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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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相変わらずネタが尽きているので、今回は旅行体験と合体させて書く方向で…。
先日、京都に旅行に行きました。京都に行ったのはかなり久しぶりです。京都には何度も行きましたが、数年前、クラニオ合宿のセミナー1を修学院付近(といっても駅からはとても遠い)の関西セミナーハウスで受けて以来かもしれません。以降はクラニオセミナー会場は大阪の街中になってしまったので、京都は会場に行く途中に通過するだけという状態でした。


そんなわけで、今回久々に詩仙堂や相国寺の枯山水の庭を眺めたのですが、これまでより堪能できたように思いました。前に見た時ももちろん感動はありましたが、「庭を観察して意味を求めようとする」あるいは「五感を積極的に駆使して何かを見つけようとする」ような「能動的な」楽しみ方をしていた気がします。
今回は、見方については特に意識しなかったのですが、庭を前に何とはなしに正座をしたらクラニオセッションをやっている時のように自分自身が自然と静まった状態になり、風やししおどしの音、周囲の植物の色やざわめく様子、庭の砂の文様などが生き生きと目に入ってくるように感じられました。いうなれば、「自分自身が静まることで、周囲から情報を受け取る」ような「受動的な」楽しみ方というところです。しばらくこうしていると、静けさもさらに深まっていくようで、自分も庭や周囲の風景の一部と感じられるような独特の静かな充足感もあり、充実のひと時を過ごすことができました。

私の場合、庭園の環境と、正座という身構えによって我知らずスイッチが入り、クラニオを行う時のような上記の身体感覚のモードに入ってしまったようですが、そのことで思わぬ恩恵を得た気分です。自分の中が静まった状態になると、結果的に(受動的に)情報を受け取りやすくなったり、周囲が良く見えることは分かっているつもりでしたが、クラニオセッション以外の場面での、目に見えない大切さが理解できた気がしました。また、日本庭園という空間は自分が静まることによって、より深く味わえるものなのかもしれないな、とも思いました。


もちろん、私は日本庭園鑑賞コーディネーターのような人ではなく、これこれこういった鑑賞方法が正しいなどとも思っていないので、日本庭園の楽しみ方については個々人の自由(もちろん、騒々しいとか寝転んでいるといった状態は問題外ですが)だと思います。
上記の経験からあえて言うならば、個人的には日本庭園や寺社仏閣のような和の空間に関しては、ざわざわしているよりは、自分の中が静まった状態を保って待つか、そう大層な状態でないにせよ、自分の中の感性をオープンにして、頭を働かせず雰囲気に浸っていた方が楽しめそうな気はします。
また、今回は正座で鑑賞してみましたが、おそらく、正座のような、ある程度制限のある整った姿勢を取ることも、より深く堪能するポイントで、ぐにゃぐにゃしている(弛緩している)姿勢よりも、しっかりと「静けさ」につながりやすいかまえのようにも感じます。クラニオ風に言えば「プラクティショナーニュートラル」に近い感覚を保持しやすい姿勢というところでしょうか。制限がある姿勢という意味ではヨガの姿勢などもそうなのかもしれませんが、ここでは何となく違う気はします…。


刺激を受けてはしゃぐようなエンターテイメント的楽しさではなく、静けさそのものを大事にしたり、それを深める中に充足感を見出す「静かなたのしさ」を味わう感覚が、特別に訓練するまでもなく、昔の日本人にはごく普通の選択肢としてあったのかもしれないな、と今回の旅で思いました。
すっかり西洋化した身体感覚を持っている私の様な現代日本人も、座禅や茶道、日本の伝統武術などを学んでいれば、静けさを大切にすることや、それによって生じる充足感は実感しやすそうなものですが、私の場合、西洋由来のクラニオ経由で、逆に日本的なものに少し触れられた気がしたのはなんだか不思議でした。

(追記)
…と、ひとしきり書いてから、そういえば、正座こそしていなかったものの、海外から来られた観光客の方も静かに庭園を鑑賞されていたのを思い出し、別に日本に限らず、海外でも教会のような聖なる場所で静かにふるまうのは普通のことだろうし、過ごし方の形式や施設の内容が違っても、然るべき空間で静けさを大切にする感覚は世界共通なのかもな、と改めて思いました。

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どうやら今年初ブログのようです。
極めて遅ればせながら本年もよろしくお願いします。

そして例によって新年早々クラニオネタは尽きているので、当ブログがクラニオからどんどん離れていきますが、唐突に先日1/7に紀伊國屋ホールで行われた羽生善治さんと桜井章一さんの講演会メモを載せてみます。


武術や整体、舞踊など「身体つながり」の方の興味範囲はどういうわけか近接することがしばしばらしく、この会場にも甲野善紀先生関連の稽古会の知人(…と甲野先生本人)が来ており、世間の狭さにうんざりしてしまった位なので、こういう内容も「身体関係」の方は興味があるやも知れぬと思いつつ。
なお、私自身は麻雀も将棋もやりません。甲野先生が懇意にしている関係から桜井章一さんの本は読んだことがありますが、そんなに熱心な読者というわけでもなく、まあ、行ったのは単なる好奇心というところです。
会場では何もメモせず、以下は帰ってから書き出したものなので記憶違いもあるかも知れません。偉大なる達人であるお二人をさん付けで書くのは畏れ多いですが、全く違う分野の人間である私が会長とか先生と書くのもそれはそれで変な気がするので、あえてさん付けにさせて頂きます(甲野先生は一応お世話になった事もあるので敬称ありです)。

◆講演の流れ
・前半は主に羽生さんがリードして桜井さんに質問。
 「間を取られた」「先を取られた」と感じる桜井さん。
・中盤、司会者は出る幕なく「こたつで講演者2人が話す」ような流れで話は進む。
・後半、桜井さんが羽生さんに持ってきた質問を読み始め、羽部さん対応。
 質問は4ページもあったらしいが、3つ質問したところで時間切れで終了。

◆冒頭
・最新の「共著のはずの書籍」を羽生さんが印税を受け取らない体裁にしたことに
 色々コメントを述べる桜井さん。余程印象的だった模様。
・桜井さん、羽生さんと一緒にサメと泳ぎたいと発言。桜井さんはひとりだとサメとも交流できるらしい。
・桜井さんにとって羽生さんは「かわいい」。これは最高の褒め言葉らしい。
・羽生さんはそこにいるだけで安心するタイプ。

◆桜井さん・来場者への感想
・来場者を見て「わるくはない」「評価B」(来場者に何ら興味はなさそうだが)。
・いじればやわらかい人もいるかもしれない。全員均一の色ではなく、
 色んな専門分野の人が混ざっているから多分そう感じる。

◆羽生さんから桜井さんに質問(桜井さんのコメント)
・麻雀で勝っても良い気持ちになったことはない。「名勝負」は一度もなかった
 現役時代は生き残ったとかその日をしのげたといった感情くらいしかなかった。
 むしろ現役の日々のことは忘れたい。
・弟子にいい手を打たれた時、結果がどうであれ、負けた、十分だ、と感じる。
・勝負にあたっては自分の中の「違和感」を大事にしている。
・羽生さんは今いろいろ自分に質問しているけれど、羽生さん自身も
 自分なりの答えを持った上で聞いてるんだろうとコメント。

・身体の使い方は自然から学ぶことが多い。自然には敵わない。
・やわらかな反応はいい。やわらかければ誰かの身体にも言葉にもぶつからない。
・魚はじょうずに身を躱す。自分が魚の群れに飛び込んでもぶつかる魚は一匹もいない。

・人は言葉を持つことをきっかけに我が出てくる感じがする。
・昔だから良かったということもない。江戸や平安でも権力者がいた。
 権力者すらいなかった時代を観想すると何か見えるのかもしれない。

◆桜井さんから羽生さんに質問(羽生さんのコメント)
・対局中の棋士はその人のあり方が良きにつけ悪しきにつけ素直に出ている。正直になっている。
・駒は取っても溜めすぎると負ける。取った駒は適切に放出するもの。
 麻雀は循環する構成になっているが、将棋は循環を作る必要あり。
・「なにもしていない駒」「そこにあるだけで一切動かない駒」がとても
 重要な役割を果たすことがある(※私自身は講演の中でこの言葉に
 一番はっとさせられるものがあった気がします)。

◆終了直前:甲野先生登場
・会場に来場者の一人としていた甲野先生。桜井さんに呼ばれ、
 ゲタを履いたまま壇上に飛び上がったり降りたりして歓声を浴びる。
・羽生さんの声がどこから出ているのか分からない感じが凄いと思った 
 (さすが甲野先生。来場者を気にしないマイペースすぎるコメント…。)
・羽生さんはいい声(桜井さん)


◆私個人の桜井章一さんの感想
大人になったら多くの人が忘れてしまいそうな、純粋さを持っておられる方と感じました。それが力の源なのでしょうか。歴史上の武術の達人にも天真爛漫なエピソードを持つ方々がいますが、何となくそれをイメージさせられます。一方で、センスの合わない人は全く相手にしそうもない雰囲気も。
以前、桜井さんは素手でプロ格闘家の相手が出来るようなことを読みましたが、ご本人の独特の威圧感と姿勢から、それは事実だろうと推測。「武術なんかやらなくても凄く強い人」の代表で、色々な意味で怖いなあと感じました(笑)。

◆私個人の羽生善治さんの感想
とても柔らかい対応をされる方と感じました。他人を立てて、会場の聴衆にも意識を向けつつ、同時にさりげなく場もリードしているのはすごいと思いました。将棋界では伝説ともいえる方だと思いますが、威圧感は全く感じませんでした。顔を知らなければ気配はとても普通な感じで、街で会ってもそのまま通り過ぎてしまいそうな。
しかし、対応を拝見していて、これはもしかするとどんな相手にも状況にも非常に柔軟に対応できるということで、威圧感らしきものを全く感じられないことがとてつもない強さの証なのかも知れないとも思わされました。



こんな感じです。色々失礼なことを言ってる気もしますが、まあ無知な部外者のネタ的感想と言うことで勘弁頂ければと。ともあれ、この講演は、何かためになる知識やハウツー的代物を受け取る一般的講演ではなく、お二人が楽しんでいる様子を脇から見て「単に楽しむ」即興ライブ的催しであったと思います。最後の甲野先生の乱入(?)もその辺りのライブ感と無縁ではないでしょう。あっという間の1.5時間でした。ありがとうございました。

【参考1】講演会URL(お二人のプロフィールも): http://www.kinokuniya.co.jp/label/20111206131611.html
【参考2】雀鬼会HPの「REPORT」1/9を見ると、後日談もすごかった事が分かります。
http://www.jankiryu.com/

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早いもので、もう今年も最後の週ですね。
私は日常業務がいまいち落ち着いていないので、今日はまだ、今年が終わっていく気分になれていないですが、とりあえず今年最後の週だと言い聞かせて、自分にとっての今年を軽く振り返ってみます。


今年は震災があったことから色々な事があった気がしますが、とても活動的だった方も多かったであろう中で、私自身は多分あまり動いていないほうです。さすがに自分の立ち位置については色々と考えさせられましたが。

私にとって、今年はひとつの分岐点みたいなもので、手放していくものやこれから重視していくであろうものがこの1年で少しずつ明確になってきた感じはあります。新しい道そのものはこれからゆっくり歩いていくところなのでしょうかねえ。


今年改めて興味を持ったのは動物や自然環境ですね。これらは子供のころから好きだったんですが、子供時代はあまりに基礎体力がなさ過ぎて十分に楽しめなかったこともあり、震災の後、改めて興味が再燃してきました。
それで、今年はプチサバイバル講座に行ったり、ハイキングに行ったり、武術以外の運動を久しぶりにしました。さすがに普段稽古していると、活動していても体力には余裕があります。先週は生物学者の方の講演を聴きに行ったりも。来年はもう少しこの領域の活動頻度を増やしてみようかとも思っています。


今習っている中国武術の教室は、今月で2年通ったことになります。まだ素人そのものですが、少しずつ面白さも感じられてきました。それ以前は色々な講座をうろうろするだけで知識ばかりが増える状態でしたが、何か(それが技や強さ以外のものであっても)をつかもうと思うなら、やはりじっくりと取り組むのが望ましいんでしょうね。クラニオもそうですが、こういうからだの稽古って、地道なものだろうし。


クラニオに関して言えば、10月の資格取得が大きなイベントでした。資格取得時は、さすがに感無量でした。今年は空き時間にちまちまとこの論文ばかり書いていて、2月に至ってはクラニオ論文ミーティングのためだけに、1泊2日というかわいそうな日程で沖縄に行ったりもしたんですよね。努力した分だけ、頭の中は整理されたようにも思います。

まあ、資格をとっても、表面上は何が変わったということはなく、ほぼ今までどおり過ごしているわけですが、中身は何かが変わりつつある気もします。クラニオに関しては、当面積極的に出て行くことはないと思いますが、これは、まったく使わなかったとしてもなお、私自身の世界観の構成要素として、重要度が高い存在のひとつであることは間違いないので、亀の歩みの如く、じっくり関わっていきたいと思っています。

身体分野に関する次なる興味の対象は陰陽五行や経絡についてです。折しも、秋に紹介されたというクラニオの内臓セッションにもこれらの要素が含まれているというし、何より中国武術にも関係が深い体系ですから、基礎くらいは身につけておいて損はなかろうと思っています。


というわけで、私は明確な目的があるわけでもなく、非常に地道に黙々と歩いているだけですが、次に取り組むことには事欠かないようです。
それでは皆様、良いお年を。

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今回は微妙にクラニオ繋がりということで、番外編で…。


先週末、クラニオ関係の用事で沖縄を訪問しました。用事が落ち着いた後、知人の案内で集落やお気に入りの場所を案内してもらいました。感想としては、この地は、世界観というか土地のエネルギーの質というか、そういったものが、「大和」とは根本的に異なる場所だということ。
まあ、日本(大和)国内でも、東北と関西は食べ物や言葉遣い、風習といった文化は違うわけですが、日本は日本だな、という思いはあります。宗教なども変わらないし、多分、基本的な世界観はほとんど同じではないかと思う。あるいは、もともとが大きく違っていても、ほぼ陸続きだから「同じになってしまった」のかもしれないですが。


でも、今回の訪問では、なにか根本的な部分で、「大和」と「琉球」の非常に大きな隔たりを感じた気がしたわけです。那覇などの市街地はそうでもないが、今回歩いたような集落や、森のような場所の雰囲気には非常に異質なものを感じた。自分が明らかに異邦の民であることを意識させられるような何かがあった。
まあ、何をもってそんなことを言うのかといわれると、良く分からんのですが、「その地に立つことで、身体が感じる違和感」が尋常でなく大きかったためというのが、理由と言えば理由です。それをあえて言葉にしてみると、集落なら「大地にがっしりと根付いているような、深く、密度のある空気感」、森ならば、「大和のあっさりとしたそれに比べると遥かに重厚で、傍に寄ると吸い込まれるような雰囲気」とでもいう感じ。

ある国の文化は、その地の身体観に基づくものだ、というような話をかつて身体教育研究所という場所で聞きましたが、ここで感じた違和感も、なにかそういうレベルの違いをである気がします。違和感と言っても、それはあくまで体感のことで、目に映るのは澄み渡った空や海、穏やかな静けさに包まれ、人々が自然に交流している集落、というような美しい風景だし、別に自分が拒絶されている感じがあるのでもない。ただ、「どうしようもないくらい違う」ということだけはなぜか感じたという。
今回知人からちらっと聞いたところでは、琉球のお墓は大和のお墓とはかなり格好が違い、弔いかたも大分違うらしいこと(歌ったり踊ったり)。また、魔を祓うための集落の構造上の工夫(海から来る魔は直進しかできないらしい)があること、習うスピリチュアルではなく、天然の霊能とでもいうべきものを身につける人が案外多いこと(おかしくなる人も多いらしいが)…などが、何かこの違和感と関係しているような気もしますが、具体的には何とも言い難い。


大和と風習が違うと言えばそれまでだが、それは形だけのことで、私の感じた違和感に繋がるなにかは、琉球の人々の身体観であるとか、死生観であるとか、もっと深いところにあって、それは聞いたり読んだりして分かるような物でもないんだろうと思う。
とりあえず、国の編成上、日本の一部になっても、やはり、琉球は琉球なんだろうな、というのが、根拠もなく、しかし、非常な確信を持って言える今回の感想でした。

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あけましておめでとうございます。
クラニオ・バイオダイナミクス絡みの身体感覚系ブログということで、多分内容はたびたび迷走しますが、今年もおおよそ週1ペースくらいで地道に続けていこうと思います…。

今年の抱負というか目標は、今学んでいるクラニオ・バイオダイナミクスと中国武術稽古の質を着実に高めていくことでしょうかね。土台固めといいますか。たびたび書くように、私はこれまで随分色々な体系をうろうろしてきたので、いまひとつ「これが専門」というものがなく、根無し草感が強かったのですが、この2つには、大変地味なれど、伝えられるべき大きな可能性があるように感じられつつあるので、長い目で見てじっくり取り組んでいきたいと思います。放浪の果てにようやく自分の基盤になりそうな体系を見出したというところですかね。私生活面は具体的には書かないですが、「しばしば働きすぎな頭(煩悩)を黙らせ」つつ、「私生活の土台も少しずつ強固に」あたりをキーワードにしていこうかと思っています。

もっとも、クラニオは今年の論文提出でようやく1人前扱いになれる予定、中国武術は習い始めて1年しか経ってないので、焦らず、やれるところから着実に前進と行きたいものです。まだ、大いに広めるといったことを考える段階ではないでしょうが、いつか立つその時に備えて力を蓄える方向で…。あとは、これまで同様、他の技法を学ぶ方々との交流の場を大切にし、自身が学ぶ体系を、その理念や原理原則を壊さないようにしつつも、同時に自分の技法として手足の如く使いこなせるよう、ヒントを得ていきたいものとも思います。流儀や伝統の尊重は必然ですが、同時に、どこにいても学びの主人公として責任を負うのはおのれ自身。また、自流以外のあらゆる技法に相応の力と価値が宿っているとも思うので、偏りのない広い視野を心がけたいものとも思います。本年もよろしくお願いします。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

私のプロフィール的なものはこちら
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