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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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現在、私は10月に提出用のクラニオ論文を書いており、作業も終盤に入りつつありますが、私の場合「技法」という言葉にこだわる構成となっています。クラニオ・バイオダイナミクスは、その思想や立ち位置からして、ある意味手順や形のない漠たる世界を扱う物であり、技術とか技法といった言葉で語らない方がよい部分もあるのかも知れぬとも思います。
実際、私自身、クラニオの技法としての優位性を語るつもりもなければ、積極的な勢力拡大を意図しているのでもなく、このブログでも世の中にはこういう技法もあるんですが…程度のノリでつぶやいているだけのことで、技法という言葉そのものにはそう極端な思い入れがあるわけではないです。


それでも「技法的視点」にこだわるのは、クラニオについて「他者に客観的に語る」には、結局そのような目に見える部分を通じてしかないと思うからです(まあ、気の利いたネーミングやら詩的な表現などが私は極めて苦手だということもありますが…)。
神秘的または感動的な体感、人としてのあり方、無限やら自然やらといった色々な概念は、目に見える技法という「土台」を踏まえた上で自然と現れてくる「結果」を主観的に眺めたものであって、それらに関しては、自分の心の中にしまっておけばよいのではと個人的には思っています。
むしろそういった神秘的領域を理論化したりすると妙な方向に突貫しそうです。例えば、クラニオを扱うにあたって、「愛が重要」などと言われたら私はどうすればいいのか分からなくなってしまいますし、初心の方への伝達も困難かと思われるので、結局は武術などと同じく、どんな技法だろうと最初は形から入るしかないだろうとも思います。


もっとも、クラニオの目に見える部分といっても、ほとんど動いたり手を加えたりしないので、「姿勢」と「触れ方」と「いくらかの例外的手法」程度のもので、「今の身体感覚」「意識の置き所」などの見えるような見えないような部分が占める部分も比較的多い気がするので、なかなか表現は難しい物があります。あえて言うならば、地に足をしっかりとつけて、無理のない程度の緻密さでリラックスしたまっすぐな姿勢を構成し、意を全身にいきわたらせるか、その上でどのように相手に対するか…を深めていくこと、が「クラニオの技法」だといえるでしょうか。


個人的には、「技術・技法」という言葉は、しばしば連想されがちな、ハウツーでもテクニックでもない懐が広いものであると思っています。「なにかの形・手順によって他者に伝達が可能」で、「熟練による上達がある」もので、「上達に伴いおのれ自身の立ち位置も変わっていく」余地があるものであると見なしています。
結局のところ、技術も高まれば自然と「自分と一体化」し、「無形」に近づくものであって、武術の達人の逸話などに聞く「その人自身が技」のような領域について語られることもあるのでしょう。これは多分、伝統芸能でも、プログラマーなどでも、どんな技術でもあることなのだろうと思います。それと同時に、形や原理原則という目に見えるものがあるから、曖昧な状況に陥りがちな技法であっても、原点に還る道標にもなり得るのだろうとも思っています。

クラニオセッションでは色々な体験に出会いますが、セッション中に出会う未知の体験に埋没したり、その体験に妙な解釈を加えずに中庸に向き合うための備え(いうなれば、見えざる世界に対するための身の処し方)として「形として伝えられる技術的部分」が必要だとまとめられるのかも知れません。

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回想モードに延々と入っているのも何なので、今回はまたCV4、EV4と呼ばれるクラニオ技法…のようなものについてごく簡単に書いてみます。

パソコンの機器名や薬品名のような奇妙な名前の技法ですが、CV4は「Compression of 4th Ventricle」、EV4は「Expansion of 4th Ventricle」の略です。「Ventricle」は「脳室(脳の中央に位置する空間。クラニオも注目する脳脊髄液の産生、循環が行われている。)」です。むりやり直訳すると「CV4=第4脳室圧縮」、「EV4=第4脳室拡張」とでもなるのでしょうか。訳すると人体解剖チックなますます恐ろしげな名前となりました。

しかし、圧縮や開放と言っても、本当に第4脳室をいじりに行くわけではありません。脳に変なショックを与えるだけでもやばそうですが、第4脳室は人体の生命維持機能を司る「脳幹」にも隣接していますから、下手にそんなことをしたら大変なダメージを受けそうです。
もっとも、クラニオ技術の黎明期はどうすればよいのか分からないので、特殊な手の形で頭部を圧縮することで本当に圧をかけていたようです。ただ、時代を経るにつれて、そんなに無理やりな事をしなくても、ごく微量の意図、あるいはそれ以前の刺激と言えないほどのものでも身体は反応しているらしい、ということが分かってきたため、今は「圧を加える」と言っている流儀もごくソフトに行っていると思います。今はただ、黎明期の名前がそのまま残っているというわけです。なお、圧を加えなくても、第4脳室が結果的に自分で広がったり、締まったりするという働き自体は現代verでも多分起きているのでしょう。


で、何をするかですが、CV4,EV4のどちらも、受ける人の身体(主に頭部)に触れ、「1次呼吸」の極で待つということをします。
(これまで書いてきたように)1次呼吸は人体のリズムで、肺呼吸のように閉じる-開く、伸びる-縮むのような(厳密にはちょっと違いますが、とりあえず分かりやすくそう表現します)とてもゆっくりな動きを全身に常時提供しており、そのリズムに乗るようにして、脳脊髄液もまた、代謝的活動をしているようです。
なお、1次呼吸自体は「働き」であって、伸びたり縮んだりしません。伸びたり縮んだりするのは、その働きによって「動かされている」人体のほうです。身体が勝手に伸びたりしているので、その裏に1次呼吸のはたらきがあるんだなと、触れる人は間接的に分かる感じです。

で、その1次呼吸には、「極」があります。大雑把に言うと伸びきった瞬間と縮まりきった瞬間のようなものがあるということです。さらに、その極には「スティル(静けさの意)ポイント」と呼ばれる静止の時間もあります。体感では結構長く止まっています。リズムが「伸びきった」後、若干の静止を経て、「縮まる」リズムにターンする、「縮まりきった」後にも若干の静止を経て、「伸びる」リズムにターン…といったことを繰り返しているとでも想像して頂ければよいです。かっこよく言えば、人体は「陰極まりて陽となる」みたいなことをずっとやってるといえましょうか。


そして、CV4の場合は、「縮まりきった極にある静止」に来たときにその静止をなんとなく意識してみます。逆にEV4の場合は「伸びきった極にある静止」に来たときに、その静止をなんとなく意識してみます。本には「そこから更に静かな状態に入れるか提案する」ような記述があります。細かい1次呼吸の更に細かい部分が分かる必要があるので、実行にはそれなりの知覚が必要となります。
1度のターンで何も起こらなかったら、次のターンでも同じことを繰り返します(見た目上何もしていませんが)。すると、身体は(気分が乗れば)さらに静かな状態に入っていき、そこで休息するように長い時間静まります。何度もターンを待って、何も起きそうもないならば、あきらめます。1次呼吸をただ十分に感じるだけでも、身体にとっては休息になっているので良しとします。無理やり「静まれよ!」みたいなことはしません。

というわけで、名前は違いますが、手順はよく似ています。しいていえば、一般的にはCV4では後頭部、EV4では側頭部に触れる事が多いようです。ただ、どちらも仙骨に触れてでもできるようです。実際、1次呼吸のリズムの狭間にある静止状態が捉えられるかがポイントの技法だとしたら、どこでも良いとは言えないにせよ、触れている部位は頭部にこだわることもないのでしょう。なお、これはあくまで私が習った範囲の内容を私なりの言葉で書いているもので、同名の技法でも別流儀のクラニオでは多分別の方法を使うと思われます。しかるべき手段として体系的に残っているものに関しては、どれかが誤っているわけではなく、方法論や目的が違うだけでしょう。

※(その後の追記)バイオダイナミクス派の場合、技法としては何となく1次呼吸の極がわかることが前提なので、EV4もCV4も、受ける方が落ち着けるポジションならどこでもできます。もっとも、鼻骨や蝶形骨など細かいもしくはデリケートな部分に触れて行うことは難しいと思うので、後頭骨、仙骨、足首辺りで行うのが無難でしょう。
ちなみに、上記で明示していませんが、私が学んだバイオダイナミクス派のCV4、EV4は、1次呼吸の複数あるリズムのうち、一番早いリズムのCRIではなく、ミッドタイド(1分につき1-3サイクル程度)かロングタイド(100秒につき1サイクル程度)のリズムにあわせて行います。

両者の用途、もしくは起こる結果としての違いは、EV4は主に鬱滞しているエネルギーを開放するような働き、CV4は逆に疲れ切った身体にエネルギーをチャージするような働きを起こしやすいと言われています。起こしやすいというだけで、そうなるとも限らないわけですが、まあ、そのような傾向がある気はします。EV4では静まった後に身体からエネルギーがわき上がっていくような感じ、CV4では、静けさの中で身体に滋養が蓄えられて穏やかに目を覚ますという感じでしょうか。臨床の場ではクライアントさんの状態に応じて使い分けられているようです。

※(その後の追記)私が学んだバイオダイナミクス派の場合は、受ける方の身体全体の雰囲気がかなり疲弊している、もしくはかなり活性化していると感じられる場合に主に使用する選択肢となっており、個人的には意外と出番がないスキルです。


まあ、こんな感じです。ただ、よく考えてみれば、これもまた、クラニオ・バイオダイナミクスの最大の特徴が、身体の叡智を信頼して手を加えないことだと主張するのならば、クラニオ・バイオダイナミクス的態度を徹底したときには微妙な立ち位置の技法とも言えるかも知れません。
別に殊更にCV4,EV4どちらかに導こう(導き方が「提案」程度のものだったとしても)としなくても、術者の対応(余計な事しない態度)が適切であるならば、身体は必要に応じてEV4なりCV4なり好きなほうの状態に入るんじゃないだろうか、と思わなくもなかったりします。このあたりは「もう一歩の手助けがあればCV4に入れるとして、その背中を押すべきなのか、信頼して待つべきなのか」といった態度に関わると思われますが、今の私は経験がまだ少ないこともあって、何とも言えません。なんとなく、待ちたいなと思っているというのはあります。

この2つは「クラニオの技法」としては有名ですし、Vスプレッドなどに比べれば、どうしても必要ならば使ってもいいかなとも思いますが、改めて「クラニオ・バイオダイナミクスとは何か?」「私はどんなクラニオ・バイオダイナミクスのセッションを提供したいのか?」を考えるにあたって、いろいろ無視し得ない部分がある立ち位置の技法であることは確かなようです。

■※(その後の追記:2020ver)
最後の部分で過去の私は色々迷っていますが、その後年数が経過し、私の理解の上でも、私が習う講座の内容の上でも、CV4やEV4はセッション中に意識的に行うべきスキルではない、という結論に至っています。

上記の通り、記事を書いた当時の私は、これらのスキルはバイオダイナミクス派が本来目指すはずのスタンスと矛盾するのではという思いを持っており、更なる違和感を覚えていた2014年時点では『バイオダイナミクス派の場合、「CV4はこういう場合使う」等のような、「こういう場合こうする」というハウツー的な選択肢に基本的に頼らず、サザーランド博士が言うところの「静まりて知るべし(Be still and Know)」の方針で万事に対応することが技法的特徴であり、魅力でもあるように感じます。』…というやや控えめなコメントや、『くたびれている・活性化しているように感じられる方の身体システムも、大概は1次呼吸を意識せず、基本的な触れ方をしているだけで、自然とエネルギーを開放したり落ち着いたり、必要なことをしているようだ、と感じることがあり、身体は自然と必要なことを選択していると思うところです』という感想を追記しています。結果的に、当時から感じていた私の違和感は間違っていなかったようです。

セッション中にCV4やEV4の使いどころが事実上ない主な理由としては、どんな形であれ、ある状態にクライアントを意識的に誘導しようとすることで、身体システムの自己調整に用いられるはずのクライアントのエネルギー(ポーテンシー)を消費させてしまい、身体システムが余計疲弊してしまう可能性が高いためです。プラクティショナーの介入の度合いによっては、身体に余計なパターン(不活性ファルクラム)を付与してしまい、調子が悪くなる可能性すらあります。
CV4やEV4は弱っているクライアント向けの方法とありますが、上記の通り、弱っているクライアントに対して多少でも操作や誘導を伴うワークを行うと、余計弱ってしまう可能性が高いので、「そもそも上記のような方法で行うCV4やEV4は、弱っている人に行ってはいけない」といえます。

ちなみに、弱っている方に対するセッション方針としては、極力一次呼吸を探したり意識しようとせず、プラクティショナー自身のスティルネスやプラクティショナーニュートラルに伴う安定感などにつながり、クライアント周辺のフィールド(体の内部の動きではなく)などの存在を軽く意識しつつ、ただ静かに触れているのが良いと思います。劇的な変化が起きなくても、クライアントのポーテンシーの蓄積を結果的に促してくれる可能性が高いと思います。

結論としては、現時点において、CV4、EV4は実際に現場で使うものというより、クラニオの基礎学習の過程で、1次呼吸の多様な表現に慣れ親しんだり、クラニオがワークを発展させていこうとする試行錯誤の道のりを追体験するために(元気な生徒さん同士で)行う「学習用ワーク」の1つといったほうが良いと思います。

[参考文献]クラニオセイクラル・バイオダイナミクス volume1 Franklyn Sills著、高澤昌宏訳、エンタプライズ出版部
※(2014/8)比較的反応が多い記事のようなので、現時点の理解を若干書き足しました。
※(2020/2)習っている教室側の見解もここ数年で大きく変わったため、追記を修正しました。

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前回はクラニオに触れる事になったきっかけについて書きましたが、今回は、そもそも私が「君にはクラニオが向いていると思う」と言われるような場所にいくようになったのかという、前回の記事より更に前の時点の話を簡単に書いてみようかと。

これも結論を言ってしまうと、私は「武術もしくは武術っぽい動きの公開講座をうろうろしているうちに、何故か「気みたいな体感」を色々感じるようになったので、それについて詳しそうな人々の講座を訪ねてみようと思ったから」です。ちょうど知人にそういうことに詳しい人がいたので、エネルギーワークというか、スピリチャル系といいますか、そちら方面の講座も当時うろつく対象に入ったわけです。そうこうしているうちに訪問した先が、先の記事で紹介した、クラニオについて知っている方だったというわけです。数年の放浪の果てにようやく腰を据えて学ぶものが見つかったということですね。ちなみに武術に私が何故興味を持ったのかは自分でもいまいち不明で、それ関連の講座で初めて訪問したのは甲野善紀先生が来られていた「恵比寿稽古会」であり、そこを最初の拠点として色々な身体動作関連の講座の放浪を始めたというのは以前書いたとおりです。


武術稽古もどきの中で「気みたいな体感」を感じるようになった瞬間が、いつどんな風だったかは全く覚えていません。私が当時やっていたのは木刀の素振りとか合気上げみたいなことが主で(ほぼ自己流でしたが)、特別そういう訓練をしたわけではないです。多分ある日突然あまり感動することもなく何となく感じるようになったものと思われます。まあ、これは誰だって感じようと思えば感じられるわけですが(例えば両の掌を向かい合わせ、空気のボールを持っているとイメージするとか)、以前の私はそういうものが嫌だったので、意識的にやってみようと思ったことがなかったわけです。


ただ、嫌だったはずの気やエネルギーなるものに興味が向いたきっかけは確かにあります。それはある稽古会で西野流呼吸法を長年学んでいた方々(サンボなどの武術経験者でもあったため、やってこられたようです)と知り合ったことです。その方々は「気で人を飛ばす」みたいなことをしたのではなく(それをやろうとしたら私は遁走してしまったと思うので、そうならなくて幸いでした)、出会って早々に私の身体(命門)から「凄く気が出ている」みたいなことを言われただけだったのですが、妙にそれが気になってしまったのでした。

そんなことを言われ、この人々の脳内はそうとうやばいんじゃないかと当時の私は思ったものですが、とてもよい人々だったので、彼らの要望に応え、何ヶ月かの間、触れたり崩したりその他色々なことをしばらくしているうちに、どうも彼らの言うところの「気」なるものがおおよそどんな体感を指しているのかが何となく分かるようになったのだろうと思われます。

当時の私が彼らとの交流を経て勝手に理解したのは「気っぽいものは、一定の周波数のようなものを持っているらしい」「人間の肉体の周囲には振動を発するフィールドみたいなものがあって、それは人間の感情などの状態によって微妙に変化するらしい」「そのフィールドに何らか気っぽい感じで働きかけると身体にも影響があるらしい」「たいていの人間は動く寸前に意図のエネルギーみたいなものを発するらしい」といったことです。これはエーテル体の概念とか、エネルギーワークの基礎中の基礎みたいなものが、ちょっと分かったという程度のことで、別に凄い事ではないです。一般の人はそんなものにふだんは誰も注意を向ける気がないだけのことで、多少注意すれば誰でも分かるような内容です。

そういう感覚が面白くなって調子に乗った私は彼らとエネルギーワークごっこみたいなことをしてみたりと悪ノリを始めたので、その勢いでついうっかりエネルギーワーク方面に進出してしまったのだろうと思われます。そういった意味では彼らも私がクラニオに至る道を作ってくれた先生であるのかもしれないですね。


結局、私の主な興味はどちらかというと、エネルギーそのものというより、そういうものを周波数のように発しているらしい人間の精妙な身体や、それを細かに感じる身体感覚そのものだったようで、スピリチャル系講座をうろつく中でエネルギーの扱いを多少学んだり、色々な本を読んだりしたものの、それらに関してはある程自分の中で整理が着いたようで、クラニオを学びはじめて以降は、関連本を漁ることはたまにありますが、エネルギーに関する技術そのものへの興味はだいぶ薄らいだようです。

まあ、当時を振り返ると、その辺りをうろついていたときは、学ぶところもあったと同時に、ある意味自分にとって危機的な時期だったのかも知れないと思う所もあります(そういった世界を否定する意図はありませんが)。ただ、この体当たり体験によって、知識も増えたし、こういった世界を拒否するでも持ち上げるでもなく、おおよそどのように対したらよいかという自分なりの姿勢・立ち位置ができたのは良かったかなと思います。私の歩いてきた道は回り道だらけですが、多分今に至るまでに無駄な出来事はなかったのだろうとも思っています。

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そういえば、私がクラニオを学び始めたきっかけというものを書いたことがない気がしてきたので、今回はその辺を書いてみます。


結論から言ってしまえば「君はクラニオ向いていると思うよ!」と、あるセラピストの方に突然いわれたことがきっかけです。言われた場所はその方の主宰するエネルギーワークのミニワークショップか何かで、相手の周囲の空間(いわゆるエーテル体というやつですか)に触れるようなことをしていたときだったように思います。多分、私の触れ方がへろっとしていて、こいつはなんとなくクラニオのような消極的なワークをやるのに向いていると思ったのかも知れません。
これには、そのセラピストの方が、お会いする度に何か新しい技法を学んでおられる(ように見える)、好奇心と探求心が旺盛な方で、たぶんその時期に、「たまたまクラニオに特に興味があった」ことも影響していると思われます。その1年後くらいに同じ場面が展開した場合、なにか別の技法を紹介されたのではと思います。そういう意味では、本当に偶然としかいいようもない出会いでした。


当時の私もボディワークの名前については普通の人よりは詳しかったはずなのですが、それでも、クラニオという名前は聞いたこともなく、大いに困惑しました。当時の私の困惑を思い返すと、いまだクラニオが多くの方に知られていないことにも、その妙に覚えにくい名前を聞かされて困惑する姿にも、納得するものがあります…。
私は結構慎重もしくは疑り深いところもあるので、この機会にクラニオと出会わず、その後自分で調べてクラニオのことを知ったとしても、「頭に触れる」とか「脳脊髄液が整って云々」のような記述に警戒し、学びには行かなかったのではないか、とも思います。そう思わなかったにしても、有象無象のボディワークのひとつなんだな、で終わってしまったかも知れません。予期せぬタイミングで、「向いてると思う」などと自信満々にいわれてしまったので、私も警戒心を忘れてしまったわけですね。


どこで教えているのか、という私の質問に答えて、件のセラピストの方が紹介してくれたのは「クロニックスチューデンツ」と「てんらい」という団体でした。ボディワークに関わっている方には割と有名な団体だと思います。ちなみに、紹介してくれた方は、今私が所属する団体のことは全く知りませんでした。
そして、それらを紹介して頂いたほぼ直後に「クロニックスチューデンツ」主宰のジム・ジェラス氏(クラニオ・バイオダイナミクスの世界的権威です。当時の私は知るよしもありませんでしたが。)の講演会と、「てんらい」のクラニオ(「てんらい」では、「クレニオ」と呼んでいました。意味は同じです。)体験講座が、近い日付の中で連続してあり、思想と実技の両方の雰囲気を味わえる機会に恵まれたのでした。


向いてると思うといわれてもなお、微妙に警戒していた私にとっては、講演会開催が先だったのも良かったです。ジェラス氏の話はあまり簡単ではなかった気がするのですが(当時のメモが残っていればいいんですが。ちょっと探してみようと思います。)、クラニオは少なくとも深いものや不思議なところを持っている技法だという事はなんとなく理解できたので、多少安心したのだと思います。まあ、こうやって書いてみると、随分と良くできていた出会いだったのだなと感じます。

この辺りも書けばそれなりに長くなりそうなので、はじめてクラニオを体験したときの感想(あまり詳しく覚えていないかも知れないけれど)や、そもそも私は何故、クラニオとの出会いの発端となったエネルギーワークの講座に参加していたのか、といった前後の話などもまた書いてみようと思います。

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今回のお題はクラニオ・バイオダイナミクス技法の1つ「Vスプレッド」について。なお、今回の記事は、私が学んだ教程の公式見解ではなく、私個人の見解が特に多く含まれております…。


このVスプレッドという技法ですが、バイオダイナミクス技法体系の中では珍しく、積極的に相手に働きかけるためのものです。名称にVという謎な文字が入っているのは、この技法の使用時に片手の人差し指と中指をVの字にするからです。でも、使用時は両手を使います。片手は普通に掌を広げ、もう片方の手は前述のV字にします。
用途は縫合(骨と骨の間のすきま)が非常にがっちりとかみあわさり、本来動くはずの骨が全く動かないようなときに、そこにスペースを作る手助けをするためです。簡単に言えば、歪んだ骨同士がひっかかって動くに動けなくなっている状態を動かすため、というところでしょうか。

動かすといっても、もちろんVの字の指で縫合をぐりぐりと開いたりするのではなく、V字になっている側の手は「固まっている部位」にごく軽く振れ、もう片方の手を付近に置き、その手からV字になっている方向になんとなく意識を向けます。ビームで貫くような強い意識は向けません。
クラニオでは「ポーテンシー」と呼ばれる「身体内のエネルギー」みたいな概念があるのですが、それを波のようになんとなく送る感じです。Vスプレッドの「スプレッド」は、それを行うとV字になっている指がなんとなく広がる感じがするので、「拡張する」意味の英語のspreadを用いたということらしいです。
エネルギーを注入するのではなくて、身体内に元々あるエネルギーの流れ(1次呼吸とは別)に方向性を与える、という感じですかね。それを行うと、固まっていた縫合になんとなく動きが生じたり、空間が生まれたりするので、それが確認できたら、後は普通のクラニオセッションに移行して変化を見守る、というわけです。

…大雑把な説明ですが、なまじ詳しく語ってもしょうがないので、解説はこのくらいということで。要は「体内のエネルギーっぽいなにかを何となく流すようなことをして、極めてこわばっている部分を最低限動けるようにする」ための技法という所ですね。


このように書いてみれば分かるように、表向きは相手に介入しないと言っているクラニオバイオダイナミクスにも、「どう考えてもこれは介入しているだろう」という技法はいろいろあるのでした。これから書くブログ記事の中にも多分そういう物がいくつか出てくると思います。

そして、クラニオ初心者の分際で非常に僭越ながら、ですが、個人的には、この技法は確かにやり方は簡単で、受け手の方に負担が多いわけでもないし、実施すればすぐに変化するのも分かるけれど、クラニオ・バイオダイナミクスの原理に忠実であることを優先するならば、この技法を殊更にやらなくてはならない場面や理由はあるのかな、という疑問は少なからずあります。
日々の疲労や身体の使い方の癖による歪み程度ならともかく、通常のクラニオセッションで何が何でも動かないようなそこまで強固な停滞感ならば、「よほどの解消したくない理由」が身体にはあり、身体が今はそれを解消すべく自分からどうしても変化したくないのであれば、そこを術者の意図で一時的に解消し、追加で全身のバランスが整うようケアしたとしても、長期的に見ると必ずしもよい面だけではないのではないか、という漠然とした「違和感」を覚えるためです。

クラニオの話ではないですが、本人の中で解消されない問題は時に「出来事(例えば事故など)」として現れることがある、という意見もあるくらいなので、個人的には「効く」ことだけを理由に安易に使うべきではないのでは、という思いもあります。本当にしんどいならば病院にでも行った方がいい場合もあるかも知れません。


思うに、私の学んだ教程は「そういうツールもある」と選択肢として学生にこれを持たせてくれただけで、それを現場で使うか使わないかは個人の裁量に任されているのだろうと思っています。「このようなややバイオメカニクス的な技法も扱う術者」ならば、多くの方に納得感を与えるセッションもできるのでは、とも思いますしね。
ただ、個人的には、これの存在を否定せず、技法として伝えられたことを意識に置きつつも、実際のセッションではこれを用いず、「介入しないこと」を徹底的に行いたい、という思いがあります。
介入型技能の即効性、ピンポイント性にこだわりたいクライアントさんの場合ならば、介入型技法の精度を長年にわたって磨いてきた、優れたワーカーのかたが世の中には沢山おられるわけなので、そういった方々のワークを活用するほうがより期待に添いやすい部分もあるのでは、とも何となく思いますし。

先日の「クラニオ体験会」に参加頂いた方々とお話しさせて頂く中で、(それぞれ実践されているボディワーク分野ではベテランの方々だったこともあり)いろいろと自分の中が整理され、勉強になることがあったのですが、その中でも、「クラニオ・バイオダイナミクスならでは」の価値観をセッションを通じて提供することが、私なりの活動の意義ではないかなという思いを新たにさせられました。

「非介入」を貫くことにより結果的に示される「身体は適切な手助けにより、自ら道を選ぶことができる」という思い、「身体が自ら起こすこと・選んだことを絶対的に信頼する」という世界観は、私が忘れてはならない大切なものを持っている気がするのでした。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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