クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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◆
手軽に書けることがないので、最近の身体の波(タイド)に関する妄想を書きます。妄想なので、どんなにもっともらしくても信用しないでください…。
その妄想の内容というのは、もしかしたら人体には、クラニオ・バイオダイナミクスでガイドとしているミッドタイド(1分につき2~3サイクルくらいといわれている1次呼吸のリズム)やロングタイド(長さは諸説あるが、ミッドタイドよりずっとゆっくりな1次呼吸のリズム)より、更にゆっくりの波が幾つもあるのかもしれない、ということです。あるのかわかりませんし、あったとしても、クラニオセッション中に殊更に参照されることはないと思いますが…。
◆
何となくそう思ったのは、野口整体の本で季節による身体の変動があるとか、数年単位の身体の調子の上昇下降(好調低調)の波みたいなものがあるという話を読んだのをふと思い出したからです。
これらの本を読んだのは何年か前のことですが、1つ前の日記でとりあげた、私のクラニオの先生のせりふ「身体の複数のリズムは互いに関連するものであり、実は皆1つの大いなるリズムの現れの違いかもしれない」から、野口晴哉先生が紹介しているそれらのリズムも、何らかの身体のリズミカルな変化には違いないのだから、実は身体の波として現れてるんじゃないかと突然思った、というところです。
ちなみに、季節ごとの身体の変動というのは、暑い季節に近づくにつれ骨盤などが開いて身体が緩み、逆に寒い季節に近づくにつれて身体が締まる(寒くて縮こまるとかではなく、骨格レベルで変わるのだそうです)というものですね(前にも書いたような書かなかったような)。
で、その季節ごとの切り替えがスムーズにいかない場合は風邪をひいたりして、身体の切り替わりを促進させると。これは四季の変化による気候の変動が比較的明確な日本独特の変化なのかもしれません。もっとも、これは身体の波そのものというより、環境に適応しての生理的反応に近いものな気もしており、身体の波と直接の関係はないのかもしれません。まあ、それらの身体の変化を実際に起こすエネルギーとして身体の波が関係しているかもしれない、といえるくらいでしょうか。
ロングタイドよりも更にゆっくりの1次呼吸の表現があるとしたら、「数年単位の身体の調子の上昇下降(好調低調)の波みたいなもの」のほうで、これも野口先生の本には具体的にA年ごと、B年ごとなどと何種類かあるようなことを書かれてましたが、具体的に何年単位だったのかまでは覚えてません。これは、下がるのが悪いということではなく、それは休息に適していたり内側に集中しやすいような時期ということかもしれません。どちらがよいというものでもなく、陰と陽の関係みたいなものだろうと思っています。この波というものが体にどんな表現として表れているのかは分かりませんが、野口先生やそのお弟子さんが分かっているのだから、何か身体に測る基準があるのは確かなんでしょう。まあ、1次呼吸を観測して分かったわけではないでしょうから、私の興味とは少し異なるわけですが。
◆
私としては、1次呼吸にこういう年単位のリズムまで表現されているのだとしたら、クラニオセッションを行うことで、現状の身体機能がバランスをとる手助けのみならず、その人がこれから向かう身体の年単位の低調時期を無理なく乗り切る手助けなんてことも結果的にできていたらおもしろいなと思うのですが、どんなもんなんでしょうねえ。
もっとも、仮に1次呼吸を徹底的に観察できたところで、ここが波のひとつの極だと分かるには最低でも数年以上かかるわけですし、それがロングタイドの中にさりげなくまぎれていていたりしたら、そんな波が1次呼吸にあるのかの検証は至難という気もします。そもそも、「徹底的に観察」という態度はクラニオ・バイオダイナミクスのセッションを行う上ではあまりよろしくないので、殊更に区別する意味はないのかもしれないですね。身体の声にきっちり耳を澄ませていれば、それが何年周期の波だろうと、アクセスすること自体はできているのかもしれませんし。
とりあえずは、1次呼吸を視野に入れたセッションには、実は受ける人の「今の身体」のみならず「これからの身体」に対するスケールの大きな恩恵がもしかしたらあるかもしれない、くらいに思っておくのがプラクティショナーとしては無難な態度かもしれません。クラニオバイオダイナミクスのセッションは、セッションを受けた3日後や10日後にもセッションによる身体の変化が続いているといわれるくらいですから、ありえないことはないかもしれません。
あとは、天体や潮の満ち引きなどの自然の規則的リズムの影響がこういう非常に長いレベルの波にどのくらい影響しているのかなども気になるところではありますが、そこまでいくと個人レベルでいくら想像をたくましくしたところで分かる気はしないので、妄想はこの位にして、テキストや実際のセッションから学ぶモードに戻ろうと思います。
手軽に書けることがないので、最近の身体の波(タイド)に関する妄想を書きます。妄想なので、どんなにもっともらしくても信用しないでください…。
その妄想の内容というのは、もしかしたら人体には、クラニオ・バイオダイナミクスでガイドとしているミッドタイド(1分につき2~3サイクルくらいといわれている1次呼吸のリズム)やロングタイド(長さは諸説あるが、ミッドタイドよりずっとゆっくりな1次呼吸のリズム)より、更にゆっくりの波が幾つもあるのかもしれない、ということです。あるのかわかりませんし、あったとしても、クラニオセッション中に殊更に参照されることはないと思いますが…。
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何となくそう思ったのは、野口整体の本で季節による身体の変動があるとか、数年単位の身体の調子の上昇下降(好調低調)の波みたいなものがあるという話を読んだのをふと思い出したからです。
これらの本を読んだのは何年か前のことですが、1つ前の日記でとりあげた、私のクラニオの先生のせりふ「身体の複数のリズムは互いに関連するものであり、実は皆1つの大いなるリズムの現れの違いかもしれない」から、野口晴哉先生が紹介しているそれらのリズムも、何らかの身体のリズミカルな変化には違いないのだから、実は身体の波として現れてるんじゃないかと突然思った、というところです。
ちなみに、季節ごとの身体の変動というのは、暑い季節に近づくにつれ骨盤などが開いて身体が緩み、逆に寒い季節に近づくにつれて身体が締まる(寒くて縮こまるとかではなく、骨格レベルで変わるのだそうです)というものですね(前にも書いたような書かなかったような)。
で、その季節ごとの切り替えがスムーズにいかない場合は風邪をひいたりして、身体の切り替わりを促進させると。これは四季の変化による気候の変動が比較的明確な日本独特の変化なのかもしれません。もっとも、これは身体の波そのものというより、環境に適応しての生理的反応に近いものな気もしており、身体の波と直接の関係はないのかもしれません。まあ、それらの身体の変化を実際に起こすエネルギーとして身体の波が関係しているかもしれない、といえるくらいでしょうか。
ロングタイドよりも更にゆっくりの1次呼吸の表現があるとしたら、「数年単位の身体の調子の上昇下降(好調低調)の波みたいなもの」のほうで、これも野口先生の本には具体的にA年ごと、B年ごとなどと何種類かあるようなことを書かれてましたが、具体的に何年単位だったのかまでは覚えてません。これは、下がるのが悪いということではなく、それは休息に適していたり内側に集中しやすいような時期ということかもしれません。どちらがよいというものでもなく、陰と陽の関係みたいなものだろうと思っています。この波というものが体にどんな表現として表れているのかは分かりませんが、野口先生やそのお弟子さんが分かっているのだから、何か身体に測る基準があるのは確かなんでしょう。まあ、1次呼吸を観測して分かったわけではないでしょうから、私の興味とは少し異なるわけですが。
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私としては、1次呼吸にこういう年単位のリズムまで表現されているのだとしたら、クラニオセッションを行うことで、現状の身体機能がバランスをとる手助けのみならず、その人がこれから向かう身体の年単位の低調時期を無理なく乗り切る手助けなんてことも結果的にできていたらおもしろいなと思うのですが、どんなもんなんでしょうねえ。
もっとも、仮に1次呼吸を徹底的に観察できたところで、ここが波のひとつの極だと分かるには最低でも数年以上かかるわけですし、それがロングタイドの中にさりげなくまぎれていていたりしたら、そんな波が1次呼吸にあるのかの検証は至難という気もします。そもそも、「徹底的に観察」という態度はクラニオ・バイオダイナミクスのセッションを行う上ではあまりよろしくないので、殊更に区別する意味はないのかもしれないですね。身体の声にきっちり耳を澄ませていれば、それが何年周期の波だろうと、アクセスすること自体はできているのかもしれませんし。
とりあえずは、1次呼吸を視野に入れたセッションには、実は受ける人の「今の身体」のみならず「これからの身体」に対するスケールの大きな恩恵がもしかしたらあるかもしれない、くらいに思っておくのがプラクティショナーとしては無難な態度かもしれません。クラニオバイオダイナミクスのセッションは、セッションを受けた3日後や10日後にもセッションによる身体の変化が続いているといわれるくらいですから、ありえないことはないかもしれません。
あとは、天体や潮の満ち引きなどの自然の規則的リズムの影響がこういう非常に長いレベルの波にどのくらい影響しているのかなども気になるところではありますが、そこまでいくと個人レベルでいくら想像をたくましくしたところで分かる気はしないので、妄想はこの位にして、テキストや実際のセッションから学ぶモードに戻ろうと思います。
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また間があいてしまいました。今回は10月のアドバンス講座つながりの話その2です。
前にも書いたように、この講座は主に肺がテーマだったわけですが、講座内容には、肺呼吸(2次呼吸)の状態の観察も含まれていました。クラニオセッションを受けると、受ける前に比べて肺呼吸も深くなることがわかりました、という感じのやつです。肺呼吸も1次呼吸とはまた違った人体のひとつのリズムと言えるわけですが、それを説明する際の先生の言葉に「身体の複数のリズムは互いに関連するものであり、実は皆1つの大いなるリズムの現れの違いかもしれない」というものがあり、なるほどと思わされました。
◆
これは、人体の複数のリズム全てを統括する1つのリズムがあるのかも、とも解釈できますが、若干捻って解釈すると、「身体の複数のリズムの調和がその人全体のリズム」とも言えるのかもしれません。そのため、1つのリズムの調和が取れれば、他のリズムの状態も影響を受け、結果として全体の調和状態も変わるかもしれません。例えば、何らかの呼吸法により肺呼吸の状態が変われば、それは心臓の鼓動や臓器の動き、あるいは(リズムと言わないかもしれないが)神経伝達物質の流れにも影響を及ぼす、というような。
リズムというのは、大雑把な表現ですが、ここでは「身体各部の規則的な反復する動き」というような意味で使っています。肺呼吸には、吸ったり吐いたりの半ば自動的・半ば意識的な動きがあるわけですし、1次呼吸は全身各部がごくごく微かに開いたり閉じたり(実際は複数の動きが組み合わさっているので細かい表現が難しいですが)するような規則的な動きを生み出します。
◆
私もクラニオをやる人ですから、「1次呼吸こそ人体の最も根源的なリズムなのだ(ドヤァ)」みたいに、無意識のうちに序列をつけて考えていたところがあったかもしれませんが、先生の話を聞いて、身体のリズムのうち、別にどれが一番偉いってことはないよな、という当たり前のことを再認識しました。
クラニオ・バイオダイナミクスの考えでは、1次呼吸は発生学的に、受精卵の時点から存在するリズムとされており、「編成のフォース」などと呼ばれています。人が自分のからだを再構成する力で、成長してからもその力は全身に影響を及ぼしているから、その力を利用して自分の状態を再構成できるというところです。クラニオ・バイオダイナミクスではその力が発揮されやすいように静かな環境をセッションで提供するわけですね。
人には受精卵の時点から「中心線・基準線(ミッドラインとよばれる)」があり、受精卵はその部位を中心に働く自律的な動き(1次呼吸)に導かれるように丸まったり反ったりする動きを繰り返しながら胎児としての形を成していくわけですが、DNAという設計図があるとして、その成長の工程を実際の動きとして表現しているリズムが1次呼吸、といえるかもしれません(※)。
ちなみに誕生以降は、脊椎に沿うようにして、脳脊髄液が流れているあたりの位置に1次呼吸の動きの中心がくるので、「形のある脳脊髄液の流れの状態を観察することで、形のない1次呼吸というフォースの動き・状態を間接的に判断する」ことはできますが、脳脊髄液の流れが1次呼吸なのではないです。
そのため、1次呼吸は「人のからだが3次元世界に現れて一番最初に表現するリズムかもしれん」とは一応言えると思うんですが、それがすべてのリズムの上位にあるかというと、そんなことはないわけです。当たり前ですが、心臓の鼓動は1次呼吸を原動力として起きるわけではないですし、肺呼吸(2次呼吸)も同様です。それらの臓器は鼓動や2次呼吸による動きとは別に「1次呼吸によって動かされている動きのパターン」を別に持っているので、両者は違うリズムですし、主従関係もないわけです。ちなみに、1次呼吸と2次呼吸は全然表現が違いますが、その分両者を同時に意識に入れるのは結構難しく、スキルが必要でした。
◆
身体のリズムにかかわるワークにも様々なものがあると思いますが、リズムに主従関係がないように、これもやはりどれが偉いというものでもなく、いずれかに適切にかかわることができれば、どこにかかわっても何がしかいいことはあるのではないかと思います。まあ、クラニオは主に1次呼吸を基準にアプローチしつづけるのみ、という感じですね。
※
この辺の胎生学の知識は我ながらほんと曖昧な部分が多いなと思います…。ちょっといい加減なことを書いている気もするので、話半分くらいに捉えていただければと。自分の中でもう少し整理したいところです。ちなみに、胎生学の学問分野で1次呼吸という概念が一般的なわけではないですが、受精卵がミッドラインを軸に変化していく自律的な動きそのものは物理的に観測されているようです。その働き(1次呼吸とされてるもの)がどこからどうやって生じているのかは不明です。何ら臓器がない細胞1個の時から勝手に動いて分裂したりしていくのだから本当に謎です。
前にも書いたように、この講座は主に肺がテーマだったわけですが、講座内容には、肺呼吸(2次呼吸)の状態の観察も含まれていました。クラニオセッションを受けると、受ける前に比べて肺呼吸も深くなることがわかりました、という感じのやつです。肺呼吸も1次呼吸とはまた違った人体のひとつのリズムと言えるわけですが、それを説明する際の先生の言葉に「身体の複数のリズムは互いに関連するものであり、実は皆1つの大いなるリズムの現れの違いかもしれない」というものがあり、なるほどと思わされました。
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これは、人体の複数のリズム全てを統括する1つのリズムがあるのかも、とも解釈できますが、若干捻って解釈すると、「身体の複数のリズムの調和がその人全体のリズム」とも言えるのかもしれません。そのため、1つのリズムの調和が取れれば、他のリズムの状態も影響を受け、結果として全体の調和状態も変わるかもしれません。例えば、何らかの呼吸法により肺呼吸の状態が変われば、それは心臓の鼓動や臓器の動き、あるいは(リズムと言わないかもしれないが)神経伝達物質の流れにも影響を及ぼす、というような。
リズムというのは、大雑把な表現ですが、ここでは「身体各部の規則的な反復する動き」というような意味で使っています。肺呼吸には、吸ったり吐いたりの半ば自動的・半ば意識的な動きがあるわけですし、1次呼吸は全身各部がごくごく微かに開いたり閉じたり(実際は複数の動きが組み合わさっているので細かい表現が難しいですが)するような規則的な動きを生み出します。
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私もクラニオをやる人ですから、「1次呼吸こそ人体の最も根源的なリズムなのだ(ドヤァ)」みたいに、無意識のうちに序列をつけて考えていたところがあったかもしれませんが、先生の話を聞いて、身体のリズムのうち、別にどれが一番偉いってことはないよな、という当たり前のことを再認識しました。
クラニオ・バイオダイナミクスの考えでは、1次呼吸は発生学的に、受精卵の時点から存在するリズムとされており、「編成のフォース」などと呼ばれています。人が自分のからだを再構成する力で、成長してからもその力は全身に影響を及ぼしているから、その力を利用して自分の状態を再構成できるというところです。クラニオ・バイオダイナミクスではその力が発揮されやすいように静かな環境をセッションで提供するわけですね。
人には受精卵の時点から「中心線・基準線(ミッドラインとよばれる)」があり、受精卵はその部位を中心に働く自律的な動き(1次呼吸)に導かれるように丸まったり反ったりする動きを繰り返しながら胎児としての形を成していくわけですが、DNAという設計図があるとして、その成長の工程を実際の動きとして表現しているリズムが1次呼吸、といえるかもしれません(※)。
ちなみに誕生以降は、脊椎に沿うようにして、脳脊髄液が流れているあたりの位置に1次呼吸の動きの中心がくるので、「形のある脳脊髄液の流れの状態を観察することで、形のない1次呼吸というフォースの動き・状態を間接的に判断する」ことはできますが、脳脊髄液の流れが1次呼吸なのではないです。
そのため、1次呼吸は「人のからだが3次元世界に現れて一番最初に表現するリズムかもしれん」とは一応言えると思うんですが、それがすべてのリズムの上位にあるかというと、そんなことはないわけです。当たり前ですが、心臓の鼓動は1次呼吸を原動力として起きるわけではないですし、肺呼吸(2次呼吸)も同様です。それらの臓器は鼓動や2次呼吸による動きとは別に「1次呼吸によって動かされている動きのパターン」を別に持っているので、両者は違うリズムですし、主従関係もないわけです。ちなみに、1次呼吸と2次呼吸は全然表現が違いますが、その分両者を同時に意識に入れるのは結構難しく、スキルが必要でした。
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身体のリズムにかかわるワークにも様々なものがあると思いますが、リズムに主従関係がないように、これもやはりどれが偉いというものでもなく、いずれかに適切にかかわることができれば、どこにかかわっても何がしかいいことはあるのではないかと思います。まあ、クラニオは主に1次呼吸を基準にアプローチしつづけるのみ、という感じですね。
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この辺の胎生学の知識は我ながらほんと曖昧な部分が多いなと思います…。ちょっといい加減なことを書いている気もするので、話半分くらいに捉えていただければと。自分の中でもう少し整理したいところです。ちなみに、胎生学の学問分野で1次呼吸という概念が一般的なわけではないですが、受精卵がミッドラインを軸に変化していく自律的な動きそのものは物理的に観測されているようです。その働き(1次呼吸とされてるもの)がどこからどうやって生じているのかは不明です。何ら臓器がない細胞1個の時から勝手に動いて分裂したりしていくのだから本当に謎です。
◆
先日のクラニオ合宿では、「肺」がテーマだったのですが、実際のテーマ以外の部分の話題にもいろいろ印象深かった内容がありました。その1つは、クライアントさんの身体システムの「準備」が整っていない場合、クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは難しいので、そのような状態の方には準備が整うまで「20分くらいのセッションを連続1週間くらい毎日」やることもあるという内容でした(細部は少し違ったかもしれません)。
「準備が整っていない場合」というのは、色々あると思いますが、たとえば、自律神経系の過活性状態や深い疲労の蓄積などにより、そもそも身体システムが落ち着くこと自体が困難であるとか身体に自分自身を変容(調整)させるエネルギー(クラニオ・バイオダイナミクスで「ポーテンシー」と呼ばれるもの。1次呼吸とは別物)が枯渇したように感じられる場合などがあります。クラニオ・バイオダイナミクスの深いセッションを行うには、まず身体システムが落ち着いた状態になれることが前提とされているためです。
なお、この状態は、体の表現する動きのパターンや触れた時の雰囲気から何となく判断しているもので、身体の硬さや緊張などとは必ずしもイコールではありません。また、疲弊しているといっても、動けないほどぐったりしているとも限らず、問題なく社会生活を送られている場合もあります。なんらかの病気でない場合も当然多いと思います。
◆
クラニオ・バイオダイナミクスでは、プラクティショナーがニュートラルな状態(プラクティショナーニュートラル)になることにより、クライアントさんの身体システム自身もニュートラルな状態を見つける手助けができ、そのことは、クライアントさんの身体に様々な変容を起こす入口のような役割を果たします。
大概のクライアントさんの身体システムは程度の差こそあれ、ニュートラルになって落ち着くことができるので、そのままフルセッションに移行することができますが、前述のように、そもそも「ニュートラルになることが難しい」身体システムを抱えている方の場合は、まずは、身体システムが「ニュートラルに入ることができる」「落ち着くことができる」段階を目指して、複数回のセッションを受けたほうがよい場合がある、ということです。もちろん、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの方法論としては、クラニオ以外のボディワークでも、全然別の手段でも何でも構わないと思います。
なお、先の例で「20分くらい」という時間が出てきましたが、疲弊した身体システムの方にクラニオを長時間やると余計疲れてしまうので、短めにしているということです(クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは60~90分くらいです)。クライアントさんがじっとしていることすら辛くて長時間受けられないので、短くならざるを得ない、といった場合もあるかと思います。こういった状態の方に対しては、しっかりとサポートができるように、プラクティショナー自身にも強固なプラクティショナーニュートラルが必要とされそうです。
「自然治癒力」のような言葉は色々な分野の説明でなんとなく使われている気がしますが、実際は、その治癒力氏にも色々と都合があって、いつでも何にでも対応できるわけではない、ともいえるかもしれません。
◆
そして、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの間、セッションによる大きな変化を期待していた方は、セッションを受けても何となく寝たといった小さな実感しかない場合もあるかもしれません。実際は、目立ったことが起きていないように見える中で、身体システムが「ポーテンシー」を蓄えているなど、何がしかは起きています。そのため、上記のような段階では、「クライアントさんによっては受けた時の効果が実感しづらい場合もありうる」ともいえるかもしれません。
能動的に矯正を行わない態度により、受ける方自身の身体の働きを援助する、というクラニオ・バイオダイナミクスの特性上、こういう状況がありうるのはやむなきところではありますが、実際に遭遇するとなかなか説明に苦慮しそうな部分です。私もいろいろ説明したものの理解してもらえず、歯がゆい思いをしたことがあります。
1つ前の記事の後半に書いた「先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することが必要」といっていた」という部分はここにもあてはまりそうです。受ける方の状況の深刻さ度合いによっては、この特性を納得してもらった上で、何回か手ごたえのない感じのセッションを受けてもらったり、病院に通院しながらセッションを受けてもらうなど、時にはさまざまな選択肢を考える必要もありそうです。
◆
これらについて書いていると、身体が変化する際には段階を踏む必要がある(そしてクラニオ・バイオダイナミクスはその過程を尊重する)ということ、いくら完全なセッションであったとしても、身体の状況いかんではいつでも劇的な変化が得られるとは限らないということ、逆に、セッションで目立った変化がないからといって、「失敗」とは限らないということ、そもそもクラニオ・バイオダイナミクスで「効果がある」とは、どういうことか、などなど、「身体の智慧に従う」ことの意味や、それらをどう説明したらわかってもらいやすいのか色々考えさせられるものがあります。
先生のこの話は、数年前に受講した基礎セミナー2や3くらいで最初に出てきた内容で、出てくる例は都度異なるものの、実際は何度か聞いた内容でもあります。このブログにも前に書いた気もします…。しかし、ある程度経験を積んだ今になって聞くと、前述のごとく、クラニオ・バイオダイナミクスについての認識を改めて問い直す機会のようでもあり、何度も聞いたにもかかわらず、個人的には新鮮な内容に感じました。
先日のクラニオ合宿では、「肺」がテーマだったのですが、実際のテーマ以外の部分の話題にもいろいろ印象深かった内容がありました。その1つは、クライアントさんの身体システムの「準備」が整っていない場合、クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは難しいので、そのような状態の方には準備が整うまで「20分くらいのセッションを連続1週間くらい毎日」やることもあるという内容でした(細部は少し違ったかもしれません)。
「準備が整っていない場合」というのは、色々あると思いますが、たとえば、自律神経系の過活性状態や深い疲労の蓄積などにより、そもそも身体システムが落ち着くこと自体が困難であるとか身体に自分自身を変容(調整)させるエネルギー(クラニオ・バイオダイナミクスで「ポーテンシー」と呼ばれるもの。1次呼吸とは別物)が枯渇したように感じられる場合などがあります。クラニオ・バイオダイナミクスの深いセッションを行うには、まず身体システムが落ち着いた状態になれることが前提とされているためです。
なお、この状態は、体の表現する動きのパターンや触れた時の雰囲気から何となく判断しているもので、身体の硬さや緊張などとは必ずしもイコールではありません。また、疲弊しているといっても、動けないほどぐったりしているとも限らず、問題なく社会生活を送られている場合もあります。なんらかの病気でない場合も当然多いと思います。
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クラニオ・バイオダイナミクスでは、プラクティショナーがニュートラルな状態(プラクティショナーニュートラル)になることにより、クライアントさんの身体システム自身もニュートラルな状態を見つける手助けができ、そのことは、クライアントさんの身体に様々な変容を起こす入口のような役割を果たします。
大概のクライアントさんの身体システムは程度の差こそあれ、ニュートラルになって落ち着くことができるので、そのままフルセッションに移行することができますが、前述のように、そもそも「ニュートラルになることが難しい」身体システムを抱えている方の場合は、まずは、身体システムが「ニュートラルに入ることができる」「落ち着くことができる」段階を目指して、複数回のセッションを受けたほうがよい場合がある、ということです。もちろん、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの方法論としては、クラニオ以外のボディワークでも、全然別の手段でも何でも構わないと思います。
なお、先の例で「20分くらい」という時間が出てきましたが、疲弊した身体システムの方にクラニオを長時間やると余計疲れてしまうので、短めにしているということです(クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは60~90分くらいです)。クライアントさんがじっとしていることすら辛くて長時間受けられないので、短くならざるを得ない、といった場合もあるかと思います。こういった状態の方に対しては、しっかりとサポートができるように、プラクティショナー自身にも強固なプラクティショナーニュートラルが必要とされそうです。
「自然治癒力」のような言葉は色々な分野の説明でなんとなく使われている気がしますが、実際は、その治癒力氏にも色々と都合があって、いつでも何にでも対応できるわけではない、ともいえるかもしれません。
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そして、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの間、セッションによる大きな変化を期待していた方は、セッションを受けても何となく寝たといった小さな実感しかない場合もあるかもしれません。実際は、目立ったことが起きていないように見える中で、身体システムが「ポーテンシー」を蓄えているなど、何がしかは起きています。そのため、上記のような段階では、「クライアントさんによっては受けた時の効果が実感しづらい場合もありうる」ともいえるかもしれません。
能動的に矯正を行わない態度により、受ける方自身の身体の働きを援助する、というクラニオ・バイオダイナミクスの特性上、こういう状況がありうるのはやむなきところではありますが、実際に遭遇するとなかなか説明に苦慮しそうな部分です。私もいろいろ説明したものの理解してもらえず、歯がゆい思いをしたことがあります。
1つ前の記事の後半に書いた「先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することが必要」といっていた」という部分はここにもあてはまりそうです。受ける方の状況の深刻さ度合いによっては、この特性を納得してもらった上で、何回か手ごたえのない感じのセッションを受けてもらったり、病院に通院しながらセッションを受けてもらうなど、時にはさまざまな選択肢を考える必要もありそうです。
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これらについて書いていると、身体が変化する際には段階を踏む必要がある(そしてクラニオ・バイオダイナミクスはその過程を尊重する)ということ、いくら完全なセッションであったとしても、身体の状況いかんではいつでも劇的な変化が得られるとは限らないということ、逆に、セッションで目立った変化がないからといって、「失敗」とは限らないということ、そもそもクラニオ・バイオダイナミクスで「効果がある」とは、どういうことか、などなど、「身体の智慧に従う」ことの意味や、それらをどう説明したらわかってもらいやすいのか色々考えさせられるものがあります。
先生のこの話は、数年前に受講した基礎セミナー2や3くらいで最初に出てきた内容で、出てくる例は都度異なるものの、実際は何度か聞いた内容でもあります。このブログにも前に書いた気もします…。しかし、ある程度経験を積んだ今になって聞くと、前述のごとく、クラニオ・バイオダイナミクスについての認識を改めて問い直す機会のようでもあり、何度も聞いたにもかかわらず、個人的には新鮮な内容に感じました。
昨日までICSBのクラニオ・アドバンス講座に行っていました。普段は個々で活動することが多い全国のICSBクラニオ・プラクティショナーが集まる機会でもあるので、なかなか壮観です。その時の感想はまた後日まとめようと思います。
◆
そして、その場で先日のニュートラル講座にアシスタントとして来てくれたクラニオ同期のCさんとニュートラル講座について話をしていたのですが、その中で、ニュートラルを保ったまま相手に触れられる体験をした時、どこかに取り残されたような怖い思いをした参加者の方がおられたと聞きました。
一部の方に目が行き届かなかったような…と個人的に思っていた部分はあったのですが、そういった方に私自身が適切な援助ができなかったのは申し訳ない気持ちです。幸いにして、私が講座を進行している間にCさんがその方と色々話をするなどの形でサポートしてくれたようで、大事には至らなかったようですが、Cさんがいなかったらと思うと、なかなかぞっとするものがあります。
これは、誰が悪いというものではなくて、気を付けていても、人に触れている最中、ちょっとしたことで身体の思わぬ変化を促してしまうことはしばしば起こります。ニュートラル講座で行ったのは「ただ相手に触れる」ことで、クラニオをやろうとしたわけではないですが、それでも普段より精妙な身体の領域に触れていた可能性はあると思いますし、特に、自分の意識の使い方があまりわかっていない初心の段階では、やる側が相手に余計な介入をせず、ベストを尽くしているつもりでも、なお問題が起きることもあります。過去の私自身もそうでしたし、クライアントさんの状態や相性によっては、多少熟練したからといって何が起こるか分からない部分はあります(特にクラニオ・バイオダイナミクスはアドリブ要素が多いので)。
前にも書きましたが、先生が見守るICSB基礎講座の中ですら、最初の1~2年の講座では、相手に触れられることで、感情に大きな揺らぎが起きて泣いてしまったり、調子が悪くなってしまった人が、教室の中で1日1回くらいはいた程であり、また、よほど酷いことが起きているのでない限り、(少なくとも姿勢などの見た目はそれなりにちゃんとしているので)プラクティショナー役の見た目から「セッションで起こりつつあるちょっとした問題」を第三者が予測するのはなかなか困難なものがあります。
◆
Cさんの話を聴いて、ニュートラル講座では、相手に触れる体験をする前に、「もし調子が悪くなったり、困ったことがあったら遠慮なく手を挙げて知らせてください」と言っておけばよかったなあ、と思いました。自分が困ったときに、ヘルプの必要性を素直に知らせることは、簡単にできる方もいますが、人によっては事前に言われていないと(あるいは事前に言われていても)結構難しいものです。いうなれば、なかなかヘルプを要請しがたいタイプの方(これまた、私もそうでした)は、練習で受ける役になった時に「困ったときにヘルプを求めるスキル」を育てていく必要があるということですね。
日本人には比較的多そうな気がするのですが、セッションを受けていて気持ち悪くなったり、何となくこのまま続けるとまずい気がしていても、やっている相手に悪いなとか、お金がもったいないなとか、まだ我慢できるとか考えて、結局最後まで耐えてふらふらになってしまうケースが時にあるように思います。
セッション途中で違和感・ヘルプを訴えて方向修正してもらう場合は、アシスタント的な第三者がいればサポートが得られるでしょうし、少なくともひどい状態になる前に終わることはできると思うので、結果として大概は禍根を残さずに終われるのですが、最後まで耐えてふらふらになると、(やる相手は一生懸命やっていて何ら悪意はないのですが)時にセッションを自分にした相手への怒りがふつふつと湧いてきたり、あまり建設的な結果にはならないことが多い気がします(笑)。
ICSBクラニオ講座では、問題が起きた時、あるいは問題が起きかけた時にヘルプを求めることで、すかさず先生や周囲の人がサポートしてくれたので、皆無事に卒業できたわけですね。今回のニュートラル講座でも、2組の方々は自発的に違和感を知らせてくれたので、私がサポートに入ることができ、問題なく終わることができたようです。
◆
なので、こういった練習では、受ける側も100%やる側にお任せではなくて、こうしてほしい、今の感じは嫌だ、こわいと感じた、などの場合は、素直にやっている相手や周囲の人にヘルプの意図を表現してもらえると、結果的に良いセッションになると思います(受ける側が間断なく自分の身体の違和感がないか探し続けるとか、些細なことを大げさに言われるのもよくないですけど)。対人セッションの練習中ならば、セッションをやる側の役にとっても、よい経験になります。初めのころは結構ショックも大きいかもしれませんが、確実に対応力の訓練になります。セッションではいろいろなことが起きるので、対応力はほとんど必須です。
これはクラニオ以外のワークを受ける時に関しても言えることなのかもしれません。例え身体に必要な変化が起きていても、その変化が大きい場合は、今日はこれ以上受けるのはしんどいなあ、と思うこともあるので、その場合は、違和感やヘルプを術者に表明することが、結果的に身体のよい変化につながるかもしれません(その時一時中断して、落ち着いてから後日続きをやると身体の変化がスムーズに進むとか)。ごくまっとうな術者なら、要求をちゃんと聞いて何か対応してくれるはずです。
術者が熟練者ならば、何かが起こってもそうそう深刻化することはありませんし、何も言わなくても自動的に察して対応する場合もありますが、結局自分のからだのことは自分しか分からない部分もあります。いかにプラクティショナーでも、他人の身体の心地よさ状態を100%理解できるわけではないので、ヘルプ要求に関してはクライアントさんにもご協力願いたいところです。
私自身もICSBクラニオ基礎講座の前半では、練習でクラニオを受ける役の時に(違和感に耐えて)何度も痛い目に遭うことで「これはもっと早めに違和感を相手に訴えないと駄目だ」と学んだ口です。結果、相手に対して、何か問題が起こる前に自然と色々要求できるようになり、心地よい形でセッションを続けてもらえるようになりました(日常でもそうかもしれません)。なので、ひどく体調を崩したりすることがなければ、痛い目に遭うのもよい経験といえば良い経験ではあるとも思います。今回怖い目にあった方には、これもひとつの特別な経験ということで、今後に生かしていただければ幸いです。まあ、この点は次回以降に同種の講座を実施する機会があったら、対策を施したいところですね。
◆
ちなみに、ICSBクラニオ講座内では、先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することも必要です」と何度か言われているのですが、これはクラニオについて理解してもらうのみならず、自分の心地よさや違和感に向き合ってもらうようお願いすること、困ったときは遠慮なく助けを求めてよいのだと共有することも「教育」の一つなのだろうなと改めて思いました。
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そして、その場で先日のニュートラル講座にアシスタントとして来てくれたクラニオ同期のCさんとニュートラル講座について話をしていたのですが、その中で、ニュートラルを保ったまま相手に触れられる体験をした時、どこかに取り残されたような怖い思いをした参加者の方がおられたと聞きました。
一部の方に目が行き届かなかったような…と個人的に思っていた部分はあったのですが、そういった方に私自身が適切な援助ができなかったのは申し訳ない気持ちです。幸いにして、私が講座を進行している間にCさんがその方と色々話をするなどの形でサポートしてくれたようで、大事には至らなかったようですが、Cさんがいなかったらと思うと、なかなかぞっとするものがあります。
これは、誰が悪いというものではなくて、気を付けていても、人に触れている最中、ちょっとしたことで身体の思わぬ変化を促してしまうことはしばしば起こります。ニュートラル講座で行ったのは「ただ相手に触れる」ことで、クラニオをやろうとしたわけではないですが、それでも普段より精妙な身体の領域に触れていた可能性はあると思いますし、特に、自分の意識の使い方があまりわかっていない初心の段階では、やる側が相手に余計な介入をせず、ベストを尽くしているつもりでも、なお問題が起きることもあります。過去の私自身もそうでしたし、クライアントさんの状態や相性によっては、多少熟練したからといって何が起こるか分からない部分はあります(特にクラニオ・バイオダイナミクスはアドリブ要素が多いので)。
前にも書きましたが、先生が見守るICSB基礎講座の中ですら、最初の1~2年の講座では、相手に触れられることで、感情に大きな揺らぎが起きて泣いてしまったり、調子が悪くなってしまった人が、教室の中で1日1回くらいはいた程であり、また、よほど酷いことが起きているのでない限り、(少なくとも姿勢などの見た目はそれなりにちゃんとしているので)プラクティショナー役の見た目から「セッションで起こりつつあるちょっとした問題」を第三者が予測するのはなかなか困難なものがあります。
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Cさんの話を聴いて、ニュートラル講座では、相手に触れる体験をする前に、「もし調子が悪くなったり、困ったことがあったら遠慮なく手を挙げて知らせてください」と言っておけばよかったなあ、と思いました。自分が困ったときに、ヘルプの必要性を素直に知らせることは、簡単にできる方もいますが、人によっては事前に言われていないと(あるいは事前に言われていても)結構難しいものです。いうなれば、なかなかヘルプを要請しがたいタイプの方(これまた、私もそうでした)は、練習で受ける役になった時に「困ったときにヘルプを求めるスキル」を育てていく必要があるということですね。
日本人には比較的多そうな気がするのですが、セッションを受けていて気持ち悪くなったり、何となくこのまま続けるとまずい気がしていても、やっている相手に悪いなとか、お金がもったいないなとか、まだ我慢できるとか考えて、結局最後まで耐えてふらふらになってしまうケースが時にあるように思います。
セッション途中で違和感・ヘルプを訴えて方向修正してもらう場合は、アシスタント的な第三者がいればサポートが得られるでしょうし、少なくともひどい状態になる前に終わることはできると思うので、結果として大概は禍根を残さずに終われるのですが、最後まで耐えてふらふらになると、(やる相手は一生懸命やっていて何ら悪意はないのですが)時にセッションを自分にした相手への怒りがふつふつと湧いてきたり、あまり建設的な結果にはならないことが多い気がします(笑)。
ICSBクラニオ講座では、問題が起きた時、あるいは問題が起きかけた時にヘルプを求めることで、すかさず先生や周囲の人がサポートしてくれたので、皆無事に卒業できたわけですね。今回のニュートラル講座でも、2組の方々は自発的に違和感を知らせてくれたので、私がサポートに入ることができ、問題なく終わることができたようです。
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なので、こういった練習では、受ける側も100%やる側にお任せではなくて、こうしてほしい、今の感じは嫌だ、こわいと感じた、などの場合は、素直にやっている相手や周囲の人にヘルプの意図を表現してもらえると、結果的に良いセッションになると思います(受ける側が間断なく自分の身体の違和感がないか探し続けるとか、些細なことを大げさに言われるのもよくないですけど)。対人セッションの練習中ならば、セッションをやる側の役にとっても、よい経験になります。初めのころは結構ショックも大きいかもしれませんが、確実に対応力の訓練になります。セッションではいろいろなことが起きるので、対応力はほとんど必須です。
これはクラニオ以外のワークを受ける時に関しても言えることなのかもしれません。例え身体に必要な変化が起きていても、その変化が大きい場合は、今日はこれ以上受けるのはしんどいなあ、と思うこともあるので、その場合は、違和感やヘルプを術者に表明することが、結果的に身体のよい変化につながるかもしれません(その時一時中断して、落ち着いてから後日続きをやると身体の変化がスムーズに進むとか)。ごくまっとうな術者なら、要求をちゃんと聞いて何か対応してくれるはずです。
術者が熟練者ならば、何かが起こってもそうそう深刻化することはありませんし、何も言わなくても自動的に察して対応する場合もありますが、結局自分のからだのことは自分しか分からない部分もあります。いかにプラクティショナーでも、他人の身体の心地よさ状態を100%理解できるわけではないので、ヘルプ要求に関してはクライアントさんにもご協力願いたいところです。
私自身もICSBクラニオ基礎講座の前半では、練習でクラニオを受ける役の時に(違和感に耐えて)何度も痛い目に遭うことで「これはもっと早めに違和感を相手に訴えないと駄目だ」と学んだ口です。結果、相手に対して、何か問題が起こる前に自然と色々要求できるようになり、心地よい形でセッションを続けてもらえるようになりました(日常でもそうかもしれません)。なので、ひどく体調を崩したりすることがなければ、痛い目に遭うのもよい経験といえば良い経験ではあるとも思います。今回怖い目にあった方には、これもひとつの特別な経験ということで、今後に生かしていただければ幸いです。まあ、この点は次回以降に同種の講座を実施する機会があったら、対策を施したいところですね。
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ちなみに、ICSBクラニオ講座内では、先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することも必要です」と何度か言われているのですが、これはクラニオについて理解してもらうのみならず、自分の心地よさや違和感に向き合ってもらうようお願いすること、困ったときは遠慮なく助けを求めてよいのだと共有することも「教育」の一つなのだろうなと改めて思いました。
10/13に『クラニオの「ニュートラル」に学ぶ』講座を実施しました。話す内容や構成については当日まで色々吟味していたこともあり、私が講師として活動する初講座としてはそこそこまとまったかなとは思いますが、若干情報量が多かったのと、想定を超える参加人数だったため、特に最後に参加者同士で組んでもらう部分ではやや目が行き届かない部分が出てしまったかもなという思いもあります。
情報量に関しては、軽く流すつもりで取り上げた、クラニオや1次呼吸の概念を10分ばかり話した部分が思ったよりインパクトがあったようで、もう少しまとめておけばよかったかなと思いました。あとは、少々しゃべりすぎて講座自体が10分ばかり延長しました。私は普段はあまりしゃべらないので、普段使わない身体機能を使った気分でした…。
ともあれ、参加する方々のフォローを行うスキルといった能力面でも、今の段階に至らなければできない企画だったのは確かと思います。結果としては、積極的な質問もあり、比較的好評だったようで幸いでした。胸をなでおろしています。
◆
ちなみに、講座中でも紹介したのですが、「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という題名は、「プラクティショナーニュートラルそのものが参加者にとっての先生である」という意味合いで付けたものです。「ニュートラル「を」学ぶ」ではないのがポイント…のつもりでした。プラクティショナーニュートラル(以下、ニュートラル)につながろうとする過程や、ニュートラル(らしき状態)につながった体験から学んでほしい、という感じです。
「プラクティショナーニュートラル」は個々人の「心身状態」であり、ある程度「ニュートラルにつながるにあたって望ましい姿勢」などはあるわけですが、突き詰めれば自分自身しかわからないものなので、私自身は「ニュートラルを見つけやすい素材」や「ニュートラルに対する考え方」を参加者の方々に提供し、あんまり細かいことは言わずに、参加者個々人が自分のニュートラルを探してもらうというのが講座の主な方針でした。
◆
個人的には、プラクティショナーニュートラルは、ある程度感じが分かった後も、それに繋がる過程や安定の強度などに大いに発展の余地がある「クラニオ・バイオダイナミクスの重要スキル」であり、時間をかけて深めていく「術」「技」の類だという思いが強かったため、そう簡単に身につかないものを紹介するのだから、3時間の講座にどのくらい意味があるものだろうか、とも講座実施前は考えていたのですが、参加された方々の声を聞いて、そこまで小難しく考えることはなかったな、と思いました。
その人が「ニュートラルにつながる」ことの初心者か上級者かにかかわらず、ニュートラルにある程度でもつながれれば、その効果に差はあれど「ニュートラルによる恩恵を受ける」点に変わりはないし、何より、ニュートラルにつながることを全く知らないのと、少しでも知って体験していることの間にはとても大きな差があるよな、と思ったわけです。
要は、若干慣れた人(私)がニュートラルにつながる機会や材料を用意しただけでも意味はあったんだ、というある意味当たり前のことが納得できたということです…。
これはクラニオ自体をお教えする講座でもないし、あくまで私が個人の活動として行った取り組みである分、特に制約もないので、紹介した素材は、参加者の方々にいろいろな場面で自由に使っていただき、それが助けになったり、今後のいろいろな場面で活動を行う際のヒントになれば、と思っています。
参加者、関係者の皆様、ありがとうございました。
※
ちなみに、「ニュートラル」はさも1つしかないような言い方になっていますが、分野や流派の違いにより、同じ「ニュートラル」という名前の概念でも、私が主に想定する「クラニオ・バイオダイナミクスで一般に言われるニュートラル」とは、それぞれが少し違う特徴を持った別概念の可能性が高いと思っています。無理に統一概念を規定するのでなく、歴史やかける思いがある、それぞれの学びのちがいや立場を尊重したいと思っています。
情報量に関しては、軽く流すつもりで取り上げた、クラニオや1次呼吸の概念を10分ばかり話した部分が思ったよりインパクトがあったようで、もう少しまとめておけばよかったかなと思いました。あとは、少々しゃべりすぎて講座自体が10分ばかり延長しました。私は普段はあまりしゃべらないので、普段使わない身体機能を使った気分でした…。
ともあれ、参加する方々のフォローを行うスキルといった能力面でも、今の段階に至らなければできない企画だったのは確かと思います。結果としては、積極的な質問もあり、比較的好評だったようで幸いでした。胸をなでおろしています。
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ちなみに、講座中でも紹介したのですが、「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という題名は、「プラクティショナーニュートラルそのものが参加者にとっての先生である」という意味合いで付けたものです。「ニュートラル「を」学ぶ」ではないのがポイント…のつもりでした。プラクティショナーニュートラル(以下、ニュートラル)につながろうとする過程や、ニュートラル(らしき状態)につながった体験から学んでほしい、という感じです。
「プラクティショナーニュートラル」は個々人の「心身状態」であり、ある程度「ニュートラルにつながるにあたって望ましい姿勢」などはあるわけですが、突き詰めれば自分自身しかわからないものなので、私自身は「ニュートラルを見つけやすい素材」や「ニュートラルに対する考え方」を参加者の方々に提供し、あんまり細かいことは言わずに、参加者個々人が自分のニュートラルを探してもらうというのが講座の主な方針でした。
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個人的には、プラクティショナーニュートラルは、ある程度感じが分かった後も、それに繋がる過程や安定の強度などに大いに発展の余地がある「クラニオ・バイオダイナミクスの重要スキル」であり、時間をかけて深めていく「術」「技」の類だという思いが強かったため、そう簡単に身につかないものを紹介するのだから、3時間の講座にどのくらい意味があるものだろうか、とも講座実施前は考えていたのですが、参加された方々の声を聞いて、そこまで小難しく考えることはなかったな、と思いました。
その人が「ニュートラルにつながる」ことの初心者か上級者かにかかわらず、ニュートラルにある程度でもつながれれば、その効果に差はあれど「ニュートラルによる恩恵を受ける」点に変わりはないし、何より、ニュートラルにつながることを全く知らないのと、少しでも知って体験していることの間にはとても大きな差があるよな、と思ったわけです。
要は、若干慣れた人(私)がニュートラルにつながる機会や材料を用意しただけでも意味はあったんだ、というある意味当たり前のことが納得できたということです…。
これはクラニオ自体をお教えする講座でもないし、あくまで私が個人の活動として行った取り組みである分、特に制約もないので、紹介した素材は、参加者の方々にいろいろな場面で自由に使っていただき、それが助けになったり、今後のいろいろな場面で活動を行う際のヒントになれば、と思っています。
参加者、関係者の皆様、ありがとうございました。
※
ちなみに、「ニュートラル」はさも1つしかないような言い方になっていますが、分野や流派の違いにより、同じ「ニュートラル」という名前の概念でも、私が主に想定する「クラニオ・バイオダイナミクスで一般に言われるニュートラル」とは、それぞれが少し違う特徴を持った別概念の可能性が高いと思っています。無理に統一概念を規定するのでなく、歴史やかける思いがある、それぞれの学びのちがいや立場を尊重したいと思っています。
プロフィール
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
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私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
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