クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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今年も10月26日からの5日間、ICSBクラニオアドバンス講座に参加したので、おおよその内容をまとめてみます。あまり細かい内容に踏み込まず、軽めに書いているつもりですが、テーマの性質上、人によっては「重い」と感じられる内容や、あまり「科学的でない」と感じられる内容を含むかもしれない点はご了承ください。
■今回のテーマ
今回の講座は「生の黄昏に」というタイトルで、難病や老齢により死を前にした(必ずしも死の直前という意味ではありません)方や、死を前にしていないが、人生の大きな転機(講座では「移行期」と呼んでいました)を迎え、心身共につらい思いをしている方にクラニオでアプローチする場合、どのようにサポートできるか、という深いテーマでした。
過去の記事で何度も書いていますが、クラニオは医療ではないので、残念ながら死に瀕した方を死から遠ざけたり、移行期の方が抱える問題自体をなくすことはできません。そのため、例えば死を前にした方にセッションを行うとしたら、人生の最期を迎えるにあたっての心身の統合を受け手の方の身体に負荷のない方法でサポートする(表現が難しいですが、死への移行のプロセスが安らかであるよう、可能な範囲で助けるというところでしょうか)というのがおおよその方針となります。
もちろん、人の死期がある程度分かったとして、クラニオを受ける必要は必ずしもないわけですが、そのような状況の時、現代医療や近しい人々からのケア以外に、クラニオというサポートの選択肢もある、ということですね。
■講座の構成
そのような状況でのセッションには、通常セッションより繊細さが求められるということで、参加にあたり、先生からは「〇〇臓器に関するアプローチ」といったテクニックのレパートリーを増やすのでなく、クラニオ・バイオダイナミクスの根本的なスキルをより深める内容になるとのアナウンスを受けていました。そのため、私は結構期待して講座に臨んだのですが、いざ講座に入ると、私が期待していたセッションに直接関わる情報はやや少なめで、グループワークや講義が多めの構成でした。
変わった内容としては、有名な映画「おくりびと」を鑑賞し(私は見たことがなかったのでこの機会に見られて少し得した気分でした)、死をテーマにした海外の童話を読んだりして、それらの作品の表現から死や移行期の方に向き合った時のプラクティショナーとしてのありようを考えるというものもありました。他にも、今回は瞑想の時間など、プラクティショナー自身の内的な落ちつき・静けさを深めてもらおうとする内容も普段より多く含まれていました。
そういった構成のため、講座前半は少しがっかりして気力を失っていたり、私は同年代の友人や働き盛りの年代の親類を比較的多く亡くしてきた経験もあるので、その体験を思い出し、つらさを感じる時もありました。ただ、それらの経験がある分、私にとって死は(武術もある意味死を司るスキルといえることもあり)これまで幾度となく考えてきたテーマでもあるので、他の人の意見を聞きながら、自分のスタンスや思いを整理していくうちに、色々な気づきも得られたため、後半には、この講座への参加はある意味必然だったか、と参加に意義を感じることができました。
クラニオで重要なプラクティショナーニュートラルの状態になるにあたり、私は自分の姿勢や意識に主に注目し、あまり心理的な要素は重視していなかったのですが、確かに、クライアントを前にプラクティショナーが心理的に不安定なら、それらのスキルをいざという時、適切に使えない可能性もあります。その意味では、今回のように自身のありようや普段の考え、死などの重いテーマに対する自身のスタンスをじっくり確認して掘り下げる作業は時に重要なのだなと納得しました。
■グループワークなど
グループワークでは、講座への参加動機などの身近なテーマから入り、死や移行期、講座中のセッション内容などをテーマに数名のグループで話し合いました。このグループワークで良かったのは、話し合う内容に(テーマにもよりますが)「模範解答」は基本的になく、それぞれが相手を否定せず、各人の意見を傾聴するというプロセスが大事にされていた点です。
また、話に入る前に皆がセンタリングして(プラクティショナーニュートラルに入って)落ち着いてから開始する、という手順になっていたためか、デリケートな話題でも変に感情的になることはありませんでした。この「プラクティショナーニュートラル(に近い)状態で相手の話を傾聴する」スタンスは、死期や移行期を迎えた方のご家族や友人と、会話などセッション以外の場面で接するときに陰ながらサポートになるかもしれない、という説明もありました。
私自身の経験からしても、デリケートな精神状態の時に、乗り越えろとか立ち直れといった言葉や、安易な解決策の提示は逆にストレスになることもあってあまり役に立たない気がします。結局、近しい人の死という経験の重さは本人の中で時間もかけつつ整理していくしかないと思うので、それに直面したときはただ静かに居て聞いてくれる人がいてくれた方がサポートになる可能性は高いと思います。
■今回のセッション実習
セッション実習も普段より少なめではあったものの、毎日実施の時間が設けられていました。相手の体を調整しようとするわずかな意図も、弱っている方の肉体に負荷を与える可能性があるということで、今回は相手の身体システムに意図を加えないことを徹底する方向性で主に練習が行われました。
通常のクラニオセッションでも、肉体の表面的な動きにアクセスしたり、相手に対して意図を用いて身体調整を行おうとしたり、治してあげようと思ったりすることは基本NGですが、今回は、普段はしばしばセッション進行の目安になっているタイド等も透過してセッションを進めるやり方を行いました。透過といっても、タイドを見なかったことにするわけでも、自分の内面に閉じこもったりぼんやりしているわけでもなく、具体的に説明しがたいところですが、さすがに講座参加者は熟練者だけに、感覚をつかんでほぼ問題なくこなしている様子でした。
今回紹介された方法自体は、細かな部分の違いはあっても方向性としては全くの目新しいものではなく、また、過去に主に学習してきたほぼ健康な方(肩や腰が痛い等と言っている方も、大概は命にかかわる状況ではないので、基本的には「健康」の範疇に含まれるとしておきます)向けの手順が今回の練習で大きく変わったり、また、今回の手順がそれと比べて特に優れているといったこともありません。要は使いどころの違いですね。
ただ、今回の説明で、これまで何となく行っていたセッション実施方針にある程度の法則性が見えてきた感じはあります(起こること自体がほぼランダムな点は変わりませんが)。このクラニオセッション方針の使い分けと展開については、個人的に若干理解が足りておらず、過去の記事では微妙に間違った内容を書いた気もするので、書ける範囲で後日、別の記事にまとめてみようと思っています。
また、講座の中では、過去に説明のあった用語の定義の整理や、個人的にほとんど理解していなかった「イグニッション」の概念についても説明があり、イグニッションについては折よくセッション中に体感もできたので、かなり頭の中が整理され、ややローテンションだった私もこの講義の時は結構やる気が出ました。
■ポーテンシーの蓄積
受ける方の状況やセッション実施回数にもよるので、常時起こるとは限りませんが、今回の方法では、身体のどこかを調整する作用というより、ポーテンシー(クラニオ用語。身体の調整などに使われる身体エネルギーのような概念。身体内部を移動する独特の熱感として感じられる。神経伝達物質のようなものなのか、解剖学的にあてはまる概念があるのかは不明。)の蓄積に関係した反応が主に起きていました。
エネルギーの蓄積といっても、自分が受けた感触としては、体が変に熱くなったり過活性になるようなマイナス面の感覚はなく、身体全体が均質に整ったような独特の爽快感と明晰さ、落ち着きが感じられたので、健康な方にこの方針でセッションを行っても一定の恩恵はあると思います。
なお、先生によると、「死を迎える」こと自体にある程度のエネルギーを使うため、死を前にした方であってもポーテンシーを蓄積する機会は有効とのことです。ちなみに、死を前にした方は、肉体が弱っていても、1次呼吸(ロングタイド)はむしろ通常の人より強く感じられることが多いそうで、死を前にしても、身体システムのすべてが弱々しくなるわけではないようです。
生命力のあらわれが死を前にしようとも存在する以上、実際にどの程度のサポートになるのかは私は未経験のため分かりませんが、クラニオによる「死という新たな状態への移行(「魂」の定義などはひとまず脇に置いておいて)のサポート」が、全くの無駄という事はないのではと思います。
ちなみに、中国武術では、「気」と言った時におおよそ2種類あり、誕生したときに最も多く、年を重ねるごとに減っていく「先天の気」と、年を重ねても様々な手段で蓄積が可能という「後天の気」という概念があるそうですが、何となく「後天の気を養う」とは今回のセッションで私が感じたような体感も含まれるのでは(気という言葉は非常に広域の現象を指すと思うので、見当違いかもしれませんが)、とも少し思いました。
クラニオ・バイオダイナミクスと中国武術はアプローチは全く違うにせよ、結果的に、クラニオもクライアントの身体が内気功に近いものを自発的に行うサポートをしているのかも知れず、こういったワークや人体(というか人間そのもの)の不思議さを感じさせられます。
■まとめ
このように、過去の講座に比べると、私自身の中では不完全燃焼感を覚えた時間もありましたが、自分がひとりで抱えてきたテーマの振り返りになったり、セッション中に新たな体感があったり、「ICSB派クラニオバイオダイナミクス」で用いられる用語やセッション展開について整理もできたので、結果的に満足できる体験となりました。
アドバンス講座は早くも来年10月後半に次の開催が予定されていますが、テーマは未定とのことです。私が今回若干気力を失っていた要因の1つに、行きたかった中国武術教室の合宿と今回の講座の日程がかぶってしまったこともあるので、来年はテーマや他の行事の日程いかんでは(ちなみに私の場合、会社の大型行事もこの時期に重なりがちで、毎年調整に苦慮しています)参加しない可能性もありますが、最近少し意欲を失っていたクラニオ活動に、細々とでも何らかの形で関わっていこうと思うことができた5日間でした。
■今回のテーマ
今回の講座は「生の黄昏に」というタイトルで、難病や老齢により死を前にした(必ずしも死の直前という意味ではありません)方や、死を前にしていないが、人生の大きな転機(講座では「移行期」と呼んでいました)を迎え、心身共につらい思いをしている方にクラニオでアプローチする場合、どのようにサポートできるか、という深いテーマでした。
過去の記事で何度も書いていますが、クラニオは医療ではないので、残念ながら死に瀕した方を死から遠ざけたり、移行期の方が抱える問題自体をなくすことはできません。そのため、例えば死を前にした方にセッションを行うとしたら、人生の最期を迎えるにあたっての心身の統合を受け手の方の身体に負荷のない方法でサポートする(表現が難しいですが、死への移行のプロセスが安らかであるよう、可能な範囲で助けるというところでしょうか)というのがおおよその方針となります。
もちろん、人の死期がある程度分かったとして、クラニオを受ける必要は必ずしもないわけですが、そのような状況の時、現代医療や近しい人々からのケア以外に、クラニオというサポートの選択肢もある、ということですね。
■講座の構成
そのような状況でのセッションには、通常セッションより繊細さが求められるということで、参加にあたり、先生からは「〇〇臓器に関するアプローチ」といったテクニックのレパートリーを増やすのでなく、クラニオ・バイオダイナミクスの根本的なスキルをより深める内容になるとのアナウンスを受けていました。そのため、私は結構期待して講座に臨んだのですが、いざ講座に入ると、私が期待していたセッションに直接関わる情報はやや少なめで、グループワークや講義が多めの構成でした。
変わった内容としては、有名な映画「おくりびと」を鑑賞し(私は見たことがなかったのでこの機会に見られて少し得した気分でした)、死をテーマにした海外の童話を読んだりして、それらの作品の表現から死や移行期の方に向き合った時のプラクティショナーとしてのありようを考えるというものもありました。他にも、今回は瞑想の時間など、プラクティショナー自身の内的な落ちつき・静けさを深めてもらおうとする内容も普段より多く含まれていました。
そういった構成のため、講座前半は少しがっかりして気力を失っていたり、私は同年代の友人や働き盛りの年代の親類を比較的多く亡くしてきた経験もあるので、その体験を思い出し、つらさを感じる時もありました。ただ、それらの経験がある分、私にとって死は(武術もある意味死を司るスキルといえることもあり)これまで幾度となく考えてきたテーマでもあるので、他の人の意見を聞きながら、自分のスタンスや思いを整理していくうちに、色々な気づきも得られたため、後半には、この講座への参加はある意味必然だったか、と参加に意義を感じることができました。
クラニオで重要なプラクティショナーニュートラルの状態になるにあたり、私は自分の姿勢や意識に主に注目し、あまり心理的な要素は重視していなかったのですが、確かに、クライアントを前にプラクティショナーが心理的に不安定なら、それらのスキルをいざという時、適切に使えない可能性もあります。その意味では、今回のように自身のありようや普段の考え、死などの重いテーマに対する自身のスタンスをじっくり確認して掘り下げる作業は時に重要なのだなと納得しました。
■グループワークなど
グループワークでは、講座への参加動機などの身近なテーマから入り、死や移行期、講座中のセッション内容などをテーマに数名のグループで話し合いました。このグループワークで良かったのは、話し合う内容に(テーマにもよりますが)「模範解答」は基本的になく、それぞれが相手を否定せず、各人の意見を傾聴するというプロセスが大事にされていた点です。
また、話に入る前に皆がセンタリングして(プラクティショナーニュートラルに入って)落ち着いてから開始する、という手順になっていたためか、デリケートな話題でも変に感情的になることはありませんでした。この「プラクティショナーニュートラル(に近い)状態で相手の話を傾聴する」スタンスは、死期や移行期を迎えた方のご家族や友人と、会話などセッション以外の場面で接するときに陰ながらサポートになるかもしれない、という説明もありました。
私自身の経験からしても、デリケートな精神状態の時に、乗り越えろとか立ち直れといった言葉や、安易な解決策の提示は逆にストレスになることもあってあまり役に立たない気がします。結局、近しい人の死という経験の重さは本人の中で時間もかけつつ整理していくしかないと思うので、それに直面したときはただ静かに居て聞いてくれる人がいてくれた方がサポートになる可能性は高いと思います。
■今回のセッション実習
セッション実習も普段より少なめではあったものの、毎日実施の時間が設けられていました。相手の体を調整しようとするわずかな意図も、弱っている方の肉体に負荷を与える可能性があるということで、今回は相手の身体システムに意図を加えないことを徹底する方向性で主に練習が行われました。
通常のクラニオセッションでも、肉体の表面的な動きにアクセスしたり、相手に対して意図を用いて身体調整を行おうとしたり、治してあげようと思ったりすることは基本NGですが、今回は、普段はしばしばセッション進行の目安になっているタイド等も透過してセッションを進めるやり方を行いました。透過といっても、タイドを見なかったことにするわけでも、自分の内面に閉じこもったりぼんやりしているわけでもなく、具体的に説明しがたいところですが、さすがに講座参加者は熟練者だけに、感覚をつかんでほぼ問題なくこなしている様子でした。
今回紹介された方法自体は、細かな部分の違いはあっても方向性としては全くの目新しいものではなく、また、過去に主に学習してきたほぼ健康な方(肩や腰が痛い等と言っている方も、大概は命にかかわる状況ではないので、基本的には「健康」の範疇に含まれるとしておきます)向けの手順が今回の練習で大きく変わったり、また、今回の手順がそれと比べて特に優れているといったこともありません。要は使いどころの違いですね。
ただ、今回の説明で、これまで何となく行っていたセッション実施方針にある程度の法則性が見えてきた感じはあります(起こること自体がほぼランダムな点は変わりませんが)。このクラニオセッション方針の使い分けと展開については、個人的に若干理解が足りておらず、過去の記事では微妙に間違った内容を書いた気もするので、書ける範囲で後日、別の記事にまとめてみようと思っています。
また、講座の中では、過去に説明のあった用語の定義の整理や、個人的にほとんど理解していなかった「イグニッション」の概念についても説明があり、イグニッションについては折よくセッション中に体感もできたので、かなり頭の中が整理され、ややローテンションだった私もこの講義の時は結構やる気が出ました。
■ポーテンシーの蓄積
受ける方の状況やセッション実施回数にもよるので、常時起こるとは限りませんが、今回の方法では、身体のどこかを調整する作用というより、ポーテンシー(クラニオ用語。身体の調整などに使われる身体エネルギーのような概念。身体内部を移動する独特の熱感として感じられる。神経伝達物質のようなものなのか、解剖学的にあてはまる概念があるのかは不明。)の蓄積に関係した反応が主に起きていました。
エネルギーの蓄積といっても、自分が受けた感触としては、体が変に熱くなったり過活性になるようなマイナス面の感覚はなく、身体全体が均質に整ったような独特の爽快感と明晰さ、落ち着きが感じられたので、健康な方にこの方針でセッションを行っても一定の恩恵はあると思います。
なお、先生によると、「死を迎える」こと自体にある程度のエネルギーを使うため、死を前にした方であってもポーテンシーを蓄積する機会は有効とのことです。ちなみに、死を前にした方は、肉体が弱っていても、1次呼吸(ロングタイド)はむしろ通常の人より強く感じられることが多いそうで、死を前にしても、身体システムのすべてが弱々しくなるわけではないようです。
生命力のあらわれが死を前にしようとも存在する以上、実際にどの程度のサポートになるのかは私は未経験のため分かりませんが、クラニオによる「死という新たな状態への移行(「魂」の定義などはひとまず脇に置いておいて)のサポート」が、全くの無駄という事はないのではと思います。
ちなみに、中国武術では、「気」と言った時におおよそ2種類あり、誕生したときに最も多く、年を重ねるごとに減っていく「先天の気」と、年を重ねても様々な手段で蓄積が可能という「後天の気」という概念があるそうですが、何となく「後天の気を養う」とは今回のセッションで私が感じたような体感も含まれるのでは(気という言葉は非常に広域の現象を指すと思うので、見当違いかもしれませんが)、とも少し思いました。
クラニオ・バイオダイナミクスと中国武術はアプローチは全く違うにせよ、結果的に、クラニオもクライアントの身体が内気功に近いものを自発的に行うサポートをしているのかも知れず、こういったワークや人体(というか人間そのもの)の不思議さを感じさせられます。
■まとめ
このように、過去の講座に比べると、私自身の中では不完全燃焼感を覚えた時間もありましたが、自分がひとりで抱えてきたテーマの振り返りになったり、セッション中に新たな体感があったり、「ICSB派クラニオバイオダイナミクス」で用いられる用語やセッション展開について整理もできたので、結果的に満足できる体験となりました。
アドバンス講座は早くも来年10月後半に次の開催が予定されていますが、テーマは未定とのことです。私が今回若干気力を失っていた要因の1つに、行きたかった中国武術教室の合宿と今回の講座の日程がかぶってしまったこともあるので、来年はテーマや他の行事の日程いかんでは(ちなみに私の場合、会社の大型行事もこの時期に重なりがちで、毎年調整に苦慮しています)参加しない可能性もありますが、最近少し意欲を失っていたクラニオ活動に、細々とでも何らかの形で関わっていこうと思うことができた5日間でした。
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
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