クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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私は今年は何かを引き継ぐとか、それを後の人に伝える・残すといったテーマについて考えさせられる機会が多かったのですが、それに近いクラニオの話題として、他のプラクティショナーの方と話しているとき、仮に次の世代にICSB流クラニオを教えるとしたら何が重要なのか、という話が出たことがありました。
クラニオの場合、形・手順は必要ですが、学習者はそれだけ覚えてもあまり意味がなく、(何せ見た目上は相手に触れて静かにじっとしているだけなので)ICSBクラニオならではの質感ともいえるコアな部分が伝わることが重要では、という話の流れになったのですが、いざそういわれると、「コアな部分」って何だろう、と考え込んでしまいました。
クラニオに限らず、人が身体を使って行う特定流派の技術は、うまい下手の差はあっても、同門の人がその技術を行えば「概ね共通の結果(相手による違い等は度外視して)」と、質感として現れる「その技術・流派らしさ」があり、技術の手順なども含め、それらをなしているものが「コアな部分」で、教える側としては、創始者ほどでないにせよ、自らその「らしさ」を(知識としてだけでなく)体現して見せるのが重要だろう、というのが、その場の一応の結論でした。「これを変えたら・これがなければクラニオではない」といえる要素とでもいいましょうか。
学習者は講義を受けて、セッション回数を重ねるうちにそれらしきものを表現できるようになってくるのだと思いますが、中には自分の一方的な理解で明後日の方向に向かっていく人もいるのかもしれず、仮にそんな人に指導者として「それは間違っている」と説得する場合も、「コアな部分」の理解が十分でないと難しいのかもしれません。
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もっとも、セラピーの一種として「セッションの結果〇〇になる(可能性がある)」といった「結果」や、多くの人に短時間で伝わる「わかりやすさ」あるいは「手順そのもの」がより重要・そっちがコアだといった意見もあるかもしれず、その場合、質感であるとか、「形として見えない何か」等の曖昧な要素の方が、言語化困難で習得に時間を要する非効率的な物として除外されるかもしれません。実際、質感とか次世代の伝承とかは、私が伝統武術などをやっているから思うことで、セラピーとしては自分が出来れば問題ないのかもしれませんが。
個人的には、ICSB派クラニオの「コアな部分」に密接にかかわっている(気がする)要素をあえて言語化してみると、プラクティショナーニュートラルの精度、1次呼吸システムの理解と認識、ポーテンシーのはたらきの認識あたりかなと思いますが、私が勝手に思っているのか、そうでもないのか、ほかのクラニオ流派だとどう考えているのかもいまいち分かりません。こんなことを考えている私自身が明後日の方向に向かっているという可能性もあり得ます。私自身、セッションはICSB標準のものは一応できるつもりでいますが、「クラニオセイクラルワーク」という技術体系全体として見た場合、重要なことが全く分かっていないのかもしれず、多少経験を積んでもわからないことばかりです。
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というのも、ICSBの講座も、一応一定のカリキュラムはあるにせよ、我々が過去に聞いたテーマの講座内容も最新版だと若干内容の差し替えがあったりして、現時点でもいまだ技術は探索途上のように思われるためです。例えば、最近はアドバンスクラスでも1次呼吸そのものは一種のガイドとして扱い、1次呼吸のリズムにはあまり注目しない方向性で習っていますが、これも団体創設時から分かっていて、今応用編として教えているのではなく、後で明らかになってきたことなのではと思います。
この方向性の変化により、個人的にセッションはより安定して楽にできるようになったと思うのですが、「手順」「方向性」が変わっても習った側が瞬時に適応できるのは、ある程度セッションを経験して、(ICSB派)クラニオの「コアな部分」を程度の差はあれ、多少なりとも押さえているからだと思うので、その意味でも、「コアな部分」が何か、は考え続けていく必要があるのかなと思っています。
まあ、上記の如きは特に指導者でもない私が考えても仕方ないのですが、クラニオとは何で、回数が少ないなりにより良いセッションをするにはどうすればよいのか、等のヒントにはなりそうなので、何となく頭の片隅で考えています。最小限の活動の中でも、クラニオに対して色々な疑問や気づきは発生するので、今後も水面下において細々とでも探求していきたいところです。
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今回改めて考えさせられたのが、ひとつはクライアントさんの主訴への対応についてです。これまで個人的には、術者の判断が適切ならば、どこに触れてもクラニオでは身体システム全体として適切な調整はなされるし、クライアントさんが主訴を訴える部位に触れると、逆にその部位の大きな変化を誘発し、一時的に肉体がしんどいと感じられる例もあるので、本人の要望がどうであろうと、術者が必要と感じた部位に触れれば問題ないのではと思っていました。
しかし、今回セッションを行ってみて、状況にもよりますが、術者が触れる必然性が薄いと感じても、主訴を訴える部位に触れてあげたほうが良いこともあるかもしれないと思い直しました。本人がその部位に触れてもらうことで安心したり、自分はそこに触れてもらったから大丈夫だとセッション後の生活で心を強く持てたり、多少セッションの結果、身体の変動が大きくても、セッション自体への納得感や自分の身体への興味を感じられたりするかもしれないと思ったためです。
これは、いつもクライアントさんの主訴がある場所に触れるべきとか、サービスの一環としてクライアントさんの要望通りにすればよい、という意味ではなく、身体システムの反応からの判断のみならず、クライアントさんの性格や心理状態や潜在的欲求なども踏まえつつ、症状が現れていそうな部位に触れるかは考える必要がある、という意味です。また、身体に触れてみて、何がどうあっても主訴を訴える部位に触れるべきでない、と判断されるケースの場合は選択の余地はないので、そうでない場合の話です。
こういった個人への心理面の配慮はクラニオのスキルそのものとは直接関係ないですが、「クラニオセッション全体の進行スキル」としては考慮すべき要因かなと思いました。まあ、セラピーとしては当たり前かもしれませんが。
クラニオはあくまで身体の全体性のバランスの再構築を助けるワークで「治療」ではなく、主訴がある部位に触れたからといって、その部位の調整を目的とするわけではない、という考えは変わりませんが、今の自分であれば、クライアントさんが症状を訴える場所に触れても、大概は強烈な変動を起こしづらいセッション進行はできると思うのでクラニオセッションとしての適切性のみならず、受けた人にとって、その後の良い流れにつながりそうかも含めた判断を心掛けたいところです。
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この数回のセッションでは、初めての方にセッション結果をどう受け取ってもらうかも改めて考えさせられました。例えば、身体寄りのセッションをすると、受け手によっては、ポジティブな感覚だけを覚えるわけではなく、セッション中、一時的に痛みがあったり、セッション後疲れている自分を感じたり(その後寝れば大抵すっきりしますが)といった本人が予期せぬ反応があることがあります。逆に、ロングタイドレベルのような、ややエネルギー的性質の強いセッションの場合は肉体への影響が軽く、術者が起こるべきことが起きていると感じていても、受ける側はいまいち実感が薄いこともあります。
「クラニオ慣れ」している人は少々の身体の違和感も調整作用の一環と理解するため特に動揺せず(なんでも受け入れるという意味ではなく、明らかにセッション進行がおかしい場合はわかりますが)、細かな変化も受け取ってもらえますが、初めての方はそうはいかないので、今回もセッション後の身体の状態がなじむよう歩き回ってもらったり、自分が今感じている体感を口に出してもらうことで、セッション前後の変化を感じてもらうことができました。最近は「クラニオ慣れ」した人へのセッションばかりで、私自身も色々な感覚には慣れっこになってしまっていたので、受けた方が自分のセッション後に身体状態を受け入れられるような工夫は改めて考える必要がありますね。
私にとってクラニオは、初めて触れた時から不思議な存在であり、セッションで起こることにある程度の法則性や理屈があっても、その理屈を突き詰めていくと、起こることやそのメカニズムには結局謎が残ったままなので、それゆえに興味をかきたてられて続けている、という部分はあります。ただ、その「クラニオを受けた時の不思議な感覚」の内容や受け取り方は受ける人によって様々なので、その受け入れ方のサポートは必要だなとこの数回のセッションで改めて思いました。
何かクラニオ初心者のような内容の書き込みをしている気もしますが、それが私の今の課題だと思うので、今の自分に即した課題を粛々と解決しつつ、今後もぼちぼち続けていきたいところです。
■今回のテーマ
今回の講座は「生の黄昏に」というタイトルで、難病や老齢により死を前にした(必ずしも死の直前という意味ではありません)方や、死を前にしていないが、人生の大きな転機(講座では「移行期」と呼んでいました)を迎え、心身共につらい思いをしている方にクラニオでアプローチする場合、どのようにサポートできるか、という深いテーマでした。
過去の記事で何度も書いていますが、クラニオは医療ではないので、残念ながら死に瀕した方を死から遠ざけたり、移行期の方が抱える問題自体をなくすことはできません。そのため、例えば死を前にした方にセッションを行うとしたら、人生の最期を迎えるにあたっての心身の統合を受け手の方の身体に負荷のない方法でサポートする(表現が難しいですが、死への移行のプロセスが安らかであるよう、可能な範囲で助けるというところでしょうか)というのがおおよその方針となります。
もちろん、人の死期がある程度分かったとして、クラニオを受ける必要は必ずしもないわけですが、そのような状況の時、現代医療や近しい人々からのケア以外に、クラニオというサポートの選択肢もある、ということですね。
■講座の構成
そのような状況でのセッションには、通常セッションより繊細さが求められるということで、参加にあたり、先生からは「〇〇臓器に関するアプローチ」といったテクニックのレパートリーを増やすのでなく、クラニオ・バイオダイナミクスの根本的なスキルをより深める内容になるとのアナウンスを受けていました。そのため、私は結構期待して講座に臨んだのですが、いざ講座に入ると、私が期待していたセッションに直接関わる情報はやや少なめで、グループワークや講義が多めの構成でした。
変わった内容としては、有名な映画「おくりびと」を鑑賞し(私は見たことがなかったのでこの機会に見られて少し得した気分でした)、死をテーマにした海外の童話を読んだりして、それらの作品の表現から死や移行期の方に向き合った時のプラクティショナーとしてのありようを考えるというものもありました。他にも、今回は瞑想の時間など、プラクティショナー自身の内的な落ちつき・静けさを深めてもらおうとする内容も普段より多く含まれていました。
そういった構成のため、講座前半は少しがっかりして気力を失っていたり、私は同年代の友人や働き盛りの年代の親類を比較的多く亡くしてきた経験もあるので、その体験を思い出し、つらさを感じる時もありました。ただ、それらの経験がある分、私にとって死は(武術もある意味死を司るスキルといえることもあり)これまで幾度となく考えてきたテーマでもあるので、他の人の意見を聞きながら、自分のスタンスや思いを整理していくうちに、色々な気づきも得られたため、後半には、この講座への参加はある意味必然だったか、と参加に意義を感じることができました。
クラニオで重要なプラクティショナーニュートラルの状態になるにあたり、私は自分の姿勢や意識に主に注目し、あまり心理的な要素は重視していなかったのですが、確かに、クライアントを前にプラクティショナーが心理的に不安定なら、それらのスキルをいざという時、適切に使えない可能性もあります。その意味では、今回のように自身のありようや普段の考え、死などの重いテーマに対する自身のスタンスをじっくり確認して掘り下げる作業は時に重要なのだなと納得しました。
■グループワークなど
グループワークでは、講座への参加動機などの身近なテーマから入り、死や移行期、講座中のセッション内容などをテーマに数名のグループで話し合いました。このグループワークで良かったのは、話し合う内容に(テーマにもよりますが)「模範解答」は基本的になく、それぞれが相手を否定せず、各人の意見を傾聴するというプロセスが大事にされていた点です。
また、話に入る前に皆がセンタリングして(プラクティショナーニュートラルに入って)落ち着いてから開始する、という手順になっていたためか、デリケートな話題でも変に感情的になることはありませんでした。この「プラクティショナーニュートラル(に近い)状態で相手の話を傾聴する」スタンスは、死期や移行期を迎えた方のご家族や友人と、会話などセッション以外の場面で接するときに陰ながらサポートになるかもしれない、という説明もありました。
私自身の経験からしても、デリケートな精神状態の時に、乗り越えろとか立ち直れといった言葉や、安易な解決策の提示は逆にストレスになることもあってあまり役に立たない気がします。結局、近しい人の死という経験の重さは本人の中で時間もかけつつ整理していくしかないと思うので、それに直面したときはただ静かに居て聞いてくれる人がいてくれた方がサポートになる可能性は高いと思います。
■今回のセッション実習
セッション実習も普段より少なめではあったものの、毎日実施の時間が設けられていました。相手の体を調整しようとするわずかな意図も、弱っている方の肉体に負荷を与える可能性があるということで、今回は相手の身体システムに意図を加えないことを徹底する方向性で主に練習が行われました。
通常のクラニオセッションでも、肉体の表面的な動きにアクセスしたり、相手に対して意図を用いて身体調整を行おうとしたり、治してあげようと思ったりすることは基本NGですが、今回は、普段はしばしばセッション進行の目安になっているタイド等も透過してセッションを進めるやり方を行いました。透過といっても、タイドを見なかったことにするわけでも、自分の内面に閉じこもったりぼんやりしているわけでもなく、具体的に説明しがたいところですが、さすがに講座参加者は熟練者だけに、感覚をつかんでほぼ問題なくこなしている様子でした。
今回紹介された方法自体は、細かな部分の違いはあっても方向性としては全くの目新しいものではなく、また、過去に主に学習してきたほぼ健康な方(肩や腰が痛い等と言っている方も、大概は命にかかわる状況ではないので、基本的には「健康」の範疇に含まれるとしておきます)向けの手順が今回の練習で大きく変わったり、また、今回の手順がそれと比べて特に優れているといったこともありません。要は使いどころの違いですね。
ただ、今回の説明で、これまで何となく行っていたセッション実施方針にある程度の法則性が見えてきた感じはあります(起こること自体がほぼランダムな点は変わりませんが)。このクラニオセッション方針の使い分けと展開については、個人的に若干理解が足りておらず、過去の記事では微妙に間違った内容を書いた気もするので、書ける範囲で後日、別の記事にまとめてみようと思っています。
また、講座の中では、過去に説明のあった用語の定義の整理や、個人的にほとんど理解していなかった「イグニッション」の概念についても説明があり、イグニッションについては折よくセッション中に体感もできたので、かなり頭の中が整理され、ややローテンションだった私もこの講義の時は結構やる気が出ました。
■ポーテンシーの蓄積
受ける方の状況やセッション実施回数にもよるので、常時起こるとは限りませんが、今回の方法では、身体のどこかを調整する作用というより、ポーテンシー(クラニオ用語。身体の調整などに使われる身体エネルギーのような概念。身体内部を移動する独特の熱感として感じられる。神経伝達物質のようなものなのか、解剖学的にあてはまる概念があるのかは不明。)の蓄積に関係した反応が主に起きていました。
エネルギーの蓄積といっても、自分が受けた感触としては、体が変に熱くなったり過活性になるようなマイナス面の感覚はなく、身体全体が均質に整ったような独特の爽快感と明晰さ、落ち着きが感じられたので、健康な方にこの方針でセッションを行っても一定の恩恵はあると思います。
なお、先生によると、「死を迎える」こと自体にある程度のエネルギーを使うため、死を前にした方であってもポーテンシーを蓄積する機会は有効とのことです。ちなみに、死を前にした方は、肉体が弱っていても、1次呼吸(ロングタイド)はむしろ通常の人より強く感じられることが多いそうで、死を前にしても、身体システムのすべてが弱々しくなるわけではないようです。
生命力のあらわれが死を前にしようとも存在する以上、実際にどの程度のサポートになるのかは私は未経験のため分かりませんが、クラニオによる「死という新たな状態への移行(「魂」の定義などはひとまず脇に置いておいて)のサポート」が、全くの無駄という事はないのではと思います。
ちなみに、中国武術では、「気」と言った時におおよそ2種類あり、誕生したときに最も多く、年を重ねるごとに減っていく「先天の気」と、年を重ねても様々な手段で蓄積が可能という「後天の気」という概念があるそうですが、何となく「後天の気を養う」とは今回のセッションで私が感じたような体感も含まれるのでは(気という言葉は非常に広域の現象を指すと思うので、見当違いかもしれませんが)、とも少し思いました。
クラニオ・バイオダイナミクスと中国武術はアプローチは全く違うにせよ、結果的に、クラニオもクライアントの身体が内気功に近いものを自発的に行うサポートをしているのかも知れず、こういったワークや人体(というか人間そのもの)の不思議さを感じさせられます。
■まとめ
このように、過去の講座に比べると、私自身の中では不完全燃焼感を覚えた時間もありましたが、自分がひとりで抱えてきたテーマの振り返りになったり、セッション中に新たな体感があったり、「ICSB派クラニオバイオダイナミクス」で用いられる用語やセッション展開について整理もできたので、結果的に満足できる体験となりました。
アドバンス講座は早くも来年10月後半に次の開催が予定されていますが、テーマは未定とのことです。私が今回若干気力を失っていた要因の1つに、行きたかった中国武術教室の合宿と今回の講座の日程がかぶってしまったこともあるので、来年はテーマや他の行事の日程いかんでは(ちなみに私の場合、会社の大型行事もこの時期に重なりがちで、毎年調整に苦慮しています)参加しない可能性もありますが、最近少し意欲を失っていたクラニオ活動に、細々とでも何らかの形で関わっていこうと思うことができた5日間でした。
この半年、私はクラニオセッションはほとんどやっておらず、クラニオに関する講座も受けていないですが、あまり活動していないなりに、いざやる段になると、不思議と前より楽に安定してセッションを進められている気がしています(もちろん、クラニオを真剣にやっていくなら、数をこなした方が望ましいのは確かですが)。
どんな状況でも上達の余地はあるということで、なにかの参考になるか判りませんが、今回は上記のような状況でのクラニオの上達をお題に書いてみます。これは、私の場合は以下2点による影響が大きいのかなと思っています。
■以前より姿勢が安定しており、結果として落ち着きやすくなっている。
この半年、私は中国武術の稽古に比較的注力したこともあってか、取り立てて何の工夫をしなくても、セッションでクライアントさんの前に座った時、姿勢が少し前より明らかに安定しており、セッション進行が大変楽です。姿勢が安定すると、自分の肉体的緊張などの余計な要素に気を取られなくなって集中力・認識力が上がりますし、自分もクライアントさんもリラックスして身体システムが静まりやすくなるので良いことづくめです。
具体的にどういう姿勢が良いのかは人や流儀によりけりと思いますが、大雑把には「肩肘が落ち、背中がまっすぐで下半身が安定し、上半身に無駄な力が入らずに済む」ような姿勢が望ましいと思います。クラニオの各講座の中でも概ねそういう姿勢が紹介されていると思いますが、この姿勢の精度は熟練や探求によりかなり伸びしろがある要素という気がします。
クラニオセッションではプラクティショナーの深い落ち着きが必要ですが、自分に意識的に落ち着けと言いきかせても落ち着けるものではないし、ひたすら脱力だけすると意識がぼんやりしてセッションに差し障りがある場合もあると思うので、構造的に安定してかつリラックスできる姿勢を探究していけば、自然と外界(やクライアント)とつながりつつも、自分自身の内面も静まりやすくなっていくと思います。
私が学ぶ中国武術で必要とされる姿勢(座っていることが大半のクラニオとは違い、中国武術はほぼ立った姿勢ですが)も概ね前述のような要件のため、労せずして「プラクティショナーニュートラルを確立しやすい姿勢」が精密になっていっているのかなと思います。
なお、私の場合は中国武術をたまたまやっているので、そこでの学びがそのまま役立っていますが、別に中国武術やその他の伝統武術を学習しなければ姿勢の安定に役立たないわけでは全くなく、身体を使うものなら、ヨガでも他のワークでも家事でも、何でも経験が活かせる可能性があると思います。
■セッションは漫然と行わず、1回のセッションからできるだけ学ぼうとする
実施回数が少ないなりに、毎回のセッションの振り返りは欠かさないようにしています。具体的には、セッション後に、セッション中に起きた事や気づいたことの記録を取り、良かった点や次はこうしたいという目標や改善点をまとめてみるといったことです。
私の場合、この記録は教程で学んでいる途中に勧められ(というか一定数以上のセッション内容の記録をすること自体が卒業の条件だったのですが)、今に至るまでずっと繰り返しているだけですが、これはセッション中にクライアントさんの身体状況のみならず、自分自身がどういう状態だったかを振り返るのにも役立ちますし、書いているうちにセッション中は気づかなかった発見があったりもするので、本格的に活動していない方でもやってみることをお勧めします。何度も書いているが、同じ課題がずっとなくならないようなら、習った先生や同じ教程で習っている友達に相談してみるのもよいと思います。
クライアントさんのセッション感想も結構面白いものが多いので、それを記録して、自分が気づいた点と比較するのも良いと思います。クラニオセッションの体感は受けた人によってはやや判りにくい場合もあるので、時に冷たい感想もあるかもしれませんが、セッションで自分のベストを尽くせたなら、その意見は参考にしつつも、過剰に気にすることはないと思います。また逆に、仮にクライアントさんがセッションをほめてくれても、セッション中に自分が問題意識を感じたなら、それでよしとせず、更なるよいセッションを探究していこうとする態度は持ち続けたいと個人的には思っています。この類の記録はある程度しっかりクラニオを学んだ方は普通にやっているかと思いますが、私もこの記録の積み重ねが自分にとって結構見えない部分での財産になってきた実感が最近は少し出てきたので、ここに挙げてみました。
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過去に何度も書いているように、クラニオ・バイオダイナミクスではプラクティショナーニュートラルの質や自身の意識のありようが特に重要度が高い要素と思いますので(もちろん、最初からそれだけ追求すればよいわけではなく、クラニオの基本的な手順を身に付けるうえで必要最低限の解剖学知識や、典型的なハンドポジション等の理解と実践は当然必要ですが)、上記以外のことでも、日常生活や他分野の学習の中でそれらが深まるような体験があるならば、クラニオに触れる機会が少なくなっていても、クラニオスキルの上達につながるものを得られるのではと思っています。
別に瞑想であるとか、特別なワーク以外でも、例えば仕事などからクラニオにフィードバックできることもあるかもしれません。例えば、仕事で難しい折衝の時に落ち着いて粘り強く顧客の話を聞いて対応できるなら、クラニオセッションでクライアントさんを前にして落ち着いていることは、(クラニオセッションに必要な落ち着きの質を理解していればの話ですが)容易かもしれないですね。
とまあ、グダグダ書いてみましたが、上記はおそらくこれまでの記事でも書いている上に、本当に当たり前のことで、書く意味があるのかと自問自答してしまった程です。ただ、これまでの個人的経験において、クラニオの上達というものがあるとしたら、それは、特別な知識(もちろん、前述の通り知識はあるにこしたことはないので、知識を得ることは重要と思います。)や、秘伝もしくは奥義のようなハンドポジションやテクニックの習得(多分、現時点のクラニオにはそんな大層な手法はなく、多少特殊な進め方や触れ方があるとしても、基本原則は通常セッションとほぼ同じだろうと思っています)といった裏技的なものの中にではなく、上記に代表されるような非常に当たり前なことの積み重ねの中にあるように個人的には思っています。
クラニオに限らずでしょうが、要は学びのポイントはあるにしても、てっとり早い上達方法はないといえるかと思います。クラニオを行う方には学びたての方から、私のような中途半端な者から、たくさんのセッションをこなすプロの方まで、様々と思いますが、どんな環境に居るにせよ、クラニオの原理原則に忠実に、各人の対応できる範囲で日々当たり前のことを積み重ねつつ、試行錯誤しながら前に進んでいけば、それぞれが少しずつでも良いセッションに近づいていけるのではと思っています。
先月10月21日からの5日間、毎年恒例のICSBクラニオアドバンス講座に参加しました。
結構盛り沢山な内容だったので、今回もダイジェスト的に個人的に印象に残った部分を書いてみ
ます。
■今回のテーマ
今回のテーマは「足」でした。
「足」といっても、普通日本語で「足」と言った時に指すことが多い「股関節から下全部」のことではなく、英語の「foot」=「くるぶしから下の部分」が対象です(なお、以下でも「足」「足部」と書いた場合、この部位を指します)。ちなみに股関節からくるぶしまでは英語では「leg」ですね。膝から下を指す場合もあるようですが(以下の文では股関節から下全部を指す時は「脚部」と記載)。
脛あたり(以下では脛部と記載)も多少触れましたが、基本的には足裏や足の甲ばかり数日間触れつづけるというある意味マイナーな内容でした。
■足の構造と頭部との関わり
私は最近はセッションを身近な人以外にしておらず、足の問題について相談を受けたこともなかったので、足の構造を詳細に意識したことがありませんでした。そのため、今回の足部の精緻な構造と頭部との関わりの話は印象的でした。
たとえば、足の中央には「舟状骨」と「立方骨」という骨が隣り合って存在しますが、この骨同士が1次呼吸によってそれぞれ動くリズムは頭部のSBJ(蝶形骨と後頭骨の間の関節)周りのリズムとも連動しているという話がありました。足のセッションをした後に頭部に触れて状態を検証するという内容がありましたが、手で感じる限り、確かにそういった反応があるようです。
また、足裏には「足裏のアーチ(いわゆる「土踏まず」)」の構成にかかわる足底腱膜という膜組織があり、これは脚部からの血液循環のサポートなどにも役立っているそうですが、この膜の状態も頭内の膜組織「小脳テント」と関わりがあるとの説明がありました。これまでセッションで足に触れたことは数多くあっても、足裏に膜組織があると意識したことはなかったので、セッションで、この腱膜が1次呼吸によって動いているのを感じた時は新鮮な気分でした。
足裏はかなり酷使されているので、足の使い過ぎや使い方や状況によってはこの膜が炎症を起こすこともあるが、クラニオはそういった状態もサポートできる可能性があるとの説明も受けました。
主に体の構造より機能に働きかけを行うクラニオ・バイオダイナミクスでは基本的にどこに触れても全身に影響がありますが、こういった細かな部位のつながりを理解することで更に対応の幅が広がりそうだと思いました。
■身体構造のバランス
今回の講座での脚部構造の説明に関しては、
脛部分の骨のうち、小指側にある腓骨は適応力、親指側にある脛骨は安定性に優れており、
足部分の骨のうち、小指側の約半分は安定性、親指側の約半分は適応力に優れている
という話も印象に残りました。
安定性=頑丈、適応力=多彩な動きがしやすい、と言い換えても良いかと思います。
要するに脛と足では安定性に優れた部位と適応力に優れた部位が互い違いになっていて結果として脚部全体のバランスが取れている、という話です。これを東洋風に表現すると、身体各部にも「陰と陽」と区別できるような一見相反するような役割の器官や構造が各所に適切に存在していて、その結果として全体のバランスが取れているとも表現できるのかもしれないと思いました。
改めて身体は良くできていると感心したひと時でした。
◇参考
足の構造について判りやすい画像でもないかなと探していたら、クラニオとは関係ないサイトですが、以下に図や色々な説明が書いてあったので、一応紹介しておきます。骨の構造だけでなく土踏まずなどについても触れられています。
http://www.asinaka.jp/function.html
■足部・脚部のマッサージ
足がテーマの講座ということで、朝の軽い運動の時には足の構造に親しんだり、眠気覚ましも兼ねてか、脚部・足部のマッサージなどもしたので、いくつかやったことを書いておきます。
クラニオスキルとは関係ないので、誰でもできると思います。
この記事を見て実施しようと思う方がいるかはわかりませんが、やるならどれかお気に入りの方法なりやりやすい方法なりを自分の脚部の状態に応じて、痛気持ちよい程度に行うのが良いかと思います。
・自分の足の甲をもう片方の足裏の土踏まず部を使って上から下に(足首から指側に向けて)擦る。
・自分の足の甲をもう片方の足の指を使って(足首から指側に向け)に擦る。
各指の1本1本の骨と骨の間を逆側の足指でこする感じになると思います。
・すねの腓骨と脛骨の間の部分(下腿骨間膜という膜がある)を両手親指で上から下まで揉む。
他より痛みを感じる部分は集中的に揉んでみる。
・くるぶし直下の足首周り(下肢筋支帯という組織が足首を広くくるむように覆っている)を指で揉む。
ここを揉むときは講座では相手をベッドに寝かせて行うやや複雑なマッサージをしましたが、
とりあえず指で揉むだけでも心地よさは得られると思います。
ちなみに、クラニオではセッション展開によってはセッション終了後に日常の意識状態を取り戻すのに若干時間を要することがあるので、セッション後にクライアントさんが少しぼんやりしたりフラフラする感じがするようなら、自分で自分の足を上記のようにマッサージしてもらったり、ゆっくりセッションルーム内を歩いてもらってから帰ってもらった方が良いこともある、との説明もありました。
■意図と動作の学習
講座の最後に数名ずつのグループを作って5日間の講座の振り返りをしている時、印象深かったと話題になったのが、講座4日目に見た赤ちゃんの動きの映像です。最初はあまり思い通りに動けないでいる赤ちゃんが、手足や胴体の使い方を自然と学びながら、自在に寝返り動作ができるようになるまでのプロセスを数分にまとめた心温まる内容です。
これは、ボディワークのフェルデンクライスメソッドの関係者が作成したらしい動画で、同ワークと赤ちゃんが生後1年で動作を身に着けていく工程の共通点について字幕が入っているようです。なかなか良い動画だと思います。
そして、講座振り返り中、この動画の中で全員一致で印象深さを感じていたのが、まだ自分で寝返りがうまくできないでいる赤ちゃんが、遠くにあるおもちゃを取ろうとした結果、寝返りを自然に成功させる場面です。
私が学ぶ中国武術でも、動作の前に「意」があるとか、「視線」が動作を導くという教えがありますが、おもちゃに意識を向け、その存在を「サポート」として寝返りを成功させたこの赤ちゃんは、まさにそれを非常に自然な形で体現しているのでは、と感動しました。もっとも、我々自身もそうやって寝返りを打ったり、立ったり歩いたりを覚えてきたのでしょうから、誰しもが無意識にやって来たことなのでしょう。
大人が身体の使い方を探求するような稽古やらワークやらをやっていると、身体の使い方を調整してああしてこうして動く…という複雑な状況に陥る場合もあると思われますが、それはそれで価値があるとして、この映像では非常にナチュラルな「動きの学習」の姿を見た気がしました。
もちろん、赤ちゃんは万能であるとか「意」があればどんな動きもできると言いたい訳ではなく、例えば、赤ちゃんは最初は当然ながら身体が発達していないのでそもそも物理的に「歩く」という動作自体できないが、身体の成長やこういった様々な運動の繰り返しにより脚部や脚部を支える身体構造の発達が促され、それらの身体の準備が整った段階で今回のおもちゃのような「サポート」なり、目的意識なり、単純な好奇心なりをきっかけに少しずつ新たな動作ができるようになる…ということかと思います。
◇参考:上記の動画
検索したら発見。赤ちゃんがおもちゃをサポートに転がるのは2:05くらいからですが、
普通に最初から見た方が面白いと思います。
https://vimeo.com/13598879
■新スキル
昨年度に引き続き、今回もクラニオバイオダイナミクスの新スキルが紹介されました。
スキル詳細は一般公開に適さないので書きませんが、クラニオバイオダイナミクスの一般的なセッションと少し方向性が異なる、若干の意図を用いるものでした。もっとも、意図を用いるといっても使うのはわずかなタイミングかつ微細なので、一般の基準では使っていないことになる気もしますが、身体に完全お任せというわけでもないので、昨年の新紹介スキル(というかセッションの進め方)ともちょっと性質が違う感じです。当ブログでも多分前に紹介した基本スキル「Vスプレッド」の超発展型というところかもしれません。先生によるとこのスキルは、骨折直後には適さないが、ねん挫や足以外でも関節部の問題には適切なサポートができる可能性がある、とのことでした。
今回はあまり質問の時間がなかったので、このスキルが最近できたものなのか、かなり前からあるものなのかは聞けず、不明のままです。何となく、クラニアルオステオパシー由来のスキルかそのカスタマイズ版なんじゃないかという気もしますが、確証はありません。もっとも、クラニオバイオダイナミクスのセッションが普通にできて初めて使いこなせる内容であることや、やってみた結果、然るべき変化が短時間で起きている印象もあるので、「クラニオプラクティショナー向けのスキル」であることは確かです。
このブログでもかつて色々な記事に書いたりしたように、前は意図を用いるのは純粋なクラニオバイオダイナミクスじゃないのではないか、とか色々悩んだりしましたが、だんだんどうでも良くなりつつあったところ、今回のスキルの紹介を機に、ほぼ克服もとい開き直りに成功した気がします。
意図を用いないことを前提としつつも、クラニオバイオダイナミクスのプラクティショナーによる使用を前提としたスキルや、1次呼吸システムについて理解不十分だと感知できないような要素を扱うスキルは、多少の意図を用いたとしても「クラニオバイオダイナミクスのスキルの一種」ということで自分の中で整理が付いた感じです。要はスタンダードな方法以外にも手札をいくつか持っているだけの話で、使うか使わないかは個人の自由なのだろうと思います。なお、上記はあくまで私自身がICSBで習ってきたものに関して個人的に白黒つけただけで、公式見解なわけではないです。ましてや他のクラニオ系技法の区分けの考え方は人それぞれかと思います。
■他
そんなわけで今回も新スキルが紹介されたり、これまで意識したことがない足の細かな構造に触れたりしましたが、初めてのことでも何だかんだで当然のように普通にこなしていく参加者の方々の姿はさすがプラクティショナーだと思いました。
私も日常の疲れが出たのか、講座4日目くらいから風邪で熱っぽくなってきてしまい、最終日はかなりぼんやりしていたのですが、それでもセッションを行う段になるとスイッチでも入るのか、いつもの意識状態で普通にこなすことができたので、この1年あまりセッション回数をこなしていないなりに、プラクティショナーと名乗れる程度の状態はまあ維持できているかなと思いました。
ちなみにセッションと関係ないところでは、今回は新たな大阪の食事処の積極的開拓に着手しました。しっかり検索すると馴染みのエリアにもまだ結構未知の店があることが分かり、来年度以降も楽しみが少し増えました。
■次回スケジュール(関係者向け)
早くも来年のアドバンス日程も発表されました。
次回はぜひ多くのメンバーに参加してほしい内容、という先生の言葉もあったので、ここに載せるのが適切かわかりませんが、ICSBアドバンス講座には基礎コース卒業生しか参加できないため外部に知られても問題あるまいということで、関係者向け情報として一応載せておきます。
・来年度アドバンス講座の日にち:2016/10/26(水)~30(日)
今回のように「構造」は扱わず、純粋にバイオダイナミクスとしての内容を追求する予定とのことです。今回不参加でもう少し具体的なテーマを知りたい関係者の方はティーチャーの方や最寄りの今年の講座参加者に聞いてみてください。
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私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
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