クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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「自然治癒力」という言葉を最近ツイッターなどでたまに見かけるので、それについて大雑把に書いてみます。何となく自然治癒力という響きの言葉を使いたくない気分なので、身体の自己調整力などと言い直して書きます。
最近見かけたつぶやきに、たしか「身体のゆがみが自然治癒力を妨げているので、ワークでそれを取るのだ」みたいなものがありました。別にそう考えても何ら問題ないと思いますが、このつぶやきをクラニオ(バイオダイナミクス)的に少々ひねって解釈すると、身体のゆがみもまた身体の自己調整力の働きの結果だ、と表現できるかもしれません。
◆
例えば、何かにぶつかったり、精神的なショックを受けて身体が強く緊張したり、仕事などでひたすら同じ部位を酷使したりすることで身体のゆがみは生じると思われますが、それらの「ゆがみ」も実のところ、身体に大きな負荷がかかった状態でもそれなりにバランスを取るために体が行った応急処置のようなものと考えることができるように思います。
なにがしかゆがみが生じるような事が起き、(もっと良い選択肢があったかもしれないというのは脇に置いて)ともかくその場でとっさに身体が対処するしかない場合、身体がゆがみという形でうまく色々なダメージを受け止め、体のパターンとして吸収してくれなければ、体はもっと深刻なダメージを受けてしまったのかもしれません。つまり、「体のゆがみができる過程」もまた身体の調整力のあらわれという解釈もできるのではと思います。クラニオではゆがみをファルクラムという名前で呼びますが、上記のとらえ方はその概念を参考にしています。要はゆがみがあるのもできるのも、身体がそれなりに現状に即応すべく努力した結果であり、別に悪ではないということです。
◆
同様に、病気もウイルスへの対抗手段や、極端な疲労に対して身体に半強制的に休息の機会を与えるための手段と考えれば、それもやはり身体の調整力の表現であり、身体が熱や咳、腫れなどで何らかの調整作用を発揮しようとしている状態が「症状」であるという解釈もできると思います。「風邪は身体の調整作用である」とみなす野口整体的に考えれば、風邪に限らず、病気で身体が色々な対処や休息をしている機会を利用して、身体が今よりよいバランスを整えようとする、ということもあるように思います。
もちろん、北極に裸で行くことが自殺行為であるように、人間の身体が対処できる範囲に当然限界はあり、調整力のキャパシティをはるかにオーバーするダメージを受けた場合は病院の助けを借りなければ対処できないかもしれませんし、借りてもどうにもならないときもあるとも思います。ここで言いたい事としては、病気の症状そのものも身体の調整反応のいち表現であることが個人的には納得できる、ということです。
◆
とはいえ、いくら自然治癒力の結果だとしても、しんどいものはなんとかしたいということで、そういったゆがみなどに対してボディワークの分野に対処が求められることがあるわけですが、例えばクラニオの場合なら、そもそも「ゆがみ=悪」ではないので、その除去を主目的とせず、「身体のゆがみという形として表れている調整作用の方向性を身体が自分から変えられないか見守る」といった対応をすると思います。
言い方を変えれば、「ゆがみを取ることにより、減っている調整力を増やす」のではなく、目の前の体が調整力を十分に表現していること、目の前の身体は常にベストを尽くしていることを前提として、いまの「ゆがみを中心として取っている身体全体のバランス状態」を、より負担が軽減された状態でバランスを取り直すことが可能かどうか待ってみる感じでしょうか。
そして、大概の場合、体はなんらかのポジティブな反応を表現してくれるわけです。セッションで症状やゆがみそのものが消えなかったとしても、それはおそらく、身を守るため等の必要性から、まだそれらを解消しないほうがよいと身体自身が判断しているだけで、クラニオをする側としては、セッションを通じて何かその人の中で新しいバランスが生まれ、ちょっとでも楽になる感じがあればそれで十分だろうと思っています。それが受ける方の身体の声を尊重することだと思っているので。
◆
なお、こういった場合、よりアクティブなボディワーク技法だと、こういう新しいバランスはどうでしょうと「提案する」とか、これが理想のバランスだと思うのだが、と「術者の理想を体験させる」といった手段をとるのかなと思っています。これらもまた、「身体との対話方法」の1つの形といえるでしょう。
なので、どんな手段を使っても症状を止めて、生命を永らえさせることを最優先する病院医療とボディワークはやはり方向性や役割が相当に違うものであるし、両者はそういう違いがあるからこそ、お互いに価値があるのだろうと改めて思います。
あとはまあ、そもそも身体の調整力というのは非常にハイスペックですから、極端なダメージを受けない限り、武術稽古(私にとっては武術がそれに相当するだけで、自分に合ってる運動という意味合いです…)でもして、ほどほどにバランスよく食べたり寝たりして、たまに不摂生もして楽しんで、身体に違和感を感じたり体調不良の時はしっかり休んでいれば、かなり身体の方でなんとかしてくれるんじゃないかとも思います。
…何かこの内容、前にも書いた気がしてきましたが、まあ、本当に重要かつ書きやすいことは限られていますし、表現が変われば雰囲気も目新しくなるだろうということで、ご勘弁願えればと。
最近見かけたつぶやきに、たしか「身体のゆがみが自然治癒力を妨げているので、ワークでそれを取るのだ」みたいなものがありました。別にそう考えても何ら問題ないと思いますが、このつぶやきをクラニオ(バイオダイナミクス)的に少々ひねって解釈すると、身体のゆがみもまた身体の自己調整力の働きの結果だ、と表現できるかもしれません。
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例えば、何かにぶつかったり、精神的なショックを受けて身体が強く緊張したり、仕事などでひたすら同じ部位を酷使したりすることで身体のゆがみは生じると思われますが、それらの「ゆがみ」も実のところ、身体に大きな負荷がかかった状態でもそれなりにバランスを取るために体が行った応急処置のようなものと考えることができるように思います。
なにがしかゆがみが生じるような事が起き、(もっと良い選択肢があったかもしれないというのは脇に置いて)ともかくその場でとっさに身体が対処するしかない場合、身体がゆがみという形でうまく色々なダメージを受け止め、体のパターンとして吸収してくれなければ、体はもっと深刻なダメージを受けてしまったのかもしれません。つまり、「体のゆがみができる過程」もまた身体の調整力のあらわれという解釈もできるのではと思います。クラニオではゆがみをファルクラムという名前で呼びますが、上記のとらえ方はその概念を参考にしています。要はゆがみがあるのもできるのも、身体がそれなりに現状に即応すべく努力した結果であり、別に悪ではないということです。
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同様に、病気もウイルスへの対抗手段や、極端な疲労に対して身体に半強制的に休息の機会を与えるための手段と考えれば、それもやはり身体の調整力の表現であり、身体が熱や咳、腫れなどで何らかの調整作用を発揮しようとしている状態が「症状」であるという解釈もできると思います。「風邪は身体の調整作用である」とみなす野口整体的に考えれば、風邪に限らず、病気で身体が色々な対処や休息をしている機会を利用して、身体が今よりよいバランスを整えようとする、ということもあるように思います。
もちろん、北極に裸で行くことが自殺行為であるように、人間の身体が対処できる範囲に当然限界はあり、調整力のキャパシティをはるかにオーバーするダメージを受けた場合は病院の助けを借りなければ対処できないかもしれませんし、借りてもどうにもならないときもあるとも思います。ここで言いたい事としては、病気の症状そのものも身体の調整反応のいち表現であることが個人的には納得できる、ということです。
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とはいえ、いくら自然治癒力の結果だとしても、しんどいものはなんとかしたいということで、そういったゆがみなどに対してボディワークの分野に対処が求められることがあるわけですが、例えばクラニオの場合なら、そもそも「ゆがみ=悪」ではないので、その除去を主目的とせず、「身体のゆがみという形として表れている調整作用の方向性を身体が自分から変えられないか見守る」といった対応をすると思います。
言い方を変えれば、「ゆがみを取ることにより、減っている調整力を増やす」のではなく、目の前の体が調整力を十分に表現していること、目の前の身体は常にベストを尽くしていることを前提として、いまの「ゆがみを中心として取っている身体全体のバランス状態」を、より負担が軽減された状態でバランスを取り直すことが可能かどうか待ってみる感じでしょうか。
そして、大概の場合、体はなんらかのポジティブな反応を表現してくれるわけです。セッションで症状やゆがみそのものが消えなかったとしても、それはおそらく、身を守るため等の必要性から、まだそれらを解消しないほうがよいと身体自身が判断しているだけで、クラニオをする側としては、セッションを通じて何かその人の中で新しいバランスが生まれ、ちょっとでも楽になる感じがあればそれで十分だろうと思っています。それが受ける方の身体の声を尊重することだと思っているので。
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なお、こういった場合、よりアクティブなボディワーク技法だと、こういう新しいバランスはどうでしょうと「提案する」とか、これが理想のバランスだと思うのだが、と「術者の理想を体験させる」といった手段をとるのかなと思っています。これらもまた、「身体との対話方法」の1つの形といえるでしょう。
なので、どんな手段を使っても症状を止めて、生命を永らえさせることを最優先する病院医療とボディワークはやはり方向性や役割が相当に違うものであるし、両者はそういう違いがあるからこそ、お互いに価値があるのだろうと改めて思います。
あとはまあ、そもそも身体の調整力というのは非常にハイスペックですから、極端なダメージを受けない限り、武術稽古(私にとっては武術がそれに相当するだけで、自分に合ってる運動という意味合いです…)でもして、ほどほどにバランスよく食べたり寝たりして、たまに不摂生もして楽しんで、身体に違和感を感じたり体調不良の時はしっかり休んでいれば、かなり身体の方でなんとかしてくれるんじゃないかとも思います。
…何かこの内容、前にも書いた気がしてきましたが、まあ、本当に重要かつ書きやすいことは限られていますし、表現が変われば雰囲気も目新しくなるだろうということで、ご勘弁願えればと。
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
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