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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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昨日までICSBのクラニオアドバンス講座に参加してきました。会場は例によって大阪です。朝から晩まで講義があるので、行く前は面倒だなあという気持ちも若干ありましたが、いざ参加してみると、やはり受講してよかった、と思います。


今回のテーマはバイオダイナミックなセッション展開(トリートメントプラン)をより深めるというもので、クラニオ・バイオダイナミクスならではのセッションが一通りできる人が聞いて役に立つ、文字通りアドバンスな内容でした。
説明が難しい内容が多いので詳細は省きますが、セッションの基本的な展開や原理そのものはこれまで学んできた内容を踏襲しつつも、クラニオセッションを進める中で出会う色々な場面をより丁寧に見るのに役立つポイントや、今回新しくまとめられたセッション展開モデルについて教わることができました。

私自身としては、やや知覚が苦手だった、液の流れとして表現される1次呼吸をより感じやすくなったり、なんとなく勘でやっていた部分があるセッションを、ポーテンシー(クラニオ・バイオダイナミクスで及われる、身体内の調整力・形成力のあらわれのようなもの)のガイドを根拠として、これまでより自信を持って展開していけそうに思いました。先生はセッションに限らず、「(YouとIではなく)We」「共同作業」という表現を各所でされていましたが、その言葉の通り、より丁寧に身体の声に耳を傾けるセッションへのヒントがいろいろな形で得られた感じです。

今回からは、私の次の期にあたる、先日新たにBSCT資格を取られた方々も参加されていましたが、問題なく対応されている印象でした。基礎教程の開始そのものは私より遅くても、クラニオと出会ってからの年月や、ボディワーク経験が長い方など、クラニオプラクティショナーとしては私以上に頼もしいバックグラウンドをお持ちの方も多いようです。私の同期の方も、セッションをがんばっている話を聞いたり、講座の中でセッションを受けたりするにつけ、皆本当に上手になったなあ(私もほぼ同程度ですが)と何か感慨深いものがありました。

※今回BCSTを取得し、アドバンスコースにも参加された土屋さんの感想ブログ
http://blog.livedoor.jp/salon_sophia/archives/51807057.html


上記の講座のメインテーマとは別に今回印象的だったこととしては、参加者から持ち寄られたケーススタディをシェアする体験です。いずれも、西洋医学的に見ても難しい状態にあるクライアントさんに対するセッションの方向性を先生からアドバイスしてもらう、という本格的なものでしたが、聴いているだけでも、クラニオ・バイオダイナミクスの立ち位置や可能性について、学ぶところが多くありました。
クラニオ・バイオダイナミクスは西洋医療ではないので、「病気や症状を治す」ことはできませんが、決して何もできないわけではなくて、例えば難しい症状の方に対しても、眠りが浅い場合の休息機会となったり、病気はあっても痛みや身体の負荷が軽減されたり、体液のシステムなどに主に働きかけるため、肉体にほとんど負荷をかけない働きかけができるなど、医療とは異なる形(文字通り役割や方針が異なるというだけで、医療の代わりができるという意図ではありません)でサポートができる可能性について、先生からアドバイスが与えられていました。

ケースを出した先輩方や同期の方は、クライアントさんとしっかりと向き合い、信頼関係を築いているほか、クライアントさんの難しい症状についてもしっかりと勉強した上でクラニオが扱える領域や原理からは逸脱しないセッションを行っており、その取り組みには尊敬の念を覚えました。
一方、会社員生活の片手間にクラニオを何となくやっている私にとって、こういった難しい状況のクライアントさんに継続的にセッションを行うことは、ほぼ未知の領域です。クライアントさんの大きな問題に一緒に向き合うにあたり、半端な立ち位置では私の方が潰れてしまいかねないので、これまで意図的に避けてきた部分があり、私が現在の環境でこういった問題を扱うのは実際、難しいとも思います。
ただ、クラニオ・バイオダイナミクスの可能性から目をそらし続けるのも、仮にも資格を持っている人間としてどうなのか、という気もしているので、今すぐどうにかできるわけではないにせよ、自分もクラニオ・バイオダイナミクスならではのサポートができうる技術を手にしているということは忘れずにいようと思いました。


今回、先生から動画の紹介があったので、最後にそれを乗せてみます。

1つめは最近話題のロルファー・藤本靖氏の書籍「1日1分であらゆる疲れがとれる耳ひっぱり」
のプロモ動画です。

http://www.youtube.com/watch?v=nf6q8F72oTA
先生は日本語が読めませんが、この動画の雰囲気やノリがお気に召したようです。
冗談めかして「クラニオももっと宣伝を工夫しなければなりませんね(笑)」などと言われていました。
だれでも気軽にできて心地よさを感じられる方法にはクラニオのように、
長期の訓練が必要なスキルとはまた別の大きな価値がありますね。

2つ目はクラニオ創始者のサザーランド博士から直接指導を受け、いくつかの書籍にも
活動が取り上げられたフルフォード博士の1980年代のインタビュー動画(英語)です。

https://www.youtube.com/watch?v=6cSSVI1zf18
サザーランド博士から学んだクラニオの基本原理などについて語られています。
英語があまり分からないなりに、ためになりました。

概要としてはこんな感じで、色々と面白かったり考えさせられたりする5日間でした。
他にも講座内で個人的に大変驚いたことがあるのですが、ちょっと長くなってきたので次回に譲ります。

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相変わらず書くネタが尽きかけています…。
今回はなんとなく思いつきで、クラニオの上達みたいなことをネタに雑感を書いてみようかと。


クラニオの上達と言っても、私の場合は、おそらく他の技術と同様、「秘伝」みたいな特別な教えを得てある日突然劇的に何かが変わったといった事はなく、原理原則をどれだけ表現しているかとか、手の形とか、自分の緊張とか、色々な問題意識と格闘しつつ、黙々と数をこなしていたら、気が付いたら変わっていた、といった感じです。何かが明確にできて狂喜乱舞という事もなく、「あれ、そういえばいつのまにか○○で困ることがなくなったな」という感じで地味に変化している印象です。

こういったボディワークや武術などを学ぶと自分の体自体が変わり、結果的に考えなども変わってしまうせいか、自分がかつてどんな状態だったかというのは呆れるほどあっけなく忘れてしまうもので、記憶があいまいですが、「そういえば、最近○○で困ることがなくなったな」の例としては、相手の方に触れている時に手が離れてしまったり、おっかなびっくり触れていることが何年か前からなくなっているな、というものがあります。

これは、クライアントさん(クラニオを受ける人)に触れてセッションを進めていくと、プラクティショナー(クラニオする人)はクライアントさんの身体からいろいろな変化を感じ、状況に応じて適切に対応していく必要がありますが、ある時まで私は、クライアントさんの身体の自然な動きの表現を自分が止めてしまっているのでは、と不安になったり、自分の触れ方がまずくて余計な刺激を与えているのではないか、とびくびくしながら触れていたということです。その結果として、いつの間にか手が離れてしまっていた(自分で手をちょっとずつ離していた)、といったことが起きていたわけですね。

実際は「プラクティショナー自身が不安定な状態で触れている」こと自体がクライアントさんにとっては良くない影響につながる可能性が高いわけですが(精神論ではなく、色々な意味で硬直した身体状態で触れていることが問題)、プラクティショナーが触れ方やセッション中の対応スキルに不安があると、そこまで意識が回らないのはやむなしというところでしょうか。
これがいつの間にか解消されていた大雑把な理由としては、意識を用いた距離感の取り方のスキルや姿勢の精度などが向上したので、状況対応力が増し、また、状況に応じた適切な対応を無意識のうちに行っていることもあるので、いつの間にか相手の様々な変化を不安を持たずに受け入れやすくなったためと思います。数をこなして自信がついたといった単純な理由もあると思います。


クライアントさんの身体内の変化への対応が不安、という例とは逆に、相手が目に見えて変化しないので、何も起こっていないので不安だとか、変化すべきなのに自分の対応がまずいのではと思うあまり介入してしまう(何らかの動き・流れをクライアントさんの身体に追加してしまう)ということも結構あったと思います。
これに関しては何度も書いていますが、実際は静まっている状態を見守ることが重要で、きちんと見守っていれば、その後に新たな変化が自然と現れたり、身体の動きとしての変化が目立たなくても、深い休息の機会になってたりするので、何かしたくなりますが、余計なことはしないのが原則です。
習い始めた当初は、静かな状態で待つことにより変化が起きることを知識でしか知らないため、本当に余計なことをしなくてよいのかと、いくらか疑念を持っている状態ですが、何度もセッションをこなして経験を積む中で、この原理や人のからだの精妙な働きが体感として信頼できるようになり、しっかり待つことができるようになった、という部分はあります。当たり前ですが、クライアントさんも色々な方がいますし、理屈では分かったつもりでも、実際に人に何度も触れてみないと分からないことはたくさんあると実感します。
これに関しても、最近は大概の状況では介入しないで静かに見守ることができるようにはなったかなと思います。「静けさを前に待つスキル」が高まったとはいえ、しばらく気が散っていたり、何かの瞬間に無意識に余計な介入をしてしまっている場合もある気はしますが…。

ちなみに、多分前にも書きましたが、クラニオでは「シャットダウン」といって、プラクティショナーがクライアントさんに余計な刺激を与えたり、よくない対応をした結果、クライアントさんの身体が防御作用として硬直してしまう場合もあり、こちらは「止まっている状態」でも、結構深刻な状況です。もっとも、これは穏やかな静止と急ブレーキ後の停止の違いのようなものなので、習っている人なら違いはすぐ分かることですが、私も始めた直後はわからなかったかもしれないので、こういった「静止と停止の違いがすぐ分かる自信がある」点も成長と言えば成長でしょうか。


こうやって書いてみると、当たり前ですが、確かに自分も色々成長はしているのだなと多少は実感しますね…。クラニオ・バイオダイナミクスは見た目はじっとしているワークですが、実際には目に見えにくいなりに、熟練の段階に応じてプラクティショナーのスキルも様々な変化をしているという事ですね。

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このブログでも何度か取り上げた、からだ系イベント「癒しと憩いフェス2013」が昨日無事終了しました。
私自身はクラニオチームの事前準備を若干行っただけなので全体の入場者数等は昨日時点では把握していませんでしたが、メインイベントの1つである帯津良一先生の講演に90名位の聴講者がいた他、先程見たフェス実行委員会の公式発表では350名以上の方が来られたとのこと(7/30追記:より正確には、1日目、2日目とも350名あまりの方が来られたとのことです。)。当初は200名以上来場想定と聞いた気がするので、大成功ですな。


クラニオブースには2日間で20~25名くらい来たようです(正確な数は未確認)。
1階からポスターで誘導はしているものの、4階客室奥の部屋が会場ということもあり、若干目につきづらい場所だったかもしれませんが、こうやって数にしてみると結構な来場者数と言えそうです。自ら何らかのワークをされており、ある程度クラニオについて分かっている、別のブース出展者の方が訪問されたケースもありますが、未経験の方もある程度来られたようです。

セッションに直接関わるクラニオチームのメンバーは総勢9名と結構大所帯なので(受付1名、セッション係2名を基本としてローテーション)、私のセッション実施回数は2日で計2回でした。セッション時間は出展用の短め(約30分)バージョンでしたが、ある程度の実感は持ってもらえたようで良かったです。1名の方には、時間が許せばもう少しやりたかった、とも思いましたが、1名だけ特別扱いというわけにもいかず、仕方ないところです。

私が担当した2回のセッションの概観は、それぞれミッドタイド中心、ロングタイド中心のセッションでした。これまでも書いているとおり、クラニオ・バイオダイナミクスのセッションの局面には、大きく分けて、ミッドタイド(1次呼吸のゆっくりした波)、ロングタイド(1次呼吸のとてもゆっくりの波)、スティルネス(1次呼吸の根源にあると言われる深い静寂)の主に3つの局面があり(他に、それらを身体が表現する前の状態や表現できないときの対応などもありますが)、それぞれの局面で起こることの質や術者の対応も異なってきます。

こういったそれぞれの局面でいかに状況に合わせたサポートができるかが私の最近のテーマという所ですが(これはセッション時にいつも行うべきことですが、そこをこれまでより丁寧にやるという意味で)、今回は短時間ながらも、それらをある程度実現し、クラニオ・バイオダイナミクスらしい内容にはなったかなと思っています。今回のイベントでは他のメンバーのセッションや受付の様子も目の当たりにし、やはり皆さんそれぞれにしっかりした教程を学び、経験を積んだプロだなと感じさせられるところがありました。


クラニオ以外に関しては、個人的には会場が一応伊豆のリゾートホテルという事で、優雅に休暇を満喫するようなことができないかと思っていたのですが、夜は普段の疲れが出たのか、夕食後にベッドに倒れこんだらそのまま長時間寝てしまったほか、チェックアウト時間がゆっくりのため、部屋で何となく横になってじっとしている時間が案外あり、リゾートホテル施設をフルに活用するには至らなかった気もします…。バイキング形式の夕食と朝食のほか、イベント中には近所の個人商店と思われるピザ屋等の屋台も出ており、食事はおいしかったです。

他のイベントをあまりまわることはなかったですが、帯津良一先生の講演が聞けたことは収穫でした。他には、耳のお灸のような「イヤーコーニング」というものが気になったので、セッションを受ける体験をしてみました。老廃物除去などに役立つそうですが、クラニオとはまた別の感触の気持ちよさがあり、良かったです。耳に触れるハンドポジションはクラニオにもあるので、クラニオにも活かせる部分もあるかもしれません。世の中には色々な健康に良いものがありますが、それぞれに良さがあるものだと改めて実感しました。

このイベント全体の様子としては、各所が人でごった返して大盛況!というほどでもなく、各所にそこそこ程度の人がやってきてゆるく盛り上がっている印象でしたが(会場は結構広いので、350名の人が居てもあまり狭くるしい感じがなかったものと思われます)、人でごった返していたとしたら疲れそうですし、リラックスできるようなワークのイベントが凄い熱気であふれているのもどうかと思うので、今回の雰囲気はなかなか良かったのではと思います。関係者の皆様お疲れ様でした。



ちなみに、ホテルにはこのイベントに合わせて「癒しと憩いのライブラリー」という図書館のような一角ができたそうで、本の寄贈やボランティア館長も募集中とのことだったので、一応ここにも案内のリンクをのせておきます。「癒しと憩いの~」とありますが、本棚の本を眺めていたところ、荒木飛呂彦氏が関わっている漫画「奇人偏屈列伝」(よしもとばなな氏寄贈らしい…)も何故か置いてあったので、許可される本の幅は結構広い物と思われます。

癒しと憩いのライブラリーHP
http://www.libraryhr.org/

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気が付けばもう6月末。
以前告知した、クラニオも登場する伊豆のボディワーク系イベント「癒しと憩いフェス2013」も開催まであと1か月足らずです。会場のホテルはもう満室になったそうで、なかなか盛況のようです。
クラニオ以外にも色々な催しがありますし、会場以外の付近のホテルに泊まる事もできると思いますので、興味を持たれた方は伊豆観光がてらぜひお越しください。

◆「癒しと憩いフェス」2013 HP (7/27、28 開催)
http://iyashi-ikoi.org/

ちなみに、クラニオのセッション会場はホテルの4階だとか…。
http://iyashi-ikoi.org/images/map/guide_map_3_4F.html
リゾートホテルが会場ということもあり、ゴージャスな環境であることが期待されます。
といいつつも、見つけてもらえるのか微妙に不安な位置なんですが、
人が来なかったらひたすら景色を眺めていようと思います…。


私もこのイベントにはセッション担当その1として参加するわけですが、もし自分が受付の時にクラニオについてよく知らない方が来た場合、これは何をやるワークなのか説明の必要があるので、クラニオとその周辺知識を簡潔に説明するとしたらどうなるだろうかと、またクラニオ本を読んだりしながら考えています。こういう風に会場で説明するかは不明ですが、とりあえず、できるだけ簡単にしたつもりのものを頭の整理用に書いてみます。

 ①人体には1次呼吸という深くゆっくりしたリズムがある。

 ②1次呼吸は実体がないものではなく、
  脳脊髄液(や身体全体)の満ち引きのようなリズムとして感じられる。
  1次呼吸は、人のからだを編成するとともに、
  脳脊髄液を通してからだに滋養を運ぶ働きを持つと考えられている

 ③クラニオ・バイオダイナミクスの役目は、
  どんな方にでもあるこの1次呼吸の働きを尊重し、
  心身が今より良いバランスを見つけ出す手助けをすること。

 ④手助け(セッション)の方法は、術者が横になった相手にごく軽く触れながら、
  1次呼吸のリズムや身体の深い静けさに静かに耳を傾けること。

 ⑤からだは④のような体験をする(セッションを受ける)中で、
  自分の状態を無理のない範囲でみずから再編成して、
  よりよい心身のバランスを見つけることができる。

そこまで言ってよいものかと思う部分や、色々抜けはありますが、細かい部分はクラニオを受けたことのある方や身体にマニアックな興味がある方と判断できた時に話せばよいだろうし、現地でそんなに話し込んでいる時間があるかも不明なので、まあこんな感じかなと。
実際、受けてみないと分からない部分が多すぎなワークなので、うだうだ理屈を並べるよりも、気になったらまず受けてみましょう、的におすすめしてしまった方がいいのかもしれませんが。ちなみに、①~⑤の補足、などとここに軽く書こうとしたら、また長々と余計なことを書くモードに入ってしまいそうになったのでやめておきました。気が向いたらいつか書きます。


にしても、これらはクラニオ本の「ウィズダム イン ザ ボディ」なども眺めつつまとめたものですが、こうやってまとめようとしてみると、自分で理解が随分曖昧だなと思う箇所や、本を読んでそれは初耳だと認識する箇所が色々あり、私はクラニオについてまだまだ分かっていない部分が多いものと実感します。
まあ、私が語る内容が、理屈の上で物凄く整合性が取れている必要もないと思うのですが、アナログ的な言葉や不思議な言葉を併用して語るにしても、現行では重要な事を忘れているような感覚が付きまといます。とりあえず、イベント開催までにはもう一度頭を空にしてテキストを読み返し、説明の素材を集めるくらいはしておいた方がよさそうだなと思いました。

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例によって、ブログ放置気味です…。
とりあえず、割と最近のセッションの所感など書いてみます。
一言で言い表すとすれば、「解剖図の身体イメージにとらわれない」というところです。

クラニオ・バイオダイナミクスも、多少方針が独特であるにせよ、やはりボディワークなので、頭部の解剖学などはそれなりに詳しく学びますし、○○骨のワーク、とか、内臓のワーク、のようなものも学びます。なにより、触れる対象はエネルギーやエーテル体といったものではなくて、肉体です。
それと同時に、セッションの時は、解剖図ではこの骨はここと連結しているからこう動くはず、といった推論を働かせずに、今目の前で起こっている状況に対応し続けることが必要で、「セッション中は(解剖学の)知識はカーテンの後ろ側に」と先生には教えられました。「解剖図の身体イメージにとらわれない」のロマン的表現というところでしょうか。
なお、誤解されるといけないので最初に断っておきますが、これは、「解剖図・解剖学を知らなくてよい」という事では全くなくて、「それらを知ったうえでセッションでは手放すことが重要」という話です。以下もその前提を踏まえた上での所感・見解なので誤解なきよう。


そして最近、どうもこの「知識はカーテンの後ろ側に」の理解があまり深くなかったなと感じるに至ったわけです。これまでは、解剖学の知識に基づいた分析は使わないにしても、何となくうすぼんやりと解剖学図のイメージに則ってセッションしていた気がしますが、クラニオバイオダイナミクスのセッションに関しては、それらのイメージは100%不要とは言わないにせよ、限りなく不要に近いのではなかろうかと何となく感じています。
少々妙な表現になりますが、セッション中は、骨であるはずの部位も液であるかのような感じがすることがあります。臓器である部位がエネルギーでできているかのような感じがすることもあります。上記は割と一般的な例で、不可思議なことは他にも色々あるわけですが、この例だけとっても、解剖学的にはありえないことだと思いますし、あくまで体感としてそう感じているだけなので、機械で測定してみたら何らかの解剖学的変化が見られる可能性は高いと思います。
ただ、その「常識的でない・科学的でない状態」を感じたことを無理に解剖図に当てはめたり、否定したりせずにセッションを続けていくことで、より深いセッションになる確率が上がったり、受ける方の身体システムが落ち着きやすいような気がしています。逆に、これまでの経験からすると、セッション中の変化を解剖図に当てはめたり分析したりすることで、(それはそれで問題なくセッションは成立するのですが)、本来ならもっと豊かに表現できたはずの、受ける方の「バイオダイナミック」な変化を微妙に阻害していたような気がしなくもありません。


これまで、クラニオは「調整」や「矯正」ではないと散々書いていますが、ではなんなのかというと「変容」なのではないかと最近は思っています。この「変容のワーク」という言葉もセミナー5くらいに先生から聞いた言葉なので、私が命名したわけではなく、今更実感している、というだけなのですが。
「変容」というのは、身体部位Aを緩めて骨Bが動くことで、骨Bの癒着により圧迫されていた部位が解放され…といった「因果関係」の世界ではなく、錬金術において、鉄が金に変わるイメージのように、静けさを挟んで、身体の様相がAからBという全く異なる状態に変わってしまうようなイメージです。
硬直した状態を「緩めて」いくのではなく、硬直した状態から緩んだ状態に「置き換わる」ような感じとでも言えるかもしれません。もちろん、あくまでイメージですので、実際のセッション中では先に書いた「因果関係の世界」が粛々と進行中かもしれませんが、セッション中の身体の変化の様子は、術者にとっては、この「変容」という言葉がしっくりきます。
これは私の主観のみならず、受けた方からも同じような内容の感想をいただくことがあります(もちろん、そういう感想でない場合もあります)。時にこちらが驚くような体験を語られる方もありますが、「スティルネス」や「ウィズダム イン ザ ボディ」といったクラニオ本で紹介されている「体験者の声」と、頂いた感想を改めて見直してみると結構似た表現があるので、「変容」をイメージさせるような結果は、クラニオ・バイオダイナミクスを実施することでしばしば発生しうる結果の1つなのだろうと思っています。


そんなわけで、最近の様子についてアバウトな表現で書いてみました。
なお、個人的には、今回書いたような内容は、私が向かうべきセッション方針として納得感があるのは確かですが、仮に私が全く同じ人に全く同じ方針でセッションを行ったとしても、受ける側や行う側の身体状態や関係性などによってセッション内容や結果は変わるくらいなので、今回書いたことがクラニオ・バイオダイナミクスの正解とかベストな結果だという気は全くありません。

また、解剖図などの「特定の形」にとらわれないことが良いとか高級と言いたいわけでもないです。個人的には、形があることもないことも、どちらにも正しさと価値があると思います。形や法則性があるものをしっかり学ぶからこそ、「形がないけど意味のある表現」ができるのだと思いますし、そこからまた形あるものへ戻って質を高め…といったスパイラル的な成長が可能とも思っています。また、あえて形に徹底的にこだわることで磨かれる道もあるように思います。
「同じものを学んでも最後は ひとりひと技」と私が学ぶ中国武術の先生や先輩も言われてましたが、クラニオも、身体寄りのセッションをする人や、エネルギーワークに近いセッションをする人、技術重視や気持ち重視など、色々な方針の方がいるでしょうし、技術の原理原則から外れない範囲で行われる限り、個人的な方針の好みや、経験の差異による技術の熟練度はあるにせよ、いろいろな解釈や表現があって良いと思います。

ちなみに、セッションを受けた方から、私自身がクラニオを受ける側として感動したことはあるかと聞かれ、受けて感動した覚えはほとんどないと答えてしまいましたが(もちろん受けた後は、受けてよかったなと思いますが、結構疲れているのか、ぐっすり寝てしまってセッション途中の詳細を覚えていないことが多く…)「やる側」としての感動体験には事欠かないと感じるしだいです。


5/20追記
先日セッションをした際、そういえば、セッション中に解剖図がふと浮かんでくる場合もあるよなと感じました。こういった場合は上記と反対で「浮かんできた解剖図を見まいとする」ほうが不自然な感じがします。「解剖図にとらわれない」というのは、その時々に応じて解剖図のイメージを使うことも使わないこともできる、という両方の意味があるよなと思った出来事でした。どんな手段も使い方によりけりというところでしょうね。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

私のプロフィール的なものはこちら
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