クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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しばらく前にセッションを受けたい方向けページなども更新しましたが、色々思うところあり、私のセッション等の活動は基本クローズ方針で行くことにしました。
都合よく、ICSBの何名かのメンバーがクラニオバイオダイナミクスについて多くの人に知ってもらったり、関連講座を宣伝するサイトを秋ごろに立ち上げるような話も聞いたので(本当にできるのかは未確認ですが)、もともと積極的なクラニオ宣伝意図を持っていないこの曖昧な存在のブログは、私の感想を無軌道に綴る方向によりシフトしていきたいところです。
まあ、気が向いたら宣伝めいたことも書くかもしれませんが、正直、この手の身体や健康にかかわる技法(かつ、ちょっと神秘的な要素もある)は無暗と広めるといろいろ問題が出てきやすい気がするので、個人的にはたまたま出会って、やりたい人、受けたい人が関わればいいスキルという気もしています(もちろん、広めたい方を積極的に止める気はないですが)。先の「色々思うところ」の1つとして、クラニオバイオダイナミクスは表現によってはかなり誤解されやすい技法と実感した、ということもあるので…。
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で、それはそれとして、とりあえず周囲を顧みず無軌道に活動する第1弾として、原典に当たってみよう計画を実施中です。具体的にはクラニオ創始者のサザーランド博士の直弟子であるベッカー博士の本(英語)がアマゾンで買えると最近知り、早速1冊購入したので、これをアバウトに読んでみようとしています。買ったのは「Stillness of life」という本です。
http://www.amazon.co.jp/Stillness-Life-Osteopathic-Philosophy-Rollin/dp/0967585112/ref=pd_sim_sbs_fb_1?ie=UTF8&refRID=1S0YKXC620HC3WNGM4Z5
これは技術書ではなく、ベッカー博士のセッションに対する考えをまとめた文書や講演録などが中心のようなので、技術レパートリーを増やす意図はなく、ルーツを知りたい私の目的にはより合っている感じです。
ちなみに、1970年代の講演の部分を読みましたが、「クラニオセイクラル」という名前は出てこなくて、博士のワークは「クラニアルオステオパシー」や単に「オステオパシー」等と呼ばれています。(この当時の)ベッカー博士はサザーランド博士はオステオパシーの創始者であるスティル博士の原理を受け継いでいると言われており、また、ベッカー博士が説明する、スティル博士時代のオステオパシーの身体観は、身体の全体性や身体自身がおのずから整う働きを重視していたり、身体を動かす何らかのフォース(1次呼吸に相当?)の存在を前提としているようで、バイオダイナミクスとかなり似ている気がします。
私の読み違いもあるかもしれませんが、どうもバイオダイナミクスのもとになる考えは、スティル博士の時代に既にあったようです。ベッカー博士は1996年と比較的最近亡くなったそうで、この本にはこの後、より近年の博士の記述が出てくる構成になっているので、どのような結論にたどり着いたのか興味深いところです。
他にもアマゾンではベッカー博士の「Life in Motion」という本が買えますが、こちらの方が技術寄りなのかなと思っています。そこそこ高いですが、まだ1万円台なので、こちらもいずれトライしてみたいところです。
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なお、アマゾンではなんとサザーランド博士自身の本(といっても、発売がかなり新しいので、おそらく、どなたかがサザーランド博士の著作等をまとめた本と思われる)も購入可能で、私としてはこちらもぜひ欲しいのですが、最低でも5.5万円とさすがに腰が引けてしまう価格なので、もう少し安く手に入らないか、少し探索してみたいところです。
http://www.amazon.co.jp/Contributions-Thought-Collected-Writings-Sutherland/dp/0915801744/ref=sr_1_2?s=english-books&ie=UTF8&qid=1409395218&sr=1-2
先日紹介したShea氏の本など、クラニオ英語本は結構あるので、ある程度英語が読める方なら、日本語の数少ないクラニオ本に飽き足らなくなったら、このアバウトなブログの記事に幻惑されたりせず、英語本にどんどんあたっていった方が良いようにも思います。やはり海外の技法なので。
しばらく前にセッションを受けたい方向けページなども更新しましたが、色々思うところあり、私のセッション等の活動は基本クローズ方針で行くことにしました。
都合よく、ICSBの何名かのメンバーがクラニオバイオダイナミクスについて多くの人に知ってもらったり、関連講座を宣伝するサイトを秋ごろに立ち上げるような話も聞いたので(本当にできるのかは未確認ですが)、もともと積極的なクラニオ宣伝意図を持っていないこの曖昧な存在のブログは、私の感想を無軌道に綴る方向によりシフトしていきたいところです。
まあ、気が向いたら宣伝めいたことも書くかもしれませんが、正直、この手の身体や健康にかかわる技法(かつ、ちょっと神秘的な要素もある)は無暗と広めるといろいろ問題が出てきやすい気がするので、個人的にはたまたま出会って、やりたい人、受けたい人が関わればいいスキルという気もしています(もちろん、広めたい方を積極的に止める気はないですが)。先の「色々思うところ」の1つとして、クラニオバイオダイナミクスは表現によってはかなり誤解されやすい技法と実感した、ということもあるので…。
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で、それはそれとして、とりあえず周囲を顧みず無軌道に活動する第1弾として、原典に当たってみよう計画を実施中です。具体的にはクラニオ創始者のサザーランド博士の直弟子であるベッカー博士の本(英語)がアマゾンで買えると最近知り、早速1冊購入したので、これをアバウトに読んでみようとしています。買ったのは「Stillness of life」という本です。
http://www.amazon.co.jp/Stillness-Life-Osteopathic-Philosophy-Rollin/dp/0967585112/ref=pd_sim_sbs_fb_1?ie=UTF8&refRID=1S0YKXC620HC3WNGM4Z5
これは技術書ではなく、ベッカー博士のセッションに対する考えをまとめた文書や講演録などが中心のようなので、技術レパートリーを増やす意図はなく、ルーツを知りたい私の目的にはより合っている感じです。
ちなみに、1970年代の講演の部分を読みましたが、「クラニオセイクラル」という名前は出てこなくて、博士のワークは「クラニアルオステオパシー」や単に「オステオパシー」等と呼ばれています。(この当時の)ベッカー博士はサザーランド博士はオステオパシーの創始者であるスティル博士の原理を受け継いでいると言われており、また、ベッカー博士が説明する、スティル博士時代のオステオパシーの身体観は、身体の全体性や身体自身がおのずから整う働きを重視していたり、身体を動かす何らかのフォース(1次呼吸に相当?)の存在を前提としているようで、バイオダイナミクスとかなり似ている気がします。
私の読み違いもあるかもしれませんが、どうもバイオダイナミクスのもとになる考えは、スティル博士の時代に既にあったようです。ベッカー博士は1996年と比較的最近亡くなったそうで、この本にはこの後、より近年の博士の記述が出てくる構成になっているので、どのような結論にたどり着いたのか興味深いところです。
他にもアマゾンではベッカー博士の「Life in Motion」という本が買えますが、こちらの方が技術寄りなのかなと思っています。そこそこ高いですが、まだ1万円台なので、こちらもいずれトライしてみたいところです。
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なお、アマゾンではなんとサザーランド博士自身の本(といっても、発売がかなり新しいので、おそらく、どなたかがサザーランド博士の著作等をまとめた本と思われる)も購入可能で、私としてはこちらもぜひ欲しいのですが、最低でも5.5万円とさすがに腰が引けてしまう価格なので、もう少し安く手に入らないか、少し探索してみたいところです。
http://www.amazon.co.jp/Contributions-Thought-Collected-Writings-Sutherland/dp/0915801744/ref=sr_1_2?s=english-books&ie=UTF8&qid=1409395218&sr=1-2
先日紹介したShea氏の本など、クラニオ英語本は結構あるので、ある程度英語が読める方なら、日本語の数少ないクラニオ本に飽き足らなくなったら、このアバウトなブログの記事に幻惑されたりせず、英語本にどんどんあたっていった方が良いようにも思います。やはり海外の技法なので。
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先の記事で密かに紹介したミニ講座「クラニオのニュートラルに学ぶⅢ」が終了しました。
今回はまとめや所感などをアバウトに書いてみます。
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前も書いた気がしますが、講座の題名が「ニュートラルを学ぶ」でなく「ニュートラルに学ぶ」とあるように、講座の主な目的は「プラクティショナーニュートラル」を身に着けてもらうことというより「自分の身体感覚や静けさの体感と親しんでもらうこと」でした。
今回の内容は実は普遍性の高い重要な秘訣を伝えているとか、これをやると健康にすごく良い…ということもなく、単にそういった感覚に親しんでもらうことが主目的です。その目的も「強いて言えばそういう表現になる」という程度でとりあえずクラニオ的なネタを色々身体を使ってやってみよう、というノリで実施しました。
そんな本講座では「プラクティショナーニュートラル」になるこつであるところの「プラクティショナーファルクラム(これまでこの言葉は意外と使っていませんでしたが、説明する際には結構便利だなと今更ながら感じました)」のうち、私がクラニオ基礎教程最初期に学んだスタンダードなものを紹介したり、私が日常やっている稽古の準備運動的な内容を抽出したものや、私が過去参加した講座から一部拝借した身体感覚系の内容を、「自分の身体感覚や静けさの体感に親しんでもらうネタ・素材」として紹介しました。このミニ講座はこれまで3回実施させてもらいましたが、使った素材が回により少し異なるだけで、講座の方針は(私の中でどの程度明確化されているかは回により違いましたが)毎回ほぼ同じつもりです。
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もちろん、講座でなにがしか落ち着きやすいこつレベルのことが身につくに越したことはないのですが、プラクティショナーニュートラル自体はハウツーものではないので、3時間で身に付く内容はごく限られるのも確かです。
私自身、クラニオ基礎教程の初期にプラクティショナーニュートラルについて概要と重要性について学びましたが、その後、教程が進むにつれ、プラクティショナーファルクラムとして活用できそうな幾つかの要素を学んだり、プラクティショナーニュートラルの重要性について色々な形でしばしば聞いたりしたものの、実はプラクティショナーニュートラルそのものを体系だって細かく教えられたことはありません。
どんな技能でもそうだと思いますが、プラクティショナーニュートラルもまた時間をかけて向き合うからこそ深まる部分が多く、私と同じ教程の仲間も、たくさんのセッションを行う中でそれぞれの試行錯誤を経て、安定したニュートラルを身に着けてきたのだと思います。そのため、たぶん同期でも個人ごとにプラクティショナーニュートラルを実施するためのコツ(プラクティショナーファルクラム)はかなり異なると思います。
また、プラクティショナーニュートラルは、本来は様々な変動要素があるクラニオセッションで実際に使ってこそ意味があるものとも思うので、話だけ聞いて何となく納得しても仕方ないといえば仕方ない部分はあります。かといって、ここぞという「使いどころ」「深められる場面」がクラニオセッション以外にあるかというとこれまた結構微妙だし、そもそもバイオダイナミクス系のクラニオを習っている方なら、私がプラクティショナーニュートラルについて説明したような内容は普通に知っていると思うので(少なくとも市販のフランクリン・シルズ氏のクラニオ本にはほぼ同内容のことが書いてあります)、自分で選んでおいてなんですが、講座テーマとしては中々悩ましいと思う部分もあります。
まあ、「何か役に立つか」という視点から見た場合、今回紹介したような素材の一部をちょっと記憶していたり、何となく体の方が覚えていて、日常で何かあった時に多少心を落ち着ける役に立てば上々というところでしょう。あるいは、クラニオについて良く知らない方や心身に関する何らかのワークを学び始めたかたが、こういった感覚に触れたことを期に、クラニオやいろいろなワーク等の世界により興味を持っていただくきっかけになれば、というところでしょうか。
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ちなみに、講座の目的は身体感覚と親しむこと、などと書いていますが、そんなに難しいことをしたわけではありません。ごくスタンダードなプラクティショナーニュートラル体験の他には、一般的なプラクティショナーファルクラムを利用して立って落ち着いてみるとどんな感じだろう、とか、その状態を保って歩いてみたらどんな感じだろう、といった私にとってもやや実験的な取り組みをしてみました。
この取り組みの内容は、講座前に自分の稽古経験や実施難易度などを踏まえつつ色々考えたのですが、やってみたら中国武術の一般的な立ち方の要点をきわめて緩くしたような内容になりました…。中国武術の立ち方そのものが教えられれば良いんでしょうが、現在の私には教えられるだけの理解がないですし、肉体的にもハードになるので、これはこれでまた悩ましさがあります。まあ、これに関しても、やってみて害があるわけでもなければ、凄い変化があるわけでもないと思いますし、何かを習う前段階、もしくは日常で身体感覚と親しむにあたっての遊びのような素材と捉えて頂ければというところです。
なお、私が考えるところの「感覚に親しむ」というのは姿勢に多少気を付けるとか、食事を味わうとか、鳥の声を聴くとか、なんとなく周囲に気を配るとか、あくまで、五感をおろそかにしないレベルで身体を意識しながら暮らす、といった程度の内容です。そもそも、感覚が無暗と鋭くなると、日常では逆にしんどい場面が増えてしまうと思いますし、個人的にもなにか凄い精神的境地に到達しようとしたり、すごく鋭敏な感覚や特殊能力みたいなものを身に着けることも目的としていないので、ごく無難で安全な方針で行きたいところです。
当たり前ですが、身体は色々な感覚を通じて常にいろいろな情報を受け取っており、ポジティブな情報のみならず、五感を通じて様々な形で警戒すべき情報なども伝えてくれていると思うので、それを日常受け取りながら無視し続けるのもちょっと悲しい話ですし、何らか身体に関するワーク等を学ぶにあたっても、自分の姿勢や動きの変化を実感できたり、自分の意識や動作の使い方の癖を知ったり、学んだ内容のうち理解不十分な部分を自分のからだを通じて発見・解消しながら学ぶ方が興味を持って学べると思うので、自分の身体に意識を多少でも(過剰に意識を向けるのも良くないので、ほどほどに)向ける習慣はあるに越したことはないと思っています。
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まあ、身体や感覚(五感)と親しむ体験をしてもらうならば、素材は静けさ重視でなくても良いのでしょうが、運動系・活性化系のアクティブな素材は世にあふれていると思うので、今回のような、クラニオ的な地味で静けさ重視素材に触れてみるのも時にはありなんじゃないかと思いました。
とりあえず、かなり地味な内容でしたが、内容を楽しんで頂けた方もおられたようで幸いでした。
今回はまとめや所感などをアバウトに書いてみます。
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前も書いた気がしますが、講座の題名が「ニュートラルを学ぶ」でなく「ニュートラルに学ぶ」とあるように、講座の主な目的は「プラクティショナーニュートラル」を身に着けてもらうことというより「自分の身体感覚や静けさの体感と親しんでもらうこと」でした。
今回の内容は実は普遍性の高い重要な秘訣を伝えているとか、これをやると健康にすごく良い…ということもなく、単にそういった感覚に親しんでもらうことが主目的です。その目的も「強いて言えばそういう表現になる」という程度でとりあえずクラニオ的なネタを色々身体を使ってやってみよう、というノリで実施しました。
そんな本講座では「プラクティショナーニュートラル」になるこつであるところの「プラクティショナーファルクラム(これまでこの言葉は意外と使っていませんでしたが、説明する際には結構便利だなと今更ながら感じました)」のうち、私がクラニオ基礎教程最初期に学んだスタンダードなものを紹介したり、私が日常やっている稽古の準備運動的な内容を抽出したものや、私が過去参加した講座から一部拝借した身体感覚系の内容を、「自分の身体感覚や静けさの体感に親しんでもらうネタ・素材」として紹介しました。このミニ講座はこれまで3回実施させてもらいましたが、使った素材が回により少し異なるだけで、講座の方針は(私の中でどの程度明確化されているかは回により違いましたが)毎回ほぼ同じつもりです。
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もちろん、講座でなにがしか落ち着きやすいこつレベルのことが身につくに越したことはないのですが、プラクティショナーニュートラル自体はハウツーものではないので、3時間で身に付く内容はごく限られるのも確かです。
私自身、クラニオ基礎教程の初期にプラクティショナーニュートラルについて概要と重要性について学びましたが、その後、教程が進むにつれ、プラクティショナーファルクラムとして活用できそうな幾つかの要素を学んだり、プラクティショナーニュートラルの重要性について色々な形でしばしば聞いたりしたものの、実はプラクティショナーニュートラルそのものを体系だって細かく教えられたことはありません。
どんな技能でもそうだと思いますが、プラクティショナーニュートラルもまた時間をかけて向き合うからこそ深まる部分が多く、私と同じ教程の仲間も、たくさんのセッションを行う中でそれぞれの試行錯誤を経て、安定したニュートラルを身に着けてきたのだと思います。そのため、たぶん同期でも個人ごとにプラクティショナーニュートラルを実施するためのコツ(プラクティショナーファルクラム)はかなり異なると思います。
また、プラクティショナーニュートラルは、本来は様々な変動要素があるクラニオセッションで実際に使ってこそ意味があるものとも思うので、話だけ聞いて何となく納得しても仕方ないといえば仕方ない部分はあります。かといって、ここぞという「使いどころ」「深められる場面」がクラニオセッション以外にあるかというとこれまた結構微妙だし、そもそもバイオダイナミクス系のクラニオを習っている方なら、私がプラクティショナーニュートラルについて説明したような内容は普通に知っていると思うので(少なくとも市販のフランクリン・シルズ氏のクラニオ本にはほぼ同内容のことが書いてあります)、自分で選んでおいてなんですが、講座テーマとしては中々悩ましいと思う部分もあります。
まあ、「何か役に立つか」という視点から見た場合、今回紹介したような素材の一部をちょっと記憶していたり、何となく体の方が覚えていて、日常で何かあった時に多少心を落ち着ける役に立てば上々というところでしょう。あるいは、クラニオについて良く知らない方や心身に関する何らかのワークを学び始めたかたが、こういった感覚に触れたことを期に、クラニオやいろいろなワーク等の世界により興味を持っていただくきっかけになれば、というところでしょうか。
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ちなみに、講座の目的は身体感覚と親しむこと、などと書いていますが、そんなに難しいことをしたわけではありません。ごくスタンダードなプラクティショナーニュートラル体験の他には、一般的なプラクティショナーファルクラムを利用して立って落ち着いてみるとどんな感じだろう、とか、その状態を保って歩いてみたらどんな感じだろう、といった私にとってもやや実験的な取り組みをしてみました。
この取り組みの内容は、講座前に自分の稽古経験や実施難易度などを踏まえつつ色々考えたのですが、やってみたら中国武術の一般的な立ち方の要点をきわめて緩くしたような内容になりました…。中国武術の立ち方そのものが教えられれば良いんでしょうが、現在の私には教えられるだけの理解がないですし、肉体的にもハードになるので、これはこれでまた悩ましさがあります。まあ、これに関しても、やってみて害があるわけでもなければ、凄い変化があるわけでもないと思いますし、何かを習う前段階、もしくは日常で身体感覚と親しむにあたっての遊びのような素材と捉えて頂ければというところです。
なお、私が考えるところの「感覚に親しむ」というのは姿勢に多少気を付けるとか、食事を味わうとか、鳥の声を聴くとか、なんとなく周囲に気を配るとか、あくまで、五感をおろそかにしないレベルで身体を意識しながら暮らす、といった程度の内容です。そもそも、感覚が無暗と鋭くなると、日常では逆にしんどい場面が増えてしまうと思いますし、個人的にもなにか凄い精神的境地に到達しようとしたり、すごく鋭敏な感覚や特殊能力みたいなものを身に着けることも目的としていないので、ごく無難で安全な方針で行きたいところです。
当たり前ですが、身体は色々な感覚を通じて常にいろいろな情報を受け取っており、ポジティブな情報のみならず、五感を通じて様々な形で警戒すべき情報なども伝えてくれていると思うので、それを日常受け取りながら無視し続けるのもちょっと悲しい話ですし、何らか身体に関するワーク等を学ぶにあたっても、自分の姿勢や動きの変化を実感できたり、自分の意識や動作の使い方の癖を知ったり、学んだ内容のうち理解不十分な部分を自分のからだを通じて発見・解消しながら学ぶ方が興味を持って学べると思うので、自分の身体に意識を多少でも(過剰に意識を向けるのも良くないので、ほどほどに)向ける習慣はあるに越したことはないと思っています。
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まあ、身体や感覚(五感)と親しむ体験をしてもらうならば、素材は静けさ重視でなくても良いのでしょうが、運動系・活性化系のアクティブな素材は世にあふれていると思うので、今回のような、クラニオ的な地味で静けさ重視素材に触れてみるのも時にはありなんじゃないかと思いました。
とりあえず、かなり地味な内容でしたが、内容を楽しんで頂けた方もおられたようで幸いでした。
遅ればせながら今年初ブログです。今年もよろしくお願いします。
先日やはり「今年初クラニオセッション」を行う機会がありましたが、その際「プラクティショナー(以下、術者)によってセッションの個性はあるのか」という質問を受けました。「あると思う」とか、「いや、ないのかもしれない」とか、「技量の面では明らかに違いが…」などと色々矛盾したことを言っているうちに時間が無くなり、中途半端に終わってしまったのですが、これはまともに捉えると、色々回答しようがあるなかなか難しい質問だと思いました。そこで、今回はこのことをお題に雑感など書いてみようと思います。
大雑把に考えると、これは視点の違いによって答えが変わってくる質問といえそうです。
■
まず、「セッション手順の個性」という視点で見ると、展開のさせ方にある程度の個性はあると思います。クラニオにはいろいろな「ハンドポジション(触れる位置とその位置特有の触れ方)」がありますが、バイオダイナミクスの場合はセッション開始時のハンドポジションや2番目以降に使うハンドポジション、1セッション中いくつのハンドポジションを使うか、などに大まかな方針はあるものの、明確なルールがあるわけではありません。クライアントさんの状況を見ながらアドリブで決めていくので、ハンドポジションの選択に術者の感性や得意な触れ方が反映されることはあると思います。メカニカルなクラニオの場合は技術として明確に触れる順番が決まっていることもあると思うので、バイオダイナミクスはそれよりは自由度があるともいえそうです。
もっとも、開始時のハンドポジションとして頭部などの敏感な場所を選ぶことはほとんどないのと(クライアントさんがクラニオを受け慣れていたり、信頼関係が十分にある場合は別ですが)、クライアントさんによっては、特定部位に触れられることが非常に負荷が大きいこともあるのとで選択肢が最初から極めて限定されている場合も多く、その場合は「個性」は発揮しようがないとも言えます。
このように、結局はクライアントさんの状態に合わせて触れているので、うがった見方をすると、ハンドポジションを決めるにあたって術者自体は何の個性も発揮しておらず、「クライアントさんの身体の個性」に合わせているだけともいえるのかもしれません。
■
次に、「セッションを受けた時の体感・感触」という視点です。あくまで個人的な経験ですが、体感としては、セッションの導入部分で距離の取り方の癖など、若干個々人の差を感じることはありますが、受け始めてから十分くらいたって落ち着いた後の感触というのは、数年以上位学んだ、ある程度熟練した術者から受けた場合、だいたいどなたでも似たような感じ(そんなに個性は感じない)ではという気がします。私は達人といわれるような人や他のバイオダイナミクスの組織の術者のセッションを受けたことがないので、何とも言えない部分はありますが、基本的に劇的な感触のワークではないので、あくまで感触に関して「熟練者」と「達人」と比べた場合、その違いは意外と微妙なものではという気もします。その微妙な部分が非常に大きいのだろう、とも思いますが。
習いたての慣れていない術者から受けると、それらしきことが起きてはいるけれど、何だかしっくりこない感じはありますが、そもそもこれは熟練度等の話で、個性と違う気はします。また、バイオダイナミクスの術者として非常に高いスキルを持っていても、ワークの性質上、クライアントさんの状態によって毎回起きることが違い、上手な人がやればいつも同じ結果になるという事もないので(少なくとも何か納得感のある感覚は提供できると思いますが)、「体感」で術者の個性を語ること自体が難しい部分があるともいえそうです。
なお、少し話はずれますが、全体の傾向としてみた場合、共通してある種の静けさや深さのような「クラニオ・バイオダイナミクスらしさ」というものはあるので、「体感」に関しては、「術者個々人の個性」は薄くとも、「ワークとしてのクラニオ・バイオダイナミクス全体の個性」なら割とはっきりしているといえるかもしれません。
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最後に「術者のクラニオバイオダイナミクスのスキル」という視点です。これは多分結構個性があるのだと思いますが、見た目から非常にわかりにくい部分でもあります。一応目に見えるスキルとしては、触れ方(文字通りの接触の仕方)やセッション中の姿勢がありますが、大まかな傾向としては「割と真っ直ぐなリラックスした姿勢」「負荷をかけない触れ方」なのでやはりある程度の熟練者ならば、同じハンドポジションを用いて触れた場合、見た目上はそんなに変わらないようにも見えます。
当たり前ですが、術者によって体格などが違うので、クライアントとして術者に触れられた時の印象はそれぞれ違うかもしれません。たとえば、私はそれなりに体格があって、掌も割と大きいので、後頭部などは割と大雑把に触れても全体をカバーできますが、手の小さい人はバランスなどを慎重に見極めて触れているかもしれません。これをセッションの個性というべきかは何とも言えないですが。
一方、姿勢の維持にあたってのこつや、セッション中の意識の用い方などの「外から見えない部分のスキル」はかなり個性がある気がします。同じ原理原則を学んだり、術者の安定度に関わる「プラクティショナーニュートラル」を維持するこつとして共通の知識を得てはいますが、ここには過去の経験や知識、自分の得意な意識や感覚の使い方などが出てくると思うので、最も「術者の個性」が出るのはこの部分かもしれません。
しかし、外から全く見えないのと、私自身、他の術者になにをやっているのか詳細に聞いたことがないので、どう違うのかはあまりわかりません。結構抽象的な部分で、人によっていろいろな表現をしそうなので、そもそも聞いても正確にはわからなそうな気もします。
たとえば、私の場合は姿勢の安定度の維持にあたり、中国武術の稽古経験が非常に大きなウエイトを占めていますが、これは少なくとも私の同期にはない点なので、「私のセッションの個性」といえそうです。もっとも、これも私が何か特別なことをしているというよりは、稽古の中で身に付いたものが自動的に発揮されているような部分も多く、また、前述のように、私の同期とのこの微妙なスキルの差異が、クライアントさんの受けた「感触」に「明瞭な違い」としてフィードバックされているかは謎です。
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他にも視点はありそうですが、とりあえず、このようにざっと書き出してみると、セッションに術者の個性はあるともないともいえる、曖昧な内容になってきました。
ただ、あえてまとめるならば、クラニオバイオダイナミクスは術者が受け手に対して何かをするような性質のワークではなく、「自分」という「個」が前に出るワークではないので、能動的なワークに比べれば「個性」という言葉を用いるのにややそぐわないところがある、とは言えるかもしれません。
クラニオバイオダイナミクスにおいて「個性」という語を使うとしたら、前述のように、『「クライアントさんの身体のそのものの「個性」(同じ方でもセッションのたびごとに微妙に異なる)」に対し、クラニオの原理に則って術者が「個」を出さずに対応していく』とか、『ワークとして「個」を前面に出さないよう、術者が自分自身を制御するために用いるスキル(意識や姿勢維持など)の中に「個性」がある』というのが、割としっくりくる表現ではあります。
セッションの中でより適切にクライアントさんの変化に従うことができるとともに、その過程の中で自身の「個」を感じさせない割合が高いほど、クラニオ・バイオダイナミクスの術者としては熟練度が高いとも言えるかもしれません。
何だか言葉遊びのような感じになってしまいましたが、こうやって色々な角度で書いているとクラニオについて少しは私の理解が深まるかもしれないですし、特に大体的に広めようとは思わないにせよ、縁のある方がクラニオに興味を持つきっかけ位は作れるかもしれないので、今年もボチボチ書いていこうと思います。
先日やはり「今年初クラニオセッション」を行う機会がありましたが、その際「プラクティショナー(以下、術者)によってセッションの個性はあるのか」という質問を受けました。「あると思う」とか、「いや、ないのかもしれない」とか、「技量の面では明らかに違いが…」などと色々矛盾したことを言っているうちに時間が無くなり、中途半端に終わってしまったのですが、これはまともに捉えると、色々回答しようがあるなかなか難しい質問だと思いました。そこで、今回はこのことをお題に雑感など書いてみようと思います。
大雑把に考えると、これは視点の違いによって答えが変わってくる質問といえそうです。
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まず、「セッション手順の個性」という視点で見ると、展開のさせ方にある程度の個性はあると思います。クラニオにはいろいろな「ハンドポジション(触れる位置とその位置特有の触れ方)」がありますが、バイオダイナミクスの場合はセッション開始時のハンドポジションや2番目以降に使うハンドポジション、1セッション中いくつのハンドポジションを使うか、などに大まかな方針はあるものの、明確なルールがあるわけではありません。クライアントさんの状況を見ながらアドリブで決めていくので、ハンドポジションの選択に術者の感性や得意な触れ方が反映されることはあると思います。メカニカルなクラニオの場合は技術として明確に触れる順番が決まっていることもあると思うので、バイオダイナミクスはそれよりは自由度があるともいえそうです。
もっとも、開始時のハンドポジションとして頭部などの敏感な場所を選ぶことはほとんどないのと(クライアントさんがクラニオを受け慣れていたり、信頼関係が十分にある場合は別ですが)、クライアントさんによっては、特定部位に触れられることが非常に負荷が大きいこともあるのとで選択肢が最初から極めて限定されている場合も多く、その場合は「個性」は発揮しようがないとも言えます。
このように、結局はクライアントさんの状態に合わせて触れているので、うがった見方をすると、ハンドポジションを決めるにあたって術者自体は何の個性も発揮しておらず、「クライアントさんの身体の個性」に合わせているだけともいえるのかもしれません。
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次に、「セッションを受けた時の体感・感触」という視点です。あくまで個人的な経験ですが、体感としては、セッションの導入部分で距離の取り方の癖など、若干個々人の差を感じることはありますが、受け始めてから十分くらいたって落ち着いた後の感触というのは、数年以上位学んだ、ある程度熟練した術者から受けた場合、だいたいどなたでも似たような感じ(そんなに個性は感じない)ではという気がします。私は達人といわれるような人や他のバイオダイナミクスの組織の術者のセッションを受けたことがないので、何とも言えない部分はありますが、基本的に劇的な感触のワークではないので、あくまで感触に関して「熟練者」と「達人」と比べた場合、その違いは意外と微妙なものではという気もします。その微妙な部分が非常に大きいのだろう、とも思いますが。
習いたての慣れていない術者から受けると、それらしきことが起きてはいるけれど、何だかしっくりこない感じはありますが、そもそもこれは熟練度等の話で、個性と違う気はします。また、バイオダイナミクスの術者として非常に高いスキルを持っていても、ワークの性質上、クライアントさんの状態によって毎回起きることが違い、上手な人がやればいつも同じ結果になるという事もないので(少なくとも何か納得感のある感覚は提供できると思いますが)、「体感」で術者の個性を語ること自体が難しい部分があるともいえそうです。
なお、少し話はずれますが、全体の傾向としてみた場合、共通してある種の静けさや深さのような「クラニオ・バイオダイナミクスらしさ」というものはあるので、「体感」に関しては、「術者個々人の個性」は薄くとも、「ワークとしてのクラニオ・バイオダイナミクス全体の個性」なら割とはっきりしているといえるかもしれません。
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最後に「術者のクラニオバイオダイナミクスのスキル」という視点です。これは多分結構個性があるのだと思いますが、見た目から非常にわかりにくい部分でもあります。一応目に見えるスキルとしては、触れ方(文字通りの接触の仕方)やセッション中の姿勢がありますが、大まかな傾向としては「割と真っ直ぐなリラックスした姿勢」「負荷をかけない触れ方」なのでやはりある程度の熟練者ならば、同じハンドポジションを用いて触れた場合、見た目上はそんなに変わらないようにも見えます。
当たり前ですが、術者によって体格などが違うので、クライアントとして術者に触れられた時の印象はそれぞれ違うかもしれません。たとえば、私はそれなりに体格があって、掌も割と大きいので、後頭部などは割と大雑把に触れても全体をカバーできますが、手の小さい人はバランスなどを慎重に見極めて触れているかもしれません。これをセッションの個性というべきかは何とも言えないですが。
一方、姿勢の維持にあたってのこつや、セッション中の意識の用い方などの「外から見えない部分のスキル」はかなり個性がある気がします。同じ原理原則を学んだり、術者の安定度に関わる「プラクティショナーニュートラル」を維持するこつとして共通の知識を得てはいますが、ここには過去の経験や知識、自分の得意な意識や感覚の使い方などが出てくると思うので、最も「術者の個性」が出るのはこの部分かもしれません。
しかし、外から全く見えないのと、私自身、他の術者になにをやっているのか詳細に聞いたことがないので、どう違うのかはあまりわかりません。結構抽象的な部分で、人によっていろいろな表現をしそうなので、そもそも聞いても正確にはわからなそうな気もします。
たとえば、私の場合は姿勢の安定度の維持にあたり、中国武術の稽古経験が非常に大きなウエイトを占めていますが、これは少なくとも私の同期にはない点なので、「私のセッションの個性」といえそうです。もっとも、これも私が何か特別なことをしているというよりは、稽古の中で身に付いたものが自動的に発揮されているような部分も多く、また、前述のように、私の同期とのこの微妙なスキルの差異が、クライアントさんの受けた「感触」に「明瞭な違い」としてフィードバックされているかは謎です。
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他にも視点はありそうですが、とりあえず、このようにざっと書き出してみると、セッションに術者の個性はあるともないともいえる、曖昧な内容になってきました。
ただ、あえてまとめるならば、クラニオバイオダイナミクスは術者が受け手に対して何かをするような性質のワークではなく、「自分」という「個」が前に出るワークではないので、能動的なワークに比べれば「個性」という言葉を用いるのにややそぐわないところがある、とは言えるかもしれません。
クラニオバイオダイナミクスにおいて「個性」という語を使うとしたら、前述のように、『「クライアントさんの身体のそのものの「個性」(同じ方でもセッションのたびごとに微妙に異なる)」に対し、クラニオの原理に則って術者が「個」を出さずに対応していく』とか、『ワークとして「個」を前面に出さないよう、術者が自分自身を制御するために用いるスキル(意識や姿勢維持など)の中に「個性」がある』というのが、割としっくりくる表現ではあります。
セッションの中でより適切にクライアントさんの変化に従うことができるとともに、その過程の中で自身の「個」を感じさせない割合が高いほど、クラニオ・バイオダイナミクスの術者としては熟練度が高いとも言えるかもしれません。
何だか言葉遊びのような感じになってしまいましたが、こうやって色々な角度で書いているとクラニオについて少しは私の理解が深まるかもしれないですし、特に大体的に広めようとは思わないにせよ、縁のある方がクラニオに興味を持つきっかけ位は作れるかもしれないので、今年もボチボチ書いていこうと思います。
前回の記事で書いた、個人的に今年のアドバンス講座でびっくりした内容についてです。
それは、幾つかの種類がある「1次呼吸」の1つ「ミッドタイド」は現在も活躍中の有名なクラニオセラピスト、フランクリン・シルズ氏によって命名された(らしい)という事です。
■
講座の中で、我々の先生はこの内容をさらりと言われていましたが、私は「ミッドタイド」という名前をクラニオ・バイオダイナミクスを学び始めてからずっと聞いてきた割に、誰が名づけ、いつから使われているのかなど考えてもみなかったので、このことに、今回の学習内容のどれよりも物凄く驚いてしまいました。
ミッドタイドの命名者に関しては、先生がコメントしたほかにも、講座中、参考書として置いてあった「Biodynamic cranio sacral therapy volume 1」(Michael J.Shea著,North Atlantic Books)という英語の本をよくよく見たら、そのように書いてあったので、ほぼ間違いない話だと思います。
ちなみにこの本は何年か前からICSB講座のたびに置いてあったのですが、英語の本である上に非常に分厚いので敬遠していました。しかし今回英語があまり分からないなりに読んでみると、内容は割と専門的だが、かなり筋道だった書き方がされているようだし、著者とロルファーとの方との対談なども収録されていて、英語本であっても購入しても良いかなとも感じました。これも日本語訳されたら素晴らしいと思いますが、1冊が相当分厚く、現在6冊もシリーズが出ているようなので、翻訳は過酷を極めそうです。
本の紹介サイトは以下です。
http://www.michaelsheateaching.com/
著者のShea博士は長年クラニオを教えておられる他、ロルファー資格なども持っており、幅広い活動をされているようですね。
■
ミッドタイドに話を戻しますが、以前記事にも書いたように、「ミッドタイド」は人の胎児期から存在し、身体を深いレベルで形成・編成する働きを持つとされる身体のリズム「1次呼吸」のうち、特に「1分に1-3サイクル程度のリズム(組織や本によっては2-3サイクルとされている場合もあるようです)」を指す概念とされています。
ちなみに1次呼吸は英語ではprimary respirationといいますが、潮流のような体感のリズムのため、英語で潮流を表すタイド(Tide)と呼ばれることもあります。1次呼吸には、ミッドタイドよりもっとゆっくりしたサイクルの「ロングタイド」、もっと早いサイクルの「CRI」という区分があるため、その中くらいのサイクルの1次呼吸という意味で、ミッドタイドという名前になったものと思います(そのまんまの名前ですが)。
先生はミッドタイドを「フランクリン・シルズ氏が、自分で教えやすいように作った概念」と言われていましたが、学習の一環としてならともかく、セッション中に1次呼吸の具体的なサイクルをカウントする必要はないので、教えやすいように作られたという説明は納得がいきます。
シルズ氏が命名したということは、それほど昔にできた言葉ではない(といっても、できたのは1980-90年代くらいと思うので、最近という程でもなさそうですが)ということで、サザーランド博士やベッカー博士が活躍した時代には「ミッドタイド」の語はなかったということになります。それ以前は何と呼ばれていたのか気になりますが、これまでの情報では不明です。先に述べたように、細かくサイクルをカウントしなくても困らないので、皆サイクルの違いは暗黙的に分かっていたが、殊更に用語として区別はしなかったのかもしれません。
■
なお、今回先生が講座中にミッドタイドとシルズ氏の話題を出したのは、我々が学ぶICSBの教程では、最近いくつか用語を整理し、その整理の中で「ミッドタイド」は今後の講座の中で「フルイドタイド(Fluid Tide 流体・液のタイド)」と呼ぶことにした、と言われたことがきっかけです。こちらは1次呼吸の長さというより性質に基準を置いた名前といえます。
ただ、「フルイドタイド」も全くのオリジナル語なわけではなく、日本語訳もされているシルズ氏の著書「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス vol.1」の中ではミッドタイドの説明の中に「フルイドタイドと呼ばれる潮流運動が感じられる」といった表現があるので、シルズ氏は使い分けているようです。
また、先の「Biodynamic cranio sacral therapy vol.1」の、ミッドタイドの説明の中にも「ジェラス氏はフルイドタイドとしての質に言及している(フルイドボディだったかもしれません)」のような内容を見たので、ミッドタイドよりもフルイドタイドという語の方が先にできたのかもしれません。もっとも、これまで私が読んだクラニオバイオダイナミクスの本のすべてで「ミッドタイド」という語が使われていたので、後でできたか否かにかかわらずこれが便利な区分であることは間違いなく、それで色々な指導者の方々も使われているのでしょう。
ミッドタイドがわりと最近命名されたとなると、「ロングタイド」の命名についても気になるところですが、こちらは不明です。「Biodynamic cranio sacral therapy vol.1」によると、ロングタイドは「ザ・タイド」という語の別名と解説されているので、何となくロングタイドよりも「ザ・タイド」という語の方が古そうなイメージはありますが、これまた不明です。
■
このミッドタイド命名者の件は、まあどうでもよいといえばよい話で、私が個人的に盛り上がっていただけなのですが、こうやって、「ミッドタイド」の命名者について知ったり、我々の先生が言葉の使い方を再度見直そうとしている姿などを目の当たりにして、クラニオ・バイオダイナミクスもサザーランド博士や先達が見出してきた原理を尊重しつつも、用語や先生ごとの方針など、細部は少しずつ変わりながら発展してきたのだなと、何か歴史を感じさせられました。
古いものでも最初は新興勢力だったわけで、それが体系化されていくには時間がかかるとも考えられるし、伝統武術や演劇系の伝統芸能ならともかく、ボディワークに関しては、100年も経てば最初のころと全てにおいて同じという事はまずないのだろうなあ、とも思いました。
なお、ICSBで今後ミッドタイドをフルイドタイドと呼ぶ事に関しては個人的には、1次呼吸のサイクルより性質の方が重要とも思うので、むしろ納得感がありますが、何だかんだでこれまでミッドタイドとずっと呼んできたので、今後何と呼べばよいものか少々迷いますね。
それは、幾つかの種類がある「1次呼吸」の1つ「ミッドタイド」は現在も活躍中の有名なクラニオセラピスト、フランクリン・シルズ氏によって命名された(らしい)という事です。
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講座の中で、我々の先生はこの内容をさらりと言われていましたが、私は「ミッドタイド」という名前をクラニオ・バイオダイナミクスを学び始めてからずっと聞いてきた割に、誰が名づけ、いつから使われているのかなど考えてもみなかったので、このことに、今回の学習内容のどれよりも物凄く驚いてしまいました。
ミッドタイドの命名者に関しては、先生がコメントしたほかにも、講座中、参考書として置いてあった「Biodynamic cranio sacral therapy volume 1」(Michael J.Shea著,North Atlantic Books)という英語の本をよくよく見たら、そのように書いてあったので、ほぼ間違いない話だと思います。
ちなみにこの本は何年か前からICSB講座のたびに置いてあったのですが、英語の本である上に非常に分厚いので敬遠していました。しかし今回英語があまり分からないなりに読んでみると、内容は割と専門的だが、かなり筋道だった書き方がされているようだし、著者とロルファーとの方との対談なども収録されていて、英語本であっても購入しても良いかなとも感じました。これも日本語訳されたら素晴らしいと思いますが、1冊が相当分厚く、現在6冊もシリーズが出ているようなので、翻訳は過酷を極めそうです。
本の紹介サイトは以下です。
http://www.michaelsheateaching.com/
著者のShea博士は長年クラニオを教えておられる他、ロルファー資格なども持っており、幅広い活動をされているようですね。
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ミッドタイドに話を戻しますが、以前記事にも書いたように、「ミッドタイド」は人の胎児期から存在し、身体を深いレベルで形成・編成する働きを持つとされる身体のリズム「1次呼吸」のうち、特に「1分に1-3サイクル程度のリズム(組織や本によっては2-3サイクルとされている場合もあるようです)」を指す概念とされています。
ちなみに1次呼吸は英語ではprimary respirationといいますが、潮流のような体感のリズムのため、英語で潮流を表すタイド(Tide)と呼ばれることもあります。1次呼吸には、ミッドタイドよりもっとゆっくりしたサイクルの「ロングタイド」、もっと早いサイクルの「CRI」という区分があるため、その中くらいのサイクルの1次呼吸という意味で、ミッドタイドという名前になったものと思います(そのまんまの名前ですが)。
先生はミッドタイドを「フランクリン・シルズ氏が、自分で教えやすいように作った概念」と言われていましたが、学習の一環としてならともかく、セッション中に1次呼吸の具体的なサイクルをカウントする必要はないので、教えやすいように作られたという説明は納得がいきます。
シルズ氏が命名したということは、それほど昔にできた言葉ではない(といっても、できたのは1980-90年代くらいと思うので、最近という程でもなさそうですが)ということで、サザーランド博士やベッカー博士が活躍した時代には「ミッドタイド」の語はなかったということになります。それ以前は何と呼ばれていたのか気になりますが、これまでの情報では不明です。先に述べたように、細かくサイクルをカウントしなくても困らないので、皆サイクルの違いは暗黙的に分かっていたが、殊更に用語として区別はしなかったのかもしれません。
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なお、今回先生が講座中にミッドタイドとシルズ氏の話題を出したのは、我々が学ぶICSBの教程では、最近いくつか用語を整理し、その整理の中で「ミッドタイド」は今後の講座の中で「フルイドタイド(Fluid Tide 流体・液のタイド)」と呼ぶことにした、と言われたことがきっかけです。こちらは1次呼吸の長さというより性質に基準を置いた名前といえます。
ただ、「フルイドタイド」も全くのオリジナル語なわけではなく、日本語訳もされているシルズ氏の著書「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス vol.1」の中ではミッドタイドの説明の中に「フルイドタイドと呼ばれる潮流運動が感じられる」といった表現があるので、シルズ氏は使い分けているようです。
また、先の「Biodynamic cranio sacral therapy vol.1」の、ミッドタイドの説明の中にも「ジェラス氏はフルイドタイドとしての質に言及している(フルイドボディだったかもしれません)」のような内容を見たので、ミッドタイドよりもフルイドタイドという語の方が先にできたのかもしれません。もっとも、これまで私が読んだクラニオバイオダイナミクスの本のすべてで「ミッドタイド」という語が使われていたので、後でできたか否かにかかわらずこれが便利な区分であることは間違いなく、それで色々な指導者の方々も使われているのでしょう。
ミッドタイドがわりと最近命名されたとなると、「ロングタイド」の命名についても気になるところですが、こちらは不明です。「Biodynamic cranio sacral therapy vol.1」によると、ロングタイドは「ザ・タイド」という語の別名と解説されているので、何となくロングタイドよりも「ザ・タイド」という語の方が古そうなイメージはありますが、これまた不明です。
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このミッドタイド命名者の件は、まあどうでもよいといえばよい話で、私が個人的に盛り上がっていただけなのですが、こうやって、「ミッドタイド」の命名者について知ったり、我々の先生が言葉の使い方を再度見直そうとしている姿などを目の当たりにして、クラニオ・バイオダイナミクスもサザーランド博士や先達が見出してきた原理を尊重しつつも、用語や先生ごとの方針など、細部は少しずつ変わりながら発展してきたのだなと、何か歴史を感じさせられました。
古いものでも最初は新興勢力だったわけで、それが体系化されていくには時間がかかるとも考えられるし、伝統武術や演劇系の伝統芸能ならともかく、ボディワークに関しては、100年も経てば最初のころと全てにおいて同じという事はまずないのだろうなあ、とも思いました。
なお、ICSBで今後ミッドタイドをフルイドタイドと呼ぶ事に関しては個人的には、1次呼吸のサイクルより性質の方が重要とも思うので、むしろ納得感がありますが、何だかんだでこれまでミッドタイドとずっと呼んできたので、今後何と呼べばよいものか少々迷いますね。
昨日までICSBのクラニオアドバンス講座に参加してきました。会場は例によって大阪です。朝から晩まで講義があるので、行く前は面倒だなあという気持ちも若干ありましたが、いざ参加してみると、やはり受講してよかった、と思います。
■
今回のテーマはバイオダイナミックなセッション展開(トリートメントプラン)をより深めるというもので、クラニオ・バイオダイナミクスならではのセッションが一通りできる人が聞いて役に立つ、文字通りアドバンスな内容でした。
説明が難しい内容が多いので詳細は省きますが、セッションの基本的な展開や原理そのものはこれまで学んできた内容を踏襲しつつも、クラニオセッションを進める中で出会う色々な場面をより丁寧に見るのに役立つポイントや、今回新しくまとめられたセッション展開モデルについて教わることができました。
私自身としては、やや知覚が苦手だった、液の流れとして表現される1次呼吸をより感じやすくなったり、なんとなく勘でやっていた部分があるセッションを、ポーテンシー(クラニオ・バイオダイナミクスで及われる、身体内の調整力・形成力のあらわれのようなもの)のガイドを根拠として、これまでより自信を持って展開していけそうに思いました。先生はセッションに限らず、「(YouとIではなく)We」「共同作業」という表現を各所でされていましたが、その言葉の通り、より丁寧に身体の声に耳を傾けるセッションへのヒントがいろいろな形で得られた感じです。
今回からは、私の次の期にあたる、先日新たにBSCT資格を取られた方々も参加されていましたが、問題なく対応されている印象でした。基礎教程の開始そのものは私より遅くても、クラニオと出会ってからの年月や、ボディワーク経験が長い方など、クラニオプラクティショナーとしては私以上に頼もしいバックグラウンドをお持ちの方も多いようです。私の同期の方も、セッションをがんばっている話を聞いたり、講座の中でセッションを受けたりするにつけ、皆本当に上手になったなあ(私もほぼ同程度ですが)と何か感慨深いものがありました。
※今回BCSTを取得し、アドバンスコースにも参加された土屋さんの感想ブログ
http://blog.livedoor.jp/salon_sophia/archives/51807057.html
■
上記の講座のメインテーマとは別に今回印象的だったこととしては、参加者から持ち寄られたケーススタディをシェアする体験です。いずれも、西洋医学的に見ても難しい状態にあるクライアントさんに対するセッションの方向性を先生からアドバイスしてもらう、という本格的なものでしたが、聴いているだけでも、クラニオ・バイオダイナミクスの立ち位置や可能性について、学ぶところが多くありました。
クラニオ・バイオダイナミクスは西洋医療ではないので、「病気や症状を治す」ことはできませんが、決して何もできないわけではなくて、例えば難しい症状の方に対しても、眠りが浅い場合の休息機会となったり、病気はあっても痛みや身体の負荷が軽減されたり、体液のシステムなどに主に働きかけるため、肉体にほとんど負荷をかけない働きかけができるなど、医療とは異なる形(文字通り役割や方針が異なるというだけで、医療の代わりができるという意図ではありません)でサポートができる可能性について、先生からアドバイスが与えられていました。
ケースを出した先輩方や同期の方は、クライアントさんとしっかりと向き合い、信頼関係を築いているほか、クライアントさんの難しい症状についてもしっかりと勉強した上でクラニオが扱える領域や原理からは逸脱しないセッションを行っており、その取り組みには尊敬の念を覚えました。
一方、会社員生活の片手間にクラニオを何となくやっている私にとって、こういった難しい状況のクライアントさんに継続的にセッションを行うことは、ほぼ未知の領域です。クライアントさんの大きな問題に一緒に向き合うにあたり、半端な立ち位置では私の方が潰れてしまいかねないので、これまで意図的に避けてきた部分があり、私が現在の環境でこういった問題を扱うのは実際、難しいとも思います。
ただ、クラニオ・バイオダイナミクスの可能性から目をそらし続けるのも、仮にも資格を持っている人間としてどうなのか、という気もしているので、今すぐどうにかできるわけではないにせよ、自分もクラニオ・バイオダイナミクスならではのサポートができうる技術を手にしているということは忘れずにいようと思いました。
■
今回、先生から動画の紹介があったので、最後にそれを乗せてみます。
1つめは最近話題のロルファー・藤本靖氏の書籍「1日1分であらゆる疲れがとれる耳ひっぱり」
のプロモ動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=nf6q8F72oTA
先生は日本語が読めませんが、この動画の雰囲気やノリがお気に召したようです。
冗談めかして「クラニオももっと宣伝を工夫しなければなりませんね(笑)」などと言われていました。
だれでも気軽にできて心地よさを感じられる方法にはクラニオのように、
長期の訓練が必要なスキルとはまた別の大きな価値がありますね。
2つ目はクラニオ創始者のサザーランド博士から直接指導を受け、いくつかの書籍にも
活動が取り上げられたフルフォード博士の1980年代のインタビュー動画(英語)です。
https://www.youtube.com/watch?v=6cSSVI1zf18
サザーランド博士から学んだクラニオの基本原理などについて語られています。
英語があまり分からないなりに、ためになりました。
概要としてはこんな感じで、色々と面白かったり考えさせられたりする5日間でした。
他にも講座内で個人的に大変驚いたことがあるのですが、ちょっと長くなってきたので次回に譲ります。
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今回のテーマはバイオダイナミックなセッション展開(トリートメントプラン)をより深めるというもので、クラニオ・バイオダイナミクスならではのセッションが一通りできる人が聞いて役に立つ、文字通りアドバンスな内容でした。
説明が難しい内容が多いので詳細は省きますが、セッションの基本的な展開や原理そのものはこれまで学んできた内容を踏襲しつつも、クラニオセッションを進める中で出会う色々な場面をより丁寧に見るのに役立つポイントや、今回新しくまとめられたセッション展開モデルについて教わることができました。
私自身としては、やや知覚が苦手だった、液の流れとして表現される1次呼吸をより感じやすくなったり、なんとなく勘でやっていた部分があるセッションを、ポーテンシー(クラニオ・バイオダイナミクスで及われる、身体内の調整力・形成力のあらわれのようなもの)のガイドを根拠として、これまでより自信を持って展開していけそうに思いました。先生はセッションに限らず、「(YouとIではなく)We」「共同作業」という表現を各所でされていましたが、その言葉の通り、より丁寧に身体の声に耳を傾けるセッションへのヒントがいろいろな形で得られた感じです。
今回からは、私の次の期にあたる、先日新たにBSCT資格を取られた方々も参加されていましたが、問題なく対応されている印象でした。基礎教程の開始そのものは私より遅くても、クラニオと出会ってからの年月や、ボディワーク経験が長い方など、クラニオプラクティショナーとしては私以上に頼もしいバックグラウンドをお持ちの方も多いようです。私の同期の方も、セッションをがんばっている話を聞いたり、講座の中でセッションを受けたりするにつけ、皆本当に上手になったなあ(私もほぼ同程度ですが)と何か感慨深いものがありました。
※今回BCSTを取得し、アドバンスコースにも参加された土屋さんの感想ブログ
http://blog.livedoor.jp/salon_sophia/archives/51807057.html
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上記の講座のメインテーマとは別に今回印象的だったこととしては、参加者から持ち寄られたケーススタディをシェアする体験です。いずれも、西洋医学的に見ても難しい状態にあるクライアントさんに対するセッションの方向性を先生からアドバイスしてもらう、という本格的なものでしたが、聴いているだけでも、クラニオ・バイオダイナミクスの立ち位置や可能性について、学ぶところが多くありました。
クラニオ・バイオダイナミクスは西洋医療ではないので、「病気や症状を治す」ことはできませんが、決して何もできないわけではなくて、例えば難しい症状の方に対しても、眠りが浅い場合の休息機会となったり、病気はあっても痛みや身体の負荷が軽減されたり、体液のシステムなどに主に働きかけるため、肉体にほとんど負荷をかけない働きかけができるなど、医療とは異なる形(文字通り役割や方針が異なるというだけで、医療の代わりができるという意図ではありません)でサポートができる可能性について、先生からアドバイスが与えられていました。
ケースを出した先輩方や同期の方は、クライアントさんとしっかりと向き合い、信頼関係を築いているほか、クライアントさんの難しい症状についてもしっかりと勉強した上でクラニオが扱える領域や原理からは逸脱しないセッションを行っており、その取り組みには尊敬の念を覚えました。
一方、会社員生活の片手間にクラニオを何となくやっている私にとって、こういった難しい状況のクライアントさんに継続的にセッションを行うことは、ほぼ未知の領域です。クライアントさんの大きな問題に一緒に向き合うにあたり、半端な立ち位置では私の方が潰れてしまいかねないので、これまで意図的に避けてきた部分があり、私が現在の環境でこういった問題を扱うのは実際、難しいとも思います。
ただ、クラニオ・バイオダイナミクスの可能性から目をそらし続けるのも、仮にも資格を持っている人間としてどうなのか、という気もしているので、今すぐどうにかできるわけではないにせよ、自分もクラニオ・バイオダイナミクスならではのサポートができうる技術を手にしているということは忘れずにいようと思いました。
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今回、先生から動画の紹介があったので、最後にそれを乗せてみます。
1つめは最近話題のロルファー・藤本靖氏の書籍「1日1分であらゆる疲れがとれる耳ひっぱり」
のプロモ動画です。
http://www.youtube.com/watch?v=nf6q8F72oTA
先生は日本語が読めませんが、この動画の雰囲気やノリがお気に召したようです。
冗談めかして「クラニオももっと宣伝を工夫しなければなりませんね(笑)」などと言われていました。
だれでも気軽にできて心地よさを感じられる方法にはクラニオのように、
長期の訓練が必要なスキルとはまた別の大きな価値がありますね。
2つ目はクラニオ創始者のサザーランド博士から直接指導を受け、いくつかの書籍にも
活動が取り上げられたフルフォード博士の1980年代のインタビュー動画(英語)です。
https://www.youtube.com/watch?v=6cSSVI1zf18
サザーランド博士から学んだクラニオの基本原理などについて語られています。
英語があまり分からないなりに、ためになりました。
概要としてはこんな感じで、色々と面白かったり考えさせられたりする5日間でした。
他にも講座内で個人的に大変驚いたことがあるのですが、ちょっと長くなってきたので次回に譲ります。
プロフィール
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
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