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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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先月末3/30に主催者であるボディワーカーのYさんのご厚意で
「クラニオの「ニュートラル」に学ぶ」という講座を実施したので、その所感でも。


講座では、クラニオ・バイオダイナミクスで用いるスキル兼身体状態「プラクティショナーニュートラル」について黙々と紹介するつもりでしたが、色々考えた結果、直前に内容を若干追加し、何らかの伝統武術や自分で動く系のボディワークをやっている方ならどこかで聞いたことがあるような、簡単なリラックス法なども体験してもらうことにしました。

リラックスがプラクティショナーニュートラルの構成要素として必要だから、というのももちろんありますが、プラクティショナーニュートラルも、長年かけて育むクラニオの重要スキルである以上、たった1度の講座では、体験くらいはできても完璧になるとは思っていないので(他の類似スキルを何十年もやっていたりすれば別ですが)、プラクティショナーニュートラル云々を度外視しても、「日常で使えたり、自分の心身について考えるヒントを持って帰ってもらえれば」という思いから、実感が得やすそうな素材もご用意した、ともいうところです。クラニオ自体を教える講座ではないので、自分の心身に興味をより深めるきっかけとなり、クラニオと全然違うボディワークを習い始めた、などでも良いわけですし。


少し話は変わりますが、この講座では「プラクティショナーニュートラル」というかなりアバウトな対象を扱い、進行方法も、どうなれば成功・正解といった指標を示さず、方法論だけを紹介して、自分の身体で何を感じたか、と、答えを参加者の方にゆだねる部分が多いため、もしかしたら、人によっては結構「わかりづらい」部分はあるかもしれません。説明自体は出来るだけわかりやすくしているつもりですが。

しかし、個人的には、こういった身体の学びの場において、「わからない」ことは重要だと思っています。正確には、「わからない」ことに出会ったら、無理やりそれらしい答えを出してしまわずに、素直に自分の問題意識としてずっと意識の片隅に持ち続ける事が重要と思っています。身体の学びの世界では、理屈や知識を理解しても、分かったことにはならず、体感として腑に落ちる段階に来て、一応わかったと言えるような気がしていますし、まるで意味が分からなかったものが、何年もたってから、特に問題に対して何もしていないのに、いつの間にかわかるようになっている…ようなものという気もします。ただ、そうやって時間をかけて熟成するように見出した答えは自分の糧となり、自分の中の深い自信にもつながるように思うので、そうやって向き合い続けるだけの価値は十分にあると思います。

私自身、以前武術関連で遠回りした経験がありますが、素直に「わからない」より、最初に「わかったつもり」になってしまうほうが危険と感じています。なぜなら、「わかったつもり」は、自分の既存の世界観や価値観を使って対象を理解した結果であるためです。実は先生や講師は自分が全く知らない未知の世界観の存在としてその対象を紹介しているのだとしたら、それと違う自分の既存の世界観で対象を捉え続ける限り、永遠にその対象は理解できないことになります。そうやってスタートしてしまうと、なかなか自分が勘違いしていることにも気づけず、更にその「最初から間違っているスタート地点」にいろいろ積み重ねたりもして、間違いに気付いても、頭の切り替えに時間がかかったりするため、軌道修正が結構大変だったりします。まあ、痛い目に合うのも経験ですが、初めから穴があるとわかっている所にわざわざ落ちに行くこともなかろうという所です。


講座本体とは話が少しずれましたが、そういえば、先日行ったクラニオセッションでも、自分がプラクティショナーニュートラルを「わかったつもり」になっている部分があったなと感じました。私自身が講座で紹介した「クラニオのテキストに載っているプラクティショナーニュートラルの構成要素」を(自分で紹介しておきながら)、いつの間にか最近ないがしろにしている気がしたので、久々にきちんとやったら、大変有効でした。少々私自身の状態が不安定なところからのスタートだったのですが、それらはニュートラルを丁寧に構築していく役に立ちました。さすが、基礎教程のテキストの冒頭ににきっちり紹介されているだけあります。

このテキストの内容は、ほぼクラニオを始めたばかりの段階で紹介されるものですが、学び始めた段階の私には「分かりづらい」表現でした。多分、多くの学習者にとってもそうだと思います。テキストに載っている内容が比較的自在に表現できる今の段階になってみると、ありがたみが良く分かりますが、思えば、半端に武術に触れていた学習開始当時の私は、「わかりづらい」ことを良いことに、何となく自己流(わかったつもり)でプラクティショナーニュートラルを捉えようとした結果、色々迷走を繰り返した気がします。途中で壁にぶつかったことを期に自己流に陥っていることに気づき、軌道修正できましたが、それでも「最初のころに紹介された初歩のコツ」と甘く見ている部分はあったかもしれず、これは非常に役に立つ、と心から実感できたのは先日が初めてかもしれません。
形式にとらわれない試行錯誤も重要ですが、やはり基本として最初に紹介されるような内容は「わかったつもり」になるもんじゃないなと改めて思いました。講座で自分が紹介した内容を、その後自分で使って納得するというのもなんだか妙ですが、こういうことも講座をやらせてもらえなければ、結構長いこと気づかなかったかもな、と思いました。

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先日のセッションで今更ながらに姿勢の重要性を意識させられたので、今回は主に「クラニオセッションでのリラックスした姿勢」という感じのテーマでなにか書いてみます。


クラニオ・バイオダイナミクスのセッションでは、プラクティショナー(クラニオやる人)は、変化する状況に合わせた色々な対応(見た目はじっとしていますが)をするために触れている相手の身体の状態が分かる必要があり、かつ、その触れている相手の身体の情報は自分から積極的に取りに行かない、という器用なことを求められます。さらに、「受動的に触れている相手の状態を知る」と言っても、何となく座っていればいいわけでもありません。では、どうすればいいかというと、ひとつは「リラックスした姿勢を保つ」ことが必要といえます。自分の無駄な力が抜けているほど、周囲の情報は自然と入ってきやすくなるわけです(他にも恩恵は色々あります)。

まあ、言葉にすれば「リラックスしよう」ということで実に簡単ですが、先日のセッションでは、私は姿勢がやや適当で十分なリラックスができていなかった、と気付いてしまったのでした。ひとくちにリラックスといっても、あらゆる状況でをれを実現するのはなかなかに大変です。もちろん、ある程度リラックスできていないと、クラニオセッション自体が成立しないので、それまでの私もある程度リラックスはしていたと思いますが、先のセッションでは、「自分がよりリラックスできる姿勢になるために、きっちりできることをやりきっていない」部分が結構あったと感じられたのです。


先日のセッションで、リラックスが足りないと気づいたきっかけは自分の肩が上がっていることにある瞬間気付いたことです。私が知っている範囲の武術ならば「肩が上がっている」など問題外(重心が浮いて自分で自分のバランスを崩しているようなものですから)もいいところなので、思わぬ瞬間にそんな状態になっていることに気づき、中々ショックでした。もちろん、目に見えて肩が上がっているわけではありませんが、肩が緊張していると思うくらいは上がっていました。肩が緊張していれば、結果として隣り合う首や上腕にも緊張が及んでいるでしょうから、クラニオでも、プラクティショナーは基本的には相手の方に触れている手から情報を受け取りますから、肩が固まっていたら手から伝わってきた情報の多くを自分で止めている感じになってしまうわけです。

普段肩が落ちた姿勢ができていても、セッションをしている最中に思わぬことがあったり、相手に触れる時の最初の姿勢がやや適当な場合などはセッションが進むにつれて、当初の姿勢が維持できなくなりいつの間にかそうなることもあるわけですね。そして、肩が上がった状態はいかんということで、姿勢を直し始めたわけですが、そうなった時に肩を無理やり下げて止めておいたのでは、やはり緊張してしまって同じことになるので、学んでいる中国武術の姿勢を参考にし、肩回りや首の緊張が減っているかを感じつつ、背中が真っ直ぐの姿勢を取ることで、自分自身を楽な状態に持っていくことができ、セッションも良い感じに進みました。

だらっとした状態でもリラックスはできるかもしれませんが、実はきっちりとした真っ直ぐな姿勢をした方がリラックスしやすいようだ、というのは中国武術を習い始めてから実感していることです。姿勢という構造自体がしっかりと整った状態だと各部にかかる負荷は小さくなるということだと思います。そうなると結果的に肩も落ちてくるのですね。また、クラニオバイオダイナミクスのセッションでは、セッションの安定感を高めるためにこれまでも当ブログでしばしば書いている「プラクティショナーニュートラル」という状態であることも必要なので、これを実現したまま深くリラックスするには、弛緩した姿勢よりまっすぐの姿勢の方が遥かに相性が良いということもあります。クラニオ基礎教程のファイナルプロジェクト(卒業論文)からして、私は主に学習過程の側面から、執拗に武術とクラニオを結び付けようとしてきましたが、姿勢という面ではどうも本当に共通点を見出せそうな感じです。


ちなみに、私は床でのセッション(布団に寝ている人に触れるなど)は可能かなぎりやらない派なのですが、その理由の1つは、床だと、ここまで書いてきたような「リラックスしつつも真っ直ぐな姿勢」が非常にとりづらいからです。人に触れずに床に座っていてリラックス、ということならまあできそうなものですが、私にとっては、少なくとも横になっている人の身体の同じ場所に十数分触れ続け、かつリラックスしていることはなかなか厳しいものがあります。先程も書いたように、ひとりで座っているだけならリラックスできても、リラックスを維持したまま何かをしようとするとそれは崩れてしまうわけですね。私はそれなりに身長があるので、地面に座って深くかがむような姿勢になるのは平均的な身長の方よりも辛いということもあるのかもしれません。

もちろん、私としても、ベッドに上がれない方など、どうしても必要であれば床でのセッションも行いますし、相手の方の肩や足、うつ伏せになってもらって背中に触れるなど、ごく一部のポジションならできないこともなく、クラニオとして起こるべきことも起こりますが、ベッドの上に寝てもらってセッションする時よりは、だいぶセッションの質が落ちてしまうなという思いがあります。床でのセッションを否定するものでは全くありませんが、私個人としては、姿勢の精度を保ちがたい、リラックスが難しいという理由から、できる限りベッドを使ったセッションを行いたい思いがあるということです。「正座して足が痛いんだけど、セッションまだ終わらないかな…」などとセッション中にプラクティショナーが思っているようでは、クラニオセッションとしては少々微妙ですしねえ。

まあ、日本の伝統的な書さを本格的に身に着けて正座等に熟達し、正座を保って前傾したまま静止できるとか、あるいは逆に、見た目の姿勢は一見だらっとしているのだが、実は意識がきっちり明晰に保たれているといった、内外の印象が矛盾するような姿勢に慣れれば、何とかなるのかもしれませんが、何にせよ今の私が「床で納得できる質のセッションをするのに適した姿勢」を見出すには、少々研究が必要そうです。


何か色々混ざってしまいました…。まあ、姿勢姿勢書いてはきましたが、このブログでしばしば書いているように、クラニオセッションは「プラクティショナーがクライアントさんにやる」のではなく、「クライアントさんの身体が自ら行うことのサポートをする」ものなので、どんなにプラクティショナーの姿勢が武術の達人並に完璧であったとしても、プラクティショナーにできることは非常に目立たない部分であることは確かです。

それでも、クライアントさんをどれだけ的確にサポートできるか(下手だったら逆に邪魔してしまうこともあるかもしれないですね)はプラクティショナーの経験によって差が出てくる部分であり、そこにクラニオの目に見え難い技術があるのだとも思います。クラニオ・バイオダイナミクスのセッションでは、深い意識状態に入ることが多いということもあり、プラクティショナーの状態は受ける人にもかなりの影響を及ぼすため、プラクティショナーが良い姿勢を取ったりすることで結果的にリラックスし、可能な限り安定感の高い状態を保つことは、それだけで受ける方を安心させ、的確にセッションの展開をサポートできる可能性を高めることになると思っています。また、意識の置き方などに比べれば、姿勢は目にも見えて自分でも対応しやすい部分だけに、今後も色々改善の余地がありそうだな、とも思わされました。

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先日突然語りたくなったので、ツイッターでおもむろに「内観」についての自分の見解を呟きました。個人的には、「内観」は身体の状態を体感を通じてリアルタイムに把握することで他のことを行いながらでも、意識の片隅で同時にできることだと思っている…と書いたのですが、もちろん、何かをしながらではなく、深くしっかり感じることに集中するやり方があることも十分理解していますし、こういったやり方から学ぶものは大いにあると思います。色々な身体技法ごとに精妙な方法が伝わっていそうです…。

そんなことを考えていたら、クラニオ・バイオダイナミクスにも、似たようなものがあったことを思い出しました。「小魚のツアー」と呼ばれているワークです。これはクラニオ創始者のサザーランド博士自身が学生の学習素材として考えたもののようです。ワークとか学習素材とか書いていますが、そんなに深刻なものではなく、楽しみながらできる内容です。こういうところは変に苦行めいていなくて西洋の方の発想は力が抜けていていいな、と思います。


肝心の内容は、脳の解剖学を体感で学ぼうとするものです。脳の一番内側には脳室という空間があり、クラニオでよく話に出てくる脳脊髄液というのはこの脳室の脈絡叢という器官から産生され、循環しています。以下のYouTube動画に脳脊髄液(CSF)が通る順に各脳室(~ventricle)が紹介されていますが

「小魚のツアー」では、自分が小魚になったつもりで、自分自身の脳室や周囲の空間を上記の動画みたいな脳脊髄液の流れに乗ったり逆流したりしながら探索し、脳室の構造を学ぶわけです(各部の名称などの知識としてはセミナー1くらいでもある程度学んでいるので、「体感としての学び」が主という感じです)。といっても、1人でやるのはなかなか大変なので、先生のガイドに従って、1つ1つの空間をゆっくり回ります(正確には回ったつもりになるというところです)。結構長丁場(30分くらい)なので休憩などもあります。基礎教程ではセミナー5でこのワークが紹介されました。

普段まったく自分のからだを感じることのない方がうまくできるかは分かりませんが、少なくとも、セミナー5くらいまでクラニオの経験を積んだ人が行う分には気持ちよさが体感できるワークです。そして、初めてやると非常に高確率で途中で寝ます。このツアーの間、最後まで意識を保ったままでいられたら自分の意識のコントロールの腕前が上がった証拠といえるかもしれませんが、それでも眠い時にやったら確実に寝てしまうと思います。
ちなみに、先生はこのワークを我々が家に帰ってからでもやれるようにと、セミナー5で実際にガイドしてくれた際の音声を録音し、その音声ファイルをくれたのですが、久々に聴いてみたら、誰かのいびきの音なども録音されていました。多分私ではないはず…。

このように、クラニオにも自分で身体の内側をじっくり感じるようなワークがあります。この記事を書いていて、1人ではやれることが限られるクラニオの学習体系の中で、このワークは貴重な「クラニオ1人稽古素材」なのではないか、という気がしてきたのですが、その割に私は家に帰ってから2回くらいしか聴いていないので、この日記で存在を思い出したこともあるし、もうちょっとやってみようと思います…。


内観というと、たぶん、その語感から何となく禅や瞑想のようなイメージ(これらにも色々な方法があり、自己の内側に集中するものだけではないと思います)を持たれがちなのだと思いますが、私が想定する「内観」はまさしく、この「小魚のワーク」に近いイメージです。これは観るのが脳の中身で、結構な集中力を要するため、ほぼ他のことは同時にできませんが、「身体(や身体に起きている何らかの働き)の状態を体感を通じてリアルタイムに把握」という私が先ほど述べた特徴はよく表れていると思います。

ちなみに、「内観」の定義についてですが、これはもうワークごとや人それぞれで全然使う意味が違っている気がするので、どれが正しいってものでもないでしょうし、ましてや統一見解を決めるなんてことは面倒すぎてとてもやる気になりません…。とりあえず、人それぞれということで、その語を使った時に、意図がある程度正確に伝わるように「私が言ってる「内観」というのはこういう意味だ」とどこかで説明して、そういうものとして使えば十分かなと思います。

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私にしては珍しく、先週に続いて今週もクラニオセッションをする機会があり、やはり身体は偉大な智慧を持っているものだと感動しました。受けていただいた方がクラニオを学ばれており、すぐれた身体感覚をお持ちだったこともあるのだと思います。

守秘義務もあるので、詳細な記述は避けますが、セッション中に、「触れる部位を身体が自ら教えてくれる」ことが起きたのが、そう感じたきっかけです。私の場合、これまでも触れる部位は理屈優先でうんうん考えるのではなく、受ける方の身体の変化を身体で感じ、その情報をもとに直観的に決定してきたわけですが、今回のセッション中の出来事は「私の判断」を超えて、こちらの対応の結果、受ける方の身体自身が選択してくれた感じがあり、これまでよりももっと、身体の知恵を信頼してもよいと思える内容でした。


クラニオ術者の状態と対応力が適切なら、「何となく全体に触れる」でも有効と思いますし、そういった路線のセッションも突き詰めていけば十分精密なものになると思います。と同時に、個人的には、少し前に書いたように、「肉体の特定部位を中心に全体に働きかけ」た方がもっと良い状況というのはあると思うようになってきたこともあり、また、せっかくしかるべき技術を時間をかけて伝えてもらっている人間としては、そこそこで満足せずその辺りの精度を詰めてセッションをより良いものにしていきたいという思いもあるわけです。

とはいえ、この部位がゆがんでいるからこうすればいいはずだ、という思考優先路線でセッションを行うとクラニオバイオダイナミクスの原理からは外れそう(あくまでクラニオバイオダイナミクスとしてのセッション精度を保つにはいかがなものか、という個人的見解で、そういう方法を取る技術を批判しているわけではありません)ですし、思考や判断を使わずに細かい部位にどんなタイミングで触れていいものなのか、それが分かったとして全体性を失わずにうまく働きかけていけるのだろうか、と二の足を踏んでいたところもあったのですが、今回のセッションで感じた「身体が自ら教えてくれる」はその問題意識に対する1つの回答だったように思います。


なお、これに付け加えるならば「しっかりと適切に耳を傾ければ、身体が教えてくれる」というのがより正確なところです。「しっかりと適切に耳を傾ける」というのは、(少なくとも私にとっては)精神論や気分ではなくて、多分これまでも書いてきたように、意識や姿勢を適切に保つことによって、受動的に(かつ受ける方を放置せずに)身体の声を聴きつづけることです。
これに関してはアナログな感じの「身体の声を聴く」という表現がしっくりきていて、「情報を受け取る」というとちょっと違うかなという感じです。この態度は講座の初期に紹介されるクラニオ・バイオダイナミクスの基本姿勢といえるものですが、その重要性が今になって骨身にしみて理解できてきた気がします。…ちなみに、これに関しても、あくまでクラニオバイオダイナミクスの話で、例えば、「身体に対して積極的に語りかけて反応をみる」タイプの技術を批判する意図は全くなく、その技術にはクラニオと別の良さがあるに違いないと私が思っていることはしつこくお断りしておきます。

ちなみに、ここに限らず「適切に対応」とかアバウトな表現をしていますが、これが具体的にどういう状態なのかはなかなかに表現しづらいものがあります。もう少し経験を積めば、その一部くらいは表現できるかもしれませんが、書くことで重要な要素が逆に抜け落ちてしまう可能性もありますし、そもそもこれは年月とセッションを重ねて体で覚えるしかないことのようにも思います。また、一度身についてもどんどんその対応精度は向上していくものとも感じるので、できるできないというくくりでも語りにくい要素です。
そういえば、今回のセッションでは、いろいろ説明をしている時、何となく先生が講義をしているのと似たような風情で自分が話そうとしているなと気付いて意外に思ったので(講義で特に先生の真似をしようとかは思っていないはずなのですが)、こういうものに関しては、案外先生から無意識に伝わってる部分もあるのかもしれないと思いました。

最後は例によってだんだん脱線してきましたが、今回のセッションも色々と個人的に得るものが多くあり、クラニオ分野のクリスマスプレゼントという感じでした。ありがたい限りです。


…ちなみに、多分これが今年の「たぶんクラニオブログ」最後の記事になると思われますが、来年は何やら色々動き出しそうな気配があり、夏ごろにクラニオも参加する、からだ関連のビッグなイベント(私も協力予定)が計画されている他、秋からはICSB講座が新たな体制で活動を開始するらしい、という情報も流れてきつつあります。
どちらも主催者から正式告知をもらっていないので、詳細は伏せておきますが、来年は日本のICSBクラニオ関係者にとっても、私のクラニオ活動にとっても大きな転機になりそうな予感がしています。(ちなみに全然関係ないですが、私が所属する中国武術教室でも来年は大きなイベントがあったりするので、個人的に来年はすごく楽しみです)詳細が分かったらこのブログでも告知していきますので、楽しみに(?)お待ちください。

それでは、まだクリスマス中で少々気は早いですが、皆様良いお年を。

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会社員兼業ということもあり、あまりクラニオセッションを頻繁にやっていない私ですが、先週は珍しくセッションを2回実施しました。決定までいくつかのドラマがあり、1名は私と同じ会社に勤める方で(私の場合、身体について何か学んでいたり、身体に強い関心がある方にセッションすることが多いので、ごく普通の方にセッションするのは久しぶりです)、1名は諸般の都合により、先日のニュートラル講座でお世話になったYさんにわざわざ募集して頂いた方でした。Yさんありがとうございました。

セッションそのものも、どちらもバタバタした直後にやったにも関わらず、割とよくできたかなと思いましたが、セッションしたお二人と話す中でも色々と学ぶところがありました。私のクラニオに関する説明は、妙な部分が細かい割に、肝心なところがどうも大雑把な傾向があったようです。それに関して印象深いやりとりがいくつかありました。


1つめはクラニオ・バイオダイナミクスの術者が何をやっているのかを説明しようとした時、「術者は何もしていない」という(これまでたまにしてきた)説明は違うよなと思ったことです。初めて受ける方に何もしないという説明はいかがなものか、と自分で思ったので、瞬間的に「術者が静かな環境を用意することで受ける方のからだは自ら調整を始めるので、その調整が適切に行われるよう、手の置き方や意識を微細にコントロールし続けている。」「見た目は動いていないように見えるけれど、受ける方の身体の変化に対応し続けている」と言い直しました。やや哲学的な表現ではありますが、少なくとも「なにもしない」よりははるかに納得いただけたようです。

実際、ただぼんやり人に触れていただけではクラニオのセッションとは言えないと個人的には思いますし、セッション中にやっていることを振り返ってみると、触れている身体の組織の動きなどを積極的に拡張させたりはしないですが、静けさを保ちつつも、身体からの情報を受け取って意識を広げたり、自分の身体の状態をチェックしたり、強めに相手に意識を向けそうになったらニュートラルを維持しなおしたりと、リアルタイムでかなり色々なことをやっているのは事実です。「ただ静かに座っている」という説明だと謎めいていてかっこいいですが、どうもその説明では正確に現状を表していない気がしますし、説明される側が普通のサラリーマンの場合、即座にびびられてしまうかもしれません。

私のクラニオの先生は「わざが深まれば「ただ静かに座るだけ」のようになるかもしれない」みたいなことを以前話されていましたが、これも厳密にはただ座っているだけなのではなくて、現在私が自分に行っている様々なコントロールの操作感が限りなくゼロに近くなっているだけで、実際は身体や意識は無意識に最適選択肢を選び続けており、本当の意味で「なにもしていない」わけではないような気もします。これは想像で、実際にその段階に至らないとどんな感じなのか分からないことでしょうけども、なんとなくそんなことを思いました。


2つめは、私もしばしば書いている「クラニオバイオダイナミクスでは相手に介入しない」という表現についてで、これは「能動的に相手の身体をコントロールしない」だけで、「術者が相手に影響を与えていない」わけではあるまい、と思いなおしました。
「相手に介入しない」というのは、クラニオ・バイオダイナミクスの大きな特徴ともいえ、私も誇りとしているポリシーですが、よくよく考えてみれば、自分自身がニュートラルになることや触れる場所を決めることで、受ける方を結果的にリードしているのは確かで、「影響を与えようとしていない」にせよ、実際はなんだかんだで「結果的に影響を与えてる」のは否定しようがないところです。
また、クラニオセッションを経験しない限り、このセッション独特の体感は日常生活でまず感じることはないと思うので、その変化そのものは「受け手の方のからだが自分でやったこと」であるにしても、クラニオセッションというきっかけが何らかの影響を及ぼしていることは否定できません。だからまあ、クラニオセッションでは「相手の身体に良い変化が起きやすい選択肢を与えている」みたいな表現の方が正確なのかもしれないですね。

そもそも、誰かに影響を全く与えない…なんてことは、人間が肉体を持って存在している以上、なにをどうやっても不可能なことという気もしてきました。誰かを無視することでも、誰かのそばに立っているだけでもそれだけで相手に容易に何らかの影響を与えるでしょうし、山奥で世捨て人になったつもりの人も、生物に備わった「同調」「共振」の機能で、ふとした瞬間に自分の意念が遠くのどこかの誰かに伝わってしまうことだってある気もします。人がひと呼吸するだけで、大気の状態に物凄く微妙な変動を及ぼし、その大気の状態を地球人全員が共有してるんだとしたら、何をどうやっても他の人との関係は切れないんだ、なんて屁理屈も言えるかもしれません。

ともかく、他者に影響を与えないなんてことはできないのだとしたら、なおのこと、「クラニオにおける非介入」と呼ばれている範囲はどこまでなのか、術者がどうすれば、もしくは、どこまで余計なことをしなければ、より良いセッションになるのか、などをもう少しゆるく考えることはできそうです。いずれにせよ、自分自身の「クラニオにおける非介入」に対する認識は少し改めてもよい気がしました。


…だんだん脱線してきましたが、セッション2つでも本当にいろいろなことが学べるものだと思いました。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

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