クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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◆
先日のクラニオ合宿では、「肺」がテーマだったのですが、実際のテーマ以外の部分の話題にもいろいろ印象深かった内容がありました。その1つは、クライアントさんの身体システムの「準備」が整っていない場合、クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは難しいので、そのような状態の方には準備が整うまで「20分くらいのセッションを連続1週間くらい毎日」やることもあるという内容でした(細部は少し違ったかもしれません)。
「準備が整っていない場合」というのは、色々あると思いますが、たとえば、自律神経系の過活性状態や深い疲労の蓄積などにより、そもそも身体システムが落ち着くこと自体が困難であるとか身体に自分自身を変容(調整)させるエネルギー(クラニオ・バイオダイナミクスで「ポーテンシー」と呼ばれるもの。1次呼吸とは別物)が枯渇したように感じられる場合などがあります。クラニオ・バイオダイナミクスの深いセッションを行うには、まず身体システムが落ち着いた状態になれることが前提とされているためです。
なお、この状態は、体の表現する動きのパターンや触れた時の雰囲気から何となく判断しているもので、身体の硬さや緊張などとは必ずしもイコールではありません。また、疲弊しているといっても、動けないほどぐったりしているとも限らず、問題なく社会生活を送られている場合もあります。なんらかの病気でない場合も当然多いと思います。
◆
クラニオ・バイオダイナミクスでは、プラクティショナーがニュートラルな状態(プラクティショナーニュートラル)になることにより、クライアントさんの身体システム自身もニュートラルな状態を見つける手助けができ、そのことは、クライアントさんの身体に様々な変容を起こす入口のような役割を果たします。
大概のクライアントさんの身体システムは程度の差こそあれ、ニュートラルになって落ち着くことができるので、そのままフルセッションに移行することができますが、前述のように、そもそも「ニュートラルになることが難しい」身体システムを抱えている方の場合は、まずは、身体システムが「ニュートラルに入ることができる」「落ち着くことができる」段階を目指して、複数回のセッションを受けたほうがよい場合がある、ということです。もちろん、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの方法論としては、クラニオ以外のボディワークでも、全然別の手段でも何でも構わないと思います。
なお、先の例で「20分くらい」という時間が出てきましたが、疲弊した身体システムの方にクラニオを長時間やると余計疲れてしまうので、短めにしているということです(クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは60~90分くらいです)。クライアントさんがじっとしていることすら辛くて長時間受けられないので、短くならざるを得ない、といった場合もあるかと思います。こういった状態の方に対しては、しっかりとサポートができるように、プラクティショナー自身にも強固なプラクティショナーニュートラルが必要とされそうです。
「自然治癒力」のような言葉は色々な分野の説明でなんとなく使われている気がしますが、実際は、その治癒力氏にも色々と都合があって、いつでも何にでも対応できるわけではない、ともいえるかもしれません。
◆
そして、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの間、セッションによる大きな変化を期待していた方は、セッションを受けても何となく寝たといった小さな実感しかない場合もあるかもしれません。実際は、目立ったことが起きていないように見える中で、身体システムが「ポーテンシー」を蓄えているなど、何がしかは起きています。そのため、上記のような段階では、「クライアントさんによっては受けた時の効果が実感しづらい場合もありうる」ともいえるかもしれません。
能動的に矯正を行わない態度により、受ける方自身の身体の働きを援助する、というクラニオ・バイオダイナミクスの特性上、こういう状況がありうるのはやむなきところではありますが、実際に遭遇するとなかなか説明に苦慮しそうな部分です。私もいろいろ説明したものの理解してもらえず、歯がゆい思いをしたことがあります。
1つ前の記事の後半に書いた「先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することが必要」といっていた」という部分はここにもあてはまりそうです。受ける方の状況の深刻さ度合いによっては、この特性を納得してもらった上で、何回か手ごたえのない感じのセッションを受けてもらったり、病院に通院しながらセッションを受けてもらうなど、時にはさまざまな選択肢を考える必要もありそうです。
◆
これらについて書いていると、身体が変化する際には段階を踏む必要がある(そしてクラニオ・バイオダイナミクスはその過程を尊重する)ということ、いくら完全なセッションであったとしても、身体の状況いかんではいつでも劇的な変化が得られるとは限らないということ、逆に、セッションで目立った変化がないからといって、「失敗」とは限らないということ、そもそもクラニオ・バイオダイナミクスで「効果がある」とは、どういうことか、などなど、「身体の智慧に従う」ことの意味や、それらをどう説明したらわかってもらいやすいのか色々考えさせられるものがあります。
先生のこの話は、数年前に受講した基礎セミナー2や3くらいで最初に出てきた内容で、出てくる例は都度異なるものの、実際は何度か聞いた内容でもあります。このブログにも前に書いた気もします…。しかし、ある程度経験を積んだ今になって聞くと、前述のごとく、クラニオ・バイオダイナミクスについての認識を改めて問い直す機会のようでもあり、何度も聞いたにもかかわらず、個人的には新鮮な内容に感じました。
先日のクラニオ合宿では、「肺」がテーマだったのですが、実際のテーマ以外の部分の話題にもいろいろ印象深かった内容がありました。その1つは、クライアントさんの身体システムの「準備」が整っていない場合、クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは難しいので、そのような状態の方には準備が整うまで「20分くらいのセッションを連続1週間くらい毎日」やることもあるという内容でした(細部は少し違ったかもしれません)。
「準備が整っていない場合」というのは、色々あると思いますが、たとえば、自律神経系の過活性状態や深い疲労の蓄積などにより、そもそも身体システムが落ち着くこと自体が困難であるとか身体に自分自身を変容(調整)させるエネルギー(クラニオ・バイオダイナミクスで「ポーテンシー」と呼ばれるもの。1次呼吸とは別物)が枯渇したように感じられる場合などがあります。クラニオ・バイオダイナミクスの深いセッションを行うには、まず身体システムが落ち着いた状態になれることが前提とされているためです。
なお、この状態は、体の表現する動きのパターンや触れた時の雰囲気から何となく判断しているもので、身体の硬さや緊張などとは必ずしもイコールではありません。また、疲弊しているといっても、動けないほどぐったりしているとも限らず、問題なく社会生活を送られている場合もあります。なんらかの病気でない場合も当然多いと思います。
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クラニオ・バイオダイナミクスでは、プラクティショナーがニュートラルな状態(プラクティショナーニュートラル)になることにより、クライアントさんの身体システム自身もニュートラルな状態を見つける手助けができ、そのことは、クライアントさんの身体に様々な変容を起こす入口のような役割を果たします。
大概のクライアントさんの身体システムは程度の差こそあれ、ニュートラルになって落ち着くことができるので、そのままフルセッションに移行することができますが、前述のように、そもそも「ニュートラルになることが難しい」身体システムを抱えている方の場合は、まずは、身体システムが「ニュートラルに入ることができる」「落ち着くことができる」段階を目指して、複数回のセッションを受けたほうがよい場合がある、ということです。もちろん、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの方法論としては、クラニオ以外のボディワークでも、全然別の手段でも何でも構わないと思います。
なお、先の例で「20分くらい」という時間が出てきましたが、疲弊した身体システムの方にクラニオを長時間やると余計疲れてしまうので、短めにしているということです(クラニオ・バイオダイナミクスのフルセッションは60~90分くらいです)。クライアントさんがじっとしていることすら辛くて長時間受けられないので、短くならざるを得ない、といった場合もあるかと思います。こういった状態の方に対しては、しっかりとサポートができるように、プラクティショナー自身にも強固なプラクティショナーニュートラルが必要とされそうです。
「自然治癒力」のような言葉は色々な分野の説明でなんとなく使われている気がしますが、実際は、その治癒力氏にも色々と都合があって、いつでも何にでも対応できるわけではない、ともいえるかもしれません。
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そして、「身体システムが落ち着くことができる」段階に至るまでの間、セッションによる大きな変化を期待していた方は、セッションを受けても何となく寝たといった小さな実感しかない場合もあるかもしれません。実際は、目立ったことが起きていないように見える中で、身体システムが「ポーテンシー」を蓄えているなど、何がしかは起きています。そのため、上記のような段階では、「クライアントさんによっては受けた時の効果が実感しづらい場合もありうる」ともいえるかもしれません。
能動的に矯正を行わない態度により、受ける方自身の身体の働きを援助する、というクラニオ・バイオダイナミクスの特性上、こういう状況がありうるのはやむなきところではありますが、実際に遭遇するとなかなか説明に苦慮しそうな部分です。私もいろいろ説明したものの理解してもらえず、歯がゆい思いをしたことがあります。
1つ前の記事の後半に書いた「先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することが必要」といっていた」という部分はここにもあてはまりそうです。受ける方の状況の深刻さ度合いによっては、この特性を納得してもらった上で、何回か手ごたえのない感じのセッションを受けてもらったり、病院に通院しながらセッションを受けてもらうなど、時にはさまざまな選択肢を考える必要もありそうです。
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これらについて書いていると、身体が変化する際には段階を踏む必要がある(そしてクラニオ・バイオダイナミクスはその過程を尊重する)ということ、いくら完全なセッションであったとしても、身体の状況いかんではいつでも劇的な変化が得られるとは限らないということ、逆に、セッションで目立った変化がないからといって、「失敗」とは限らないということ、そもそもクラニオ・バイオダイナミクスで「効果がある」とは、どういうことか、などなど、「身体の智慧に従う」ことの意味や、それらをどう説明したらわかってもらいやすいのか色々考えさせられるものがあります。
先生のこの話は、数年前に受講した基礎セミナー2や3くらいで最初に出てきた内容で、出てくる例は都度異なるものの、実際は何度か聞いた内容でもあります。このブログにも前に書いた気もします…。しかし、ある程度経験を積んだ今になって聞くと、前述のごとく、クラニオ・バイオダイナミクスについての認識を改めて問い直す機会のようでもあり、何度も聞いたにもかかわらず、個人的には新鮮な内容に感じました。
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昨日までICSBのクラニオ・アドバンス講座に行っていました。普段は個々で活動することが多い全国のICSBクラニオ・プラクティショナーが集まる機会でもあるので、なかなか壮観です。その時の感想はまた後日まとめようと思います。
◆
そして、その場で先日のニュートラル講座にアシスタントとして来てくれたクラニオ同期のCさんとニュートラル講座について話をしていたのですが、その中で、ニュートラルを保ったまま相手に触れられる体験をした時、どこかに取り残されたような怖い思いをした参加者の方がおられたと聞きました。
一部の方に目が行き届かなかったような…と個人的に思っていた部分はあったのですが、そういった方に私自身が適切な援助ができなかったのは申し訳ない気持ちです。幸いにして、私が講座を進行している間にCさんがその方と色々話をするなどの形でサポートしてくれたようで、大事には至らなかったようですが、Cさんがいなかったらと思うと、なかなかぞっとするものがあります。
これは、誰が悪いというものではなくて、気を付けていても、人に触れている最中、ちょっとしたことで身体の思わぬ変化を促してしまうことはしばしば起こります。ニュートラル講座で行ったのは「ただ相手に触れる」ことで、クラニオをやろうとしたわけではないですが、それでも普段より精妙な身体の領域に触れていた可能性はあると思いますし、特に、自分の意識の使い方があまりわかっていない初心の段階では、やる側が相手に余計な介入をせず、ベストを尽くしているつもりでも、なお問題が起きることもあります。過去の私自身もそうでしたし、クライアントさんの状態や相性によっては、多少熟練したからといって何が起こるか分からない部分はあります(特にクラニオ・バイオダイナミクスはアドリブ要素が多いので)。
前にも書きましたが、先生が見守るICSB基礎講座の中ですら、最初の1~2年の講座では、相手に触れられることで、感情に大きな揺らぎが起きて泣いてしまったり、調子が悪くなってしまった人が、教室の中で1日1回くらいはいた程であり、また、よほど酷いことが起きているのでない限り、(少なくとも姿勢などの見た目はそれなりにちゃんとしているので)プラクティショナー役の見た目から「セッションで起こりつつあるちょっとした問題」を第三者が予測するのはなかなか困難なものがあります。
◆
Cさんの話を聴いて、ニュートラル講座では、相手に触れる体験をする前に、「もし調子が悪くなったり、困ったことがあったら遠慮なく手を挙げて知らせてください」と言っておけばよかったなあ、と思いました。自分が困ったときに、ヘルプの必要性を素直に知らせることは、簡単にできる方もいますが、人によっては事前に言われていないと(あるいは事前に言われていても)結構難しいものです。いうなれば、なかなかヘルプを要請しがたいタイプの方(これまた、私もそうでした)は、練習で受ける役になった時に「困ったときにヘルプを求めるスキル」を育てていく必要があるということですね。
日本人には比較的多そうな気がするのですが、セッションを受けていて気持ち悪くなったり、何となくこのまま続けるとまずい気がしていても、やっている相手に悪いなとか、お金がもったいないなとか、まだ我慢できるとか考えて、結局最後まで耐えてふらふらになってしまうケースが時にあるように思います。
セッション途中で違和感・ヘルプを訴えて方向修正してもらう場合は、アシスタント的な第三者がいればサポートが得られるでしょうし、少なくともひどい状態になる前に終わることはできると思うので、結果として大概は禍根を残さずに終われるのですが、最後まで耐えてふらふらになると、(やる相手は一生懸命やっていて何ら悪意はないのですが)時にセッションを自分にした相手への怒りがふつふつと湧いてきたり、あまり建設的な結果にはならないことが多い気がします(笑)。
ICSBクラニオ講座では、問題が起きた時、あるいは問題が起きかけた時にヘルプを求めることで、すかさず先生や周囲の人がサポートしてくれたので、皆無事に卒業できたわけですね。今回のニュートラル講座でも、2組の方々は自発的に違和感を知らせてくれたので、私がサポートに入ることができ、問題なく終わることができたようです。
◆
なので、こういった練習では、受ける側も100%やる側にお任せではなくて、こうしてほしい、今の感じは嫌だ、こわいと感じた、などの場合は、素直にやっている相手や周囲の人にヘルプの意図を表現してもらえると、結果的に良いセッションになると思います(受ける側が間断なく自分の身体の違和感がないか探し続けるとか、些細なことを大げさに言われるのもよくないですけど)。対人セッションの練習中ならば、セッションをやる側の役にとっても、よい経験になります。初めのころは結構ショックも大きいかもしれませんが、確実に対応力の訓練になります。セッションではいろいろなことが起きるので、対応力はほとんど必須です。
これはクラニオ以外のワークを受ける時に関しても言えることなのかもしれません。例え身体に必要な変化が起きていても、その変化が大きい場合は、今日はこれ以上受けるのはしんどいなあ、と思うこともあるので、その場合は、違和感やヘルプを術者に表明することが、結果的に身体のよい変化につながるかもしれません(その時一時中断して、落ち着いてから後日続きをやると身体の変化がスムーズに進むとか)。ごくまっとうな術者なら、要求をちゃんと聞いて何か対応してくれるはずです。
術者が熟練者ならば、何かが起こってもそうそう深刻化することはありませんし、何も言わなくても自動的に察して対応する場合もありますが、結局自分のからだのことは自分しか分からない部分もあります。いかにプラクティショナーでも、他人の身体の心地よさ状態を100%理解できるわけではないので、ヘルプ要求に関してはクライアントさんにもご協力願いたいところです。
私自身もICSBクラニオ基礎講座の前半では、練習でクラニオを受ける役の時に(違和感に耐えて)何度も痛い目に遭うことで「これはもっと早めに違和感を相手に訴えないと駄目だ」と学んだ口です。結果、相手に対して、何か問題が起こる前に自然と色々要求できるようになり、心地よい形でセッションを続けてもらえるようになりました(日常でもそうかもしれません)。なので、ひどく体調を崩したりすることがなければ、痛い目に遭うのもよい経験といえば良い経験ではあるとも思います。今回怖い目にあった方には、これもひとつの特別な経験ということで、今後に生かしていただければ幸いです。まあ、この点は次回以降に同種の講座を実施する機会があったら、対策を施したいところですね。
◆
ちなみに、ICSBクラニオ講座内では、先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することも必要です」と何度か言われているのですが、これはクラニオについて理解してもらうのみならず、自分の心地よさや違和感に向き合ってもらうようお願いすること、困ったときは遠慮なく助けを求めてよいのだと共有することも「教育」の一つなのだろうなと改めて思いました。
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そして、その場で先日のニュートラル講座にアシスタントとして来てくれたクラニオ同期のCさんとニュートラル講座について話をしていたのですが、その中で、ニュートラルを保ったまま相手に触れられる体験をした時、どこかに取り残されたような怖い思いをした参加者の方がおられたと聞きました。
一部の方に目が行き届かなかったような…と個人的に思っていた部分はあったのですが、そういった方に私自身が適切な援助ができなかったのは申し訳ない気持ちです。幸いにして、私が講座を進行している間にCさんがその方と色々話をするなどの形でサポートしてくれたようで、大事には至らなかったようですが、Cさんがいなかったらと思うと、なかなかぞっとするものがあります。
これは、誰が悪いというものではなくて、気を付けていても、人に触れている最中、ちょっとしたことで身体の思わぬ変化を促してしまうことはしばしば起こります。ニュートラル講座で行ったのは「ただ相手に触れる」ことで、クラニオをやろうとしたわけではないですが、それでも普段より精妙な身体の領域に触れていた可能性はあると思いますし、特に、自分の意識の使い方があまりわかっていない初心の段階では、やる側が相手に余計な介入をせず、ベストを尽くしているつもりでも、なお問題が起きることもあります。過去の私自身もそうでしたし、クライアントさんの状態や相性によっては、多少熟練したからといって何が起こるか分からない部分はあります(特にクラニオ・バイオダイナミクスはアドリブ要素が多いので)。
前にも書きましたが、先生が見守るICSB基礎講座の中ですら、最初の1~2年の講座では、相手に触れられることで、感情に大きな揺らぎが起きて泣いてしまったり、調子が悪くなってしまった人が、教室の中で1日1回くらいはいた程であり、また、よほど酷いことが起きているのでない限り、(少なくとも姿勢などの見た目はそれなりにちゃんとしているので)プラクティショナー役の見た目から「セッションで起こりつつあるちょっとした問題」を第三者が予測するのはなかなか困難なものがあります。
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Cさんの話を聴いて、ニュートラル講座では、相手に触れる体験をする前に、「もし調子が悪くなったり、困ったことがあったら遠慮なく手を挙げて知らせてください」と言っておけばよかったなあ、と思いました。自分が困ったときに、ヘルプの必要性を素直に知らせることは、簡単にできる方もいますが、人によっては事前に言われていないと(あるいは事前に言われていても)結構難しいものです。いうなれば、なかなかヘルプを要請しがたいタイプの方(これまた、私もそうでした)は、練習で受ける役になった時に「困ったときにヘルプを求めるスキル」を育てていく必要があるということですね。
日本人には比較的多そうな気がするのですが、セッションを受けていて気持ち悪くなったり、何となくこのまま続けるとまずい気がしていても、やっている相手に悪いなとか、お金がもったいないなとか、まだ我慢できるとか考えて、結局最後まで耐えてふらふらになってしまうケースが時にあるように思います。
セッション途中で違和感・ヘルプを訴えて方向修正してもらう場合は、アシスタント的な第三者がいればサポートが得られるでしょうし、少なくともひどい状態になる前に終わることはできると思うので、結果として大概は禍根を残さずに終われるのですが、最後まで耐えてふらふらになると、(やる相手は一生懸命やっていて何ら悪意はないのですが)時にセッションを自分にした相手への怒りがふつふつと湧いてきたり、あまり建設的な結果にはならないことが多い気がします(笑)。
ICSBクラニオ講座では、問題が起きた時、あるいは問題が起きかけた時にヘルプを求めることで、すかさず先生や周囲の人がサポートしてくれたので、皆無事に卒業できたわけですね。今回のニュートラル講座でも、2組の方々は自発的に違和感を知らせてくれたので、私がサポートに入ることができ、問題なく終わることができたようです。
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なので、こういった練習では、受ける側も100%やる側にお任せではなくて、こうしてほしい、今の感じは嫌だ、こわいと感じた、などの場合は、素直にやっている相手や周囲の人にヘルプの意図を表現してもらえると、結果的に良いセッションになると思います(受ける側が間断なく自分の身体の違和感がないか探し続けるとか、些細なことを大げさに言われるのもよくないですけど)。対人セッションの練習中ならば、セッションをやる側の役にとっても、よい経験になります。初めのころは結構ショックも大きいかもしれませんが、確実に対応力の訓練になります。セッションではいろいろなことが起きるので、対応力はほとんど必須です。
これはクラニオ以外のワークを受ける時に関しても言えることなのかもしれません。例え身体に必要な変化が起きていても、その変化が大きい場合は、今日はこれ以上受けるのはしんどいなあ、と思うこともあるので、その場合は、違和感やヘルプを術者に表明することが、結果的に身体のよい変化につながるかもしれません(その時一時中断して、落ち着いてから後日続きをやると身体の変化がスムーズに進むとか)。ごくまっとうな術者なら、要求をちゃんと聞いて何か対応してくれるはずです。
術者が熟練者ならば、何かが起こってもそうそう深刻化することはありませんし、何も言わなくても自動的に察して対応する場合もありますが、結局自分のからだのことは自分しか分からない部分もあります。いかにプラクティショナーでも、他人の身体の心地よさ状態を100%理解できるわけではないので、ヘルプ要求に関してはクライアントさんにもご協力願いたいところです。
私自身もICSBクラニオ基礎講座の前半では、練習でクラニオを受ける役の時に(違和感に耐えて)何度も痛い目に遭うことで「これはもっと早めに違和感を相手に訴えないと駄目だ」と学んだ口です。結果、相手に対して、何か問題が起こる前に自然と色々要求できるようになり、心地よい形でセッションを続けてもらえるようになりました(日常でもそうかもしれません)。なので、ひどく体調を崩したりすることがなければ、痛い目に遭うのもよい経験といえば良い経験ではあるとも思います。今回怖い目にあった方には、これもひとつの特別な経験ということで、今後に生かしていただければ幸いです。まあ、この点は次回以降に同種の講座を実施する機会があったら、対策を施したいところですね。
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ちなみに、ICSBクラニオ講座内では、先生が「プラクティショナーはクライアントさんを「教育」することも必要です」と何度か言われているのですが、これはクラニオについて理解してもらうのみならず、自分の心地よさや違和感に向き合ってもらうようお願いすること、困ったときは遠慮なく助けを求めてよいのだと共有することも「教育」の一つなのだろうなと改めて思いました。
10/13に『クラニオの「ニュートラル」に学ぶ』講座を実施しました。話す内容や構成については当日まで色々吟味していたこともあり、私が講師として活動する初講座としてはそこそこまとまったかなとは思いますが、若干情報量が多かったのと、想定を超える参加人数だったため、特に最後に参加者同士で組んでもらう部分ではやや目が行き届かない部分が出てしまったかもなという思いもあります。
情報量に関しては、軽く流すつもりで取り上げた、クラニオや1次呼吸の概念を10分ばかり話した部分が思ったよりインパクトがあったようで、もう少しまとめておけばよかったかなと思いました。あとは、少々しゃべりすぎて講座自体が10分ばかり延長しました。私は普段はあまりしゃべらないので、普段使わない身体機能を使った気分でした…。
ともあれ、参加する方々のフォローを行うスキルといった能力面でも、今の段階に至らなければできない企画だったのは確かと思います。結果としては、積極的な質問もあり、比較的好評だったようで幸いでした。胸をなでおろしています。
◆
ちなみに、講座中でも紹介したのですが、「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という題名は、「プラクティショナーニュートラルそのものが参加者にとっての先生である」という意味合いで付けたものです。「ニュートラル「を」学ぶ」ではないのがポイント…のつもりでした。プラクティショナーニュートラル(以下、ニュートラル)につながろうとする過程や、ニュートラル(らしき状態)につながった体験から学んでほしい、という感じです。
「プラクティショナーニュートラル」は個々人の「心身状態」であり、ある程度「ニュートラルにつながるにあたって望ましい姿勢」などはあるわけですが、突き詰めれば自分自身しかわからないものなので、私自身は「ニュートラルを見つけやすい素材」や「ニュートラルに対する考え方」を参加者の方々に提供し、あんまり細かいことは言わずに、参加者個々人が自分のニュートラルを探してもらうというのが講座の主な方針でした。
◆
個人的には、プラクティショナーニュートラルは、ある程度感じが分かった後も、それに繋がる過程や安定の強度などに大いに発展の余地がある「クラニオ・バイオダイナミクスの重要スキル」であり、時間をかけて深めていく「術」「技」の類だという思いが強かったため、そう簡単に身につかないものを紹介するのだから、3時間の講座にどのくらい意味があるものだろうか、とも講座実施前は考えていたのですが、参加された方々の声を聞いて、そこまで小難しく考えることはなかったな、と思いました。
その人が「ニュートラルにつながる」ことの初心者か上級者かにかかわらず、ニュートラルにある程度でもつながれれば、その効果に差はあれど「ニュートラルによる恩恵を受ける」点に変わりはないし、何より、ニュートラルにつながることを全く知らないのと、少しでも知って体験していることの間にはとても大きな差があるよな、と思ったわけです。
要は、若干慣れた人(私)がニュートラルにつながる機会や材料を用意しただけでも意味はあったんだ、というある意味当たり前のことが納得できたということです…。
これはクラニオ自体をお教えする講座でもないし、あくまで私が個人の活動として行った取り組みである分、特に制約もないので、紹介した素材は、参加者の方々にいろいろな場面で自由に使っていただき、それが助けになったり、今後のいろいろな場面で活動を行う際のヒントになれば、と思っています。
参加者、関係者の皆様、ありがとうございました。
※
ちなみに、「ニュートラル」はさも1つしかないような言い方になっていますが、分野や流派の違いにより、同じ「ニュートラル」という名前の概念でも、私が主に想定する「クラニオ・バイオダイナミクスで一般に言われるニュートラル」とは、それぞれが少し違う特徴を持った別概念の可能性が高いと思っています。無理に統一概念を規定するのでなく、歴史やかける思いがある、それぞれの学びのちがいや立場を尊重したいと思っています。
情報量に関しては、軽く流すつもりで取り上げた、クラニオや1次呼吸の概念を10分ばかり話した部分が思ったよりインパクトがあったようで、もう少しまとめておけばよかったかなと思いました。あとは、少々しゃべりすぎて講座自体が10分ばかり延長しました。私は普段はあまりしゃべらないので、普段使わない身体機能を使った気分でした…。
ともあれ、参加する方々のフォローを行うスキルといった能力面でも、今の段階に至らなければできない企画だったのは確かと思います。結果としては、積極的な質問もあり、比較的好評だったようで幸いでした。胸をなでおろしています。
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ちなみに、講座中でも紹介したのですが、「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という題名は、「プラクティショナーニュートラルそのものが参加者にとっての先生である」という意味合いで付けたものです。「ニュートラル「を」学ぶ」ではないのがポイント…のつもりでした。プラクティショナーニュートラル(以下、ニュートラル)につながろうとする過程や、ニュートラル(らしき状態)につながった体験から学んでほしい、という感じです。
「プラクティショナーニュートラル」は個々人の「心身状態」であり、ある程度「ニュートラルにつながるにあたって望ましい姿勢」などはあるわけですが、突き詰めれば自分自身しかわからないものなので、私自身は「ニュートラルを見つけやすい素材」や「ニュートラルに対する考え方」を参加者の方々に提供し、あんまり細かいことは言わずに、参加者個々人が自分のニュートラルを探してもらうというのが講座の主な方針でした。
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個人的には、プラクティショナーニュートラルは、ある程度感じが分かった後も、それに繋がる過程や安定の強度などに大いに発展の余地がある「クラニオ・バイオダイナミクスの重要スキル」であり、時間をかけて深めていく「術」「技」の類だという思いが強かったため、そう簡単に身につかないものを紹介するのだから、3時間の講座にどのくらい意味があるものだろうか、とも講座実施前は考えていたのですが、参加された方々の声を聞いて、そこまで小難しく考えることはなかったな、と思いました。
その人が「ニュートラルにつながる」ことの初心者か上級者かにかかわらず、ニュートラルにある程度でもつながれれば、その効果に差はあれど「ニュートラルによる恩恵を受ける」点に変わりはないし、何より、ニュートラルにつながることを全く知らないのと、少しでも知って体験していることの間にはとても大きな差があるよな、と思ったわけです。
要は、若干慣れた人(私)がニュートラルにつながる機会や材料を用意しただけでも意味はあったんだ、というある意味当たり前のことが納得できたということです…。
これはクラニオ自体をお教えする講座でもないし、あくまで私が個人の活動として行った取り組みである分、特に制約もないので、紹介した素材は、参加者の方々にいろいろな場面で自由に使っていただき、それが助けになったり、今後のいろいろな場面で活動を行う際のヒントになれば、と思っています。
参加者、関係者の皆様、ありがとうございました。
※
ちなみに、「ニュートラル」はさも1つしかないような言い方になっていますが、分野や流派の違いにより、同じ「ニュートラル」という名前の概念でも、私が主に想定する「クラニオ・バイオダイナミクスで一般に言われるニュートラル」とは、それぞれが少し違う特徴を持った別概念の可能性が高いと思っています。無理に統一概念を規定するのでなく、歴史やかける思いがある、それぞれの学びのちがいや立場を尊重したいと思っています。
ブログネタが尽きている状態は日々進行中です。私がクラニオに関して語れることはそんなにないっすよ…理屈の部分は不完全ながらここでかなり書いたと思うし…というわけで、また英語クラニオ関連サイトを極めて大雑把に翻訳するパターンに戻ってまいりました。
それで、何を翻訳しようかと思っていたんですが、クラニオ創始者であるサザーランド博士自身についてほとんど知らないことに気づいたので、さっそく検索してみたところ、英語サイトには彼の写真やら経歴やらが結構載っていることを発見しました。
以下は海外のクラニアル オステオパシーのサイトにあったサザーランド博士の経歴ページ。肖像画もあり、ダンディな紳士という雰囲気が漂っています。
http://www.osteohome.com/SubPages/wgs.html
同サイト別ページにご当人の写真もありました。これは貴重ですね。 http://www.osteohome.com/SubPages/WGSphotos.html
先のページのサザーランド博士の紹介文は結構充実していて、それほど内容も難しくないので、これを翻訳素材にさせていただきました。業績とBiographyとあるうち、Biographyの部分だけ訳してみます。例によって訳は大雑把です…。
<以下大雑把訳>
======================================================
◆ 経歴:William Sutherland, DO(1873-1954)
Dr.サザーランドは1873年に米国ウィスコンシンの労働者階級の家庭に生まれました。彼の父は鍛冶屋、母は主婦でした。兄弟は3人おり、彼は上から3番目でした。
彼が就いた最初の仕事はウィスコンシン北部の地方紙の記者でした。Dr.サザーランドは、記者としての仕事の経験は、一般に広まっている考えを鵜呑みにせず、感情や偏見にとらわずに事実を把握する、という大切なスキルを成長させてくれたと述懐しています。
1895年にDr.サザーランドは、当時は賛否両論があったthe American School of Osteopathy(the Kirksville College of Osteopathic Medicine と改名)という医学校に入学しました。Dr.サザーランドは非常に優秀な医学生であり、1898年に25歳で同校を卒業しました。
その人生の大半において、Dr.サザーランドの研究や臨床はミズーリで行われました。多くの優れた生徒の育成や多くのクライアントからの感謝にもかかわらず、彼の熱心な仕事ぶりやこの分野への献身は、彼が活動していた時代には広く知られることがありませんでした。のみならず、彼が初期の出版物で紹介した「1次呼吸」のメカニズムに基づく理論は「いかさま」のラベルを貼られて強烈な批判にさらされ、彼に大きな落胆を与えました。今日では、Dr.サザーランドのワークは医学的な事実として認められています。
これらの活動初期の緊迫した状況は彼の結婚生活にも悪影響をもたらし、彼は1920年代に最初の妻との離婚を経験します。彼とこの妻との間には一人の子供がいました。そののち、1927年に、彼は終生連れ添うことになる2人目の妻Adaと再婚しました。
1951年、78歳になった時、Dr.サザーランドはミッドウエストを去り、より穏やかな気候のカリフォルニア、Pacific Groveに移り住みました。その暫く後、1954年に彼はこの世を去ります。
Dr.サザーランドは医学界に計り知れない貢献をするとともに、彼のワークは今日、米国内外を問わず、多くの同胞たちに敬愛を受け続けています。
======================================================
<訳ここまで>
◆
さて、翻訳はしてみたものの、短いながらも想像以上にヘビーな内容でした。数世代のちの私はサザーランド博士に対しては聖人のようなぼんやりしたイメージしか持っていませんでしたが、こうやって経歴を見ると、ともかく苦労に苦労を重ねた大変な苦労人というイメージしかないですね…。クラニオがあまりにも時代を先取りしすぎた内容だったため、当時は理解者もとても少なかったのでしょう。
彼が入学したという「オステオパシー大学」も、今でこそ米国のオステオパスは医者と同等の権威を持っているそうですが、オステオパシー自体が創始されて間もない当時は学校自体がやや疑惑の目で見られていたのかもしれませんね。
頭蓋の状態が身体に及ぼす影響について、若かりし頃(オステオパシー大学卒業前後位)の彼が自分の身体で様々な実験をした時、奥さんが彼の取り組みについて感想を残したことがクラニオの講座テキストにはエピソードとして取り上げられているのですが、彼の活動の後援者であったであろうその奥さんとも後に離婚していたのですね。何とも痛ましい気持ちになります。
さしたる深い理由もなく選んだサザーランド博士の経歴ですが、翻訳してみてよかったです。多くの苦労を経て作り上げられ、世間の風評を恐れぬ多くの勇気ある人々の手によって発展してきたクラニオ、私も大切にしなければ、という思いにさせられました。
それで、何を翻訳しようかと思っていたんですが、クラニオ創始者であるサザーランド博士自身についてほとんど知らないことに気づいたので、さっそく検索してみたところ、英語サイトには彼の写真やら経歴やらが結構載っていることを発見しました。
以下は海外のクラニアル オステオパシーのサイトにあったサザーランド博士の経歴ページ。肖像画もあり、ダンディな紳士という雰囲気が漂っています。
http://www.osteohome.com/SubPages/wgs.html
同サイト別ページにご当人の写真もありました。これは貴重ですね。 http://www.osteohome.com/SubPages/WGSphotos.html
先のページのサザーランド博士の紹介文は結構充実していて、それほど内容も難しくないので、これを翻訳素材にさせていただきました。業績とBiographyとあるうち、Biographyの部分だけ訳してみます。例によって訳は大雑把です…。
<以下大雑把訳>
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◆ 経歴:William Sutherland, DO(1873-1954)
Dr.サザーランドは1873年に米国ウィスコンシンの労働者階級の家庭に生まれました。彼の父は鍛冶屋、母は主婦でした。兄弟は3人おり、彼は上から3番目でした。
彼が就いた最初の仕事はウィスコンシン北部の地方紙の記者でした。Dr.サザーランドは、記者としての仕事の経験は、一般に広まっている考えを鵜呑みにせず、感情や偏見にとらわずに事実を把握する、という大切なスキルを成長させてくれたと述懐しています。
1895年にDr.サザーランドは、当時は賛否両論があったthe American School of Osteopathy(the Kirksville College of Osteopathic Medicine と改名)という医学校に入学しました。Dr.サザーランドは非常に優秀な医学生であり、1898年に25歳で同校を卒業しました。
その人生の大半において、Dr.サザーランドの研究や臨床はミズーリで行われました。多くの優れた生徒の育成や多くのクライアントからの感謝にもかかわらず、彼の熱心な仕事ぶりやこの分野への献身は、彼が活動していた時代には広く知られることがありませんでした。のみならず、彼が初期の出版物で紹介した「1次呼吸」のメカニズムに基づく理論は「いかさま」のラベルを貼られて強烈な批判にさらされ、彼に大きな落胆を与えました。今日では、Dr.サザーランドのワークは医学的な事実として認められています。
これらの活動初期の緊迫した状況は彼の結婚生活にも悪影響をもたらし、彼は1920年代に最初の妻との離婚を経験します。彼とこの妻との間には一人の子供がいました。そののち、1927年に、彼は終生連れ添うことになる2人目の妻Adaと再婚しました。
1951年、78歳になった時、Dr.サザーランドはミッドウエストを去り、より穏やかな気候のカリフォルニア、Pacific Groveに移り住みました。その暫く後、1954年に彼はこの世を去ります。
Dr.サザーランドは医学界に計り知れない貢献をするとともに、彼のワークは今日、米国内外を問わず、多くの同胞たちに敬愛を受け続けています。
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<訳ここまで>
◆
さて、翻訳はしてみたものの、短いながらも想像以上にヘビーな内容でした。数世代のちの私はサザーランド博士に対しては聖人のようなぼんやりしたイメージしか持っていませんでしたが、こうやって経歴を見ると、ともかく苦労に苦労を重ねた大変な苦労人というイメージしかないですね…。クラニオがあまりにも時代を先取りしすぎた内容だったため、当時は理解者もとても少なかったのでしょう。
彼が入学したという「オステオパシー大学」も、今でこそ米国のオステオパスは医者と同等の権威を持っているそうですが、オステオパシー自体が創始されて間もない当時は学校自体がやや疑惑の目で見られていたのかもしれませんね。
頭蓋の状態が身体に及ぼす影響について、若かりし頃(オステオパシー大学卒業前後位)の彼が自分の身体で様々な実験をした時、奥さんが彼の取り組みについて感想を残したことがクラニオの講座テキストにはエピソードとして取り上げられているのですが、彼の活動の後援者であったであろうその奥さんとも後に離婚していたのですね。何とも痛ましい気持ちになります。
さしたる深い理由もなく選んだサザーランド博士の経歴ですが、翻訳してみてよかったです。多くの苦労を経て作り上げられ、世間の風評を恐れぬ多くの勇気ある人々の手によって発展してきたクラニオ、私も大切にしなければ、という思いにさせられました。
※このイベントは参加人数が定員に達したそうです。
あまり需要はないだろうと思っていたので驚きです…。
参加表明いただいた方々、ありがとうございます。
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主催者の方から、私が講師を務める「プラクティショナーニュートラルを体験する講座」案内が告知されました。「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という名前で、10/13(土)の18時から埼玉県東松山市であります。講座詳細並びに、参加お申込みは以下のURLをご参照ください。
◆ココロとカラダの学びの場「10/13のWSのお知らせ」
http://manabinoba.exblog.jp/16827626/
主な内容は、クラニオと「プラクティショナーニュートラル」の簡単な説明と「プラクティショナーニュートラル的な状態」になってみる体験を行う予定です。プラクティショナーニュートラルは、端的に言えば(クラニオバイオダイナミクスのセッションを行うのに必要な)「きわめて落ち着いている状態」です。そのため、静かにじっとしている時間が多い講座です。主役はプラクティショナーニュートラルで、クラニオの技術そのものをお教えする講座ではないです。
まあ、講師を引き受けておいて言うのもなんですが、良くも悪くもマイナーで地味な講座内容であることは疑いようもないので、私としては、先のURL先の講座案内やこのブログを見て、何か気になってしまった方、心惹かれるものを感じた方に集っていただければと思っております。
クラニオや身体を使う技法にあまり馴染みがない方には、神秘的じゃない瞑想体験もしくは厳しくない座禅みたいな非日常体験として、何がしかの身体技法をすでに学ばれている方には、いつもと若干違った視点から、ふだん当たり前にやっていること(プラクティショナーニュートラルなる大層な名前ですが、姿勢や意識に関しては他分野と結構似た点が多い気がするので)を新鮮に捉えなおす機会となればと願っています。
あまり需要はないだろうと思っていたので驚きです…。
参加表明いただいた方々、ありがとうございます。
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主催者の方から、私が講師を務める「プラクティショナーニュートラルを体験する講座」案内が告知されました。「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という名前で、10/13(土)の18時から埼玉県東松山市であります。講座詳細並びに、参加お申込みは以下のURLをご参照ください。
◆ココロとカラダの学びの場「10/13のWSのお知らせ」
http://manabinoba.exblog.jp/16827626/
主な内容は、クラニオと「プラクティショナーニュートラル」の簡単な説明と「プラクティショナーニュートラル的な状態」になってみる体験を行う予定です。プラクティショナーニュートラルは、端的に言えば(クラニオバイオダイナミクスのセッションを行うのに必要な)「きわめて落ち着いている状態」です。そのため、静かにじっとしている時間が多い講座です。主役はプラクティショナーニュートラルで、クラニオの技術そのものをお教えする講座ではないです。
まあ、講師を引き受けておいて言うのもなんですが、良くも悪くもマイナーで地味な講座内容であることは疑いようもないので、私としては、先のURL先の講座案内やこのブログを見て、何か気になってしまった方、心惹かれるものを感じた方に集っていただければと思っております。
クラニオや身体を使う技法にあまり馴染みがない方には、神秘的じゃない瞑想体験もしくは厳しくない座禅みたいな非日常体験として、何がしかの身体技法をすでに学ばれている方には、いつもと若干違った視点から、ふだん当たり前にやっていること(プラクティショナーニュートラルなる大層な名前ですが、姿勢や意識に関しては他分野と結構似た点が多い気がするので)を新鮮に捉えなおす機会となればと願っています。
プロフィール
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HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。
「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。
私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。
私のプロフィール的なものはこちら
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