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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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最近、クラニオ学習の原点に返ろうと思って、セミナー1のテキストを読み直しています。そうやって読み進めているうちに、頭部に触れる基本的なハンドポジション(相手への触れ方)の幾つかが載っているページまで来たのですが、その触れ方のつもりでやっていた最近の自分のハンドポジションは、テキストのものから微妙に違う形になっていることに気付きました。頭部に触れた時に受ける方の気持ちよさなどを聞きながら手の置き方を変えているので、その繰り返しの中で、最初がどんな形だったかを忘れかけていたようです…。


正確に目的の場所に手を置くことが必要なボディワークも多いと思いますが、クラニオ・バイオダイナミクスの場合はおおむね自分がふれるべきと感じた場所付近に手が置いてあればセッションの流れ上は問題ないようです。触れている部位を緩めることを主目的としているのではなく(結果的に緩むことは多々ありますが)、触れている部位を通して受ける方の身体の全体性につながっていくことや、様々な層の身体全体のバランスの回復を助けることがコンセプトだから、触れ方自体は割と大雑把でも起きることは起きるのでしょう。
実際、無茶なことをしない限り、どこにどう触れていても、全体の様子はある程度わかりますし、クラニオ・バイオダイナミクスのセッションで重要なのは、どちらかというと、細かい触れ方よりは術者自身が介入しない態度や、プラクティショナーニュートラルを維持するスキルでは、という思いもあります。実際、そちらのスキルが大雑把だと色々困ります。


…とはいうものの、今回セミナー1のテキストを見て、「この触れ方は液の流れにつながりやすく…」などと記述されているのを眺めるにつけ、やはりできるだけ正確な触れ方をした方がより良いのでは、という思いもまた涌きつつあります。先人の試行錯誤の末に、バイオメカニクスだけでなくバイオダイナミクスでも、これらの形がスタンダードとされているわけですから、触れた部位を緩めるという目的がなくても、正確なハンドポジションを取ることで、「身体の声によりよく耳を傾ける」といったメリットが得られ、結果的に受ける方の調整の働きがより促進されたり、より楽な変化をできるかもしれない、という思いもあります。


基本的なハンドポジションといっても、頭部のデリケートな部位に触れるので、初心のころにやっていると、押すような意図を持たなくても、受ける方は結構圧迫感を感じたり、やっている自分のかまえが不安定になったりして、やっていてとても不安になってしまうので、基本的だから簡単という印象はありませんでした。まあ、基本というのは重要だから基本といわれているのであって、実はシンプルなようで案外難しいものだと思いますけども、これもその例に漏れずです。もっとも、私はその体験の印象が強く、未だにしっかりと触れることに微妙な抵抗感を持っていて、つい楽な触れ方になってしまう気もしています。

ここに触れるべきと感じた直観を無視したり、無理に形を作って、受ける方がしんどくなったら本末転倒なのですが、ある程度上達した今ならば、そういった形に忠実であると同時に、心地よい触れ方ができるのでは、という気もしています。現状維持で楽な方に流れるのもどうかと思いますし、実際どんな効果があるのか確かめたいという思いもあるので、今後は少しずつチャレンジしていきたいところです。

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1つ前の記事の後半です


なお、こういった問題に関して、クラニオなどに比べると強い刺激(クラニオの刺激が少なすぎるだけですが)を与える技法もあるようですが、仮に強い刺激を使う技法でも、「身体の声を聴いていない」とは言えないと思っています。例えば、最近話題になっている「ロシア武術システマ」のマッサージや、モンゴルの戦士たちが使ったらしいマッサージ術「チュアカ」では、戦場などで戦士が攻撃・ショックを受けた直後や戦場に出る前にに、独特のマッサージで受けた歪みや発生しつつある緊張を取るようです(私は十分理解していないので、詳細は専門家の方に聞いてください)。また、日本の古流武術に伝わってきたという「腱引き」という活法もそういう位置づけの技法のように思います、

これらは、(本来の戦場での用途を想定した場合)ショックを受けた直後に、「不活性なファルクラム」が形をとる前に何とかしてしまおうという考えなのではと思います。すでに出来上がった強固なファルクラムに対してどのくらい有効なのかはわかりませんが、緊急時の対応としてはなかなか効果的なのでは、と思います。
あとは、武術の鍛錬法のうち、決まった姿勢や動作を延々とやっているようなタイプの稽古も、何年かやっていると文字通り姿勢が変わってくるので、これも必ずしも優しい刺激ではないですが、ゆがみや姿勢の改善には密かにかなり役に立つ可能性があると思います。少なくとも、私の場合は稽古をして猫背ではなくなりました…。まあ、こういったゆがみに対しては、かなり強固なものでも、自助努力で何とかできる可能性もありますよ、ということですね。


「不活性なファルクラム」とはまた別の「症状」例としては、手術などのあとで、問題になっている部位は治療が完了したが、その部位が切除なり矯正なりされたことで、体のバランスが崩れている状態(身体が新たなバランスを求めている状態)というのもあるかと思います。まあ、これも病院でゆっくりしていれば大概は何とかなると思いますが、身体全体のバランスを取ることを助けるクラニオ・バイオダイナミクスならば、場合によっては、より効果的な援助が可能かもしれない、と個人的には思っています。症状自体はすでに病院医療で解決していますし、そういった「治療」にクラニオが出張る余地はないので、「身体がバランスを取り戻す援助」というところでしょうか。もちろん、行えるのは手術直後ではなくて、容体がある程度落ち着いてからです。

もし、いつの日か病院とクラニオプラクティショナーが協力し、結果として患者さんの入院期間やその後の社会復帰までの期間が短くて済んだというようなケースができたとしたらすばらしいことではありますが、医療行為ではないですし、現状では病院でやること自体に問題がありそうですね…。


…今回はあまり内容を精査せずに勢いでまとめてみました。結構適当な書き方も多いと思いますが勘弁してやってください。

これを書いていて、結局のところ、ボディワークは、長い目で見て身体の治癒力を高める効果が期待できるといった主張にせよ、辛い状況でも安らぎを得られる、といったリラクセーション的側面にせよ、受ける人が問題だと思ってることは実は問題じゃないんだと理解してもらうような新たな価値観の提供にせよ、やはり、なんらかの「特別なサービス」ではあるわけで、どの辺の領域が得意なのか、「効果」が期待できるとしたらどの辺に可能性があるのか、という視点や考えから逃げるわけにはいかないものだよなあと改めて思いました。そこにあえて答えを用意しないことも含め、術者としての自分なりの見解・スタンスというものは重要なのだろうと思います。

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前の記事の続きシリーズです。今回はトラウマ化などの症状とクラニオ(などのボディワーク)の関連についての覚書です。これまでの記事と重なる内容はありますが…。
今回は主にクラニオとトラウマソリューション「ソマテック・エクスペリエンス」の考えを参考にしています。


まず、「トラウマ化」ですが、これは、(私の理解では)大きなショック(精神的、肉体的どちらでも。精神的なショックも結局は肉体の反応なので)、もしくは中規模のショックを継続的に受け続け、神経が「過活性」になっている状態です。一般に言われる「トラウマ」とは必ずしも一致しません。過活性というのは、興奮している・過敏になっている(交感神経の過活性)以外に、ぐったりして動けない・硬まっている(副交感神経の過活性)も含まれます。

このような場合、肉体自体は緊張はしているにせよ、どこかが損傷したりはしていないと思うので、薬物が使用されることがあると思われますが、時にはデリケートになっている神経系にさらに刺激を追加して混乱させてしまうこともあるようで、個人や症状ごとに相性や効果の差があるようにも思います。効かないのではなく、あまりにも効きすぎるゆえの問題も時にありうるということでしょうか(そういう例もありうるというだけで、投薬に反対しているわけではないです)。

このトラウマ化に関しては、クラニオやほかのボディワークが比較的活躍できる領域ではないかと思います。行うこととしては、肉体への何らかの変化を促すことで、自律神経の過活性状態を通常のバランスのとれた状態に近づける援助ができるということです。これらのワークで症状が消えるかはわかりませんし、なくなるにしても1度や2度のワークでは解決しないかもしれませんが、副作用の心配なく、少しでも楽になる・ひと息つける可能性がある、という意味では価値があるのではと思います。要は、精神の影響は肉体に現れる以上(分かりやすい例だと、頭や胸が痛いとか、全身が緊張しているとか)、肉体に対する無理のないアプローチは、何らかの援助に結びつく可能性が高い、ということでしょうか。


また、トラウマ化と若干似たこととして、「何らかのショックを受けた後の防御反応として起こる、緊張や身体のゆがみのパターン」というものがあるかと思います。こうやってできた緊張・ゆがみの中心となる点を、クラニオでは「不活性なファルクラム」といいます。なんかクラニオの常として、かなり分かりやすさが微妙な表現ですが、とりあえずこのまま呼びます。

前の記事に書いた「偏り疲労」は自分の日常動作や日常生活で溜まる「疲労の一種」と呼んでもよいと思いますが、「不活性なファルクラム」は主に精神的ショックとか、事故のような物理的なダメージとか、何らかの外的要因によって発生することが多い印象を持っています。この場合、歪みといっても、防御反応としてショックを吸収するために体が自発的に行ったことなので、むりに解除することは難しいようです。それでも強引に解除した場合、身体はその「調整」の結果を補償するかのように(まだ身体は緊張を解く準備ができていないんだ、と主張するかのように)、別の部位に緊張を起こしたり、ほどなくして元の状態に戻ってしまうことがしばしばのようです。完全に体の声を無視したやり方を行った場合は初期状態より緊張してしまうこともあるようですが、まあ、そんなことはそうそうないとは思います。

このようなときに、クラニオやその他の身体の声・欲求を聴いて行うボディワークならば、必ず状況を解決できるとは限らないにせよ、身体に十分な準備を与えたうえで無理なく歪みのパターンを軽減できる可能性があるのでは、とは思います。少なくともきちんとやれば身体に負荷が少ない方法ではありますから、余計歪んでしまうようなことは起きないと思います。まあ、この「不活性なファルクラム」も強度はいろいろで、休んだり、時間がたてばなくなる場合もあると思いますし、これ単体で命にかかわることはあまりないとも思うので、日常生活に支障がなければ特別なワークを無理に受ける必要はないかもしれませんが。


長くなったので後半に続きます…

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なんとなく思いつきで、「色々な不調とクラニオのかかわり」みたいなものについて書いてみたので、不完全なりに載せてみます。仮説や推測も含まれており、正確ではない部分もあるかもしれないので、あくまで参考と考えてください。今回は「偏り疲労」についてです。これは野口整体の言葉で、書いている内容は野口晴哉先生の著作や、整体協会の小冊子「月刊全生」の内容を参考にしています。



偏り疲労というのは、日常のからだの使い方による疲労やゆがみ全般というところでしょうか。別の記事でいずれ書くつもりですが、精神的な負担や大きな物理的ダメージを受けることによって身体のパターンとして蓄積する「トラウマ化」のような負荷よりも軽度な、日常生活の身体使いの中で発生する疲労と考えてます。例えば、パソコンを使って目が疲れたとか首が緊張した等です。

そのほか、野口整体で言う「体癖」のような、姿勢や身体の使い方の癖が個々人にはあると思うので、誰にでも先天的に疲労しやすい部位があると思われます。そのため、 多分、究極の良い姿勢(あるのか知りませんが…)をしても体癖がなくなることはなく、超絶的に精密な体の使い方をしても(多少日常の疲労は減るかもしれませんが)一切身体に疲労を生じさせないことは不可能だと思うので、生きている限り疲労したり、どこかがゆがんだり固まったりするのはしょうがないと思われます。シンメトリーな身体の人間なんていないので、自分のゆがみのくせや疲労といかに付き合っていくかを考えた方が建設的かと思われます。


ただ、人体には自ら調整する作用がありますから、軽度な「偏り疲労」なら睡眠や休息、習慣的な運動などでかなりの部分が相殺されているはずです。偏り疲労の蓄積の過程で完全に体の新たなパターンとなった場合(たとえば近視になったとか…)などは、解消が難しいと思いますが、 それはそれで身体が「現在の生活環境に適応」した結果とも言えるので、日常が若干不自由かもしれませんが、身体のバランス全体で見れば結果オーライなのかもしれません。

そして(近視などはとりあえず脇に置いて)、偏り疲労が睡眠による休息程度で対応できず、身体全体に大きなバランス調整が必要なほどに蓄積した場合、野口整体では身体の調整作用の一環として風邪を引き、風邪ではどうしようもないほど疲労が多い場合や、上手に風邪を経過できなかった場合は、別の病気になることで身体は自分に強制的に休息の機会を与えようとすると考えられているようです。なお、どんな病気でもその役割を果たしているのかは不明です。感染症などは違いそうな気もしますし。



なお、風邪を引くたびに自分に対していろいろ実験した結果からの個人的な見解ですが、風邪はひき始めたら、その働きに乗っかって普通に休んだ方が(既に風邪それ自体が回復作用なわけですから)よく、その上にクラニオなどをやっても特に回復が早まることはない気がします。身体は多少楽になる感じがしますが、全体のスパンから見ると多勢に影響なしのようです。個人的には、水分を多めにとって、暖かくして寝るだけです。そういう意味では、日常の軽微な偏り疲労に対してはあまりボディワークの類を殊更に動員しなくてもよいのかもしれません。

偏り疲労に対してのクラニオほかボディワークの役割としては、「疲労がある一定以上蓄積され、かつ風邪による調整が必要になる前段階」での疲労回復や、「日常生活の中で付与され、身体の癖になってしまったパターン」の若干の負荷軽減になら効果があるように思います。もっとも、それらも身体がバランスをとった結果として生じたものであるので、身体の状況を顧みず方よりを「修正」した場合は、その反動で(身体がバランスを取り戻すために)いきなり風邪をひいたりするかもしれませんが。


あとは、具体的にデータがないので明言はできませんが、クラニオほか、ボディワークの類は、野口整体などでいうところの「体の弾力性を保つ」ような効果が見えない部分であるのではと思っています。身体の弾力性というのは、身体の敏感さ・回復力・適応力というところだと思っています。具体的には、色々な環境変化に順応しやすくなる(人づきあいスキルなどはまた別として…)とか、休むべき時に敏感に体が反応するとか、睡眠時の疲労回復能力が十分に発揮されるとか(深い眠りがとりやすいといった意味で、睡眠が短いほうがよいといった意味ではないです)いった意味合いです。
実際、個人的経験としても、プラクティショナーとしての練習などでクラニオを受け続けている人がクラニオを受けた場合、はじめてクラニオを受ける方より身体は短時間で静まりやすいです。もちろん、ゆがみが全然ないわけではないですが、クラニオを受け続けていくうちに、回復する機会をしっかり活用しようとする身体になっている気もします。これは多分ほかのボディワーク、適切な武術の稽古などでも同じでしょう。



…なんだか思った以上に長くなってしまったので今回はこの位にしておきます。
前にも書いた風邪の話題が案外入ってしまいました。まあ、風邪の調整作用というのはなかなかに大きなもので、少々痛かったりしんどかったりはしますが、自分の身体が自分にボディワークをやっているような、文字通りの調整作用なのだと思ったらよいと思います。なお、「風邪の経過方法(風邪の時期の過ごし方)の例」は野口整体の書籍にいろいろ書いてありますが、私自身は参考にするもしないも個人の好みでよかろうと思っています。

ちなみに、なんでこんな記事を書きはじめたかというと、割と前から、(最終的には受ける方の身体が決めることとしても)いったい私はクラニオセッションの主たる目的を結局どこに置いているのか受けることの主なメリットなのかを(受けないとどっか悪くなるぞみたいな脅し文句ではない、自分の言葉で)どう伝えればいいのか、などが私の中でどうもあいまいだなという思いがあり、そこらについて常に考えているところがあります。これはその答えさがしの取り組みの一つみたいなものです。

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心理学者として有名なユングさんの「黄金の華の秘密」を最近読んでいます。気功や東洋医療などに造詣が深い湯浅泰雄氏が翻訳に参加していることもあり、訳者の解説もあって情報が豊富です。

内容は、大雑把にいうと、中国の昔の瞑想法の文献「太乙金華宗旨」に、ユングさんが序文や解説を加えたものです。この書籍をドイツに紹介したのはユングさんではなく、R.ヴィルヘルム氏という中国学の研究者(司祭として中国に渡ったが、東洋文化に魅せられ、中国人の老師について易なども学んだという)で、原典の翻訳はヴィルヘルム氏の手になるそうです。ユングさんはヴィルヘルム氏からその訳文の解説を依頼され、読み込む中で、これまでの(あまり外部に公開しなかった)自分の発見や見解と一致する部分を発見するなどして、その後のユング心理学の体系確立の大きなヒントを得ていったそうです。


私自身は心理学の専門家でもなければ、中国学や瞑想法に特に詳しいわけでもないので、何となく読んでいるだけですが、読んでいて、「クラニオ的(正確には「クラニオ・バイオダイナミクス的」というところですが、面倒なので以下「クラニオ的」とします)」とも取れる表現が色々と見られ、興味深く思いました。

特に感じるところがあったのは、八卦のうち「艮(ごん)」のユングさんによる以下の解説部分です。
「これは瞑想の姿であり、外的なものを静止させることで内面化の過程に生気を与える。したがって、「艮」は、死と生がふれあい、死して生きるあり方が成就される場所である」(「黄金の華の秘密」p141より)


クラニオ(バイオダイナミクス)では、これまで書いてきたように、プラクティショナーが適切に静止し続けることにより、セッションを成立させるための環境・働きが結果的に生み出されます。また、セッションを受ける方の身体も、初めはやや混沌としたリズムを表現していることが多いですが(人によって差はあります)、そのリズムが一度静止したような状態となり、そこから新たな身体のリズムが再び現れる…という過程を大概は経過します。このような特徴と比較する限りにおいては、「外的なものを静止させることで内面化の過程に生気を与える」という表現は、クラニオの特性をうまく表現している気もします。

クラニオセッションを受け、「一度死んで蘇ったかのような感じ」というユニークな感想を持たれた方がありますが、この「艮」のようなエレメント・シンボルの特性と比較すると、その表現もまた、なかなかに的を射たものだったように思われます(もちろんセッションによって心臓が止まったりはしませんが…)。

先ほど挙げたように、クラニオにおける「静止」は、いわゆる「停滞」とは異なり、外的に止まっているようでも、実際は内面には新たな動きを内包している状態といえます。いうなれば、新たな動きを再び表現するために、体が準備している状態です。これは睡眠などの休息にも同じことが言えると思いますが、クラニオでは術者がそこに存在していることにより、普通の睡眠と若干違うことが起きているものと思われます。
いずれにせよ、静止というのは、何事も起きていないようでいながら、実は大変大きなポテンシャルを秘めた状態といえると思います。もちろん、いつまでも止まっていてはだめかもしれませんが、外面が動き続けることとはまた質の違うはたらきが「静止」に存在していることは確かです。停滞と静止の違いというのも、クラニオがぼんやり座っているのとどう違うのか、等のテーマと繋がりそうなので、考えてみると面白そうですが、脱線していきそうなのでここではやめておきます。


ちなみに、(私のにわか知識によると)八卦の8要素はそれぞれ方位や季節と対応しており、「艮」は方位としては北東、いわゆる鬼門にあたります。鬼門というと不吉な感じもしますが、鬼門を警戒するのは日本独特の考えだそうで、中国では特に忌むべき方位ではないようです。季節としては、冬と春の間に相当します。冬のおわりもしくは早春というところでしょうか。

この卦のイメージとしては、冬の動きの少ない時期から、春の芽吹きという新たな創生に向かって力を今にも発動させようとする勢いを秘めたエレメント…という感じではないかと思います。あるいは、陰から陽への転換点、新たなステージに向かうための力を保っている状態などとも言えそうです。まあ、どのように表現するにせよ、「静中動(外見上静かな中に動きが秘められている・中身は動いている)」的な要素を強く持っている卦ではありそうです。

艮が鬼門と言われているのも、陰と陽の「境目」であることから、「異界と現界の門(「鬼」のような異界の存在が通り抜けられる場所・時間)」のようなイメージが含まれるためなのかもしれません。ちなみに、中国の「鬼」というのも日本の化け物としての鬼とは少し異なるようで、もっと深い意味があるような気もします。いかんせん今の私は理解不足のため、かなり推測でものを言ってしまっていますが、このあたりも本をもう少し読み込めば何かわかるかもしれません。
ともかく、八卦の8要素はこのように、それぞれの勢・特性を持っており、「連環する流れの中に現れる諸相」を仮に8種類で表現しているものと思われます。なお、8つが絶対ということもなく、易などではこの八卦を組み合わせ、8*8で64通りの組み合わせを使うそうなので、分けようと思えばいくらでも分解できるようです。


なにやらいろいろ書きましたが、ここに書いたことは私の想像の範疇にすぎないもので、クラニオと八卦、あるいはユング心理学は(おそらく)直接の関係があるわけではなく、あくまで「近いものがある気がする」というだけなのですが、こうやって別の分野で似たような表現を見ると新鮮です。
まあ、何か共通点らしきものが見られるといっても、クラニオがすごい極地に達しているということではなく、各国でそれぞれの身体文化体系が発展する中で、それぞれの民族が無意識のうちに、「静寂の力」や様々な「大いなるはたらき」について似たような表現をしたり、似たような認識で捉えていたということかもしれません。もちろん、実際の表現や使われ方は文化や体系によって大きく異なるとも思います。

そう考えてみると、以前、クラニオは気功と異なる…などとドヤ顔で書いてはみたものの、クラニオと「外気功」とは異なるにせよ、「中国の瞑想」とか「内気功」の世界となら案外共通点もあるのではないか、という気もしてきます(どちらも詳しくないので何とも言えませんが)。新しい情報を得て少し視点が変わると考えも変わるし、世の中本当にうかつに断言できないことでいっぱいです。
このほかにも、この本にはクラニオの質・特徴について考えるにあたって、何やら色々なヒントが含まれているように思うので、また機会があったら何か書いてみようと思います。

参考文献:「黄金の華の秘密」C.G.ユング・R.ヴィルヘルム著、湯浅泰雄・定方昭夫訳、1980、人文書院

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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