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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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先日、このブログでも告知した、クラニオの先生であるバードレイナさんのイブニングトークに参加できたので、雑感など書いてみます。
かなり申込者が多いと事前に聞いていたのですが、当初の募集人数が50名位のところ、実際の参加者は80名位とのことでなかなかの盛況でした。ICSB関係者がほとんどを占めるのかなとも思っていましたが、関係者は多分4割くらいでこの手の講座としては関係者以外の方も思ったより多かったのかなと思います。もっとも、参加者のほとんどがクラニオを受けたことがあるそうなので、バードレイナさんと初見の方も「クラニオを全く知らない方」というより、「クラニオについてもっと知りたい方」が大半だったものと思われます。
個人的には久々に同期や先輩方、知人の方々にもお会いできてうれしかったですが、内容もためになりました。


講座の主なテーマは人間の「内なる健全さ(ヘルス)」についてで、合宿でも毎回のように聞いている内容のはずですが、不思議と新鮮さがありました。

ここで言う「健全さ」は、このブログでも多分書きましたが、完全な無病状態やまるで歪みがない状態(事実上そんな人はいないので)ではなく、身体がどんな状態であっても人体に常時働いている内的な自己調整の力(調整といっても、不調の回復や軽減のみならず、体温調整や、人間をヒトという生物共通の体型に成長させる働きなど、色々な意味合いや複数の働きも含まれると思います)そのものというところです。そして、その内的な働きの1つがクラニオで「1次呼吸」と呼んでいるもので、その働きを駆動させている力そのものがクラニオでいう「ブレスオブライフ」というわけですね。
上記のような説明だと理屈っぽくなっていきますが、講座では、貝殻や渦潮などの画像から、特に人間が介在しなくても、それぞれの対象が持つ働きにより自然界では美しい規則的な形がごく自然に形作られていることをイメージできるようなパートもありました。これらの情報はクラニオ・バイオダイナミクスの体系全体が雰囲気として持つイメージを難しい理屈を介さずに何となく体感するのに役立ったのではないかなと思います。

いくつかのシンプルなワークの体験もあり、特に2番目のワークは1次呼吸を感じる内容も含まれていて、シンプルな手順なれど、必ずしも「簡単」ではなかったと思うのですが、大上段に構えたり、難しい説明を重ねることで参加者を委縮させることなく、ごく自然にワークを進めていく先生の手腕はさすがだなと思いました。こういった展開だったので、何か感じられたり、そうでなくても深いリラックスを実感できた方も多いのではと思います。
ちなみに個人的には「ある技法の経験者と同じ場に居る」だけで、わずかといえど、言葉や直接的な行為によらず伝わるものがあると思っていますが、今回も一応私含む大量のICSBプラクティショナーが参加しているので、彼らが悉く1次呼吸を感じていると、場の状態にも影響が現れ、初見の方も1次呼吸を少しばかり感じやすくなるという「環境の支援効果」もこの時はさりげなく発揮されていたのかなと、何となく雰囲気から感じました。


何名かの方に感想を聞く限り、バードレイナさんの話を初めて聞く方にも講座の内容はなかなか好評だったようで、一応(かなりささやかながら)宣伝した身として、その点は安心しました。
ただ、私自身の中では、判りやすさを感じつつも、ますますクラニオ・バイオダイナミクスのスタンスについて謎が深まった感もあります。何遍も聞いたはずの話になお新鮮さを感じているという事は、このテーマに関して自分の中で「未知」な部分がかなりあるからで、まだ自分が見えていない深さがあるということなのでしょう。
自分がクラニオについて説明しても、どうにも上っ面を撫でているような感覚が否めず、実際、誤解されたり、意図と全く違う感想を聞いて、自分の力不足にがっかりすることもしばしばですが、これはやはりクラニオや「ブレスオブライフ」に関する先生との圧倒的な理解度の差なのだろうなあと感じるところです。


今回の講座を受けて、改めてクラニオ・バイオダイナミクスの主目的の様なものを考え直してみたのですが、「常に人体に恩恵を与え続けているが、いまいち存在を認識されていない1次呼吸システム」を、その人の「リソース(例えば楽しい思い出などに付随する、自分の支えとなるような身体感覚)」として登録してあげることが、クラニオセッションの大目的の1つなのかな、という言葉に一応まとまりました。

「症状の軽減」や「くたびれている人の自己調整力がより働きやすくなる」といった一般に期待されるであろう恩恵も一応はあると思いますが、それは基本的にセッションというより1次呼吸システム自体がやっていることでしょうし、ひとつの症状や歪みがセッションでなくなったとしても、生きていれば別のストレスを受けて他の不調などが出ることは当然あるでしょうから、多少不安があるたびにいちいちクラニオやら何やら受けていたのではきりがない(もちろん明確な問題がない段階で受けること自体が駄目なのではなく、頻度や依存度の問題です。)と思い続けている私としては、あまりそれらの恩恵・効能に過度にフォーカスしたくない気持ちはあります。

この「リソース」という側面から考えた場合、自分にとっての「1次呼吸システム」は、信仰などとは別の次元で、思想・体感両面において何か言葉にできない深い確信のようなものを与えてくれている存在であるように思います。
そういえば、前に東洋思想の講師をされている方に、1次呼吸システムとブレスオブライフの説明をした時、「それって、人の内側にも「タオ(道)」があるということなんじゃないですか」との感想をいただいたことがありました。私は「タオ」については理解不十分なので、深い自己調整力とどの程度同一視してよいのかわかりませんが、今思えば、そのような表現もありなのかなと感じます。
もっとも、1次呼吸システムがリソースとして自己の身体感覚に深く内在化しても、悟ってみたり、何やら別次元の高邁な境地に至るという事もなく、単に自分と共にいつも「なにか深い調整の働き」が共にいてくれて「何か凄いなあ」という、それ以上でも以下でもないとも思うのですが。

結局最後は講座と関係ない方向に脱線しましたが、個人的には上記のように今回の講座の刺激をもとにうだうだ考えているうちに、自分の中でぐるぐる回りつづけているクラニオ・バイオダイナミクスの立ち位置を現時点バージョンに仮にまとめられた感じはします。まだしっくり来ていないので、更なる精査は必要ですが、ともあれ、今回先生から話を聞いて、改めて自分にとってのクラニオを見つめなおせた気はします。

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しばらく前にセッションを受けたい方向けページなども更新しましたが、色々思うところあり、私のセッション等の活動は基本クローズ方針で行くことにしました。
都合よく、ICSBの何名かのメンバーがクラニオバイオダイナミクスについて多くの人に知ってもらったり、関連講座を宣伝するサイトを秋ごろに立ち上げるような話も聞いたので(本当にできるのかは未確認ですが)、もともと積極的なクラニオ宣伝意図を持っていないこの曖昧な存在のブログは、私の感想を無軌道に綴る方向によりシフトしていきたいところです。

まあ、気が向いたら宣伝めいたことも書くかもしれませんが、正直、この手の身体や健康にかかわる技法(かつ、ちょっと神秘的な要素もある)は無暗と広めるといろいろ問題が出てきやすい気がするので、個人的にはたまたま出会って、やりたい人、受けたい人が関わればいいスキルという気もしています(もちろん、広めたい方を積極的に止める気はないですが)。先の「色々思うところ」の1つとして、クラニオバイオダイナミクスは表現によってはかなり誤解されやすい技法と実感した、ということもあるので…。


で、それはそれとして、とりあえず周囲を顧みず無軌道に活動する第1弾として、原典に当たってみよう計画を実施中です。具体的にはクラニオ創始者のサザーランド博士の直弟子であるベッカー博士の本(英語)がアマゾンで買えると最近知り、早速1冊購入したので、これをアバウトに読んでみようとしています。買ったのは「Stillness of life」という本です。
http://www.amazon.co.jp/Stillness-Life-Osteopathic-Philosophy-Rollin/dp/0967585112/ref=pd_sim_sbs_fb_1?ie=UTF8&refRID=1S0YKXC620HC3WNGM4Z5
これは技術書ではなく、ベッカー博士のセッションに対する考えをまとめた文書や講演録などが中心のようなので、技術レパートリーを増やす意図はなく、ルーツを知りたい私の目的にはより合っている感じです。

ちなみに、1970年代の講演の部分を読みましたが、「クラニオセイクラル」という名前は出てこなくて、博士のワークは「クラニアルオステオパシー」や単に「オステオパシー」等と呼ばれています。(この当時の)ベッカー博士はサザーランド博士はオステオパシーの創始者であるスティル博士の原理を受け継いでいると言われており、また、ベッカー博士が説明する、スティル博士時代のオステオパシーの身体観は、身体の全体性や身体自身がおのずから整う働きを重視していたり、身体を動かす何らかのフォース(1次呼吸に相当?)の存在を前提としているようで、バイオダイナミクスとかなり似ている気がします。

私の読み違いもあるかもしれませんが、どうもバイオダイナミクスのもとになる考えは、スティル博士の時代に既にあったようです。ベッカー博士は1996年と比較的最近亡くなったそうで、この本にはこの後、より近年の博士の記述が出てくる構成になっているので、どのような結論にたどり着いたのか興味深いところです。

他にもアマゾンではベッカー博士の「Life in Motion」という本が買えますが、こちらの方が技術寄りなのかなと思っています。そこそこ高いですが、まだ1万円台なので、こちらもいずれトライしてみたいところです。


なお、アマゾンではなんとサザーランド博士自身の本(といっても、発売がかなり新しいので、おそらく、どなたかがサザーランド博士の著作等をまとめた本と思われる)も購入可能で、私としてはこちらもぜひ欲しいのですが、最低でも5.5万円とさすがに腰が引けてしまう価格なので、もう少し安く手に入らないか、少し探索してみたいところです。
http://www.amazon.co.jp/Contributions-Thought-Collected-Writings-Sutherland/dp/0915801744/ref=sr_1_2?s=english-books&ie=UTF8&qid=1409395218&sr=1-2

先日紹介したShea氏の本など、クラニオ英語本は結構あるので、ある程度英語が読める方なら、日本語の数少ないクラニオ本に飽き足らなくなったら、このアバウトなブログの記事に幻惑されたりせず、英語本にどんどんあたっていった方が良いようにも思います。やはり海外の技法なので。

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先の記事で密かに紹介したミニ講座「クラニオのニュートラルに学ぶⅢ」が終了しました。
今回はまとめや所感などをアバウトに書いてみます。


前も書いた気がしますが、講座の題名が「ニュートラルを学ぶ」でなく「ニュートラルに学ぶ」とあるように、講座の主な目的は「プラクティショナーニュートラル」を身に着けてもらうことというより「自分の身体感覚や静けさの体感と親しんでもらうこと」でした。
今回の内容は実は普遍性の高い重要な秘訣を伝えているとか、これをやると健康にすごく良い…ということもなく、単にそういった感覚に親しんでもらうことが主目的です。その目的も「強いて言えばそういう表現になる」という程度でとりあえずクラニオ的なネタを色々身体を使ってやってみよう、というノリで実施しました。

そんな本講座では「プラクティショナーニュートラル」になるこつであるところの「プラクティショナーファルクラム(これまでこの言葉は意外と使っていませんでしたが、説明する際には結構便利だなと今更ながら感じました)」のうち、私がクラニオ基礎教程最初期に学んだスタンダードなものを紹介したり、私が日常やっている稽古の準備運動的な内容を抽出したものや、私が過去参加した講座から一部拝借した身体感覚系の内容を、「自分の身体感覚や静けさの体感に親しんでもらうネタ・素材」として紹介しました。このミニ講座はこれまで3回実施させてもらいましたが、使った素材が回により少し異なるだけで、講座の方針は(私の中でどの程度明確化されているかは回により違いましたが)毎回ほぼ同じつもりです。


もちろん、講座でなにがしか落ち着きやすいこつレベルのことが身につくに越したことはないのですが、プラクティショナーニュートラル自体はハウツーものではないので、3時間で身に付く内容はごく限られるのも確かです。
私自身、クラニオ基礎教程の初期にプラクティショナーニュートラルについて概要と重要性について学びましたが、その後、教程が進むにつれ、プラクティショナーファルクラムとして活用できそうな幾つかの要素を学んだり、プラクティショナーニュートラルの重要性について色々な形でしばしば聞いたりしたものの、実はプラクティショナーニュートラルそのものを体系だって細かく教えられたことはありません。
どんな技能でもそうだと思いますが、プラクティショナーニュートラルもまた時間をかけて向き合うからこそ深まる部分が多く、私と同じ教程の仲間も、たくさんのセッションを行う中でそれぞれの試行錯誤を経て、安定したニュートラルを身に着けてきたのだと思います。そのため、たぶん同期でも個人ごとにプラクティショナーニュートラルを実施するためのコツ(プラクティショナーファルクラム)はかなり異なると思います。

また、プラクティショナーニュートラルは、本来は様々な変動要素があるクラニオセッションで実際に使ってこそ意味があるものとも思うので、話だけ聞いて何となく納得しても仕方ないといえば仕方ない部分はあります。かといって、ここぞという「使いどころ」「深められる場面」がクラニオセッション以外にあるかというとこれまた結構微妙だし、そもそもバイオダイナミクス系のクラニオを習っている方なら、私がプラクティショナーニュートラルについて説明したような内容は普通に知っていると思うので(少なくとも市販のフランクリン・シルズ氏のクラニオ本にはほぼ同内容のことが書いてあります)、自分で選んでおいてなんですが、講座テーマとしては中々悩ましいと思う部分もあります。
まあ、「何か役に立つか」という視点から見た場合、今回紹介したような素材の一部をちょっと記憶していたり、何となく体の方が覚えていて、日常で何かあった時に多少心を落ち着ける役に立てば上々というところでしょう。あるいは、クラニオについて良く知らない方や心身に関する何らかのワークを学び始めたかたが、こういった感覚に触れたことを期に、クラニオやいろいろなワーク等の世界により興味を持っていただくきっかけになれば、というところでしょうか。


ちなみに、講座の目的は身体感覚と親しむこと、などと書いていますが、そんなに難しいことをしたわけではありません。ごくスタンダードなプラクティショナーニュートラル体験の他には、一般的なプラクティショナーファルクラムを利用して立って落ち着いてみるとどんな感じだろう、とか、その状態を保って歩いてみたらどんな感じだろう、といった私にとってもやや実験的な取り組みをしてみました。
この取り組みの内容は、講座前に自分の稽古経験や実施難易度などを踏まえつつ色々考えたのですが、やってみたら中国武術の一般的な立ち方の要点をきわめて緩くしたような内容になりました…。中国武術の立ち方そのものが教えられれば良いんでしょうが、現在の私には教えられるだけの理解がないですし、肉体的にもハードになるので、これはこれでまた悩ましさがあります。まあ、これに関しても、やってみて害があるわけでもなければ、凄い変化があるわけでもないと思いますし、何かを習う前段階、もしくは日常で身体感覚と親しむにあたっての遊びのような素材と捉えて頂ければというところです。

なお、私が考えるところの「感覚に親しむ」というのは姿勢に多少気を付けるとか、食事を味わうとか、鳥の声を聴くとか、なんとなく周囲に気を配るとか、あくまで、五感をおろそかにしないレベルで身体を意識しながら暮らす、といった程度の内容です。そもそも、感覚が無暗と鋭くなると、日常では逆にしんどい場面が増えてしまうと思いますし、個人的にもなにか凄い精神的境地に到達しようとしたり、すごく鋭敏な感覚や特殊能力みたいなものを身に着けることも目的としていないので、ごく無難で安全な方針で行きたいところです。

当たり前ですが、身体は色々な感覚を通じて常にいろいろな情報を受け取っており、ポジティブな情報のみならず、五感を通じて様々な形で警戒すべき情報なども伝えてくれていると思うので、それを日常受け取りながら無視し続けるのもちょっと悲しい話ですし、何らか身体に関するワーク等を学ぶにあたっても、自分の姿勢や動きの変化を実感できたり、自分の意識や動作の使い方の癖を知ったり、学んだ内容のうち理解不十分な部分を自分のからだを通じて発見・解消しながら学ぶ方が興味を持って学べると思うので、自分の身体に意識を多少でも(過剰に意識を向けるのも良くないので、ほどほどに)向ける習慣はあるに越したことはないと思っています。


まあ、身体や感覚(五感)と親しむ体験をしてもらうならば、素材は静けさ重視でなくても良いのでしょうが、運動系・活性化系のアクティブな素材は世にあふれていると思うので、今回のような、クラニオ的な地味で静けさ重視素材に触れてみるのも時にはありなんじゃないかと思いました。
とりあえず、かなり地味な内容でしたが、内容を楽しんで頂けた方もおられたようで幸いでした。

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遅ればせながら今年初ブログです。今年もよろしくお願いします。

先日やはり「今年初クラニオセッション」を行う機会がありましたが、その際「プラクティショナー(以下、術者)によってセッションの個性はあるのか」という質問を受けました。「あると思う」とか、「いや、ないのかもしれない」とか、「技量の面では明らかに違いが…」などと色々矛盾したことを言っているうちに時間が無くなり、中途半端に終わってしまったのですが、これはまともに捉えると、色々回答しようがあるなかなか難しい質問だと思いました。そこで、今回はこのことをお題に雑感など書いてみようと思います。
大雑把に考えると、これは視点の違いによって答えが変わってくる質問といえそうです。


まず、「セッション手順の個性」という視点で見ると、展開のさせ方にある程度の個性はあると思います。クラニオにはいろいろな「ハンドポジション(触れる位置とその位置特有の触れ方)」がありますが、バイオダイナミクスの場合はセッション開始時のハンドポジションや2番目以降に使うハンドポジション、1セッション中いくつのハンドポジションを使うか、などに大まかな方針はあるものの、明確なルールがあるわけではありません。クライアントさんの状況を見ながらアドリブで決めていくので、ハンドポジションの選択に術者の感性や得意な触れ方が反映されることはあると思います。メカニカルなクラニオの場合は技術として明確に触れる順番が決まっていることもあると思うので、バイオダイナミクスはそれよりは自由度があるともいえそうです。

もっとも、開始時のハンドポジションとして頭部などの敏感な場所を選ぶことはほとんどないのと(クライアントさんがクラニオを受け慣れていたり、信頼関係が十分にある場合は別ですが)、クライアントさんによっては、特定部位に触れられることが非常に負荷が大きいこともあるのとで選択肢が最初から極めて限定されている場合も多く、その場合は「個性」は発揮しようがないとも言えます。
このように、結局はクライアントさんの状態に合わせて触れているので、うがった見方をすると、ハンドポジションを決めるにあたって術者自体は何の個性も発揮しておらず、「クライアントさんの身体の個性」に合わせているだけともいえるのかもしれません。


次に、「セッションを受けた時の体感・感触」という視点です。あくまで個人的な経験ですが、体感としては、セッションの導入部分で距離の取り方の癖など、若干個々人の差を感じることはありますが、受け始めてから十分くらいたって落ち着いた後の感触というのは、数年以上位学んだ、ある程度熟練した術者から受けた場合、だいたいどなたでも似たような感じ(そんなに個性は感じない)ではという気がします。私は達人といわれるような人や他のバイオダイナミクスの組織の術者のセッションを受けたことがないので、何とも言えない部分はありますが、基本的に劇的な感触のワークではないので、あくまで感触に関して「熟練者」と「達人」と比べた場合、その違いは意外と微妙なものではという気もします。その微妙な部分が非常に大きいのだろう、とも思いますが。

習いたての慣れていない術者から受けると、それらしきことが起きてはいるけれど、何だかしっくりこない感じはありますが、そもそもこれは熟練度等の話で、個性と違う気はします。また、バイオダイナミクスの術者として非常に高いスキルを持っていても、ワークの性質上、クライアントさんの状態によって毎回起きることが違い、上手な人がやればいつも同じ結果になるという事もないので(少なくとも何か納得感のある感覚は提供できると思いますが)、「体感」で術者の個性を語ること自体が難しい部分があるともいえそうです。

なお、少し話はずれますが、全体の傾向としてみた場合、共通してある種の静けさや深さのような「クラニオ・バイオダイナミクスらしさ」というものはあるので、「体感」に関しては、「術者個々人の個性」は薄くとも、「ワークとしてのクラニオ・バイオダイナミクス全体の個性」なら割とはっきりしているといえるかもしれません。


最後に「術者のクラニオバイオダイナミクスのスキル」という視点です。これは多分結構個性があるのだと思いますが、見た目から非常にわかりにくい部分でもあります。一応目に見えるスキルとしては、触れ方(文字通りの接触の仕方)やセッション中の姿勢がありますが、大まかな傾向としては「割と真っ直ぐなリラックスした姿勢」「負荷をかけない触れ方」なのでやはりある程度の熟練者ならば、同じハンドポジションを用いて触れた場合、見た目上はそんなに変わらないようにも見えます。
当たり前ですが、術者によって体格などが違うので、クライアントとして術者に触れられた時の印象はそれぞれ違うかもしれません。たとえば、私はそれなりに体格があって、掌も割と大きいので、後頭部などは割と大雑把に触れても全体をカバーできますが、手の小さい人はバランスなどを慎重に見極めて触れているかもしれません。これをセッションの個性というべきかは何とも言えないですが。

一方、姿勢の維持にあたってのこつや、セッション中の意識の用い方などの「外から見えない部分のスキル」はかなり個性がある気がします。同じ原理原則を学んだり、術者の安定度に関わる「プラクティショナーニュートラル」を維持するこつとして共通の知識を得てはいますが、ここには過去の経験や知識、自分の得意な意識や感覚の使い方などが出てくると思うので、最も「術者の個性」が出るのはこの部分かもしれません。
しかし、外から全く見えないのと、私自身、他の術者になにをやっているのか詳細に聞いたことがないので、どう違うのかはあまりわかりません。結構抽象的な部分で、人によっていろいろな表現をしそうなので、そもそも聞いても正確にはわからなそうな気もします。
たとえば、私の場合は姿勢の安定度の維持にあたり、中国武術の稽古経験が非常に大きなウエイトを占めていますが、これは少なくとも私の同期にはない点なので、「私のセッションの個性」といえそうです。もっとも、これも私が何か特別なことをしているというよりは、稽古の中で身に付いたものが自動的に発揮されているような部分も多く、また、前述のように、私の同期とのこの微妙なスキルの差異が、クライアントさんの受けた「感触」に「明瞭な違い」としてフィードバックされているかは謎です。


他にも視点はありそうですが、とりあえず、このようにざっと書き出してみると、セッションに術者の個性はあるともないともいえる、曖昧な内容になってきました。
ただ、あえてまとめるならば、クラニオバイオダイナミクスは術者が受け手に対して何かをするような性質のワークではなく、「自分」という「個」が前に出るワークではないので、能動的なワークに比べれば「個性」という言葉を用いるのにややそぐわないところがある、とは言えるかもしれません。

クラニオバイオダイナミクスにおいて「個性」という語を使うとしたら、前述のように、『「クライアントさんの身体のそのものの「個性」(同じ方でもセッションのたびごとに微妙に異なる)」に対し、クラニオの原理に則って術者が「個」を出さずに対応していく』とか、『ワークとして「個」を前面に出さないよう、術者が自分自身を制御するために用いるスキル(意識や姿勢維持など)の中に「個性」がある』というのが、割としっくりくる表現ではあります。
セッションの中でより適切にクライアントさんの変化に従うことができるとともに、その過程の中で自身の「個」を感じさせない割合が高いほど、クラニオ・バイオダイナミクスの術者としては熟練度が高いとも言えるかもしれません。

何だか言葉遊びのような感じになってしまいましたが、こうやって色々な角度で書いているとクラニオについて少しは私の理解が深まるかもしれないですし、特に大体的に広めようとは思わないにせよ、縁のある方がクラニオに興味を持つきっかけ位は作れるかもしれないので、今年もボチボチ書いていこうと思います。

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前回の記事で書いた、個人的に今年のアドバンス講座でびっくりした内容についてです。
それは、幾つかの種類がある「1次呼吸」の1つ「ミッドタイド」は現在も活躍中の有名なクラニオセラピスト、フランクリン・シルズ氏によって命名された(らしい)という事です。


講座の中で、我々の先生はこの内容をさらりと言われていましたが、私は「ミッドタイド」という名前をクラニオ・バイオダイナミクスを学び始めてからずっと聞いてきた割に、誰が名づけ、いつから使われているのかなど考えてもみなかったので、このことに、今回の学習内容のどれよりも物凄く驚いてしまいました。
ミッドタイドの命名者に関しては、先生がコメントしたほかにも、講座中、参考書として置いてあった「Biodynamic cranio sacral therapy volume 1」(Michael J.Shea著,North Atlantic Books)という英語の本をよくよく見たら、そのように書いてあったので、ほぼ間違いない話だと思います。

ちなみにこの本は何年か前からICSB講座のたびに置いてあったのですが、英語の本である上に非常に分厚いので敬遠していました。しかし今回英語があまり分からないなりに読んでみると、内容は割と専門的だが、かなり筋道だった書き方がされているようだし、著者とロルファーとの方との対談なども収録されていて、英語本であっても購入しても良いかなとも感じました。これも日本語訳されたら素晴らしいと思いますが、1冊が相当分厚く、現在6冊もシリーズが出ているようなので、翻訳は過酷を極めそうです。

本の紹介サイトは以下です。
http://www.michaelsheateaching.com/
著者のShea博士は長年クラニオを教えておられる他、ロルファー資格なども持っており、幅広い活動をされているようですね。


ミッドタイドに話を戻しますが、以前記事にも書いたように、「ミッドタイド」は人の胎児期から存在し、身体を深いレベルで形成・編成する働きを持つとされる身体のリズム「1次呼吸」のうち、特に「1分に1-3サイクル程度のリズム(組織や本によっては2-3サイクルとされている場合もあるようです)」を指す概念とされています。
ちなみに1次呼吸は英語ではprimary respirationといいますが、潮流のような体感のリズムのため、英語で潮流を表すタイド(Tide)と呼ばれることもあります。1次呼吸には、ミッドタイドよりもっとゆっくりしたサイクルの「ロングタイド」、もっと早いサイクルの「CRI」という区分があるため、その中くらいのサイクルの1次呼吸という意味で、ミッドタイドという名前になったものと思います(そのまんまの名前ですが)。

先生はミッドタイドを「フランクリン・シルズ氏が、自分で教えやすいように作った概念」と言われていましたが、学習の一環としてならともかく、セッション中に1次呼吸の具体的なサイクルをカウントする必要はないので、教えやすいように作られたという説明は納得がいきます。
シルズ氏が命名したということは、それほど昔にできた言葉ではない(といっても、できたのは1980-90年代くらいと思うので、最近という程でもなさそうですが)ということで、サザーランド博士やベッカー博士が活躍した時代には「ミッドタイド」の語はなかったということになります。それ以前は何と呼ばれていたのか気になりますが、これまでの情報では不明です。先に述べたように、細かくサイクルをカウントしなくても困らないので、皆サイクルの違いは暗黙的に分かっていたが、殊更に用語として区別はしなかったのかもしれません。


なお、今回先生が講座中にミッドタイドとシルズ氏の話題を出したのは、我々が学ぶICSBの教程では、最近いくつか用語を整理し、その整理の中で「ミッドタイド」は今後の講座の中で「フルイドタイド(Fluid Tide 流体・液のタイド)」と呼ぶことにした、と言われたことがきっかけです。こちらは1次呼吸の長さというより性質に基準を置いた名前といえます。

ただ、「フルイドタイド」も全くのオリジナル語なわけではなく、日本語訳もされているシルズ氏の著書「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス vol.1」の中ではミッドタイドの説明の中に「フルイドタイドと呼ばれる潮流運動が感じられる」といった表現があるので、シルズ氏は使い分けているようです。
また、先の「Biodynamic cranio sacral therapy vol.1」の、ミッドタイドの説明の中にも「ジェラス氏はフルイドタイドとしての質に言及している(フルイドボディだったかもしれません)」のような内容を見たので、ミッドタイドよりもフルイドタイドという語の方が先にできたのかもしれません。もっとも、これまで私が読んだクラニオバイオダイナミクスの本のすべてで「ミッドタイド」という語が使われていたので、後でできたか否かにかかわらずこれが便利な区分であることは間違いなく、それで色々な指導者の方々も使われているのでしょう。

ミッドタイドがわりと最近命名されたとなると、「ロングタイド」の命名についても気になるところですが、こちらは不明です。「Biodynamic cranio sacral therapy vol.1」によると、ロングタイドは「ザ・タイド」という語の別名と解説されているので、何となくロングタイドよりも「ザ・タイド」という語の方が古そうなイメージはありますが、これまた不明です。


このミッドタイド命名者の件は、まあどうでもよいといえばよい話で、私が個人的に盛り上がっていただけなのですが、こうやって、「ミッドタイド」の命名者について知ったり、我々の先生が言葉の使い方を再度見直そうとしている姿などを目の当たりにして、クラニオ・バイオダイナミクスもサザーランド博士や先達が見出してきた原理を尊重しつつも、用語や先生ごとの方針など、細部は少しずつ変わりながら発展してきたのだなと、何か歴史を感じさせられました。
古いものでも最初は新興勢力だったわけで、それが体系化されていくには時間がかかるとも考えられるし、伝統武術や演劇系の伝統芸能ならともかく、ボディワークに関しては、100年も経てば最初のころと全てにおいて同じという事はまずないのだろうなあ、とも思いました。

なお、ICSBで今後ミッドタイドをフルイドタイドと呼ぶ事に関しては個人的には、1次呼吸のサイクルより性質の方が重要とも思うので、むしろ納得感がありますが、何だかんだでこれまでミッドタイドとずっと呼んできたので、今後何と呼べばよいものか少々迷いますね。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

私のプロフィール的なものはこちら
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