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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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クラニオセミナー6から帰還しました。これで基礎教程は終了だけあって、今回は「ロングタイド(複数ある1次呼吸の種類ひとつ)」に焦点を合わせた、これまでとはひと味違う様々な技法や視点が紹介されましたが、ひとつ驚いたのが、クラニオバイオダイナミクスでも普通の呼吸(いつも書いている「1次呼吸」ではなく、「2次呼吸」にあたる普通の肺呼吸ですね)を用いた技法があったこと。先日この記事でクラニオ技法には呼吸はまるで関係ないと書きましたが、それは真っ赤な嘘だったことが判明したという…。なかなか世の中何が起きるか分からないものです。

やり方は具体的には書きませんが、この技法の概要は、受ける人にある(結構厳密な)タイミングで呼吸してもらうことにより、1次呼吸の「吐く」にあたる動きのリズムと2次呼吸(普通の呼吸)の「吐く」リズムを同期させるというもの。それによって、「点火」と呼ばれる、体内のエネルギーが活性化する状態が起きやすくなるようです。受けた感じをあえて説明すると、体全体が熱くなって、活力が湧いてくる感じとでもいいましょうか。

この「点火」の定義は複数あるようですが、胎内での受精時や心臓が発生した時、実際の誕生時といった人生最初期の重要スタート時点で、次なる活動に備えて肉体(…といっても、それらの機会の大半では生まれてさえいないわけですが…)の活力を高め、しっかり生きていけるように体が自然に起こす反応…が一般的定義のようです。そして、その時に何かの不都合で十分に「点火」ができずに大人になったとしても、このように、しっかり「点火」できるチャンスはあるという事ですね。

しかも、この技法をもちいて、受ける人にわざわざタイミングを測って意図的に呼吸してもらわなくても、どうやら体は(少なくとも健全さが十分な身体は)1次呼吸と2次呼吸を同期させるように自動的に呼吸しているらしく、練習中にも体の賢さを感じさせられました。ただ、「点火」効果があまり足りていなかった場合、意図的にこの技法を行うことで、大いに恩恵を得られる確率は高くなるのだろうと思います。もっとも、この技法は、よほどのことがない限り使うべきでないとのこと。基本的にクラニオ・バイオダイナミクスは、「受ける人の体が自然な形で今やれることを尊重する」技法と思うので、それはもっともです。個人的には仮にその制限がなくても、あまり使わないかもしれないですね。やはり受ける人に色々な動作を要求するのは、シャイでチキンハートな私には、いまいち馴染まないものがあります。

ただ、この技法の紹介によって、クラニオ・バイオダイナミクスのセッションでも、時には「受ける人が適切に参加することで、セッションの質が変わるかも知れない」というひとつの可能性が間接的に示されたようにも思います。受ける人が無闇に自分の状態を観察して緊張してしまったら本末転倒なので、受ける人は基本的に気持ちよく寝ていれば良いと思いますが、受ける人が無理のない程度に何らかの形で参加できたら、セッション前後の変化も実感できるかも知れないし、セッションをより楽しむことはできるかもな、ということは、頭の片隅に入れておこうかと思いました。

<2017追記>
「点火(イグニッションとも言われる)」について、上記のようにやたら能動的に誘導しないと発生しないものなのか!?と、この時は思っていましたが、そもそも、この現象が起きるのは受精時だけの話ではなく、どうやら日々、1次呼吸のタイミングの何回かの中で、自動的に起きているようです。「点火」はおおざっぱに言うと、「ポーテンシー(エネルギー)がフィールドから肉体に具現化・浸透する過程」というのがICSB教程での一応の説明のようです。セッション中、単にポーテンシーが調整のために現れることとも質が異なる印象です。

また、上記のようにわざわざクライアントさんに息を合わせてもらったりしなくても、イグニッションが起こりやすい環境を用意できるセッションの進め方があることも、その後わかりました。そのため、上記の「息を合わせてもらう方法」はさらに使う意味がなくなりましたが、「点火」が手っ取り早くどんな感じなのか体験できる学習教材としては、多少操作的であっても、このような方法が必要になることもあるんでしょうね。

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今週末から来月にかけてまたクラニオ合宿です。プロフィールや前の日記にも書いたように、私は普段は会社員で、前日までは普通に働くので、例によって実感があまりないです。多分、当日になって講座会場に入るまで実感はないと思われます…。会場もいつもの通り大阪なので、出張のような気分しかしません。せっかく関西方面に向かうのだから、時には日本庭園などを落ち着いて回りたい物ですが、京都は当然の如く素通りする対象でしかないわけでした。せめて講座の後半は1日くらい時間を取って、どこか観光でもしてから行こうと思っています…。

クラニオ講座は今回でようやく基礎教程が終わります。ここで学び始めてから4年半ばかり。クラニオと出会ってからは5年半くらい。長い道のりでした(まだ終わっていないけれど…)。途中、一体何で私はこんな事やってるんだろうなあ?と何遍も思いましたし、今もたまに思います。どちらかというと、これを身につけてこうしようという思いはあまりなくて、理屈を超えた何かに引っ張られるように否応なくやっている感じです。私自身が成長するためにやっているように思うこともあります。

そもそも、こうでもしなければ、もともとあまり人付き合いのよくない私は、深く人と関わったりすることもないでしょうからねえ。実際、クラニオをやり始めて以降、自分が人として前よりはましになったかなと思うこともありますが、クラニオを受けた影響というのも多少あるにせよ、基本的には、このような、相手がいないとやれないばかりか、他の方のデリケートな要素に時に関わらざるを得ないものだからこそ、困難に出会うこともあり、それを乗り越えることが自分の成長にも繋がっているのかなとも思ったりしています。

まあ、講座を修了しても資格を取っても、私自身も、やることもそうそう変わるわけもなく、結局は、縁のある方に今の自分にやれることを(それはクラニオに限らず、話を聞くとか、何か言ってみるとか、武術的な稽古をするなども含め)着実にやりつづける、というだけなのでしょうね。

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またクラニオの話題に戻ってきました。
できるだけ客観的に語れることの方がよさそうな気がしてきたので、まずはクラニオの非常に簡単な歴史からご紹介。以下には幾つかの技法名が出てきますが、とりあえず、以下でクラニオ技法全般をなんとなく指す場合は「クラニオ」と呼びます。


 「クラニオ」は日本でも最近は多少は名が知られつつはあるものの、正直なところ、どう考えても「有名」とは思えないワークです。だからといって、ごく最近開発されたワークなのかと思いきや、実は結構歴史があったりします。最低限形になったと思われる時期から推定すると、だいたい80~90年くらいは経っているようです。
 創始者はアメリカのオステオパス(オステオパシーという西洋整体術の施術者)のウィリアム・ガーナー・サザーランドD.O(←D.Oはオステオパスを表す称号。「ドクター」みたいなもの。)。彼は20世紀初頭の学生時代に、側頭骨の形から、頭内のひとつひとつの骨は動くのではないだろうか、というひらめきを得て、他ならぬ自分自身の身体を実験台に研究を始め、臨床の場でも実践を重ねたとのこと。
 その中で、現在でもクラニオのキーワードとなる「1次呼吸」や「ポーテンシー」「ブレスオブライフ」といった概念(ここでは詳細は省略)をもとに技法体系を整備。サザーランド氏は1930年代頃から他のオステオパスにこの技法を教え始め、亡くなる1950年代まで教え続け、また、この間に、サザーランド氏自身のクラニオ技法も少しずつ変わっていったそうです。


 詳しくは知らないのですが、オステオパスは、アメリカではただの民間療法家ではなくて、育成のための大学もあり(医学部みたいなものですね)、その卒業者は、お医者さんと同等程度の扱いを受ける権威ある称号だそうです。それゆえか、クラニオも最初は他のオステオパス達にあまり受け入れられなかったものの、一部の人々には評価を得ていき、1940年代ごろからはアメリカ各地のオステオパシーの学校にクラニオ研究コースが開設され始めたそうです。この頃の「クラニオ」はオステオパシーの一種という意味合いが強かったためか、「クラニアル・オステオパシー」と呼ばれていました。そして、今もおそらく伝統的なオステオパシーの学校ではその名称が使われているのではと思います。また、現在もサザーランドの直弟子に当たる方々の幾名かは健在だそうです。
 こうして少しずつ広まっていったクラニオですが、その技法は長年オステオパスの学校でしか教えられることはなく、オステオパス資格のない人がクラニオを学ぶ道は閉ざされていました。しかし、1970年代になって、オステオパスの1人であるアプレジャーD.Oが、オステオパス以外の普通の人にもクラニオの技術を教え始めました。アプレジャー氏の英断は多くのオステオパスからの反発も招くことになったが(武術で言うならば、秘伝の技術として大切に守ってきた稽古法を世界中にばらまいたようなものと思うので、もっともな反応ですが…)、その後クラニオが世界中に広がっていく大きな転機ともなりました。…というのが、クラニオの誕生から発展までの大まかなあらましです。ちなみに上記は日本語の数少ないクラニオの書籍「ウィズダム イン ザ ボディ」の一部を要約したものです。


 前述のような経緯で「クラニオ」のエッセンスは世界中に広まったため、現在、「クラニオ」を実施する施術者やそれを教える教室は世界中に非常にたくさんあるそうです。現在は特にアメリカやイギリスで盛んで、国によってはクラニオに保険適用がきくところもあると聞きます。現在はまさにクラニオ界の群雄割拠時代というところなのかもしれません(非常にマイナーな群雄割拠ですが…。)。私が学ぶ「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」の教程も、そのひとつなのでしょう。

 ちなみに、アプレジャー氏によって広められた技術は一般には「クラニオセイクラルセラピー」と呼ばれており、アプレジャー氏にも学んだことがある私のクラニオの先生に聞く限り、氏の伝えた方法は私が学ぶクラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは主なやり方が異なる部分もあります。そのため、アプレジャー氏が広めたわけではない「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」はまた別のきっかけで広まったはずなのですが、どのようなきっかけで世に広まり始めたのか、誰が立役者なのか、実は私はあまり判っていません(調べ方が足りないだけな気もしますが)。
 クラニオセイクラル・バイオダイナミクスはクラニオ創始者のサザーランド博士が研究を重ね、人生の後半に実施するようになった技法を体系化したもので、その体系化・理論化にはサザーランド博士の直弟子であるローリン・ベッカー氏、現在も活躍されているジム・ジェラス氏などが大きな役割を果たした、とは聞いていますが、彼らが「広めた」のかは良く判りません。
 私が学んでいるものは訓練を積んだオステオパスや医師専用ではなく、民間向けのプログラムと言えますが、ジム・ジェラス氏の教える内容はオステオパス向けで、より専門的らしいとも聞くので、民間向けプログラムの普及にあたっては、高名な誰かがムーブメントを仕掛けたというより、草の根的に徐々に広まってきたと考えるのが自然な気もします。バイオダイナミクスは技法としては比較的前(20世紀中ばくらい)から存在するが、世に広まり始めたのは少なくともアプレジャー氏のクラニオセイクラルセラピーよりは後だと思うので、1980年代~90年代くらいと、比較的最近なのかもしれません。


 現在は日本国内を見渡しても、海外から先生を招聘したり、海外でクラニオを学んだ方が講師になるなどの形で、国内でも色々な「クラニオ」が徐々に広まりつつあるようです。「クラニオ・バイオダイナミクス」に関してだけ見ても、私が学ぶ教程以外にも、バイオダイナミクス、もしくはそれに近いものを教える団体がいくつか存在するくらいなので、少なくとも私が学び始めた頃よりは少しは露出が増えている気はします。今後クラニオがどのような道を歩んでいくのかわかりませんが、私も民間向けプログラム出身とはいえ、歴史ある技法の一端に触れた身として、サザーランド博士や先達の志を受け継いで、有益な方向に活用していきたいものと思います。

◆参考文献:
「ウィズダム イン ザ ボディ」 Michael Kern著 高澤 昌宏訳 エンタプライズ出版 

※2013/10 言い回しを修正。バイオダイナミクスの歴史追加。

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先日、クラニオ講座から帰還。
盛りだくさんな内容で満足し、気持ちも引き締まったが、
学んだものの中で、ある意味パラダイムシフトだったのが
「(人の)もっとも活力のある部位から働きかける」という選択肢です。

クラニオでは「問題を除去しようとするのでなく、その人の健全さにつながる」と
これまでずっと教わってきたのですが、私も実際のセッションでは無意識のうちに
身体のうち「一番くたびれていそうな所」にわざわざ触れていたことが大半でした…。
クラニオが扱うのは身体の全体性なので、部分に触れたからといって
そこだけが変化するわけではないのですが、なかなか実施は難しいものです。

「一番活力のある場所」に触れてセッションを進めていくと、身体が深く落ち着く
(つまり自律神経の働きのバランスが十分取れる可能性があるということですね)
可能性が増したり、弱っている身体が治癒力を積み上げていく助けができるとの説明を受けました。
逆に、「くたびれていそうな場所」に触れていった場合、そこをなんとかできるだけの
活力がない身体システムはその体験に圧倒されてしまうこともあり得るそうです。
まあ、常識的に考えても、怪我をしているところに触れられるよりは、
そうでない部分に触れられた方が気持ちよい事が多いのは当たり前ですね。

このコンセプトは他の色々な場面でも適用できる例が多そうに思いました。
たとえば、自分の「欠点」らしきものを発見した時に、その「欠点」は相手にせず、
自分の「得意」や「美点」をより伸ばしていくと、結果的に欠点も強みとして生きる…などなど。
「問題を除去」という視点だと、沢山の仮想敵を生み出してしまうこともあるかもしれないが、
どんなものにも何がしかの美点があり、そこを見つめてみる…という視点も
何となく覚えておけば(常にそれをせよという事ではなく、ひとつの新たな視点として)、
何度も遭遇したような場面でも、新たな選択肢が取れるかもしれない、と思わされました。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

私のプロフィール的なものはこちら
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