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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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久々に投稿したかと思えば、またもクラニオとは直接関係ない内容です。今回は「平均化訓練」という本を読んで感動を覚えたので、その雑感です。
なお、私は「平均化訓練」は数年前に1度講座で体験した程度で、勘違いや底の浅い理解をしている可能性は多々あるため、以下の内容はあくまで部外者の個人的感想&解釈と考えてもらえればと思います。


平均化訓練の書籍や活動について詳しく知りたい方は以下を参照ください。平均化訓練は個人的には大変興味深い体験だったので、本を読んで興味がわいた方は公式サイトの講習会情報を参考に体験してみるのもおすすめです。


・書籍「平均化訓練」出版社サイト → http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-71412-6/
・平均化訓練 公式サイト → http://heikinka-kunren.com/


■平均化訓練
「平均化訓練」は「野口整体」の創始者として有名な野口晴哉先生の孫にあたる野口晴胤先生が開発した体操法で、私の理解で非常に大雑把に言うと、身体の中で普段使われていない筋肉をいくつかの型や相互運動から成る独自の体操のなかで見出し、その使われていない筋肉が使えるよう(力が入れられるよう)学習するものです。


人は日常生活でも意識的な運動でも、無意識のうちに優先的に使う筋肉があり、結果、その部位に疲労が集中的に蓄積。それによって定期的に同じようなパターンの心身の偏り・不調が発生しがちなため、平均化訓練の中で普段使われていない筋肉を意識し、さらに日常で働かせることで偏りの少ない心身のあり方をめざすことが主な意義の1つ…だと思います。


■自分の「平均化訓練」の体験から
ちなみに、本書にもあるように、「普段使われていない筋肉の発見」と言っても、普段右手より左手を使ってないので左手で物を持ちましょうといった大雑把な区分けではなく、かなり細かいというか、自力では早々気づきそうもない、奇妙なエリアが訓練の中で見出されるようです。また、人によってその箇所は全く違うようです。


私が過去に体験したときも、体操で導かれる中で「右足親指から足裏~背中中央を通って左肩付近まで伸びるライン」が「使われていない筋肉」として現れ、何故こんな妙な箇所が…と不思議に思った覚えがあります。しかし、実際にそこに力を入れることは確かに難しく、一方でそこに力を入れようとしながら過ごしていると、普段と違う疲れ方をしつつも、それだけで比較的姿勢が安定する感覚がありました。

また、その「弱い筋が表れた時の格好」が当時、自分が中国武術の対人練習の中でよく崩されるときの格好と似ていたこともあり、押されても踏ん張りがききにくい要因になっている箇所…とでも言うべき、「普段使われていない弱い筋肉」の存在にかなり納得したのを覚えています。


当時はどうやって、この格好に導かれたのか良く分からず、リードには熟練の技が必要なのかと思っていましたが、今回、本書を読んで何となくやり方の理屈が理解でき、ここ数年来の小さな疑問が少し氷解しました。


■伝統武術の型稽古と平均化
習っている者として少々ひいき目な見解もあるかと思いますが、この本の中で、著者も伝統芸能や武術の型稽古の意義に少し触れていたように、私が習っている中国伝統武術の型稽古の中にも(おそらく世界各国の伝統武術の中にも)平均化訓練的な要素があるのでは、という感想も改めて持ちました。


私自身、習い始めの頃は非常にやりづらかった姿勢や動作が、自分の身体の状態を十分意識して動いたり、先生に細かい部分まで直してもらう中で少しずつ癖が改善されたり、整ってくる…という過程を体験してきましたが、これは武術稽古(主に型稽古)の攻防技術習得以外の恩恵と思うところです。特に格闘的に強いわけでもない私の場合は、メインの恩恵と言えるかもしれません(笑)。即効性はないとしても、年単位で見ると、そういえば最近は前より重心がすっきり落ちていい姿勢になったな、と稽古仲間を見て思う瞬間もあります。


なお、この恩恵は雑に稽古しているとおそらく十分な獲得が難しいと思われます。本文でもあったように、身体の筋肉の使い方の癖は個人ごとの無意識のもので、同道の熟練者からの指摘や平均化訓練での自覚といった何らかのきっかけがない限り、本人の意識には全く上らないので、自力のみでの発見・改善は困難だと思います。
よって、映像だけ見て自己流で練習したり、そうでなくても稽古中の自分の姿勢や動作の違和感に意識を向けず惰性で稽古していると、自分の生来の(無意識的な)認識や身体の使い方の癖まで切り込むことができず、普段よく使う筋肉を用いたやりやすい運動ばかりしてしまい、結果「筋肉の使い方の偏りが強化される」という、むしろマイナスの結果が生じてしまう可能性もあるかと思います。


一方、型稽古による自分の身体や動作の変化に向き合いつつ、ある程度丁寧に稽古した場合、伝統武術の型はあまり現代の日常動作になさそうな動きも多く、中国武術の場合はバリエーションも豊かなので、結果、普段意識されない全身の様々な筋肉を使う機会があると思われます。
また、先生の手を取っての指導といったガイドにより、自力では正確に実現しがたい姿勢(決してアクロバティックな姿勢ではないが、何故か非常にやりにくいものがあったりします)を体験・意識したり、その姿勢をキープしたまま動こうとする練習もあるので、稽古の中で弱い筋も少しずつですが鍛えられているのではと思っています。


実際、前述の平均化訓練体験で見出された、当時私が「中国武術の対人練習の中でよく崩された姿勢」では最近は崩れた覚えがないので(そういった姿勢と関係なく上手な方には良く崩されますが…)、当時の平均化訓練の体験やその後の稽古の中で、当時意識された弱い筋も多少は鍛えられたのでは、と思っています。


このように、武術などの型稽古によって自然と「平均化」される部分もあると思いますが、本書の、平均化訓練で弱い部位を意識したことでテニス選手のフォームが良くなった例に見られるように、平均化訓練で自分の弱い部位をあらかじめ知っておくと、通常の型稽古の恩恵にさらにプラスして効率的に稽古できる可能性はありそうです。


■興味深かった言葉1:喧嘩も同調の1つの形
本書には平均化訓練の概要だけでなく、示唆に富む言葉も多くありました。個人的には「喧嘩も同調の1つの形」「ある部位の緊張を取るために、使われていない他の部位を緊張させる」という言葉、考えに特にハッとさせられるものがありました。


まず「喧嘩も同調の1つの形」ですが、そもそも、このブログで扱っている(はずの)クラニオ・バイオダイナミクスもクライアントとの(結果的)「同調」が非常に重要なワーク体系といって良いと思います。ただ、その分、私は同調という概念に親しみや重要性を感じつつ、同時に静けさを伴う状態の共有など、ポジティブな意味として無意識に使ってきたので、「マイナス方向の同調」という言葉には新鮮さを感じました。


考えてみればもっともな話で、例えば、怒りを覚えている人のそばに行けば、平常心のまま近寄った人も心(と身体)がざわつくと思います。そして、実際は自分由来でないその感情に乗ってしまい、自分も怒りの中に巻き込まれることはまさに相手と同じ「怒りの身体感覚」を共有している点において「同調」であり、大概の喧嘩も両者が同じ負の感覚を共有した上で「関わりあう」「交流する」形として発生するものと言えそうです。


私自身、中国武術の対人練習の時も、相手の心理状態が少し攻撃的になったと思われる瞬間を機に(本来はこちらがそれにあおられて緊張せず、柔らかさをキープして対処すべきところ)喧嘩のような険悪さはないですが、力のぶつかり合いに近い状態になってしまうことがあります。これも軽度のマイナスの同調、と言えるかもしれません。


クラニオに結びつけて考えるなら、相手との「マイナスの同調状態」に巻き込まれつつあるとき、そこに引き込まれずにプラクティショナーニュートラルを保って同調状態から一度外れたり、静けさ等のリソースにつながり直すことで「マイナスの同調状態」をプラスに転換する努力をする(ニュートラルなのでプラスというよりゼロかもしれませんが)ことがポイントとなる…とも言えるかもしれません。


■興味深かった言葉2:緊張を取るために、使われていない他の部位を緊張させる
「緊張を取るために、使われていない他の部位を緊張させる(ことで緊張が軽減)」は、無理に緊張している部位を緩めようとするのでなく、ふだん使っていない筋肉を緊張させることで結果的に身体全体が整い、当初あった部位の緊張が軽減する…といった関係性を表すものと解釈しています。


これも一見「逆転の発想」のようでいて、かなり納得感のある言葉です。確かに緊張している箇所の力を意識して抜こうと思っても早々抜けるものではないし、私も普段の型稽古の中で少し似たことを体験している気がします。


例えば、私が学ぶ中国武術にある静かに立ち続ける稽古では、「脱力」は部分的に少し意識することはあるものの、どちらかというと、意識して体の各部を張り伸ばす、拮抗を作る等を意識する比率の方が高い気がしており、そんなにゆるゆるしていません。むしろキツイです(特に足腰が…)。
しかしやっていると、仕事疲れ等で生じていた身体全体の細かな緊張が軽減してスッキリする感じがします。身体全体の構えを意識によって整える中で結果的に(主に上体の)無駄な緊張が抜けやすくなる…という感じですが、これは先の言葉とどことなく共通点を感じます。


また、これもクラニオセッションに結び付けて考えると、相手のある部位の緊張状態を取ろうとしてその箇所に触れるのでなく、「1次呼吸システムのサポートが出来そうな部位」に触れてワークを続けることで結果的に全体の緊張が軽減…といったことにも少し通じるかもしれません。クラニオだと緊張を意識するわけではないですが。


一方、私もそんなことを稽古やセッションで多少は意識しているはずでありながら、日常ふとした瞬間に緊張を感じると、「その部位の緊張」を抜こうと意識してしまうこともあります。「別の部位を緊張させる」は、そんな稽古や日常のちょっとした瞬間に対処するヒントになりそうな言葉です。


「喧嘩も同調の一つの形」「緊張を取るために、使われていない他の部位を緊張させる」…いずれも書き始めたら色々な考えが湧いてきましたが、まさに分野を超えて考えを展開できる深い言葉という感じです。予期せずクラニオの話題にも結び付いてしまいました。


■おわりに
本書を読んでいて、かつて体験した平均化訓練の不思議な感覚を思い出したり、当時分からなかったことが少し理解できたこともあり、ついうれしくなって長々書いてしまいましたが、本書には他にも筋肉の使い方のかたよりによる心理状態の変化など(これには、ソマテックエクスペリエンスが定義するトラウマ化の概念などにも通じると感じました)著者の野口整体への深い理解から生まれたと思われる言葉が色々あり、大変興味深かったです。


本の文体はシンプルな語り口ですが、その分、活用分野の幅を広げて考えられる余地があり、上記で私が取り留めなく書いてきたように、体を遣う芸事、習い事や手わざ系セラピーなどをされている方には特に探求のヒントを多く与えてくれそうな良い本と思います。


私も、本書を読んだことを機に、自分の武術稽古やクラニオ活動を改めてポジティブな新しい視点で見直すことができそうです。

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クラニオ本ではないですが、ISCBのクラニオ関係者にお勧め本として情報が回ってきた「ポリヴェーガル理論入門」を読了したので、大まかな概要紹介と所感などです。自分の頭の整理も兼ねて書いていきますが、私の勘違いがあるかもしれないので、詳細に興味がわいた方は書籍を実際に読んでみることをお勧めします。

 ポリヴェーガル理論入門 → 出版社の同書紹介ページ


■理論の概要
「ポリヴェーガル理論」は哺乳類の神経系と社会活動の関わりについての理論で、この本は同理論提唱者のポージェス博士(ポージェス博士はセラピストや臨床家ではなく研究者)と臨床家何名かとの対談形式で同理論やその関連情報を紹介しています。ちなみに日本語版翻訳者の方にICSBのメンバー(クラニオプラクティショナー)2名が協力していたそうで、あとがきで初めて知って驚きました。

本書によると、同理論では自律神経系には交感神経・副交感神経による活性、鎮静の働きのみならず、迷走神経(腹側迷走神経、背側迷走神経の2つがある)による制御もかかっており、その制御の状態によって、以下のような身体反応につながるとのこと。

(日常)
・腹側迷走神経が優位・背側迷走神経と関連する自律神経系がバランスよく機能
 →安全の感覚があり、社会活動を円滑に行える

(危機に瀕したときの生理的な防衛反応)
・パターン1:背側迷走神経の働きが抑えられる → 闘争/逃走反応で危機に対処
・パターン2:背側迷走神経が急激に優位になる → シャットダウン(気絶などの「凍り付き」)・乖離で危機をやりすごす

私も、過去にもクラニオ講座やセラピー手法「ソマテックエクスペリエンス(以下、SE)」の本「心と身体をつなぐトラウマセラピー(雲母書房)」で「シャットダウン」の身体状態や「社会交流と自律神経系にかかわりがあるらしい?」という話は聞いていました。
しかし、一般に言われる「交感神経=活性、副交感神経=鎮静」程度の理解しかなく、理屈の上ではいまいち理解できていませんでした。本書で各反応に迷走神経によるブレーキ機能が介在していたことを知り、ようやくメカニズムをある程度理解できました。

また、これらの神経系のバランスが十分に取れているときの「社会活動を円滑に行える」を、これまで私は単に日常生活が送れる程度の話だと思っていたのですが、本書を読み、「周囲にあまり警戒を抱かない、文字通りの「社会交流に適した心身状態」」のことらしいと理解できました。これに関する記述を読み、自分自身の会社での仕事の様子などを顧みるに、現代の日本社会では災害や事故に遭ったり実際の争いにならなくても、自律神経系レベルでは「闘争/逃走状態」のまま対処しているケースは思いのほか多いのでは…等と考えさせられています。


■トラウマセラピーとのつながり
本書では同理論を踏まえたトラウマセラピーの例の紹介もあります。前述のSEもポリヴェーガル理論を踏まえてできた技法の1つとして名前だけ紹介されていますが、本書では他にポージェス博士が提唱する「LPP」という手法も紹介されています。

大雑把にまとめると、「トラウマ」「トラウマ化」は前述の「自律神経系の防衛反応」が休む間もなく必要な状況(戦場や災害現場など)に置かれたり、強烈な体験(事故や事件など)による急激なシャットダウンといった強い防衛反応を契機に、本来は身を守る時だけ発動すればよい防衛反応のスイッチが日常もしくは特定の状況下で入りやすい身体状態になってしまうこと…と言えるかと思います。
防衛反応自体は適切な反応で、そのおかげで危機も乗り越えられるのですが、野生動物より人は脳が複雑にできているので、その影響が神経系・身体に残ってしまうことがある(トラウマ化は思い込みや心の弱さではなく、「身体の生理的反応の結果」)…とSEの本では説明されていたと思います。

SEの本では主に身体感覚に意識を向けてもらう必要性について語られていた覚えがありますが(詳しくはSEの書籍やサイト参照…)、「LPP」の手法はトラウマ化して「防衛反応」に入っている人の「音の聞こえ方」に着目し(誤解があるかもしれませんが、神経系が警戒態勢に入っていることで、内耳の筋肉に影響があり、脅威にかかわる音が聞こえやすくなり、安心をもたらすような周波数の音が聞こえにくくなるようです)、神経系の安心につながる波長の音をクライアントに一定期間聴かせ続けるのだそうです。
症状やトラウマ化に至った出来事をむやみと深堀せず、「神経系が安全を感じられる環境」の提供によって機能回復を目指す、という方向性は、人の身体機能を踏まえつつも押しつけがましさがなく、興味深いものがあります。トラウマ化と由来は異なるようですが、自閉症の方へのセラピーでも活用されている手法だそうです。


■同理論を踏まえた、セラピー・クラニオの役割
また、本書では最後に、セラピーの目的(文脈ではトラウマセラピーやLPPのことを指していると思いますが)として「様々な場面に適用するための能力を高めていくこと」「防衛を適正に抑制できる神経回路にアクセスし(中略)生きていくために柔軟性を持てるようになること」という表現が出てますが、これはトラウマセラピー以外にも適用できそうな、納得感のある表現だと思いました。

個人的には、「適応力のある(柔軟性の高い)、よりバランスの取れた心身(自律神経系)状態を実現する支援」や「心身(自律神経系)の柔軟性が一定以上失われている時にバランスを取り戻す支援」は、専門のトラウマセラピーほどではないにせよ、セッションがもたらす独特の体感や静寂などにより、クラニオでもある程度提供できそうな気はしています(なお、過去のクラニオ講座で本理論を踏まえたクラニオならではのお役立ちポイントの説明があった可能性もありますが、私の記憶は曖昧です…)。
いずれにせよ、そう言い切るにはもう少し実例やデータが欲しい所なので、あくまで仮説ですが、「身体の歪みを物理的に調整」といったことよりは「自律神経系のバランス調整」のほうがクラニオセッションで主に起きていることの表現として近い気がします。また、この「役割」は病院や一般の医療行為と違うボディセラピー(クライアントに丁寧に触れるタイプのセラピー)ならではの役割として、クラニオ以外のいくつかの技法にも当てはめられる余地がありそうです。

咀嚼しきれていない部分もありますが、自律神経系と心身のつながりについて色々なことが学べて考えさせられる本で、読んだ甲斐がありました。セラピーをされている方や心身のかかわりに興味がある方にはおすすめです。私もたまに読み返しながら、上記の問題意識も頭の片隅に置きつつ、今後もできる範囲でセッションを続けていきたいと思います。

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先週10/17-10/21の期間に開催されたICSBクラニオアドバンス講座に2年ぶりに参加したので所感などです。講座は例年通り5日間ですが、私は業務都合で後半3日間のみ参加しました。講座内でクラニオセッションを重ね、意識がかなり深まった感じになるのが3日目位だったので、3日だと結構あっという間でした。

今年は最近基礎教程を終えた方々も含め、参加人数が23名と例年より多めで、会場も広くなっていました。私が基礎教程を終えたのも昨日のような気分ですが、その後、一人前のプラクティショナーが誕生するまでの期間が経過していたとは、さすがに時の流れの早さを感じます。

■今回のテーマ
今回は「タイドの足跡を辿る」というテーマで、テクニックの紹介というより、本質的な内容を探求するらしいということで、3日目からでも得るものが多そうと感じ参加しました。プラクティショナーの意識のありようの探求や胎生学などの周辺知識の補強などを予想していたのですが、セッションの進め方そのものに思いのほか新しい内容が含まれており、私が会場に到着して目にした3日目のホワイトボードにはいくつか見たことがない謎の言葉が書いてあったので驚きました。

ただ、参加者の方々が私が不参加の前半2日間の講座内容や様子を詳しく説明してくれたり、セッション中のバードレイナさんのガイドでおおむね概要は理解するに至りました。講座中、サポート・交流いただいた方々、改めてありがとうございました。

今回講座内で主に紹介されたのは、「1次呼吸とは違うが、それと源を同じくする働き(講座ではPPEという名で紹介)」を主なガイドに(1次呼吸のリズムはガイドに使わない)、フィールド(講座では4種類の「ゾーン」として紹介)の様子を見つつセッションを進める方法でした。この流れからでも身体システムはニュートラルに入るので(ちなみに、過去に教わった「ステートオブバランスのニュートラル」とは違うようです)、その後、身体システムが何を求めるかにもよりますが、通常セッションのような展開になることもあります。
…と書いてみましたが、オステオパシー領域からの知見をベースにバードレイナさん達が最近開発した手法とのことで、まだ完全に判り切っていないこともあるようです。

なお、このブログではここ最近(というほど更新していませんが…)、「プラクティショナーニュートラルが維持できていれば、1次呼吸はリズムとして感知できなくても問題なく(逆にリズムを無理に感知しようとすることで術者が緊張しやすい気が)、リズムよりフィールドの雰囲気を感じるのが重要と思う」などと書いていましたが、今回紹介された方法は図らずもそれに若干近い(「PPE」を知らなかった他、私の考えはそれよりだいぶ大雑把ですが)コンセプトの方法だったので個人的には、新用語が出てきて驚きはしましたが、あまり抵抗はありませんでした。
むしろ、上記のように書きつつも、同時に自分の考えはクラニオとしては明後日の方向に向かっているのでは、と若干不安も覚えていたので、今回の講座を受け、そうでもなかったようで安心しました。

■方向性が増えても
1次呼吸のリズムでなく「PPE」をガイドとする今回の方法(名前はまだない模様)は、クライアントのシステムが疲弊していて1次呼吸が表現できないとき向けに開発されたものだそうですが、今回の講座内で、何名かの方から、これまでの方法だとセッション中眠れないことがしばしばあったが、この方法だと眠りに入りやすい、という感想も聞かれたので、何が要因か不明ですが、1次呼吸が表現できる方相手に行っても、過去の方法にない恩恵がありそうな気もします。

ちなみに、基礎教程の段階では「1次呼吸が表現しがたい人向け手法」として「CV4やEV4」が紹介され、過去のアドバンスでもそういった状況向けにいくつかの概念を聞いてきた気がするので、
ICSB側でもいろいろ試行錯誤の最中なのかもしれません。
ICSBでは基礎教程でクラニオとしてのスタンダードな方法(1次呼吸をガイドとする方法や関連知識)を教え、その基礎があったうえでアドバンスに進む構成なので、アドバンスでいろいろな選択肢をおもむろに紹介されても、あまりに妙なことを考えない限りは「クラニオ」の範疇から大きく外れることは起こりにくいかなとも思います。

過去の手法との整合性や用途の違いは若干気にはなりますが、個人的にはそこはあまり深く考えず、単純に「選択肢が増えた」と捉えようと思っています。そもそも、私のようにあまりセッションしない人は、原理原則ベースでもあまりいくつも手法を覚えていられないので、既存のやりかたとの使い分けがありうるのか検討しつつ、今回の方法を活用したいと思っています。来年も今回紹介された方法をベースに更なる探求をするそうなので、都合が合えば参加したいところです。

なお、今回の講座ではこのブログが少なくとも関係者には意外と読まれているらしいことが判明し、わずかながら気力が回復したので、なにか参考になるか分かりませんが、今後もネタがあったらまたぼちぼち書いていこうと思います。

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最近は当ブログもいい感じに目立たなくなってきたので、(たまに書くときは)あまり教わったことに捉われず、多少自由に書いてみようと思います。というわけで、以下はICSB教程で教わった内容をベースにしつつも基本的に私個人の考えなので、話半分にとらえていただければと思います。

最近も忘れない程度には最低限のセッションを行っていますが、今更ながら、習い始めに聞いたことや、これまで当たり前と思いつつも、あまり徹底してこなかったことが重要と実感しています。やはりどんな分野でも基本は重要というところでしょうか。最近特に感じたのは以下です。

■まず自分を整える
「プラクティショナーニュートラル(以下、PN)は重要」とこのブログでは結構何度も書いていますが、まさにそれを最近実感しています。実は自分自身も意外とやれていなかったという…。最近まで私は、PNを維持しつつクライアントに触れ、クライアントのシステムが落ち着くまで手持無沙汰感や不安感を覚えたとき、1次呼吸の状態はどうだろうと思ったり、自分の意識の状態を変えて相手のフィールドに同調しようとしたりしていたのですが、これらも余計な操作で、相手を変えようとする行動に近かったと思うことがありました。

しかし、こんな時は、同調のような難しいことをするまでもなく、PNを維持しつつ自分自身の落ち着きを深めることに集中、いうなれば自分自身を整え続ければ、やがて自然とクライアントの身体システムも落ち着き、身体システムの状態や1次呼吸もわかってくる(確率が高い)ことに思い至りました。
当たり前ですが、術者が落ち着かないとクライアントも深く落ち着けないので、セッションが始まってどうしたらよいか迷ったら、クライアントのシステムの中に何か探そうとしたりマニアックな操作に走ろうとせず、とりあえず自分が全力でPNを構築して落ち着けば自然と状況が動き、色々なことが解決すると思われます。

実際、意識や操作感により半端にクライアントの状況が分かったつもりになるよりは、仮にクライアントに触れていて何も感じられなくても、その分からない状態のまま自分自身の状態を整え続けたほうがクライアントにとっても有益だと思います。無理やり何か操作して、わかったと思ったクライアントの状態は、実際は「自分が意識で操作して作り上げた反応」かもしれないので…。

「自分を整える・落ち着きを深める」手段は人それぞれで良いと思います。自分の中に完全に埋没せず、クライアントに向けてある程度開かれている状態がキープさえできていれば、「自分の中で静けさがある領域を見出してそこにとどまってみる」とか、「深い呼吸を続ける」とか、「「リソース」を使う」とか、色々あるかと思います。これらもある意味PNの構成要素の一部ですね。

ともかく自分が深く落ち着くことが重要…すなわち術者の姿勢もまた大変重要という見解もやはりこれまでと同じです。どんな姿勢だろうと、ある程度落ち着くことは可能ではありますが、より深い落ち着きが求められている状態で、自分の腕や肩等に負荷がある崩れ気味の姿勢と、自分の腕等の特定部位に負荷がかからない安定した姿勢ではどちらの方が自分が深く落ち着きやすいのか?はまあ考えるまでもないかと思います。

■熟練に伴う省力化?
「相手(クライアント)に余計なことをしない」のがクラニオ・バイオダイナミクスのセッションの特徴の1つかと思いますが、そう習いつつも、常日頃落ち着きがたいヒトのサガか、特に習い始めのころは、意外と気づかないところで、妙な不安に捉われてみたり、相手の中に何か探したり、相手に向かって意識を送ってみたり、余計なことをしてしまっていると思われます。
私自身からして、当初は今の自分が見たら説教を垂れたくなるくらいいろいろと余計なことをしていた実感が明確にあり、今も余計なことをしているのかもしれません。

上記と関係ないかもしれませんが、私も習い始めの頃は何だかよく分からず90分くらいもやっていたセッション時間が、最近は3か所触れて40分くらいで済むこともあり(これはクライアントの身体状態やクラニオへの慣れ度合によっても違うと思いますが)、かつ、自分の努力感は以前より圧倒的にないため、これでいいのか?と思うくらいあっけなく進むこともあります。セッションでは、クライアントの身体システムにとって無理なく可能な調整・統合が行われることが重要で、セッションが短時間になったから良いかは分からない…とも思いつつ。
あまりセッションをしていない私でもそう感じられるということは、クラニオ・バイオダイナミクスに熟練していくと、より術者の操作感が減っていくほか、クライアントに必要なことは起きつつも、セッション全体の流れの中の余計な要素もそぎ落とされていくのでは…と思ったりもする今日この頃です。

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気づけば2017年も最終日です。私は今年は仕事都合でアドバンスクラスも欠席し、クラニオ活動としては、交換セッションと知人に何度かセッションしたくらいなので、最近感じた雑感など。


私は今年は何かを引き継ぐとか、それを後の人に伝える・残すといったテーマについて考えさせられる機会が多かったのですが、それに近いクラニオの話題として、他のプラクティショナーの方と話しているとき、仮に次の世代にICSB流クラニオを教えるとしたら何が重要なのか、という話が出たことがありました。

クラニオの場合、形・手順は必要ですが、学習者はそれだけ覚えてもあまり意味がなく、(何せ見た目上は相手に触れて静かにじっとしているだけなので)ICSBクラニオならではの質感ともいえるコアな部分が伝わることが重要では、という話の流れになったのですが、いざそういわれると、「コアな部分」って何だろう、と考え込んでしまいました。

クラニオに限らず、人が身体を使って行う特定流派の技術は、うまい下手の差はあっても、同門の人がその技術を行えば「概ね共通の結果(相手による違い等は度外視して)」と、質感として現れる「その技術・流派らしさ」があり、技術の手順なども含め、それらをなしているものが「コアな部分」で、教える側としては、創始者ほどでないにせよ、自らその「らしさ」を(知識としてだけでなく)体現して見せるのが重要だろう、というのが、その場の一応の結論でした。「これを変えたら・これがなければクラニオではない」といえる要素とでもいいましょうか。

学習者は講義を受けて、セッション回数を重ねるうちにそれらしきものを表現できるようになってくるのだと思いますが、中には自分の一方的な理解で明後日の方向に向かっていく人もいるのかもしれず、仮にそんな人に指導者として「それは間違っている」と説得する場合も、「コアな部分」の理解が十分でないと難しいのかもしれません。


もっとも、セラピーの一種として「セッションの結果〇〇になる(可能性がある)」といった「結果」や、多くの人に短時間で伝わる「わかりやすさ」あるいは「手順そのもの」がより重要・そっちがコアだといった意見もあるかもしれず、その場合、質感であるとか、「形として見えない何か」等の曖昧な要素の方が、言語化困難で習得に時間を要する非効率的な物として除外されるかもしれません。実際、質感とか次世代の伝承とかは、私が伝統武術などをやっているから思うことで、セラピーとしては自分が出来れば問題ないのかもしれませんが。

個人的には、ICSB派クラニオの「コアな部分」に密接にかかわっている(気がする)要素をあえて言語化してみると、プラクティショナーニュートラルの精度、1次呼吸システムの理解と認識、ポーテンシーのはたらきの認識あたりかなと思いますが、私が勝手に思っているのか、そうでもないのか、ほかのクラニオ流派だとどう考えているのかもいまいち分かりません。こんなことを考えている私自身が明後日の方向に向かっているという可能性もあり得ます。私自身、セッションはICSB標準のものは一応できるつもりでいますが、「クラニオセイクラルワーク」という技術体系全体として見た場合、重要なことが全く分かっていないのかもしれず、多少経験を積んでもわからないことばかりです。


というのも、ICSBの講座も、一応一定のカリキュラムはあるにせよ、我々が過去に聞いたテーマの講座内容も最新版だと若干内容の差し替えがあったりして、現時点でもいまだ技術は探索途上のように思われるためです。例えば、最近はアドバンスクラスでも1次呼吸そのものは一種のガイドとして扱い、1次呼吸のリズムにはあまり注目しない方向性で習っていますが、これも団体創設時から分かっていて、今応用編として教えているのではなく、後で明らかになってきたことなのではと思います。
この方向性の変化により、個人的にセッションはより安定して楽にできるようになったと思うのですが、「手順」「方向性」が変わっても習った側が瞬時に適応できるのは、ある程度セッションを経験して、(ICSB派)クラニオの「コアな部分」を程度の差はあれ、多少なりとも押さえているからだと思うので、その意味でも、「コアな部分」が何か、は考え続けていく必要があるのかなと思っています。

まあ、上記の如きは特に指導者でもない私が考えても仕方ないのですが、クラニオとは何で、回数が少ないなりにより良いセッションをするにはどうすればよいのか、等のヒントにはなりそうなので、何となく頭の片隅で考えています。最小限の活動の中でも、クラニオに対して色々な疑問や気づきは発生するので、今後も水面下において細々とでも探求していきたいところです。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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