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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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相変わらずスローペース更新です…。
なんとなく最近「ん?」と感じるのが、「内観」という語の使われ方について。この語については前にもここで書きましたが、正確な定義自体は多分、色んな技法ごとに異なると思われるので、「一般的」にはどういうことを指すのか、私はいまいち分かってないです。ただ、自分が「内観」と書いた時、それに対するリアクションにたまに微妙にずれがある気がすることもあるので、最近その「ずれ」と感じる部分について簡単に書いてみます。あくまで私の勝手な定義ですが。


 内観は「自分の身体内のどこかをじっくり意識する」という意味合いで使われる場合が比較的多いと思いますが、私自身が「内観」という語を用いる時は、「自分の身体全体に何となく意識を向け続けている状態」を指して使っている場合も多いです。内観そのものは殊更に集中力を必要とするものではないので、会話や食事をしながら、同時に身体全体にわずかに意識を向け続けていることは十分可能です。実際、私自身はこれを書いている今も、ごくわずかな注意を自分の身体全体に向けています。自分の身体内部を目をつむってじっくり意識する(眺める)のは、必要な場合もありますし、細かく見られるにこしたことはないですが、じっくり見つめるほどに意識した部位が緊張するので、普段の状態としては、あまりじっくり見つめすぎるとかえって自分の動きを制限してしまい、逆効果でしょう。そういう風に常時さりげなく使えなければ、動き回る武術などでは、状況把握用のセンサー(なお、見るのは相手でなくて自分の身体状態です。自分の身体には「同調」により色々な情報が伝わります。)として使いようもなかろうとも思われます。
 また、身体に意識を向けているといっても、「分析をしているわけではない」ともいえます。ただ、「身体がそこにあることを感じている」という感じでしょうか。例えば、腕が緊張していたとして、それを感じるのは、身体に何となく注意を向けた状態により、勝手に情報として伝わってくる何かからそう判断しているだけであって、普段は「君は緊張しているか、否か?」などと腕と殊更に対話をしているわけではないです。むしろ、情報を過不足無く受け取る邪魔になるので、細かく見たい、という場合も内観に関しては、分析や対話的手法はあまり役に立たない気がします。あとは、分析した場合も、分析されたあたりの部位は更に緊張しそうな気がしますね。
 まあ、内観というのは小難しい言葉ですが、単に全身の手足や頭、胴体がちゃんとそこに存在していることを確認し続けている程度のことなんだろうと思います。私自身はこれを、武術などを学ぶずっと前から無意識にやっている気がするので、いろいろな経験を経て、より色々な状況でも変わらず意識を向けていられるようになった気もしますが、特別なことという気はしません。いわゆる「グラウンディング」に役立つものではあると思いますが、おそらく誰もが持っている身体意識の感知力なんじゃないかなと思っています。


 もっとも、内観によって「特に意識が薄くなる部位」「意識が届きにくい部位」というのもあります。全身を感じていても、緊張している部位などはぽっかりと穴でも空いているかのようで、意図的に細かく感じようとしないと、なかなか存在が感じられなかったりもします。また、なにかにのめり込んでいる時も、内観の精度は鈍りがちです。例えば、最近よく見かける、街中で携帯などをいじっている人が「全身とてつもなく無防備」なのは、「自分の身体に意識が向いていない(自分の身体状態が内観できてない)」からだと思われます。こうなると、後ろから押されでもしたら、ろくに反応もできずに階段等から転落すると思われるので、いちおう武術などをたしなむものとして、見ていて複雑な心境です。携帯を弄りながらでも身体に意識を置いていれば(内観できていれば)、多少は無防備度が減るとは思いますので、甚だ余計なお世話ながら、私の心の平和のためにも、街中においては是非、姿勢を正し、自分の身体を意識しながら紳士的に携帯や携帯ゲーム機を弄って頂きたいものです。結果的にそういった習慣を身につけたほうが、なまじ殴り方や投げ技なんか覚えようとするよりも、余程セルフディフェンスになるとも思います。
 まあ、より全身が過不足無く感じられ、それが自分の行動を制限しない程度の凝視度であるならば、「ふだんの内観」としては、まあまあよいのじゃないかと思っています。要するに身体の存在をいつも感じることで、変にぼんやりしたり、妄想や仮想世界に全力で突貫することなく、目の前の状況に対してふつうの対応力を発揮できるようにする、というだけなんでしょうね。ここに書いたようなことは「全身に意が行き渡っている」などといっても良いですが、多分それは私がここでいう内観を更に高度にしたようなもので、意味合いが異なりそうなので、私はただ「内観」とだけ呼んでいるわけでした。

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めんどい事は当分書かない等といっておきながら、唐突に「トラウマ化」について書いてみます。読みたい方は自分に当てはまる!とか、あまりびびらないで読んで下さい。特別なことをしなくても、多分なんとかできてます。すくなくとも、薬などでどうこうする状態ではないです。

◆トラウマ化とは
クラニオでいう「トラウマ化」は、「○○が苦手」であるとか、「過去の出来事に付随した嫌な体験」という意味では使いません。色々な心身のストレスを受けた結果、自律神経系が過剰に活性化しやすくなり、自律神経が「ニュートラルな(ふつうの)状態」に戻りにくくなっている状態のことを呼びます。病気ではありません。あくまで「そういう身体状態」です。ちなみにこの「トラウマ化」の考えは、「ソマティック・エクスペリエンス」という心理学関連のワークの考えをほぼそのまま踏襲したものです。心理系のワークなので、クラニオとアプローチは違いますが、「トラウマはあくまで身体の状態」「解決に過去を振り返る必要なし」と喝破した画期的なワークです。

ちなみに、自律神経系とは、交感神経と副交感神経から成る神経系です。簡単に言えば、活動と鎮静のバランスを司る神経ですね。活動を司るのが交感神経、鎮静を司るのが副交感神経です。行動が必要な時は交感神経が活性化し、休息などが必要な場合は副交感神経が活性化する、という感じで、生きていくにはどちらの機能も必要です。両方がバランスよく働いているのが、ひとつの理想的な状態といえるでしょう。それらが過剰に活性化することも、別に悪いわけではありません。実際、激怒したり、尋常でなく落ち込んでしばらく無気力だったり、といった状態は誰しも経験はあるかと思います。でも、人間の身体は自動的に自分の状態を調整し、環境に適応するための働きを持っているので、大抵は、これらの過剰に活性化した自律神経系もある程度時間が経てば元に戻ります。

ただ、事故などの非常に強力なストレス要因に出会ったり、長期にわたるストレス状態に置かれると、交感神経や副交感神経のスイッチが入ったままになってしまい、興奮すべきでないところでも興奮していたり、といったことが起きます。例えば、交感神経の過活性が常態化すると、常に周囲が全部敵だと思えるとか、眠いはずなのに眠れないなどが起こり、副交感神経が過活性になる場合は、いつまでも無気力状態だったりします。目の前の出来事が大変厳しい場合、自律神経系の過活性は、その場を凌ぐのに必要な選択肢の一つですが、その危機が去り、過活性が必要なくなってもそのままだと、いろいろ生活に不都合なので困るということです。それが「トラウマ化」の状態です。
人の身体は自分で調整ができるけれども、その調整機能には限界もあるので、その調整の方向がたまにオーバーだったり、現状に適切でない方向に向かったまま止まっていることもあるということですね。アレルギーの説明などでしばしば聞く「免疫系がオーバーに働いている」の、自律神経版みたいに考えるとよいかもしれません。

◆対応できるトラウマ化
これらの「トラウマ化」という状態はただの概念や精神論ではなく、肉体(おそらく人体周囲に展開するエネルギーフィールドも含む)の状態と連動しており、「トラウマ化」した身体状態は、自律神経系が存在する脳幹の緊張や、身体各所の微妙な緊張、身体内のエネルギーの不均衡などの形で表現されていることが多いようです。「トラウマ化」という名前はごついですが、前述の通り、結局は肩こりなどと同じ「ある身体の状態」なのだから、いちいち複雑な手段を用いなくても、適切な身体への働きかけでなんとかなる可能性は高いと思います。実際、たいていの人の身体調整・適応機能は、一時ずれていても、色々な出来事を通じて自機能の状態を再認識し、自分に負荷がかからないよう、無意識のうちにある程度対応できているのだと思います。

クラニオは、それらのトラウマ化状態に対応しうる技法のひとつとされていますので、トラウマ化状態の負荷軽減や早期解決の助けになることもあると思います。まあ、しんどくなくても、何だかんだいって、自律神経系の状態は自分ではなかなか判断しようもなく、結構お疲れだったりするようなので、楽にはなるかも知れません。クラニオの場合は、セッションを通じて、受け手の方の身体に、今よりもニュートラルな・楽な状態を「探してもらう(受ける人自体はだいたい寝てますが、身体のほうがやってくれるということです)」ことを通じ、自ら「自律神経がニュートラル・ふつう」な状態を取り戻す手助けをすることになります。調整する働きを持っているのは身体自体であり、トラウマ化と言っても、その調整の方向性が一時的に少々ずれただけなので、クラニオはあくまでそれのサポートに徹するのみで大丈夫、ということですね。
ちなみに、うつ状態くらいなら、トラウマ化の範疇かも知れませんが、トラウマ化と精神疾患はイコールと断言できません。ゆえに、多重人格など、複雑な精神疾患のケースはクラニオではサポートくらいはできても、完全な対応は難しいと思われます。いずれにせよ、トラウマ化は「病気以前の状態」というところだと思うので、大変な精神疾患に対しては、クラニオ等よりも心療の専門家の方のところに向かうのが適切であるとお断りしておきます。

◆対トラウマ化
なお、いうまでもないですが、強いストレスや継続的なストレスを受けても、誰しもがトラウマ化するわけではありません。トラウマ化しないで冷静に対応できるどころか、苦難を自分の糧にしてしまうような人もたくさんいます。何ヶ月か前に話題になった、チリの落盤事故でも、同じ出来事に遭っているのに、かなりダメージを受けた人から、他の人をケアできる程余裕がある人まで様々だったことからも分かると思います。クラニオ云々を超えて、ストレスを上手に乗り越えられる人にはどんな違いがあるのかについて明確化、普遍化できれば色々益するところは多そうに思います。とりあえず、以下の2点は(当たり前なんですが)「ストレス対応術もといトラウマ化しづらさ」と関係が深そうです。

ひとつは、その人には「既存の出来事によるトラウマ化の影響がほとんどない」ので、落ち着いて行動できるという点。トラウマ化していると、刺激に過敏に反応しやすくなりますが、逆だと、その人本来の普通の対応がしやすいので、少々困難な状況でも乗り越えるための力を発揮しやすいでしょう。この実現には、クラニオや他の適切なワークを受けても助けになるかも知れないし、その人なりの日常の習慣や行動パターンなどが役に立っていることも多いかも知れません。いうなれば、対ストレスの「土台」の部分ですかね。

もうひとつは、自律神経系が容易に過活性しないような身体技法やこつを身体で体得している、という点。これは、メカニズムについては不明ですが、様々な人生経験を乗り越える中で、ストレスをうまく受け流すコツを覚えていたり、武術やヨガなどを学ぶ中で、自分の状態をニュートラル・冷静に保つ習慣を身につけている、といったことが関連しているものと思います。特に武術の対人稽古は「攻撃という形で自分に与えられたストレスを、自分への被害を最小限にしたまま、如何に冷静かつ適切に処理するか」という性質が強いと思うので、日常のストレスにも応用できる部分は大きいと思います。前述のように、トラウマ化といっても「身体の特殊な緊張状態」みたいなものなので、身体技法への取り組み方によっては、いかようにも対応のしようはあるのでは、とは思われます。こちらは対ストレスの「技術」に当たる部分でしょう。


…というわけで、トラウマ化について色々語ってみました。まあ、ひとくちにトラウマ化といっても、程度の差もあるだろうし、案外身近なものであると同時に、絶望するほど大袈裟な状態でもないといえるとは思います。思うに、身近に興奮しやすい人や、気力が著しくなさそうな人などがいるとして、彼らも本当はそういう性格ではないのに、「なんか酷い目にあって一時的にトラウマ化している」だけかもしれないですね。まあ、結構付き合いもしんどいでしょうから、仏のように親切にするのは難しいかも知れないですが、なにかその人に問題があっても、正面から非難したり激突したりするのを避けたり、仕事の割り振りなどでも大きすぎる刺激に圧倒されないよう工夫してあげれば、時間が経つにつれ落ち着いてくるかも知れません。周囲もトラウマ化についての理解やサポートへの協力も必要かも知れませんね。私自身はこの程度しか分かっていないですが、このトラウマ化への理解やストレス対応方法によって、結構色々なことが楽になると思うので、今後も理解を深めていきたいと思っています。

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◆賢い猫
今日はクライアントさんのお宅に伺ってセッションをしました。そして、セッションを初めてしばらくしたら、クライアントさんの飼い猫が、ベッドに上がって眠り始めました。しかも、その猫は、最初は周囲で臭いをかいでいるだけだったのが、私が「ロングタイド」を感じ始めるや、おもむろにベッドに上がってきて、その後、私がセッションに心地よさを覚えた時には眠っているというタイミングの良さ。おそらく、セッションが「ロングタイド」にシフトしたことが猫には離れていても分かったのでしょう。実に賢いです。見事な感覚です。というか、私よりも明らかに分かってるようです…。動物はこういった見えざる働きに対しては人間より遥かに鋭敏な感覚を持っているんでしょうね。
ちなみに、「ロングタイド」というのは、これまでたびたび書いてきた「1次呼吸」の種類のひとつで、その中でも微風が吹いているかのように感じられる、大変微細でゆっくりしたリズムです。肉体そのものの動きというより、肉体周囲に存在する(といわれる)エネルギーフィールドの層の動きとされています。胎生学的にはこのロングタイドの働きとエネルギーフィールドをガイドにして、胎児の肉体は徐々に作られていくともいわれています。また、クラニオのセッションはやる人を中心に周囲数メートルくらいの射程(?)があり、クラニオが行われている部屋の隅の方に座っているだけでも、非常に眠くなったり、寝てしまったりすることがあります。ゆえに、直に触れていない人(動物)にも、触れている人ほどではないにせよ、クラニオの影響はある程度は及んでいるものと思われます。原理は不明ですが。

◆動物へのワーク
ロングタイドについてはともかく、この体験で改めて興味が湧いたのが、動物に対するワークについて。知人からはクラニオが好きな猫や、エネルギーワークが好きな猫がいるという話は聞いたことがあるので、少なくとも猫はそういった細かな(手応えがないともいう)ワークが好きなのかも知れないと思わせるものはあります。私の周りには猫好きな人が多く、犬や兎や鳥など、他のペットの事例を聞いたことがないので、全ての動物に共通かは不明ですが…(魚なんかは触れないから無理か)。もっとも、今回のケースでは、猫にダイレクトに触れていないから、猫もあまり警戒せずに興味を持ったということもあるとは思います。やはりダイレクトに触れるとなると、やる側と動物との相性や、その動物自身の人への慣れ具合などもあると思うので、簡単にいかないケースも多いと思います。
ただ、いずれにせよ、動物がワークをしているところに寄ってきたり、傍で眠ったりするのは、何がしか好ましいものをワークに感じているためだろうとは思います。動物が健康によいと思うから来るのか、単に好きだから来るのか、その辺りは動物に聞いてみるほか無く不明です。まあ、動物は本来ボディワークなどは必要ない(というか、そういう概念自体ない)んでしょうけども、最近のペットはストレスを溜めたりすることもあるみたいだし、定期的にやっていれば、免疫力が高まるなど(「そうかもしれない」としかいえないですが)動物の健康に寄与する部分もあるかも知れないので、実は案外潜在的な需要はあるのかも知れないとも思います。
ちなみに、私自身は外で武術の稽古をしていても、気がつくと何故か猫や鳥などの動物に近くで見物されていることがしばしばあるので、動物がワークをやってる人の側に来るというのは、ワークそのものの影響度に加え、そのワークを使う人自身の状態も関係しているといえるかも知れないですね。

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◆今日の言い訳
先週くらいから、クラニオ論文の作成を開始しました。そして、予想通り、こちらのブログは若干更新が適当になりつつあります…。

このブログには当初はクラニオにまつわる「ためになる系」のことを書こうかと思ったんですけども、自分が気が向かない時に書いたものをあとで読み返してみると、無理やり感があったり、手抜きだったり、妙に「自信過小」だったりしていて、いつも真面目というのは、なかなか難しい。ただでさえ、シリアスな(そして、多分世の中の大勢の方には共感が困難な)内容を書こうとすると、適当なことを書いてはいかんと思い、しかも堅苦しい文体も嫌だと思うので半端に手抜き感溢れる文になり、妙な方向に気合いを入れて長文を書き疲労するというパターンに陥りがちなので、論文取り組み中(当分続きますが)は、もうすこし適当な方向で書こうと思っています。

普段やることがなく、だらけているような時期ならば、己に喝を入れるべく、真面目な内容を書く意欲も湧こうというものですが、さすがに論文を書いたりしていると「真面目成分」はそちらで十分満喫しているので、こっちまで真面目文は手が回りにくいというわけです。基本的に効率よく動いて、空き時間で怠けることを好む人ですので。

◆論文です
…というわけで、論文ですが、これは(前にも書いた気がしますが)、我が学ぶ団体「ICSB」のクラニオの正規プラクティショナー資格と国際資格を、来年セットで得るために必要なものでして、重要です。でも、論文といっても、大学院の修士論文とか学会の研究発表ほど厳密な構成や論理展開が必要というわけでもないです。ここまでクラニオを学んできた集大成として、ある程度の分量を論文の形式に則って書いてねと言う程度なので、まあ、この数年クラニオってきた(造語)自分を振り返るのにはちょうど良い機会という奴でしょう。

私は、武術稽古も好きなので、この機会に武術ネタを無理やりでもクラニオ論文に登場させてやろうという妙な意欲を燃やし、両者の合体が可能そうな「プラクティショナーニュートラル」というテーマを選びました。プラクティショナーニュートラルというのは、簡単に言えば、クラニオやる側の人にとって必須の、姿勢や意識の置き方によって生じる安定した身体感覚のことですね。これがきちんとしていると、セッションに必要な心身の静まりや安定感、状況把握力、強い同調感などのサポートが自然と得られます。これは(…あるていど)できていなければクラニオじゃない!、というくらい重要ですが、原理原則を習っても、初心の頃は、これが結構ぐらぐらしていたり、逆に身体が固まっていたり、明後日の方向に意識が飛んで自分だけ気持ちよくなったり、受ける相手のフィールドに突っ込んだりしがちなわけですが、それがどんな風に上手になっていくのかを自分の痛い経験(私も最初は前述の如き状態でしたし、今も完璧でない時はままあります…)も踏まえて偉そうに書いてみよう、というわけです。

なお、無理やり武術要素を投入する部分は、「稽古が進むにつれ自分の中のコアな身体感覚がどんな風に深まっていったか」を自分の稽古経験を交えて書くという形になる予定です。なんせ私はたいした技が出来ませんので、妙にうがった視点です。ここは屁理屈派として、もっともらしさ抜群の「猫の妙術」なども引用してやろうかとも思っています。で、両者(どっちも「身体感覚」つながりですので)の進展・深化過程を比べて、身体感覚といういかにも暗黙的で訳の分からない物が、熟練につれてどんな風に深化するのかが、2つの視点を通じて少し明示化できれば面白いかなと思っています。

で、論文を書き始めたところ、また妙に気合いが入ってしまったようで、前書きと、冒頭部分で「プラクティショナーニュートラルって何だ」と書くのだけに1万字くらいを使ってしまいました。まだぜんぜん本論に達してません。とりあえず、文章量は心配しなくて良さそうだと思いました。この辺の進捗は…書きたい時に書きます。書かないかも知れません。…とまあ、こんな風にダラダラ書くのが無駄に文が長くなる一因なんでしょうな。

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なぜか「邪気をもらって云々」といった表現をなんべんか見かけて気になり、私なりの見解を書こうと思いつつ2,3ヶ月過ぎたのを思い出したので、身体つながりの話題としてここに書いてみます。なじみのない方には「邪気をもらう」自体が何のことやらという感じだと思いますが、これは「ボディワークのセッションなど、術者が相手にじっくり触れるような行動をした後、セッションをした人自身が気分が悪くなってしまう状態」のことです。
 受けた側が気持ち良いのに、やった側が気持ち悪いというのは、色々と残念な状態と言えますが、それを相手の「邪気」の影響である、とする考えがあるようで、「邪気をもらう」という表現になっているようです。私は邪気という物が分からないので、とりあえず、ここでは邪気の存在そのものは脇に置いて、「相手にセッションをした後、術者自身が気持ち悪くなる」という状態と対応例について考えてみたいと思います。私はこれは、「相手の身体の不調な部分もしくは場に強く同調しすぎて、自分の身体が痛くなったり気持ち悪くなった状態」なのでは、と思っています。

◆同調に関する個人的見解
 同調というのは、個人的には相手の身体状態、もしくはある場のエネルギー波長を我が身にて共有している状態だと考えています。「相手からこちらがなにかもらう」という因果関係やタイムラグはなく、相手と同時に体感されるもののように思います。同調というのは特殊能力ではなく、人間誰にでも備わっている相互交流のための身体感覚の一つだと私は思っています。
 極論すると、この同調機能があるからこそ、怒っている身体状態の人の側に行くと、自分もいらいらしてきたり、喜んでいる身体状態の人の傍にいくと、自分も楽しくなってくる、といった事が起こりうるのではないかと思っています。ただ、余程相手にダイレクトに関わらない限り、同調といっても「傍にいる相手の身体状態に影響を少し受ける」程度で、「相手の身体そのもの」を体感するようなことにはならないと思います。

◆同調率アップ要因
 ところが、マッサージやボディワークなどを通じて、他社の身体と若干深いふれあいがあると、通常はそれほど高くない「同調率」が通常より深くなり、相手の身体状態に影響を受けやすくなるように思います。そして、誰だろうと少々不調な部分はあるので、深く同調したまま触れている相手の不調な側面(同調により感覚が共有されてるので、それは「触れた時に自分の身体の中で自分が不調と感じた部分」となります)を思いっきり意識してしまうと、自分の身体がとても痛くなったり気持ち悪くなるかも知れません。もっとも、ある程度深く同調したら何の影響も受けないことはないはずなので、少しは痛くなるかも知れませんが、それはそういうものだと思って気にしなければ、あまり影響はなく、やがて薄れていきます。これは、自分自身が同調によって感じた痛みに目を向けなくなったので、それに同調している相手の身体も不調以外に目を向けることができた、とも言えるかも知れません。

 相手に触れたあと気持ち悪くなりやすいのは、「自分がわざわざ自分や相手や場の不調・不快な部分を見ているから、自分自身の不調・不快が増幅される」ためではないか、とも言えます。私も昔から「同調」の影響は感じやすいタイプですが、セッションが終わった時に自分に不快感があったり、ダメージを受けていることは最近はまずありません。先日も医学的に見れば重病、といえる方にクラニオを行いましたが、セッション後も特に問題はありませんでした。もちろん、私でも、懸命に自分自身が気持ち悪いと感じる部位をずっと意識していたら気持ち悪くなると思います。意識の持ちようという所です。

 あとは、あまりにも自分の身体が「しっかりしてない状態」だと、更に同調の影響をダイレクトに受けやすいと思っています。「地に足が付いていない状態」「グラウンディングできいない状態」といった表現もできます。足腰にある程度重心が落ちていない、弱々しい姿勢だと相手の影響を受けやすい、というのは経験則なので、明確な理屈がある訳ではありませんが、まあ、なよなよした姿勢(外圧をどこ吹く風と受け流すような柔らかく強靭な姿勢という物もあると思うので、その質にもよりますが)は自分の心身の安定感をもたらしやすい状態ではないとは思います。

◆結局どうすればいいのか
 つまり、「相手に触れてセッションをすると気持ち悪くなりやすい」状況への対応例としては、重心が下半身に落ちたしっかりした姿勢を取るなり、自分の足を意識したり呼吸でもするなりして自分の肉体を感じ「地に足を付け」「グラウンディング」した上で、更に自分の中の痛い部分や気持ち悪い部分に目を向けずになんとなく身体全体を眺めるようにしておけば、同調によってダメージをダイレクトに受けることは少ないと思います。また、一時的にどこか痛くなったりしても、落ち着いてやりすごしやすくなります。そんなことは無理だと思えるほど、どうしようもなくしんどいならば、逆に自分の身体の気持ちよい部分、もしくは自分の身体全体に意識を向けるといった手段もあります。

 まあ、理屈の上では、こういったことに熟練すれば、どんなに怒り狂っている人間を前にしても、自分の中の安定した部分につながって、怒りの影響をどこ吹く風と受け流すなどもできるはずではありますが、その実践がなかなか難しいことはご想像の通りです。まあ、この心得があればダメージは多少は減るかもしれません。個人的にも、何も身体について知らない時よりは、こういった意識の使い方を多少身に付けたことで生きやすくはなったかなと思っています。

◆適当な結論ですが
 そんなわけで、あらゆる状況に対応できる程ではないと思いますが、「セッションをすると気持ち悪くなってしまう」問題の多くは、自分や相手の身体のどこに意識を向けているかと、自分の身体の地に足が付いている度合いの問題と思うので、まずは自分の身体の安定や意識の置き所を変えてみた方がよいと思います。相手に触れることで生じる痛みや気持ち悪さを、「自分の身体の受け取り方の問題」とすれば、ある程度は自分で何とかできると思います。何にせよ、無闇に周囲の影響に振り回されないために、「自分の身体状態をしっかり把握する」「身体に無闇に負担のかからない、きちんとした姿勢を取る」というのは、身体のワークを専門にやらない人にとっても重要かもしれません。

追記:これはあくまで、相手との同調が原因でしんどい時の対応ですが、単純に自分の調子が宜しくない時の緊急対応としても一応は使用可能です。なお、相手との同調の影響以前に、自分自身が不調だからセッションがしんどい、という事ももちろんあると思いますので、その場合は無理にセッションをせず、休むなりしましょう…。

2013/10 言い回し修正

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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