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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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先月10月21日からの5日間、毎年恒例のICSBクラニオアドバンス講座に参加しました。
結構盛り沢山な内容だったので、今回もダイジェスト的に個人的に印象に残った部分を書いてみ
ます。
■今回のテーマ
今回のテーマは「足」でした。
「足」といっても、普通日本語で「足」と言った時に指すことが多い「股関節から下全部」のことではなく、英語の「foot」=「くるぶしから下の部分」が対象です(なお、以下でも「足」「足部」と書いた場合、この部位を指します)。ちなみに股関節からくるぶしまでは英語では「leg」ですね。膝から下を指す場合もあるようですが(以下の文では股関節から下全部を指す時は「脚部」と記載)。
脛あたり(以下では脛部と記載)も多少触れましたが、基本的には足裏や足の甲ばかり数日間触れつづけるというある意味マイナーな内容でした。
■足の構造と頭部との関わり
私は最近はセッションを身近な人以外にしておらず、足の問題について相談を受けたこともなかったので、足の構造を詳細に意識したことがありませんでした。そのため、今回の足部の精緻な構造と頭部との関わりの話は印象的でした。
たとえば、足の中央には「舟状骨」と「立方骨」という骨が隣り合って存在しますが、この骨同士が1次呼吸によってそれぞれ動くリズムは頭部のSBJ(蝶形骨と後頭骨の間の関節)周りのリズムとも連動しているという話がありました。足のセッションをした後に頭部に触れて状態を検証するという内容がありましたが、手で感じる限り、確かにそういった反応があるようです。
また、足裏には「足裏のアーチ(いわゆる「土踏まず」)」の構成にかかわる足底腱膜という膜組織があり、これは脚部からの血液循環のサポートなどにも役立っているそうですが、この膜の状態も頭内の膜組織「小脳テント」と関わりがあるとの説明がありました。これまでセッションで足に触れたことは数多くあっても、足裏に膜組織があると意識したことはなかったので、セッションで、この腱膜が1次呼吸によって動いているのを感じた時は新鮮な気分でした。
足裏はかなり酷使されているので、足の使い過ぎや使い方や状況によってはこの膜が炎症を起こすこともあるが、クラニオはそういった状態もサポートできる可能性があるとの説明も受けました。
主に体の構造より機能に働きかけを行うクラニオ・バイオダイナミクスでは基本的にどこに触れても全身に影響がありますが、こういった細かな部位のつながりを理解することで更に対応の幅が広がりそうだと思いました。
■身体構造のバランス
今回の講座での脚部構造の説明に関しては、
脛部分の骨のうち、小指側にある腓骨は適応力、親指側にある脛骨は安定性に優れており、
足部分の骨のうち、小指側の約半分は安定性、親指側の約半分は適応力に優れている
という話も印象に残りました。
安定性=頑丈、適応力=多彩な動きがしやすい、と言い換えても良いかと思います。
要するに脛と足では安定性に優れた部位と適応力に優れた部位が互い違いになっていて結果として脚部全体のバランスが取れている、という話です。これを東洋風に表現すると、身体各部にも「陰と陽」と区別できるような一見相反するような役割の器官や構造が各所に適切に存在していて、その結果として全体のバランスが取れているとも表現できるのかもしれないと思いました。
改めて身体は良くできていると感心したひと時でした。
◇参考
足の構造について判りやすい画像でもないかなと探していたら、クラニオとは関係ないサイトですが、以下に図や色々な説明が書いてあったので、一応紹介しておきます。骨の構造だけでなく土踏まずなどについても触れられています。
http://www.asinaka.jp/function.html
■足部・脚部のマッサージ
足がテーマの講座ということで、朝の軽い運動の時には足の構造に親しんだり、眠気覚ましも兼ねてか、脚部・足部のマッサージなどもしたので、いくつかやったことを書いておきます。
クラニオスキルとは関係ないので、誰でもできると思います。
この記事を見て実施しようと思う方がいるかはわかりませんが、やるならどれかお気に入りの方法なりやりやすい方法なりを自分の脚部の状態に応じて、痛気持ちよい程度に行うのが良いかと思います。
・自分の足の甲をもう片方の足裏の土踏まず部を使って上から下に(足首から指側に向けて)擦る。
・自分の足の甲をもう片方の足の指を使って(足首から指側に向け)に擦る。
各指の1本1本の骨と骨の間を逆側の足指でこする感じになると思います。
・すねの腓骨と脛骨の間の部分(下腿骨間膜という膜がある)を両手親指で上から下まで揉む。
他より痛みを感じる部分は集中的に揉んでみる。
・くるぶし直下の足首周り(下肢筋支帯という組織が足首を広くくるむように覆っている)を指で揉む。
ここを揉むときは講座では相手をベッドに寝かせて行うやや複雑なマッサージをしましたが、
とりあえず指で揉むだけでも心地よさは得られると思います。
ちなみに、クラニオではセッション展開によってはセッション終了後に日常の意識状態を取り戻すのに若干時間を要することがあるので、セッション後にクライアントさんが少しぼんやりしたりフラフラする感じがするようなら、自分で自分の足を上記のようにマッサージしてもらったり、ゆっくりセッションルーム内を歩いてもらってから帰ってもらった方が良いこともある、との説明もありました。
■意図と動作の学習
講座の最後に数名ずつのグループを作って5日間の講座の振り返りをしている時、印象深かったと話題になったのが、講座4日目に見た赤ちゃんの動きの映像です。最初はあまり思い通りに動けないでいる赤ちゃんが、手足や胴体の使い方を自然と学びながら、自在に寝返り動作ができるようになるまでのプロセスを数分にまとめた心温まる内容です。
これは、ボディワークのフェルデンクライスメソッドの関係者が作成したらしい動画で、同ワークと赤ちゃんが生後1年で動作を身に着けていく工程の共通点について字幕が入っているようです。なかなか良い動画だと思います。
そして、講座振り返り中、この動画の中で全員一致で印象深さを感じていたのが、まだ自分で寝返りがうまくできないでいる赤ちゃんが、遠くにあるおもちゃを取ろうとした結果、寝返りを自然に成功させる場面です。
私が学ぶ中国武術でも、動作の前に「意」があるとか、「視線」が動作を導くという教えがありますが、おもちゃに意識を向け、その存在を「サポート」として寝返りを成功させたこの赤ちゃんは、まさにそれを非常に自然な形で体現しているのでは、と感動しました。もっとも、我々自身もそうやって寝返りを打ったり、立ったり歩いたりを覚えてきたのでしょうから、誰しもが無意識にやって来たことなのでしょう。
大人が身体の使い方を探求するような稽古やらワークやらをやっていると、身体の使い方を調整してああしてこうして動く…という複雑な状況に陥る場合もあると思われますが、それはそれで価値があるとして、この映像では非常にナチュラルな「動きの学習」の姿を見た気がしました。
もちろん、赤ちゃんは万能であるとか「意」があればどんな動きもできると言いたい訳ではなく、例えば、赤ちゃんは最初は当然ながら身体が発達していないのでそもそも物理的に「歩く」という動作自体できないが、身体の成長やこういった様々な運動の繰り返しにより脚部や脚部を支える身体構造の発達が促され、それらの身体の準備が整った段階で今回のおもちゃのような「サポート」なり、目的意識なり、単純な好奇心なりをきっかけに少しずつ新たな動作ができるようになる…ということかと思います。
◇参考:上記の動画
検索したら発見。赤ちゃんがおもちゃをサポートに転がるのは2:05くらいからですが、
普通に最初から見た方が面白いと思います。
https://vimeo.com/13598879
■新スキル
昨年度に引き続き、今回もクラニオバイオダイナミクスの新スキルが紹介されました。
スキル詳細は一般公開に適さないので書きませんが、クラニオバイオダイナミクスの一般的なセッションと少し方向性が異なる、若干の意図を用いるものでした。もっとも、意図を用いるといっても使うのはわずかなタイミングかつ微細なので、一般の基準では使っていないことになる気もしますが、身体に完全お任せというわけでもないので、昨年の新紹介スキル(というかセッションの進め方)ともちょっと性質が違う感じです。当ブログでも多分前に紹介した基本スキル「Vスプレッド」の超発展型というところかもしれません。先生によるとこのスキルは、骨折直後には適さないが、ねん挫や足以外でも関節部の問題には適切なサポートができる可能性がある、とのことでした。
今回はあまり質問の時間がなかったので、このスキルが最近できたものなのか、かなり前からあるものなのかは聞けず、不明のままです。何となく、クラニアルオステオパシー由来のスキルかそのカスタマイズ版なんじゃないかという気もしますが、確証はありません。もっとも、クラニオバイオダイナミクスのセッションが普通にできて初めて使いこなせる内容であることや、やってみた結果、然るべき変化が短時間で起きている印象もあるので、「クラニオプラクティショナー向けのスキル」であることは確かです。
このブログでもかつて色々な記事に書いたりしたように、前は意図を用いるのは純粋なクラニオバイオダイナミクスじゃないのではないか、とか色々悩んだりしましたが、だんだんどうでも良くなりつつあったところ、今回のスキルの紹介を機に、ほぼ克服もとい開き直りに成功した気がします。
意図を用いないことを前提としつつも、クラニオバイオダイナミクスのプラクティショナーによる使用を前提としたスキルや、1次呼吸システムについて理解不十分だと感知できないような要素を扱うスキルは、多少の意図を用いたとしても「クラニオバイオダイナミクスのスキルの一種」ということで自分の中で整理が付いた感じです。要はスタンダードな方法以外にも手札をいくつか持っているだけの話で、使うか使わないかは個人の自由なのだろうと思います。なお、上記はあくまで私自身がICSBで習ってきたものに関して個人的に白黒つけただけで、公式見解なわけではないです。ましてや他のクラニオ系技法の区分けの考え方は人それぞれかと思います。
■他
そんなわけで今回も新スキルが紹介されたり、これまで意識したことがない足の細かな構造に触れたりしましたが、初めてのことでも何だかんだで当然のように普通にこなしていく参加者の方々の姿はさすがプラクティショナーだと思いました。
私も日常の疲れが出たのか、講座4日目くらいから風邪で熱っぽくなってきてしまい、最終日はかなりぼんやりしていたのですが、それでもセッションを行う段になるとスイッチでも入るのか、いつもの意識状態で普通にこなすことができたので、この1年あまりセッション回数をこなしていないなりに、プラクティショナーと名乗れる程度の状態はまあ維持できているかなと思いました。
ちなみにセッションと関係ないところでは、今回は新たな大阪の食事処の積極的開拓に着手しました。しっかり検索すると馴染みのエリアにもまだ結構未知の店があることが分かり、来年度以降も楽しみが少し増えました。
■次回スケジュール(関係者向け)
早くも来年のアドバンス日程も発表されました。
次回はぜひ多くのメンバーに参加してほしい内容、という先生の言葉もあったので、ここに載せるのが適切かわかりませんが、ICSBアドバンス講座には基礎コース卒業生しか参加できないため外部に知られても問題あるまいということで、関係者向け情報として一応載せておきます。
・来年度アドバンス講座の日にち:2016/10/26(水)~30(日)
今回のように「構造」は扱わず、純粋にバイオダイナミクスとしての内容を追求する予定とのことです。今回不参加でもう少し具体的なテーマを知りたい関係者の方はティーチャーの方や最寄りの今年の講座参加者に聞いてみてください。
■
先日のミニ講座でもそうでしたが、クラニオ、またはそれに近いセラピーを学んでいると思しき方から「1次呼吸が感じられないのだが、どうやっているのか」という質問を何度か受けた事があります。
それに対して、私自身がやっていること(習ったこと)を答えるとすると、「プラクティショナーニュートラルを保ちつつ、受動的態度で自然に情報がやって来るのを待つ(無理に情報を取りにいかない)」となります。
クライアントさんの身体の状態に耳を傾ける・聴く(と自然と聴こえてくる)と表現しても良いかもしれません。あるいは、自分自身の身体を空っぽの、あるいは鏡のようなセンサー的状態にして受動的に待っていると、自然と1次呼吸の反応がやって来る感じでしょうか。気張らずに、プラクティショナーニュートラルの状態で単に余計なことをせず待っているだけですが、これがある程度身に着くまでに時間と経験を要するのだろうと思います。より上手な方や異なる流派の場合は別のやり方もあるのかもしれないので、あくまで私が現在のレベルで理解している範囲の話ですが。
ミッドタイド・ロングタイドとしての1次呼吸はかなりゆっくりした細かいものなので、学習初期に意識的に情報を取りに行く体験を1,2回してこういうものかと体感させるような選択肢もあるのかもしれませんが、そもそも、前にも書いたように受け手の身体内部を探るような意識は逆に身体の警戒や身体の自然な反応の停止を生むもとになり、クラニオセッションの妨げとなります。
そのため、結局は受動的に身体状態を受け取るスキルが必要になるので、個人的には少々難しくても最初から「受動的に待ち、結果的に1次呼吸が聴こえる」方向性で練習した方が良いのではと思っています。
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上記のような「受動的態度」習得にはそこそこ時間がかかるはずなので、1次呼吸を動きとして感じなければならないという強迫観念みたいなものを持つ事はないと思います。そもそも、受け手の身体システムがある程度静まらないとゆっくりした1次呼吸は(少なくとも私は)わからないので、最初から1次呼吸を追いかけでもしたら余計クライアントさんを緊張させるだけになってしまいます。また、前にも書きましたが、クライアントさんの身体システムが極めて疲弊していると、身体が十分静まったり、1次呼吸を明確に表現できない場合があり、そんな場合は1次呼吸はどうあってもわかりません。
プラクティショナーニュートラルの状態で静かに触れてさえいれば、受けている人の身体全体の様子が触れはじめた時より何となく落ち着いたか否か(静まったか否か)くらいは多少練習すれば何となくわかると思いますので、受け手の身体システムが最初より落ち着いただけでも良しとして(実際、それだけでも受け手にとって一定の恩恵はあると思います)、1次呼吸が感じられたらもうけものくらいに思っていればよいのではと思います。仮に1次呼吸を感じても、その後間断なく1次呼吸の表現をモニタリングする必要はないと思うので(そもそも私自身も常時わかっているわけではないです)、1次呼吸を感じても感じなくてもその時々で対応すればよいと思います。
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そんなわけで、然るべきカリキュラムに学び、セッション経験をある程度積み、プラクティショナーニュートラルの精度を上げれば、1次呼吸がある程度分かって、安定したセッションができる程度には数年で到達すると思います。1次呼吸を感じるにあたり、特殊な訓練法とか「秘伝」みたいなものがあるとも聞いたことはありません。特定流派の瞑想やエネルギーワークの練習が役に立つのかという質問も先日のミニ講座時に受けましたが、個人的には瞑想は瞑想、クラニオはクラニオと思っており、それらの経験の有無はあまり関係ないと思います。
私自身に関しては、先日部屋を掃除していたら、誰に貰ったのか記憶すら定かでない某ワークの瞑想CD(英語)が封を切られていない状態で部屋の隅に落ちているのを多分何年ぶりかに発見した…というような人なので、特に瞑想の習慣などはありません。もともと瞑想を深くやりこんでいた方がクラニオを習い始めた場合は、何らか瞑想の経験が役に立つのかもしれませんが、これに関しては人それぞれで、何かを習うと特別有利になるわけではないと思います。
(追記)そういえば、同じ教程の同期で瞑想やエネルギーワークを長年されている方も、しばしば1次呼吸が判らないと言われていたのを思い出しました。
同様に、私は太極拳などの稽古をしていますが、それと1次呼吸の感知能力に相関関係があるかも良く判りません。姿勢を安定させる役には非常に立っており、プラクティショナーニュートラルの精度アップには貢献があると思うので、間接的には役に立っているのかもしれませんが、別にその用途なら太極拳でなくても良いと思いますし。まあ、どんな方法にせよ、普段から自分の身体にある程度親しんでいた方がクラニオの実施には多少有利かと思いますが、前述のように、クラニオスキルの上達にはクラニオの学習・練習を行うことが本道で、それ以外の体系の学びによる恩恵はおまけ程度かと思います。
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まあこんな感じです。
上記は教程で聞いた内容を自分の言葉で補足した程度で、クラニオ学習者にとっては特別な話ではないと思います。また、あくまで現在の私のレベルの話なので、もっと別の段階や「効率的方法」もあるのかもしれませんが、自分よりも経験のない初心の方には参考になるかと思い、書いてみました。
そして、しばらく前の記事(と思って今見直したら去年の夏の記事でした)に書いた、ベッカー博士の英語クラニオ本「Stillness of life」にようやく一通り目を通しました。時間はかかっていますが、まともに訳していないので、文字通り眺めた・目を通したというレベルです(こんな読み方で読む意味あるのかと自分でも思いますが…)。その眺めたレベルで印象深かったことを幾つか書いてみます。
ちなみに、この本にはクラニオの具体的な技法のことはあまり書いておらず、ベッカー博士の一般向けの講演録やクラニオ関係者との往復書簡、ベッカー博士が書きとめた「ちょっといい言葉」のようなものが中心です。
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一番面白かったのはベッカー博士と、クラニオ創始者でベッカー博士の師匠にあたるサザーランド博士との往復書簡の部分です。もっとも、ベッカー博士の本ということもあり、ベッカー博士の手紙が大半で、サザーランド博士の返信はあまり載っていないのですが、それにしても、両者の文章量には圧倒的な差があります。具体的には、ベッカー博士の手紙は1回にしてこの本の3ページくらい、サザーランド博士の返信は数行くらいです。1行の時もあります。
クラニオ(正確には「クラニアルオステオパシー」ですが)歴10年くらいのベッカー博士が一生懸命自分の考えや迷いを長々と書いて、それに晩年のサザーランド博士が、その通りだとか、良い表現だとか非常に短いコメントを返す、ということが繰り返されている感じです。
あくまで印象ですが、分析的で言語化が得意なベッカー博士と、直観力がある寡黙なサザーランド博士という対照的な師弟だったのだろうなと感じました(手紙上だけでなく現実のサザーランド博士も寡黙な人だったということは、別の場所でも読んだ気がします)。バイオダイナミクスの理論の発展はベッカー博士やジェラス博士によるところが大きいと言われますが、各人の気質も関係あったのかもなと思うところです。
当時、通常のオステオパシー歴は既に20年くらいの経験があり(ベッカー博士はオステオパシーの学校を卒業後、サザーランド博士に師事した)、手紙の内容からして、たくさんのセッションもこなしているベッカー博士も、クラニオについて理解が深まって喜んだり、いろいろ悩みも持っていたらしい様子を読んでいると、クラニオ歴10年未満の自分がクラニオの何たるかをうまく表現できず唸っているくらいは普通かなと少しばかり安心しました。
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興味深かったことその2は、どうもロングタイドは結構最近になってから明確に認識された概念らしい、ということです。この本を読んでいても、1次呼吸に関してはいつまで経ってもCRIの話ばかり、たまにフルイドボディの話がある程度(でもミッドタイド・フルイドタイド等とは言っていない)で、それ以外のタイドの話はでてこない印象だったのですが、本の終盤になって、ようやく1979年にベッカー博士から同僚にあてた手紙に「10分に6サイクル位のリズムのタイド(ここでいうタイドは多分CRIのことです)のような動きをここ数年感じているのだが…」という、ロングタイドを指しているらしき記述がありました。
単なる機械的な動きでなく、全身の組織と相互作用しているような活き活きした働きとして感じていて、最近これをセッションに活かしているというような内容が続くのですが、いずれにせよ、タイドが複数種類あること自体が、サザーランド博士の教えを受けたメンバーの中でも長らく明確に認識されていなかった可能性が高いのではと思いました。別の本では、ロングタイドは最初「ザ・タイド」という名前で呼ばれていて、サザーランド博士の時代からあったとか書いてあった気もするのですが、サザーランド博士や、あるいは一部のお弟子さんはもっと前に気づいていたのかもしれないにせよ、少なくとも1980年頃にはまだ体系立てて教えられていなかったのでは、とこれを読んで感じました。
ベッカー博士はこの時点で69歳、クラニオ歴(サザーランド博士に師事してから)は35年くらいの大ベテランです。我々はロングタイドやフルイドタイド(ミッドタイド)等の存在を教えてもらっているので、学習の比較的初期からそれらしきものを何となく感じられますが、新しいものをゼロから発見して、体系化することは並大抵の苦労ではなく、これだけの経験があって初めて成し得ることだったのだろうと思いました。
前にフランクリン・シルズ氏について触れた記事でも似たようなことを書きましたが、クラニオも基本コンセプトは最初から比較的しっかりしていたにせよ、細かな部分に関しては少しずつ発展してきた歴史があるのだろうと思わされます。この本にあるように「ロングタイド」がはっきりとクラニオのスキルが及ぶ範囲として認識されたのが三十数年前で、過去記事で書いたように「ミッドタイド」は現在も活躍しているフランクリン・シルズ氏が命名者なのだとしたら、それらの概念を基盤とする「バイオダイナミクス」系流派が明確な形を成したのがかなり最近なのは確かなようです。
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まあこんな感じです。細かい部分はちゃんと読めておらず、最後まで行くのに時間がかかったため、眺めたはずの多くの部分を忘却しているというしょうもない状態ですが、先人の歩み(や性格)を少しばかりリアルに感じることはできた気がする読書(眺書)体験ができたのは良かったと思います。時間があったら気になる部分だけでももう一度見直して、これぞと思う所があったら何か書いてみようと思います。
■クラニオ宣伝面
相変わらずクラニオバイオダイナミクスはマイナーな技法と思いますが、先の日記に書いたように、私のクラニオの先生のバードレイナさんが一般の方向けに日本では初めて講演をされ、結構多くの方が来られていたのは、日本クラニオバイオダイナミクス界(かなり狭い「世界」ですが)にとって大きな出来事だったのかなと思います。
なお、バードレイナさんの講演はその後youtubeにアップされています。
また、私は関わっていませんが、クラニオバイオダイナミクスをアピールする目的のきれいなサイトもICSBの一部の方によって鋭意製作中とのことです。どんどん活動して、早いところ私のこの妙なブログがクラニオ情報の中で微妙に目立っている状態を解消してほしいものです。サイトが公開されたらこのブログでも紹介したいと思います。
私自身は(他の身体技法を見ていて、広まる事によるリスクも感じるので)クラニオがどんどん広まればいいと必ずしも思っているわけではないですが、今年から始まった、木村さんがティーチャーを務める新体制でのICSB教程も結構な参加者数で進捗しており、本当に学びたいと思っている方がクラニオと適切に出会えるきっかけや学びやすい環境は今年の動きを機に増えていくといいなと思います。
■自分の活動方針
一方の自分の活動ですが、今年の前半はそれなりに動き回ったものの、色々思うところがあり、自分のセッション活動は「私にとって身近な方のサポート」と「これからICSBでクラニオを学びたい・学んでいる方のサポート」に絞ることにしました。詳細は当ブログ右メニューからもリンクを貼っている「クラニオセッションご希望の方へ」の通りです。私の場合、もともとクラニオ活動は営利目的でなく、効果の標榜などもしないし、セラピスト的活動を主要な生業とする事にも違和感がずっと付きまとっているので、もともとこの辺りが無難な線なのだろうと思います。
主な理由としては、1つは自分の様々な面のキャパシティの問題から、ある程度素性が判っていて信頼できる方にセッション対象を絞りたいと思ったこと、もう1つは特に何らかの技術を学んでいるセラピストの方に実施した場合(このブログの小難しい表現のせいか、過去に来られた方の大半はセラピストかそれ相当の立場の方だったので)、ほとんどの例では1回簡単な説明やセッション実施をしても、お互いほとんど得るところはないように感じたことです。
相手の方の表現に合わせたり、平易なたとえを使って説明したつもりが、結果的に誤解されることも多かったようで、私の所に来る時間と予算があるならば、クラニオ関連の書籍でも買って読んだ方がその方のためになったのではないか、と思う事もありました。
そもそも、「治療」や「健康法」に関心がいまいち薄く、セッション時間の制約も多く、正式に技術を教えられる立場でもない私では提供できる内容も非常に限られるので、初見の方が目に見える効果や長期間のセッションを求めるならば病院や他のセラピストの方のもとに、何となくクラニオについて知りたいなら書籍を購入するなりし、技術を学びたいと思っているなら、前述のように学べる機会も広がっているので、(ICSBでも、それ以外でも)しっかりした講座に参加されるのが適切と思います。もちろん、クラニオバイオダイナミクスをしっかり学ぶつもりがある方の講座参加前の相談には応じるつもりですが。
そんなわけで、私は基本的に身を潜めていくつもりですが、ICSB教程受講生の方の教程の一環としてのセッション実施や、今年も協力した「癒しと憩いフェス」などのICSBとしての宣伝的なイベント出展などには今後も出来る範囲で協力していきたいと思っています。
■探究テーマ・問題意識
今年新たにでてきた探究テーマについてです。
ひとつは、前の記事にも書いた、今年10月のアドバンス講座で紹介された、これまでと若干違う新セッション手順についてです。この手順、1次呼吸システムを認識したり、クラニオで言う身体のエネルギー「ポーテンシー」が様々な調整の働きを起こすなど、概要自体はこれまでと同じ気がするのですが、やったり受けてみると、これまでと体感が違う気がしています。大まかに言うと、既存の方法だと、セッション中受けた側が瞑想的な静かな眠りに入りやすく、新しい方法だと穴に落ちたかのようにストンと深く寝やすい感じです。
セッションの結果による身体の変化自体はだいたい同じ気がするのですが、新旧方法を使う場面は違うのか(ほとんどは術者でなく受ける方の身体が判断することですが)、起きている過程で何らか差異はあるのかなど、この新手順は来年度も探求のテーマとなりそうです。
もうひとつは、英語クラニオ本の存在です。前の記事にも書いたように、今年2冊非常にアバウトに流し読み、1冊は一応読了、1冊はまだ途中です。解剖学用語をいちいち辞書で調べず深く読んでいないことと、著者の方々と私では経験に圧倒的な差があるとはいえ、何だかんだで同じ技法を学んでいることもあってか、正直、技法面での記述には参考にするほどの目新しさはない気がしています。
むしろ、これまでいまいち謎だったクラニオバイオダイナミクスの歴史や胎生学の基礎知識など、技能と関係ない部分で色々明らかになったことがあったので、(これも記事に書いたとおりです)残りの1冊も来年には読み終えるとして、今後もこれぞという本があればちまちま読んでいきたいところです。
■日常感じるありがたみ
私自身はクラニオセッションをどのような立ち位置で行うか、結局受けると何が良いのか(こういったことに主に効果的、という説明は講座中もちろんありますが、鵜呑みにしてよいのか良く判らないので、自分が納得している点以外はこのブログにはあまり書いていません。)、という面に関して自分の中でいまいち明確な答えがなく、ずっとテーマになっているのですが、これと少し関連して、今年は「クラニオの小さなありがたみ」を身近に感じる機会がしばしばありました。
例えば、私は今年、会社で若干業務内容が変わったこともあり、今年はここ何年かの中では比較的ストレスを感じる頻度が多い年でした。そんな中でも、クラニオの「プラクティショナーニュートラル」の概念や「1次呼吸やスティルネスはどんな時にも存在する」といった知識とそれらに戻れる感覚があると、ストレスを感じた直後に即座には戻れないことはあるにせよ、昼休みや帰りの電車などで落ち着きなおすことで、これまでより出来事に付随したストレスを手放しやすく、日々良く休息することができたように思います。これはクラニオを学んだ恩恵の一つと感じました。クラニオの存在や知識が自分にとっての深い「リソース(クラニオ用語。自分の基盤や安心感につながる身体感覚といった意味)」になっているというところでしょうか。
同様に、交換セッションなどでセッションをを受けると、何だかんだで自分にも様々な日常の疲労が溜まっていることをしばしば認識し、それに対してともかく深い休息の機会が得られる点は素直にありがたいと思える点でした。クラニオで何かが難しい状態の改善に役立つという面もあるのでしょうが、それ以前に、受けると休めて楽になる、というごく単純なことや、先のリソースの例など、自分の普段のあり方に密かに恩恵を感じている点などにクラニオの良さや自分にとってのクラニオを判りやすく説明できるヒントがある気もしています。
短くまとめるつもりがいろいろ書いてしまいましたが、
来年はより自己のクラニオ探求テーマに忠実に行きたいところです。
それでは良いお年を。
今回のテーマは腎臓と副腎でした。クラニオプラクティショナー基礎教程修了者用の講座なので、テーマが臓器2種類とはいえ、内容は多岐にわたりました。具体的には、腎臓の機能や構造、発生についての基本的な知識の紹介のほか、クラニオバイオダイナミクスのセッション展開に関する新しい手順の紹介や、個々人の普段の臨床やスキル面の疑問に関する質疑応答コーナーなどです。
■腎臓・副腎の機能や発生についてメモ
・腎臓は代謝・解毒のみならず血圧やの血液のph調整、骨内のミネラル生成の調整なども司っている
・腎臓は組織の75%くらいが失われてもまだ何とか機能できる。
・腎臓は知覚の明晰さや意思の強さなどを司る
※神秘的な話でなくて、内臓が不調だと、感情や知覚にも影響があるという事ですね。
・腎臓は横隔膜や大腰筋と接しており、結果的に呼吸や歩行によってリズミカルに動かされている。
そのため、呼吸や歩行が不全になると腎機能にも影響が及ぶことがある。
※クラニオで良く言う「全体性」とは少し異なりますが、身体の各機能の連動の判りやすい例ですね。
・発生学(胎生学)的には副腎と腎臓は最初に発生する位置や発生タイミングも異なる。
「副」腎という名前だが、腎臓に隣接しているものの、腎臓の一部でなく別の内臓。
・副腎はストレス状況に対応できるよう、脳と連動して様々なホルモンを発生させる。
通常はそれで状況を乗り切ることができるが、ストレスフルな状況に長期間さらされたりすると、
副腎の機能が弱ったり、副腎がうまく働かずホルモン生成が過剰になることがある。
結果的に興奮状態から落ち着きにくかったり、エネルギーが枯渇した鬱的な状態になることもある。
※こちらも心と体の関係の話ですね。もっとも、身体のメカニズムは複雑なので、
例えば鬱状態は副腎の問題だけが原因という意図はありません
■クラニオのスキル関連の話についてのメモ
・腎臓と副腎は皮膚の上から当該部位を触れた時の感触が全く異なる(水的 or 電気的)
・腎臓の自動性や可動性(モティリティ、モビリティなどと呼ばれる臓器や骨の動きのパターンを表す語)
を感じる練習をしたが、あくまでそれらは知識を深めたり、感覚を高めるための練習素材。
実際のセッションではそれらを強く意識することはなく、意識的な使い分けなども行わない。
※教えられた手順は感覚を養うものでそのまま使うわけではない、という位置づけは
(私が理解する範囲の)伝統武術の「型」のありようと似ているなと少し思いました。
・今回学んだ新しい手順でも、術者が「1次呼吸システムにアクセスする」ことが大前提。
※個人的には、形式問わず「術者が1次呼吸システムにアクセスして、その働きとともにワークする」
ことが手わざセラピーとしての「クラニオセイクラルワーク」の最低限の技法的特徴という
認識でいますが、今回のまとめを聞いて、やはり「1次呼吸と共にある」ことは色々な意味で
「クラニオの基本(簡単という意味ではなく、基盤となる概念)」なのだなと実感しました。
■自分の疲労
今回も練習としてお互いセッションを受ける機会がたくさんありましたが、受けていて自分は相当に疲労していたのだなと実感しました。クラニオのセッションを受けて身体が楽になると、日常の諸事に埋没している状態から自分を客観的に見られる状態に戻っていくのを感じますが、今回もふと我に返ったら疲れている自分を発見したという感じでした。私の現在の会社員としての職場環境は人間関係なども含め比較的恵まれている部類と思うのですが、それでもいつの間にかかなりの疲労が溜まっていたようです。
私個人は何度も書いているように、あまりセラピーを過信したり、健康マニア的な知識(例えば○○という食べ物が良いとか悪いとか…)にあまり振り回されず、普段は自分の身体感覚を大事にして今の身体がおいしいと感じそうな食事を摂ったり、適度に運動したり、意識的に休んだり、多少の不摂生をしてストレスを解消したりしつつバランスのとれた日々を過ごせばいいんじゃないかと思っている派です。
もっとも今回は、腎臓・副腎が陰ながら対応してくれているいろいろな機能について学んだり、自分がセッションのありがたみを体感したり、会社にも体調を崩し気味の方がいるなとふと思いだしたりして、「クラニオのサポートにより、身体が楽になる(かもしれない)」というごく単純なことを自分はもう少し重要に思うべきなのでは、と少し思うようになりました。
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合宿に参加するたびに刺激を受け、もっとクラニオに関して自分にできることがあるのでは、という思いが沸いてくるのですが、具体的にどうするかというとなかなか悩ましいものがあります。例えば、クラニオを色々な媒体で積極的に宣伝するといった選択肢もありえますが、前も書いたように、個人的にはクラニオについて不十分な理解が広まった場合のリスクを考えてしまったりして、あまり気乗りしない部分はあります。そもそも「身体の全体性」や「内なる健全さ」を扱う「クラニオの効果」は「この筋肉が緩むとこの臓器が緩んで楽になる」といった分かりやすい言葉や因果関係で表現しがたいので、どう宣伝したらよいのかも良く判りません。また、クラニオは私にとっては興味深かったり面白かったり心地よかったりしますが、だからといってそれが多くの人に受け入れられるとは限らない、などとも考えてしまいます。
できることを何となく考えるに、そもそも私がクラニオを始めたきっかけは、クラニオの世界観の面白さや、セッションをやったり受けた時の感覚の新鮮な驚きと不思議さからなので、変に商業的・宣伝的な事は考えずに、縁ある人には伝わると信じて、そういった側面を淡々と伝えた方が良いのかなとも思います。あとは単純に、私自身がクラニオの静けさの感覚を多少なりとも持った状態で日々を過ごすことで、無言のうちに身体を通じて周囲の状態・場に落ち着きの面で超微細なポジティブな影響を与えられたらよいかな、といったことでしょうかね。
ともあれ、細々とでも活動し続けることは重要と思うので、当面は自分の立ち位置に時折悩んだりしつつも、主に教程関係者や身近な人向けに黙々と活動していこうと思います。
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私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
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