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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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久々の記事ですが、またも最近読んだ本「オステオパシーを巡る旅」の読後の雑感です。
これはオステオパシーの大家として知られるジェームス・ジェラス D.O(以下ジェラス氏)の著作です。私のように英語が不得意な人間には嬉しいことに日本語版です。若干直訳っぽい所もあり、また個人的に一部知らない用語もありましたが、クラニオを習っている方なら何となくニュアンスは伝わるのではと思います。ちなみに本の形式は「オンデマンドのペーパーバック」で、どうもAmazonでしか扱っていない模様です。

 ・参考までに書籍のページは → こちら

本の冒頭に「この本は教科書ではなく、オステオパスになろうとしてきたひとりの男の旅の記録」とあるように、内容はセッションにおけるプラクティショナーのあり方や、ローリン・ベッカー氏といったジェラス氏の師匠とのエピソードなどが主です。
むしろ教科書的な内容ではないからこそ普遍性があり、クラニオセッションにおいても参考になる点が多く、個人的には大変ためになりました。本の値段は4400円と若干お高めですが、入手の価値は十分あると思います。


■特に印象に残った点2つ
解剖学や臨床事例についての細かめの記述もありましたが、個人的に印象深かったのは、プラクティショナー自身の「休息」の大事を何度も説かれている点、セッションではクライアントに介入しないのは当然として、プラクティショナーニュートラルは維持しつつも「己を大いなる何かに明け渡す」くらいの徹底的な「我を捨てるスタンス」が必要そうだと感じられた点です。

一見シンプルな言葉であるものの、ジェラス氏の言う「休息」には深い意味や理解のレベルがありそうに思います。ひとまず、個人的には、単に一定時間の睡眠を取っているとか、動かずにごろごろしていることではなく、ヘルスにつながっている、ニュートラルで内的に整っている、または内なる静けさに休まっている…ような状態に自身がきちんと還ることかなと解釈しました。何かというと、目の前のクライアントや脳内の妄想に意識が行きがちですが、人のこと以前に自分自身は休まっているのか?という問いでもあると思います。
そういった「休息」ができているのか己を顧みるに、たまに行うクラニオ活動でもセッション中に雑念に埋もれている時間は長く、また日常でも、家に帰ってからも会社で起きた面倒事やネガティブな感情に意識が留まっているなど、あまり心身が落ち着いていない日が結構あり、私としては「反省。」とコメントするほかありません…。言葉としての意味合いの理解も含め、「休息」はもう少し意識したいと思いました。

もう一つの、「己を明け渡す」については、セッション中は己の作為を極力カットする必要があると理解はしているつもりでしたが、そこに本来求められる「我を捨てる度」は自分の想像をはるかに上回るレベルなのではないか、と本を読んで思わされました。
クラニオでも、クライアントのパターンへの余計な介入やシステムの「のぞき込み」はクライアントに新たなパターン(というか負荷)を付与してしまうのでNG、と習いましたが、そこまでではないにせよ、実は自分で思っている以上に、クライアントの変容プロセスの邪魔をしていることがあるかもしれないと思いました。
ちょうどしばらく前のセッションで、自分のセッションの中でどうしたら良いか良く分からなくなり途方にくれる、という経験がありましたが、変に自信を持っているより、毎回、自分でないもの(ブレスオブライフとかポーテンシーとか)にすべてを委ね、何が起きるか分からない少し不安な気持ちで始めるくらいの方が、より自分(我欲)を投げ出すような心境に近くなってちょうど良いのかもしれないと思いました。


■「「クラニオ」とのちがい」を考える
一方で、改めて意識させられたのは(バイオダイナミックな)オステオパシーとクラニオの流派・流儀としてのちがいについてです。ジェラス氏がやや辛口なコメントをしているパートがあり、かなり考えさせられました。
私がクラニオを習っているICSBでは、会の代表がジェラス氏ゆかりのオステオパシーも習っており、その内容が講座にもフィードバックされていると聞いているので、我々の現在のクラニオセッションのスタンスや基本的な進め方はバイオダイナミックなオステオパシーと近い部類に入るのでは、と思うのですが、それでも両者はやはり違うものであり、源流であるオステオパシーへのリスペクトは持ち続けていたい、とこの本のいくつかの記述から思いました。
正当派・伝統的でないとダメといった意味ではなく、少なくともクラニオの存在や、(時にクラニオ固有のものであると捉えがちかもしれない)ワークとしての哲学や特徴は、オステオパシーという体系の存在とサザーランド博士ほか多くのオステオパシーの先駆者の叡智があってこそ生まれたものだという意識と感謝は必要だろう、ということです。

ちなみに、本を読んで意識した「ちがい」は、技術や方法の違いというより体系や流派としての風情や暗黙知のような部分です。技法や蓄積経験の面でも、オステオパシーにあってクラニオに伝わっていないことは色々あるとは思いますが、ワークの手順や知識については比較的外部にも伝わりやすい要素と言えます。一方、創始者の代から受け継がれてきた哲理やわざを使った時にまとう雰囲気・教えてもらう時の独特の空気感(手渡ししてもらう感覚に近いかもしれない)のようなものは、直接学んだ人以外には伝わりがたい要素で、そういったものが「ジェラス氏が先代から継承、発展させてきたオステオパシー」の見えざる価値なのだろうと感じました。

前に別の日記でも少し書きましたが、ジェラス氏のワークはサザーランド博士の直弟子にあたる先生方からじかに教えを受けて構成されているのに対し、「クラニオ」は歴史的にはオステオパスであったアプレジャー氏が「医療従事者でない一般人でも扱えるよう、オステオパシーの一部のスキルや叡智を抽出した技法」といえると思います。
その時点から更に数十年が経った現在、世の中には、非常に多様な「クラニオ」の形態があると思われ、広まって良かった点も、良くなかった点もあり、そこはジェラス氏としても思うところが色々あるのだろうと感じました。似たような状況(分派の発生、流派の正当性議論、実践性の議論、広域普及と教授の質のバランスなど…)がしばしば生じる伝統武術界の片隅に居るものとして、私もその気持ちは何となくわかる気がします。


一方で、経緯はどうあれ、この世界に「クラニオ」が誕生し、一定のニーズもあって存在し続けている以上、そこには「簡易版のオステオパシー」ではない存在意義があるともいえると思います。例えば、私自身に関していえば、クラニオがこの世に存在しなかった場合、習える人が限られるバイオダイナミックオステオパシーを学べた可能性は低く、結果、他人へのワークができないのみならず、今用いているささやかな自己調整スキルや、辛い時に自分の支えになってくれたマインドセット(リソース)や、武術稽古でも参考になっているニュートラルといった恩恵も得られず、どんな生き方をしていたか分かりません。
その点で、少なくとも私がクラニオを習った意味はあると思いますし、源流へのリスペクトを保ちつつクラニオというワークの存在を客観的に意識することで、また何かが見えてくる気もします。

なんにせよ、「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」しか知らない私としては、この本で頂いたヒントも参考に、ひとまずは、できるだけベストなセッションが実現できるよう(この本の内容に従えば、できる、できないとか思うこと自体ダメかもしれないですが)細々と進んでいくのみであります。
一方で、この本を読み、オステオパシーから派生・発展してきたクラニオとは何もので、それを学んできた私は何ができるのか(ワークとしての表面的な効く効かないなどとは関係なく、ほかの分野に活かされる道なども含め…)には引き続き私なりに向き合っていきたい、とも改めて思った次第であります。

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朧 こと 今野
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自己紹介:
会社員生活の傍ら、ICSBという団体の教程で手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

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