 言い回し修正。

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身体には、神経系や骨、筋肉や内臓だけでなく「膜」という層もあります。更に、膜といっても、色々な膜があるのですが、特に、脳や脊髄神経の周りを覆っている膜は「髄膜」等と呼ばれており、クラニオでは「相互張力内膜」と呼ばれていることもあります。クラニオ関連の話題でこの「髄膜」が話題になるのは、それらに着目してセッションを行う場合もあるからです。今回はそれら髄膜を少し話題に取り上げてみます。

◆髄膜
「髄膜」は頭蓋骨~脊椎の内側にあり、脳と、脳に直結して下半身に向かって伸びている脊髄の周りを覆っています。この膜の特徴は、頭蓋骨内部の先端(膜の先端は篩骨という頭の骨の一つに繋がっている)から「脊髄のほぼ末端」までを覆う、ひとつながりのカバーのような状態になっていることです。ぶかぶかのカバーではなく、脳や脊髄の周りに、1枚の弾力のあるカバーがぴったり貼り付いているようなイメージです。先程の「相互張力内膜」の中に「相互」という言葉が出てきたように、全身の各所にばらばらに膜が点在しているのではなく、一定の張りをもった状態で、1枚の膜が繋がって存在しているということですね。なお、脊椎にはところどころに脊髄神経の出口もあるので、カバーのような状態といっても、他の器官から遮断されているわけではありません。

この膜システムの主な役割は、弾力のある脳や脊髄が一定の形を保つことや、外部の衝撃から脳や脊髄を守ることだそうです。以前書いた「脳脊髄液」と似たような役割ですが、これも実は髄膜(正確には硬膜、クモ膜、軟膜の3層から成ります)の内側を通っている液体なので、膜の状態とも関係があるかもしれませんね。
身体の他の部位と同じく、この膜もどうやら緊張に近い状態があるようです。そして、髄膜はひとつながりのカバーのようなものなので、膜の一部の変化は膜全体にも影響を及ぼします。カバーの一部がたるんで、一部が張りすぎているような状態でしょうか。もっとも、筋肉などと違い、意図的に動かせる部位ではないので、緊張しているというより、ストレスによって生じた他の身体部位の圧縮などの影響を受け、本来の状態より、余計に伸びたり縮んだりしすぎている、という感じかもしれません。

◆身体のつながり
クラニオセッションの最中に、これらの膜に意識を向けると、「膜の緊張(のようなもの)」を感じることがありますが、そういった時は、緊張しているようだ、と感じる膜付近の骨の動きが不規則だったり、膜付近の体液のシステムによどんだ感じを覚えることもあります。これらの違和感のうち、「どれが一番先」に身体に起きたのかは判らないですが、身体のある場所に受けた影響が他の身体の他の場所の状態と連動している例といえそうです。

もう少しわかりやすい例を挙げるとすれば、足を骨折した場合、周囲の筋肉が緊張し、血管は付近の部位に血液を集め、神経は活性化し、結果的に足が腫れて痛みが出てくる…などがあります。
足の骨が折れても周囲の組織が全くサポートせずにいたら、おそらく歩くどころではないと思いますが、筋肉など、骨の周囲の全ての層が(というより、全身が)、一致協力して、その骨折状態をフォローするために色々な変形をし、何とか当座において活動できる程度の状態は保たれているはずです(痛いかもしれませんが)。
身体が連動しているといっても、つながっているから一部が傷むと他も痛む、というだけの話ではなく、このように、「身体の一部が衝撃やストレスによって変化すると、他の器官も連動して何らかの変化を起こし、防御作用を起こす」という身体のポジティブな反応としてとらえることもできると思います。

日常生活や運動などの場面において、緊張や硬直は必ずしも歓迎される状態ではないですが、先の例のように緊張といっても、それは時に「身体を守るためにやむなく・自動的に」行われる場合も多く、緊張それ自体が必ずしも悪ではない、といえそうです。もちろん、可能な限りリラックスし続けていた方がよいとは思いますが、骨折のような強烈なダメージを受けた瞬間などに限って言えば、緊張が身を守る大切な役割を果たしていることもあるのは確かです。


結局、後半は髄膜から話がかなりずれてしまいましたが、上記は「髄膜が他の部位と連動して緊張のような状態になっていることもあるようだ」という話と同種の、身体の防御作用、もしくは身体のつながりを別の側面から説明したものととらえて頂ければと思います。
特に髄膜の場合は、しっかりと脳や脊髄を守る役目を持っているので、大きなダメージを受けたら、脳や脊髄への影響を抑えるために、変形するなり緊張のような状態になるなりして、ダメージを軽減する必要がありそうです。そう考えれば、なんらかの大きな衝撃(何かにぶつかるような直接的な肉体への刺激のみならず、精神的な強いショックなども含め)を受けると、身体の表層だけではなく、この髄膜にも何か影響が及ぶこともある、と考えることは無理がなさそうにも思えます。

他の記事でも記載しているように、クラニオセッションでは、身体の1つ1つの緊張を探してそれを解除する、といった手順を踏まず、「身体全体のリズム」に主に意識を向け、セッションの結果、複数の緊張が軽減される場合もある、という感じですが、これも、クラニオが特別というより、この記事で取り留めなく書いたように、人体が複雑かつ精密に連動しているからこそ起こる現象といえそうです。クラニオもまた、非常に高性能な人体の調整作用や適応作用が前提にあるからこそ、心身のサポートができるわけですね。

参考文献:「カラー人体解剖学 構造と機能:ミクロからマクロまで」著 F.H.マティーニ、M.J.ティモンズ、M.P.マッキンリ 監訳 井上貴央 西村書店 ※これは解剖学書の中では結構わかりやすい本です。

2013/9 諸々修正

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今回の記事では、前の記事で出てきた「脳脊髄液」について少し説明を試みてみます。とはいうものの、私自身は解剖学の専門家でもお医者さんでもないので、むずかしい器官名の列挙は避け、とりあえずクラニオ絡みの内容を書いてみようと思います。「われわれの身体にはそういう液体があるのか」と脳脊髄液君を若干身近に感じていただければ、というところです。脳脊髄液の通り道にある具体的な器官の名前や脳脊髄液と症状との関連など、詳細な情報が知りたい方はネットの他の情報や解剖学書を参考にしてください。


脳脊髄液はその名の通り、脳室と呼ばれる脳内中央の空洞部分から脊髄の中央部(脊髄中心管)にかけて流れる「脳と脊髄の中をとおっている」液体です。具体的な流れの軌跡は以下のYouTube画像を見て頂くと、若干イメージができるかもしれません。動いている薄い緑色っぽい部分が脳脊髄液です。簡単に説明すると、この液のほとんどは脳室(動画で「Ventricle」と出てくる部分が脳室です。Third Ventricleは日本語では「第3脳室」です)内の「脈絡叢(動画のChoroid Plexus)」というひだのような器官から生成され、動画のような経路をたどって、頭頂部から血管(静脈洞)に吸収されていきます。最近は毛細血管からも吸収されているという説もあるそうです。また、前述の通り、脳内だけでなくて、脊髄方向(動画の下の方)に向かって流れていくものもあります。この管は腰の辺りまで伸びているので、身体の縦方向に注目すると、実はかなり広い範囲まで脳脊髄液は行き渡っているといえます。


一般的に知られている、脳脊髄液の主要な働きとしては、「液が脳の周りを覆っている=脳がこの液に浮かんだ状態になっている」ことから、様々なショックから脳を護ることや、その浮力により脳自体の重さを軽減する(脳は実際は1.5キロくらいあるので、まったく軽くならなかったら歩くだけでも頭が重くて大変です)といったものがあげられそうです。

クラニオの講座で聞いた範囲では、脳脊髄液は、中枢神経系(脳・脊髄)に栄養分を与えているとか、脳から老廃物を排出するといった脳の代謝にかかわる働きもあるとのことです。これはクラニオの立場からの考え方かもしれず、一般的な解剖学でどう解釈されているのかはわかりませんが。ほかには、脳にはリンパ系にあたる仕組みがないので、リンパ系にあたる働きをしているという記述もネット上にはありました。
また、クラニオでは、この脳脊髄液の流れに「1次呼吸」の状態が表現されている、というか、そもそも1次呼吸自体が脳脊髄液の流れを作り出す駆動力の1つと考えているため、主にその意味において、脳脊髄液の存在がとても重視されています。脳脊髄液そのものの探求より、「脳脊髄液の流れ」をガイドとして、人体の深層のリズム(1次呼吸)を感知することがクラニオのセラピストにとっては重要という事ですね。

ちなみに、クラニオでは、この液を介して全身にエネルギー的な滋養(ポーテンシーと呼ばれています)が運ばれているのではないか、というややふしぎな考えも持っています。「ポーテンシー」に関しては実際はどういうものなのか、何らかの物質なのか、神経パルスのようなものなのかは証明しようもないのですが。私自身もこれまでの経験から、受け手の方に触れていると、1次呼吸のリズムと連動するように、何かが一緒に流れているように感じることもあるので、良く判らないが、1次呼吸と「ポーテンシー」は何か関係あるらしい、ととりあえずそのまま考えています。
更に書くと、クラニオ関連の本では、先達が脳脊髄液を「光る液」などと表現をされていることもあります。私も、セッションをしていて、何となく「液が光っている」という表現に納得できるような体感を覚えることはしばしばあります。一説によると、脳脊髄液に「光子」が沢山含まれているためらしいのですが、ポーテンシーとの関連は不明です。


ここまで、知識を中心に何とか書こうとしてみましたが、脳脊髄液に関する自分の具体的な体感、という視点から考えてみると、クラニオセッションを受けると、「頭の奥が内側から洗浄されたようなすっきりした感じ」を覚える場合はしばしばあるので、セッションを期に脳脊髄液の流れに良い影響があり、脳内の老廃物が除去されたりしたのかな、と思ったりします。
また、クラニオでは「小魚のツアー」といって、自分が小魚になったつもりで、自分の脳内の脳脊髄液の流れをイメージで追っていく(言い換えると、脳脊髄液が流れている各脳室を自分の身体部位としてしっかり意識する)遊びのようなワークがあるのですが、これをやるとやたらと眠くなってきて、眠気に耐えつつ頑張ってやると、もしくは途中で寝てしまって起きると(できるだけ途中で寝ずにやるべきなのですが)例によって頭が洗浄されたような爽快な感じがするので、脳脊髄液をいじっているつもりはないが、クラニオのワークはやはり結構脳脊髄液と無意識のうちに深くかかわっているようにも思います。

これらも、脳の中身を手軽に見るすべがないので、多分そうなのだろうな、と思うだけなのですが、脳脊髄液について知識として詳しくなくとも、脳脊髄液はそれとは関係なく陰ながら我々をサポートし続けてくれており、クラニオをやっていると、その脳脊髄液君をどことなく身近に感じる機会が多いのも確かなようです。

◆参考文献: 「ネッター医学図鑑 脳・神経系Ⅰ 学生版」図版 Frank H.Netter,M.D 監修佐野圭司、高橋國太郎 丸善株式会社

2013/9 言い回しと間違ったことを言っていそうな点をもろもろ修正

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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