クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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◆
クラニオ・バイオダイナミクス(以下クラニオ)はそれ自体でほぼ完結した技法体系と言えますが、やはりやっていると弱点というか難点もあります。今回はそれらの難点から考えてみます。
1点目は、時間がかかること。まともにやると1時間、ポジションを減らしても40分くらいは標準的にかかります。事前事後の会話などを含めれば実質1~2時間かかると思われます。そんなわけで、多人数に効率的にやることは向いていないという悲しさです。なんだかクラニオが普及しづらいのが分かる気も…。
2点目は、人によってはセッションで起こったことが分かりづらい場合があること。最近はあまりありませんが、人によっては「寝た、起きた」「良く判らなかった」という感想の場合もありました。私は受ける側としても何も感じなかったことは基本的になかったこともあり、「わからない」という感想が具体的にどういった体感だったのか(本当に何も起きていないのか、なにかを感じたが言葉にできないのか、何かを感じたが予測と違ったのか、あるいは何か起きたがそれを認識できなかったのか、など)その方々から聴きだせなかったのですが、ボディワーク全体で見れば、クラニオは地な体感をともないやすい技法だというのは分かる気はします。また、何か心地よさを感じられたり、なにか良いと感じても、かなり独特の体感なので、それを言葉に表現するのが難しい、という点も欠点なのかもしれません。
◆
今回の震災もあって考えたのですが、もしクラニオを例えば避難所のような場所で、緊急処置的に大勢の人にやろうと思ったとしても、正規の手順を踏んでいたら、時間がかかりすぎて到底大勢には実施できないのでは、とも思いました。明らかにもの凄く少ない人数しか受けらなそうです。
そんなわけで、もし大勢にやろうと思うならば、形は崩して、それでいて原則からは極端には離れない程度の「簡易版」を行うとしたら、それにはどんなバリエーションがあるだろうかと少し考えてみました。できれば、体感も得られる方が良いという方向で。
◆案1
大勢にやる案1としては、統合のためのポジションとして主に使われる「足」のポジションだけ行う方法があるかなと思いました。身体の局部の変化ではなく、「身体システム全体の緩やかな変化と自然な落ち着き」を期待するには、数分では足りないにせよ、身体の都合次第とはいえ、15~20分くらいあれば何とか形になる気がします。少なくとも30分以内にはなにか実感が得られるくらいのことは起こりやすいのでは、と思います。
主にCRIにフォーカスするメカニカル度が高いクラニオならば、より短時間でまとめる手法があると思いますが(これはメカニカルなクラニオの強みと言えます)、バイオダイナミクスの場合は受ける方の身体の都合次第なので、上記に記載した以上の時間短縮は難しいかな、と思います。
◆案2
案2として考えたのが、背中や腕などを軽くマッサージし、しかる後に「足」のポジションで落ち着いていくという方法です。クラニオを共に学ぶ同期もこういう方法でやることがあるみたいです。これだと、身体に軽い刺激を与えておいて、それをできるだけ穏やかにまとめていくような形になるので、多少実感もあって良いかも知れません。
ただ、所用時間は「足」だけではないので、そこそこかかりそうです。あとは、私自身も含め、クラニオの術者がマッサージを習ったことはない場合も多いと思われるので、納得できるようなマッサージができるかや、何と言って紹介すればいいのかなどに困難さを感じそうです(「簡易マッサージ+簡易クラニオ」などでしょうか?)。
他には、短時間で終わらせられる他のボディワークやエネルギーワークの後に、「まとめ」「統合」として「足」ポジションを補助的に使うといった余地もあるのかも知れませんが、組み合わせの相性などもあるかもしれないので、何と合体させても良いという事にはならないのかもしれません。
◆まとめ
…と、考えてみましたが、今の私の頭ではこんな感じの案しか思いつきませんね。短時間で多くの人にやるという機会自体があるのかは非常に謎ですが、とりあえず考えるだけ考えてみました、というところです。
追記 2013/10 言い回し修正。なお、2013年夏のイベントで比較的短時間でクラニオを何名かの方に実施する機会があり、30分あれば結構色々実感してもらえる事は判りました。この記事を書いた時は単なる思い付きを書いただけでしたが、考えておいて悪いことはなかったようです。
クラニオ・バイオダイナミクス(以下クラニオ)はそれ自体でほぼ完結した技法体系と言えますが、やはりやっていると弱点というか難点もあります。今回はそれらの難点から考えてみます。
1点目は、時間がかかること。まともにやると1時間、ポジションを減らしても40分くらいは標準的にかかります。事前事後の会話などを含めれば実質1~2時間かかると思われます。そんなわけで、多人数に効率的にやることは向いていないという悲しさです。なんだかクラニオが普及しづらいのが分かる気も…。
2点目は、人によってはセッションで起こったことが分かりづらい場合があること。最近はあまりありませんが、人によっては「寝た、起きた」「良く判らなかった」という感想の場合もありました。私は受ける側としても何も感じなかったことは基本的になかったこともあり、「わからない」という感想が具体的にどういった体感だったのか(本当に何も起きていないのか、なにかを感じたが言葉にできないのか、何かを感じたが予測と違ったのか、あるいは何か起きたがそれを認識できなかったのか、など)その方々から聴きだせなかったのですが、ボディワーク全体で見れば、クラニオは地な体感をともないやすい技法だというのは分かる気はします。また、何か心地よさを感じられたり、なにか良いと感じても、かなり独特の体感なので、それを言葉に表現するのが難しい、という点も欠点なのかもしれません。
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今回の震災もあって考えたのですが、もしクラニオを例えば避難所のような場所で、緊急処置的に大勢の人にやろうと思ったとしても、正規の手順を踏んでいたら、時間がかかりすぎて到底大勢には実施できないのでは、とも思いました。明らかにもの凄く少ない人数しか受けらなそうです。
そんなわけで、もし大勢にやろうと思うならば、形は崩して、それでいて原則からは極端には離れない程度の「簡易版」を行うとしたら、それにはどんなバリエーションがあるだろうかと少し考えてみました。できれば、体感も得られる方が良いという方向で。
◆案1
大勢にやる案1としては、統合のためのポジションとして主に使われる「足」のポジションだけ行う方法があるかなと思いました。身体の局部の変化ではなく、「身体システム全体の緩やかな変化と自然な落ち着き」を期待するには、数分では足りないにせよ、身体の都合次第とはいえ、15~20分くらいあれば何とか形になる気がします。少なくとも30分以内にはなにか実感が得られるくらいのことは起こりやすいのでは、と思います。
主にCRIにフォーカスするメカニカル度が高いクラニオならば、より短時間でまとめる手法があると思いますが(これはメカニカルなクラニオの強みと言えます)、バイオダイナミクスの場合は受ける方の身体の都合次第なので、上記に記載した以上の時間短縮は難しいかな、と思います。
◆案2
案2として考えたのが、背中や腕などを軽くマッサージし、しかる後に「足」のポジションで落ち着いていくという方法です。クラニオを共に学ぶ同期もこういう方法でやることがあるみたいです。これだと、身体に軽い刺激を与えておいて、それをできるだけ穏やかにまとめていくような形になるので、多少実感もあって良いかも知れません。
ただ、所用時間は「足」だけではないので、そこそこかかりそうです。あとは、私自身も含め、クラニオの術者がマッサージを習ったことはない場合も多いと思われるので、納得できるようなマッサージができるかや、何と言って紹介すればいいのかなどに困難さを感じそうです(「簡易マッサージ+簡易クラニオ」などでしょうか?)。
他には、短時間で終わらせられる他のボディワークやエネルギーワークの後に、「まとめ」「統合」として「足」ポジションを補助的に使うといった余地もあるのかも知れませんが、組み合わせの相性などもあるかもしれないので、何と合体させても良いという事にはならないのかもしれません。
◆まとめ
…と、考えてみましたが、今の私の頭ではこんな感じの案しか思いつきませんね。短時間で多くの人にやるという機会自体があるのかは非常に謎ですが、とりあえず考えるだけ考えてみました、というところです。
追記 2013/10 言い回し修正。なお、2013年夏のイベントで比較的短時間でクラニオを何名かの方に実施する機会があり、30分あれば結構色々実感してもらえる事は判りました。この記事を書いた時は単なる思い付きを書いただけでしたが、考えておいて悪いことはなかったようです。
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身体に関するワークにしろ、武術の稽古にしろ、「自分の心身にとっての基準点」を、色々な形で身体に理解させる面があるのかなと、最近何となく思っています。ここでいう基準点というのは、自分にとっての心身の中心がどの辺にあるかが分かる「なんかの基準」です。捉え方も、種類も多分非常に色々ありますので、かなり大雑把な表現をしてます。
身体の状態にしろ、思想にしろ、感情などにしろ(個人的にはこれら全て身体の状態と繋がりがあると思っていますが)、ふとしたきっかけで、誰しも、いつの間にか妙な方向に向かったり、行き過ぎちゃうことがあるかもしれない。私もそうです。いつまでも同じ事を根に持っていたとか、自分の身体の左右の動作に凄いぶれがあったとか…(別にそれらが悪いって意図ではないです)。
そういった時に「基準点」を身体が覚えていれば、なにかで行き過ぎてしまっても「おお、いかんいかん」と、割とすぐに、無理のない状態に戻りやすくなるかもしれない、と思うわけです。特に何もしなくても、人は中立的な状態に戻る力をある程度持っていると思いますが、そういった基準点が稽古やワークを通じてより明確になっていけば、「中心に戻ってきたつもりが思いきり明後日の方向にいた」といった状況も減って、楽に過ごしやすいんじゃないかなと。クラニオの役割もそういった「戻る場所」を受けた人の身体に考えさせる部分が大きいのかもしれない。
武術の型やそれに類する質の高い鍛錬法などは、「基準」としてのはたらきが分かりやすいかもしれない。それらの形は変わらないから、適切に取り組むことで、現在の自分の姿勢や動作にどの程度癖があるか、今日の自分の状態はどんな風になっているかを把握することもできるのではと思います。同時に、それらをやっているうちに、型をやっていない時でも、自分の身体の基準点が前よりはっきりわかるようになってきて(例えば、正中線や重心の落ち具合、呼吸の状態、意識の場所など、色々あると思います)、自分の身体のぶれ、ひいては、自分全体のぶれが小さくなっていく、ということもあると思います。まあ、漫然とやっていると分からないかも知れないので、丁寧に取り組む必要はあると思いますが。
クラニオの場合は、受け手の方にセッション中に触れてもらう「1次呼吸のリズム」や「ニュートラルな身体状態(身体が尋常でなく落ち着いた状態とでも思えばいいです)」といったものが「基準」になりますかね。それらの普段あまり接しない基準点を理解した上で、受け手の方の身体に、どう変わっていけばいいか、どの方向に行けばいいかを選んでもらう、というところですかね。相変わらず抽象的ですが…。
そう考えると、相手の方に働きかける能動的なワークは「基準点にいる状態」をいきなり体験させて、身体にヒントを与えるような物、クラニオのような受動的なワークは「ある基準点の位置を示して、そこまで歩いてもらおうとするもの」などともいえるかもしれないですね。他にも色々な区分があると思います。ただ、おそらく、この「基準点」というのは、分野ごとに内実も違うだろうし、同じ事やっても人それぞれで結構違うだろうけども、勝手な想像で「作り出す」ものではなく、もともと自分の内に秘められており、それを「探し出す」性質を持つという点では、ほとんどの分野で共通なんじゃないかなとも思っています。
なお、クラニオをやる人の「基準点」は「プラクティショナーニュートラル」という言葉で表現されることがあり(他にもクラニオでいう「ニュートラル」には、いくつかの種類があります)、それが今作成中の私のクラニオ論文テーマであったりするのですが、最近はそういった「基準点」について考えさせられているわけでした。
身体の状態にしろ、思想にしろ、感情などにしろ(個人的にはこれら全て身体の状態と繋がりがあると思っていますが)、ふとしたきっかけで、誰しも、いつの間にか妙な方向に向かったり、行き過ぎちゃうことがあるかもしれない。私もそうです。いつまでも同じ事を根に持っていたとか、自分の身体の左右の動作に凄いぶれがあったとか…(別にそれらが悪いって意図ではないです)。
そういった時に「基準点」を身体が覚えていれば、なにかで行き過ぎてしまっても「おお、いかんいかん」と、割とすぐに、無理のない状態に戻りやすくなるかもしれない、と思うわけです。特に何もしなくても、人は中立的な状態に戻る力をある程度持っていると思いますが、そういった基準点が稽古やワークを通じてより明確になっていけば、「中心に戻ってきたつもりが思いきり明後日の方向にいた」といった状況も減って、楽に過ごしやすいんじゃないかなと。クラニオの役割もそういった「戻る場所」を受けた人の身体に考えさせる部分が大きいのかもしれない。
武術の型やそれに類する質の高い鍛錬法などは、「基準」としてのはたらきが分かりやすいかもしれない。それらの形は変わらないから、適切に取り組むことで、現在の自分の姿勢や動作にどの程度癖があるか、今日の自分の状態はどんな風になっているかを把握することもできるのではと思います。同時に、それらをやっているうちに、型をやっていない時でも、自分の身体の基準点が前よりはっきりわかるようになってきて(例えば、正中線や重心の落ち具合、呼吸の状態、意識の場所など、色々あると思います)、自分の身体のぶれ、ひいては、自分全体のぶれが小さくなっていく、ということもあると思います。まあ、漫然とやっていると分からないかも知れないので、丁寧に取り組む必要はあると思いますが。
クラニオの場合は、受け手の方にセッション中に触れてもらう「1次呼吸のリズム」や「ニュートラルな身体状態(身体が尋常でなく落ち着いた状態とでも思えばいいです)」といったものが「基準」になりますかね。それらの普段あまり接しない基準点を理解した上で、受け手の方の身体に、どう変わっていけばいいか、どの方向に行けばいいかを選んでもらう、というところですかね。相変わらず抽象的ですが…。
そう考えると、相手の方に働きかける能動的なワークは「基準点にいる状態」をいきなり体験させて、身体にヒントを与えるような物、クラニオのような受動的なワークは「ある基準点の位置を示して、そこまで歩いてもらおうとするもの」などともいえるかもしれないですね。他にも色々な区分があると思います。ただ、おそらく、この「基準点」というのは、分野ごとに内実も違うだろうし、同じ事やっても人それぞれで結構違うだろうけども、勝手な想像で「作り出す」ものではなく、もともと自分の内に秘められており、それを「探し出す」性質を持つという点では、ほとんどの分野で共通なんじゃないかなとも思っています。
なお、クラニオをやる人の「基準点」は「プラクティショナーニュートラル」という言葉で表現されることがあり(他にもクラニオでいう「ニュートラル」には、いくつかの種類があります)、それが今作成中の私のクラニオ論文テーマであったりするのですが、最近はそういった「基準点」について考えさせられているわけでした。
いくつか前の記事で書いたとおり、猫のいるお宅にセッションにうかがったとき、セッション中のいいタイミングに、その猫がベッドに登ってきた、ということがありました。そして先日、再びそのお宅を訪問したところ、その猫は最初からベッドの隅の方に待機していました。飼い主の方によると、私がその家を訪問する1分くらい前に突然ベッドに飛び乗ったとのこと。賢い猫です。動物は遠くからでも、個別の人の気配も分かるのでしょうね。思うに、野生動物が敵の姿を見た後でしか動くしかできなかったら危険なんか避けられないでしょうし、人間だって背後の攻撃の気配くらいは普通に分かるわけですから、動物が敏感なのはまあ、当たり前でしょうね。
今回、この猫は私がセッションをしている間中、ベッドの端でおとなしく座ったり、寝たりしており、セッション終了後は満足したようにベッドから降りていきました。原因はあいかわらず不明です。クラニオによって創られる場みたいなものがやっぱり気に入っているんだろうな、と思うのみです。他に気になる点としては、この猫は、クラニオが始まると、しばしばしきりに臭いをかいでいることがあります。クラニオセッションが始まると何か空気の臭いが変わるんでしょうか。クラニオは通常、およそ臭いとほど遠い技術ですが、セッションにより特別な臭いが立ち上るというよりは、猫はセッションの進行による何がしかの変化を鼻で感じようとしているのかも知れないとも思います。この体験ではほのぼのしたというくらいで、何が分かったということもなく、特にオチもないですが、まあ、こんな都会でも動物の野生(?)のようなものに触れていると嬉しいですね。
ちなみに動物といえば、前のwith猫セッション記事を書いた後、クラニオをやっている知人に、飼い犬にセッションをしたという話を聞くことができました。それによると、犬は受けるまでは抵抗を示していたものの、無理やりつかまえてやってしまった(?)ところ、眠り始めたそうです。もっとも、無理やりつかまえてやったのがまずかったのか、それ以降はやらせてくれなかったようです。クラニオをやっている別の方は、最初は飼い犬はクラニオをあまり好まなかったが、老犬になった最近は、かなりリラックスして眠りつつ受けているようだ、とのことでした。とりあえず、受けてさえくれれば、動物にも実感はあるみたいですね。まあ、私が10匹くらいの猫の前でクラニオをやったとして、10匹全てが寄ってくるわけでもあるまいし、結局は動物にも、ワーク自体や、それをやる人の好みがあるんでしょうね。
今回、この猫は私がセッションをしている間中、ベッドの端でおとなしく座ったり、寝たりしており、セッション終了後は満足したようにベッドから降りていきました。原因はあいかわらず不明です。クラニオによって創られる場みたいなものがやっぱり気に入っているんだろうな、と思うのみです。他に気になる点としては、この猫は、クラニオが始まると、しばしばしきりに臭いをかいでいることがあります。クラニオセッションが始まると何か空気の臭いが変わるんでしょうか。クラニオは通常、およそ臭いとほど遠い技術ですが、セッションにより特別な臭いが立ち上るというよりは、猫はセッションの進行による何がしかの変化を鼻で感じようとしているのかも知れないとも思います。この体験ではほのぼのしたというくらいで、何が分かったということもなく、特にオチもないですが、まあ、こんな都会でも動物の野生(?)のようなものに触れていると嬉しいですね。
ちなみに動物といえば、前のwith猫セッション記事を書いた後、クラニオをやっている知人に、飼い犬にセッションをしたという話を聞くことができました。それによると、犬は受けるまでは抵抗を示していたものの、無理やりつかまえてやってしまった(?)ところ、眠り始めたそうです。もっとも、無理やりつかまえてやったのがまずかったのか、それ以降はやらせてくれなかったようです。クラニオをやっている別の方は、最初は飼い犬はクラニオをあまり好まなかったが、老犬になった最近は、かなりリラックスして眠りつつ受けているようだ、とのことでした。とりあえず、受けてさえくれれば、動物にも実感はあるみたいですね。まあ、私が10匹くらいの猫の前でクラニオをやったとして、10匹全てが寄ってくるわけでもあるまいし、結局は動物にも、ワーク自体や、それをやる人の好みがあるんでしょうね。
◆賢い猫
今日はクライアントさんのお宅に伺ってセッションをしました。そして、セッションを初めてしばらくしたら、クライアントさんの飼い猫が、ベッドに上がって眠り始めました。しかも、その猫は、最初は周囲で臭いをかいでいるだけだったのが、私が「ロングタイド」を感じ始めるや、おもむろにベッドに上がってきて、その後、私がセッションに心地よさを覚えた時には眠っているというタイミングの良さ。おそらく、セッションが「ロングタイド」にシフトしたことが猫には離れていても分かったのでしょう。実に賢いです。見事な感覚です。というか、私よりも明らかに分かってるようです…。動物はこういった見えざる働きに対しては人間より遥かに鋭敏な感覚を持っているんでしょうね。
ちなみに、「ロングタイド」というのは、これまでたびたび書いてきた「1次呼吸」の種類のひとつで、その中でも微風が吹いているかのように感じられる、大変微細でゆっくりしたリズムです。肉体そのものの動きというより、肉体周囲に存在する(といわれる)エネルギーフィールドの層の動きとされています。胎生学的にはこのロングタイドの働きとエネルギーフィールドをガイドにして、胎児の肉体は徐々に作られていくともいわれています。また、クラニオのセッションはやる人を中心に周囲数メートルくらいの射程(?)があり、クラニオが行われている部屋の隅の方に座っているだけでも、非常に眠くなったり、寝てしまったりすることがあります。ゆえに、直に触れていない人(動物)にも、触れている人ほどではないにせよ、クラニオの影響はある程度は及んでいるものと思われます。原理は不明ですが。
◆動物へのワーク
ロングタイドについてはともかく、この体験で改めて興味が湧いたのが、動物に対するワークについて。知人からはクラニオが好きな猫や、エネルギーワークが好きな猫がいるという話は聞いたことがあるので、少なくとも猫はそういった細かな(手応えがないともいう)ワークが好きなのかも知れないと思わせるものはあります。私の周りには猫好きな人が多く、犬や兎や鳥など、他のペットの事例を聞いたことがないので、全ての動物に共通かは不明ですが…(魚なんかは触れないから無理か)。もっとも、今回のケースでは、猫にダイレクトに触れていないから、猫もあまり警戒せずに興味を持ったということもあるとは思います。やはりダイレクトに触れるとなると、やる側と動物との相性や、その動物自身の人への慣れ具合などもあると思うので、簡単にいかないケースも多いと思います。
ただ、いずれにせよ、動物がワークをしているところに寄ってきたり、傍で眠ったりするのは、何がしか好ましいものをワークに感じているためだろうとは思います。動物が健康によいと思うから来るのか、単に好きだから来るのか、その辺りは動物に聞いてみるほか無く不明です。まあ、動物は本来ボディワークなどは必要ない(というか、そういう概念自体ない)んでしょうけども、最近のペットはストレスを溜めたりすることもあるみたいだし、定期的にやっていれば、免疫力が高まるなど(「そうかもしれない」としかいえないですが)動物の健康に寄与する部分もあるかも知れないので、実は案外潜在的な需要はあるのかも知れないとも思います。
ちなみに、私自身は外で武術の稽古をしていても、気がつくと何故か猫や鳥などの動物に近くで見物されていることがしばしばあるので、動物がワークをやってる人の側に来るというのは、ワークそのものの影響度に加え、そのワークを使う人自身の状態も関係しているといえるかも知れないですね。
今日はクライアントさんのお宅に伺ってセッションをしました。そして、セッションを初めてしばらくしたら、クライアントさんの飼い猫が、ベッドに上がって眠り始めました。しかも、その猫は、最初は周囲で臭いをかいでいるだけだったのが、私が「ロングタイド」を感じ始めるや、おもむろにベッドに上がってきて、その後、私がセッションに心地よさを覚えた時には眠っているというタイミングの良さ。おそらく、セッションが「ロングタイド」にシフトしたことが猫には離れていても分かったのでしょう。実に賢いです。見事な感覚です。というか、私よりも明らかに分かってるようです…。動物はこういった見えざる働きに対しては人間より遥かに鋭敏な感覚を持っているんでしょうね。
ちなみに、「ロングタイド」というのは、これまでたびたび書いてきた「1次呼吸」の種類のひとつで、その中でも微風が吹いているかのように感じられる、大変微細でゆっくりしたリズムです。肉体そのものの動きというより、肉体周囲に存在する(といわれる)エネルギーフィールドの層の動きとされています。胎生学的にはこのロングタイドの働きとエネルギーフィールドをガイドにして、胎児の肉体は徐々に作られていくともいわれています。また、クラニオのセッションはやる人を中心に周囲数メートルくらいの射程(?)があり、クラニオが行われている部屋の隅の方に座っているだけでも、非常に眠くなったり、寝てしまったりすることがあります。ゆえに、直に触れていない人(動物)にも、触れている人ほどではないにせよ、クラニオの影響はある程度は及んでいるものと思われます。原理は不明ですが。
◆動物へのワーク
ロングタイドについてはともかく、この体験で改めて興味が湧いたのが、動物に対するワークについて。知人からはクラニオが好きな猫や、エネルギーワークが好きな猫がいるという話は聞いたことがあるので、少なくとも猫はそういった細かな(手応えがないともいう)ワークが好きなのかも知れないと思わせるものはあります。私の周りには猫好きな人が多く、犬や兎や鳥など、他のペットの事例を聞いたことがないので、全ての動物に共通かは不明ですが…(魚なんかは触れないから無理か)。もっとも、今回のケースでは、猫にダイレクトに触れていないから、猫もあまり警戒せずに興味を持ったということもあるとは思います。やはりダイレクトに触れるとなると、やる側と動物との相性や、その動物自身の人への慣れ具合などもあると思うので、簡単にいかないケースも多いと思います。
ただ、いずれにせよ、動物がワークをしているところに寄ってきたり、傍で眠ったりするのは、何がしか好ましいものをワークに感じているためだろうとは思います。動物が健康によいと思うから来るのか、単に好きだから来るのか、その辺りは動物に聞いてみるほか無く不明です。まあ、動物は本来ボディワークなどは必要ない(というか、そういう概念自体ない)んでしょうけども、最近のペットはストレスを溜めたりすることもあるみたいだし、定期的にやっていれば、免疫力が高まるなど(「そうかもしれない」としかいえないですが)動物の健康に寄与する部分もあるかも知れないので、実は案外潜在的な需要はあるのかも知れないとも思います。
ちなみに、私自身は外で武術の稽古をしていても、気がつくと何故か猫や鳥などの動物に近くで見物されていることがしばしばあるので、動物がワークをやってる人の側に来るというのは、ワークそのものの影響度に加え、そのワークを使う人自身の状態も関係しているといえるかも知れないですね。
◆今日の言い訳
先週くらいから、クラニオ論文の作成を開始しました。そして、予想通り、こちらのブログは若干更新が適当になりつつあります…。
このブログには当初はクラニオにまつわる「ためになる系」のことを書こうかと思ったんですけども、自分が気が向かない時に書いたものをあとで読み返してみると、無理やり感があったり、手抜きだったり、妙に「自信過小」だったりしていて、いつも真面目というのは、なかなか難しい。ただでさえ、シリアスな(そして、多分世の中の大勢の方には共感が困難な)内容を書こうとすると、適当なことを書いてはいかんと思い、しかも堅苦しい文体も嫌だと思うので半端に手抜き感溢れる文になり、妙な方向に気合いを入れて長文を書き疲労するというパターンに陥りがちなので、論文取り組み中(当分続きますが)は、もうすこし適当な方向で書こうと思っています。
普段やることがなく、だらけているような時期ならば、己に喝を入れるべく、真面目な内容を書く意欲も湧こうというものですが、さすがに論文を書いたりしていると「真面目成分」はそちらで十分満喫しているので、こっちまで真面目文は手が回りにくいというわけです。基本的に効率よく動いて、空き時間で怠けることを好む人ですので。
◆論文です
…というわけで、論文ですが、これは(前にも書いた気がしますが)、我が学ぶ団体「ICSB」のクラニオの正規プラクティショナー資格と国際資格を、来年セットで得るために必要なものでして、重要です。でも、論文といっても、大学院の修士論文とか学会の研究発表ほど厳密な構成や論理展開が必要というわけでもないです。ここまでクラニオを学んできた集大成として、ある程度の分量を論文の形式に則って書いてねと言う程度なので、まあ、この数年クラニオってきた(造語)自分を振り返るのにはちょうど良い機会という奴でしょう。
私は、武術稽古も好きなので、この機会に武術ネタを無理やりでもクラニオ論文に登場させてやろうという妙な意欲を燃やし、両者の合体が可能そうな「プラクティショナーニュートラル」というテーマを選びました。プラクティショナーニュートラルというのは、簡単に言えば、クラニオやる側の人にとって必須の、姿勢や意識の置き方によって生じる安定した身体感覚のことですね。これがきちんとしていると、セッションに必要な心身の静まりや安定感、状況把握力、強い同調感などのサポートが自然と得られます。これは(…あるていど)できていなければクラニオじゃない!、というくらい重要ですが、原理原則を習っても、初心の頃は、これが結構ぐらぐらしていたり、逆に身体が固まっていたり、明後日の方向に意識が飛んで自分だけ気持ちよくなったり、受ける相手のフィールドに突っ込んだりしがちなわけですが、それがどんな風に上手になっていくのかを自分の痛い経験(私も最初は前述の如き状態でしたし、今も完璧でない時はままあります…)も踏まえて偉そうに書いてみよう、というわけです。
なお、無理やり武術要素を投入する部分は、「稽古が進むにつれ自分の中のコアな身体感覚がどんな風に深まっていったか」を自分の稽古経験を交えて書くという形になる予定です。なんせ私はたいした技が出来ませんので、妙にうがった視点です。ここは屁理屈派として、もっともらしさ抜群の「猫の妙術」なども引用してやろうかとも思っています。で、両者(どっちも「身体感覚」つながりですので)の進展・深化過程を比べて、身体感覚といういかにも暗黙的で訳の分からない物が、熟練につれてどんな風に深化するのかが、2つの視点を通じて少し明示化できれば面白いかなと思っています。
で、論文を書き始めたところ、また妙に気合いが入ってしまったようで、前書きと、冒頭部分で「プラクティショナーニュートラルって何だ」と書くのだけに1万字くらいを使ってしまいました。まだぜんぜん本論に達してません。とりあえず、文章量は心配しなくて良さそうだと思いました。この辺の進捗は…書きたい時に書きます。書かないかも知れません。…とまあ、こんな風にダラダラ書くのが無駄に文が長くなる一因なんでしょうな。
先週くらいから、クラニオ論文の作成を開始しました。そして、予想通り、こちらのブログは若干更新が適当になりつつあります…。
このブログには当初はクラニオにまつわる「ためになる系」のことを書こうかと思ったんですけども、自分が気が向かない時に書いたものをあとで読み返してみると、無理やり感があったり、手抜きだったり、妙に「自信過小」だったりしていて、いつも真面目というのは、なかなか難しい。ただでさえ、シリアスな(そして、多分世の中の大勢の方には共感が困難な)内容を書こうとすると、適当なことを書いてはいかんと思い、しかも堅苦しい文体も嫌だと思うので半端に手抜き感溢れる文になり、妙な方向に気合いを入れて長文を書き疲労するというパターンに陥りがちなので、論文取り組み中(当分続きますが)は、もうすこし適当な方向で書こうと思っています。
普段やることがなく、だらけているような時期ならば、己に喝を入れるべく、真面目な内容を書く意欲も湧こうというものですが、さすがに論文を書いたりしていると「真面目成分」はそちらで十分満喫しているので、こっちまで真面目文は手が回りにくいというわけです。基本的に効率よく動いて、空き時間で怠けることを好む人ですので。
◆論文です
…というわけで、論文ですが、これは(前にも書いた気がしますが)、我が学ぶ団体「ICSB」のクラニオの正規プラクティショナー資格と国際資格を、来年セットで得るために必要なものでして、重要です。でも、論文といっても、大学院の修士論文とか学会の研究発表ほど厳密な構成や論理展開が必要というわけでもないです。ここまでクラニオを学んできた集大成として、ある程度の分量を論文の形式に則って書いてねと言う程度なので、まあ、この数年クラニオってきた(造語)自分を振り返るのにはちょうど良い機会という奴でしょう。
私は、武術稽古も好きなので、この機会に武術ネタを無理やりでもクラニオ論文に登場させてやろうという妙な意欲を燃やし、両者の合体が可能そうな「プラクティショナーニュートラル」というテーマを選びました。プラクティショナーニュートラルというのは、簡単に言えば、クラニオやる側の人にとって必須の、姿勢や意識の置き方によって生じる安定した身体感覚のことですね。これがきちんとしていると、セッションに必要な心身の静まりや安定感、状況把握力、強い同調感などのサポートが自然と得られます。これは(…あるていど)できていなければクラニオじゃない!、というくらい重要ですが、原理原則を習っても、初心の頃は、これが結構ぐらぐらしていたり、逆に身体が固まっていたり、明後日の方向に意識が飛んで自分だけ気持ちよくなったり、受ける相手のフィールドに突っ込んだりしがちなわけですが、それがどんな風に上手になっていくのかを自分の痛い経験(私も最初は前述の如き状態でしたし、今も完璧でない時はままあります…)も踏まえて偉そうに書いてみよう、というわけです。
なお、無理やり武術要素を投入する部分は、「稽古が進むにつれ自分の中のコアな身体感覚がどんな風に深まっていったか」を自分の稽古経験を交えて書くという形になる予定です。なんせ私はたいした技が出来ませんので、妙にうがった視点です。ここは屁理屈派として、もっともらしさ抜群の「猫の妙術」なども引用してやろうかとも思っています。で、両者(どっちも「身体感覚」つながりですので)の進展・深化過程を比べて、身体感覚といういかにも暗黙的で訳の分からない物が、熟練につれてどんな風に深化するのかが、2つの視点を通じて少し明示化できれば面白いかなと思っています。
で、論文を書き始めたところ、また妙に気合いが入ってしまったようで、前書きと、冒頭部分で「プラクティショナーニュートラルって何だ」と書くのだけに1万字くらいを使ってしまいました。まだぜんぜん本論に達してません。とりあえず、文章量は心配しなくて良さそうだと思いました。この辺の進捗は…書きたい時に書きます。書かないかも知れません。…とまあ、こんな風にダラダラ書くのが無駄に文が長くなる一因なんでしょうな。
プロフィール
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
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