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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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クラニオ・バイオダイナミクス(以下クラニオ)はそれ自体でほぼ完結した技法体系と言えますが、やはりやっていると弱点というか難点もあります。今回はそれらの難点から考えてみます。

1点目は、時間がかかること。まともにやると1時間、ポジションを減らしても40分くらいは標準的にかかります。事前事後の会話などを含めれば実質1~2時間かかると思われます。そんなわけで、多人数に効率的にやることは向いていないという悲しさです。なんだかクラニオが普及しづらいのが分かる気も…。

2点目は、人によってはセッションで起こったことが分かりづらい場合があること。最近はあまりありませんが、人によっては「寝た、起きた」「良く判らなかった」という感想の場合もありました。私は受ける側としても何も感じなかったことは基本的になかったこともあり、「わからない」という感想が具体的にどういった体感だったのか(本当に何も起きていないのか、なにかを感じたが言葉にできないのか、何かを感じたが予測と違ったのか、あるいは何か起きたがそれを認識できなかったのか、など)その方々から聴きだせなかったのですが、ボディワーク全体で見れば、クラニオは地な体感をともないやすい技法だというのは分かる気はします。また、何か心地よさを感じられたり、なにか良いと感じても、かなり独特の体感なので、それを言葉に表現するのが難しい、という点も欠点なのかもしれません。


今回の震災もあって考えたのですが、もしクラニオを例えば避難所のような場所で、緊急処置的に大勢の人にやろうと思ったとしても、正規の手順を踏んでいたら、時間がかかりすぎて到底大勢には実施できないのでは、とも思いました。明らかにもの凄く少ない人数しか受けらなそうです。
そんなわけで、もし大勢にやろうと思うならば、形は崩して、それでいて原則からは極端には離れない程度の「簡易版」を行うとしたら、それにはどんなバリエーションがあるだろうかと少し考えてみました。できれば、体感も得られる方が良いという方向で。

◆案1
大勢にやる案1としては、統合のためのポジションとして主に使われる「足」のポジションだけ行う方法があるかなと思いました。身体の局部の変化ではなく、「身体システム全体の緩やかな変化と自然な落ち着き」を期待するには、数分では足りないにせよ、身体の都合次第とはいえ、15~20分くらいあれば何とか形になる気がします。少なくとも30分以内にはなにか実感が得られるくらいのことは起こりやすいのでは、と思います。
主にCRIにフォーカスするメカニカル度が高いクラニオならば、より短時間でまとめる手法があると思いますが(これはメカニカルなクラニオの強みと言えます)、バイオダイナミクスの場合は受ける方の身体の都合次第なので、上記に記載した以上の時間短縮は難しいかな、と思います。

◆案2
案2として考えたのが、背中や腕などを軽くマッサージし、しかる後に「足」のポジションで落ち着いていくという方法です。クラニオを共に学ぶ同期もこういう方法でやることがあるみたいです。これだと、身体に軽い刺激を与えておいて、それをできるだけ穏やかにまとめていくような形になるので、多少実感もあって良いかも知れません。
ただ、所用時間は「足」だけではないので、そこそこかかりそうです。あとは、私自身も含め、クラニオの術者がマッサージを習ったことはない場合も多いと思われるので、納得できるようなマッサージができるかや、何と言って紹介すればいいのかなどに困難さを感じそうです(「簡易マッサージ+簡易クラニオ」などでしょうか?)。

他には、短時間で終わらせられる他のボディワークやエネルギーワークの後に、「まとめ」「統合」として「足」ポジションを補助的に使うといった余地もあるのかも知れませんが、組み合わせの相性などもあるかもしれないので、何と合体させても良いという事にはならないのかもしれません。

◆まとめ
…と、考えてみましたが、今の私の頭ではこんな感じの案しか思いつきませんね。短時間で多くの人にやるという機会自体があるのかは非常に謎ですが、とりあえず考えるだけ考えてみました、というところです。


追記 2013/10 言い回し修正。なお、2013年夏のイベントで比較的短時間でクラニオを何名かの方に実施する機会があり、30分あれば結構色々実感してもらえる事は判りました。この記事を書いた時は単なる思い付きを書いただけでしたが、考えておいて悪いことはなかったようです。

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◆プラクティショナーニュートラル
プラクティショナーニュートラルというのは、文字通りクラニオセイクラル・バイオダイナミクス(以下クラニオ)のプラクティショナー(クラニオをやる側の人)の安定した(ニュートラルな)状態を示す言葉です。クラニオバイオダイナミクスのセッションでは非常に重要です。
プラクティショナーニュートラルは具体的な形のあるものではなく、「身体状態」というところで、それ自体は結構曖昧な概念です。大雑把に言うと「偏りのない視点を持ったまま非常に安定している身体状態」という感じでしょうか。

◆展開方法
ニュートラルというだけあって、学び初めの頃は自分の中心線(というか背骨ですね)を意識するとか、自分の足や地面をしっかり意識するとか、まっすぐの姿勢で座って、自分の肘はしっかりベッドにつけて安定させるとか、「形」から入る部分が結構あります。これらのこつは「プラクティショナーファルクラム(ファルクラムは支点の意味)」とも呼ばれたりします。
このように、自分が安定してリラックスした状態になれる姿勢をまず作り、その上で、クライアント(クラニオ受ける人)に意識が集中しすぎないように気をつけつづけることで、プラクティショナーニュートラルは自然に身についてきます。まあ、プラクティショナーニュートラル自体が一個の技のようなものですから、一朝一夕では身につけ難い部分はあると思います。
ここまで色々な事をひとつずつやるのは最初のうちで、慣れてくると、少し自分の姿勢と意識の位置を動かす程度で、ほとんどどこでもできるようになります。もっとも、このプラクティショナーニュートラルにも、他の多くの技術と同じく熟練度や段階があります。私が知っている体感より深いプラクティショナーニュートラルもあるだろうし、どんな場面でも無理なくプラクティショナーニュートラルを展開することにも経験が必要となります。

◆どんな感じか
プラクティショナーニュートラルを展開すると、自分の体感としては、視野が広くなり、自分の意識は周囲から一歩引いた感じとなり、客観的に周囲が見られるように感じられます。自分の全身も局部だけでなく全体が同時になんとなく感じられます。リラックスしているがぼんやりもせず、落ち着いてもいる感じです。いま目に見えているもののどれにも肩入れせずに「ただ見ている」「ただそこにいる」感じです。
…まあ、これは調子がいいときの状態ですが。

◆セッションでは
このプラクティショナーニュートラルの状態を保ったまま、クライアントに触れつづけることが、クラニオのセッションでは必要です。前述のようにプラクティショナーニュートラルという状態に「なること」にもこつが必要なわけですが、プラクティショナーニュートラルで「あり続ける」こと自体もひとつの技といったところでしょうか。

なぜプラクティショナーニュートラルのまま触れつづけるのが重要かというと、前の記事でたびたび書いているように、クラニオでは「クライアントの身体が変化する過程でプラクティショナーの意図を押しつけない」ことが原則なためです。
プラクティショナー自身がどこか特定の方向に意識を長時間おいている場合、クライアントもその方向に影響を受けてしまいます。例えば、クライアントが右方向ばかりを意識していると、クライアントの身体は本来右に変化する必要がなくても、プラクティショナーが意識する方向に気を取られ、本来できるはずの身体の変化が十分にできないかもしれません。
つまり、プラクティショナーの「視点に偏りの少ない中立的な身体状態であり続ける」という態度そのものが、クライアントの身体が必要な変化を起こしやすくなる環境を作りだす…という風に考えられているわけです。

◆リアルタイムに対応してます
もちろん、常時完璧にプラクティショナーニュートラルの状態でいるのは困難なことです。プラクティショナーニュートラルを一度展開しても、プラクティショナーも人間ですから、数分くらいも経てば(場合によっては数十秒で)気が散ったり、自分の思考が入ったりして、プラクティショナーニュートラルの状態が崩れてしまうことは普通にあります。
そんなわけで、セッション中は、プラクティショナーニュートラルが崩れるたびに、プラクティショナーはそれを展開し直し、常に安定した身体状態を更新しつづけているわけです。これも例によって、見た目からはほとんど見えない変化です。プラクティショナーがただじっと座っているように見える中にも色々なドラマがあるわけです。

◆本来は応用範囲が広いはずなのだが
このように、プラクティショナーニュートラルは身体感覚の類なので、上記では少し分かりづらい点があるかと思いますが、このプラクティショナーニュートラルの感覚は、手っ取り早く落ち着く必要があるときや、頭が煮詰まっているように感じられたときなど、クラニオセッション以外のあらゆる場面において非常に有効と個人的には思っています。

この体感が身についていれば、色々助けになるのではと思うので、いずれ、なんとかほかの人にも具体的に分かりやすく伝えることができたらとも思うのですが、この記事の文章表現のようすでは、それにはもう少し時間がかかりそうですな…。

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またクラニオ・バイオダイナミクスの基本的な概念についての話に戻ります。今回はクラニオのセッションのだいたいの組み立て方について。

クラニオについて、このブログでは「触れてじっとしているだけ」などと良く書いていますが、一応ボディワークの技術体系なので、ある程度手順はあります。「触れてじっとしている」を何回か繰り返すその流れみたいなものともいえます。
クラニオ・バイオダイナミクスのセッションはだいたい以下のような手順で進みます。もっともこれは「私が習った教程では」ということで、バイオダイナミクス派でも、少し違う進め方のところはあるかも知れず、絶対というわけでもありません。

1.
クライアントさん(受ける人)の話を聞きます。体調や世間話、クラニオについて知らない方にはクラニオの簡単な説明などもしたり。まあ、普通のことですね。

2.
クライアントさんにはベッドに横になってもらいます。プラクティショナー(やる人)は距離を取って静かに待ちます。この時、プラクティショナーはクライアントさんとの適切な距離感を感じたり、自分自身が十分落ち着いたり、実際に身体に触れる前の準備をします。ここでクライアントさんに幾つか今感じている身体の状態を聞く場合もあります。

3.
頭など敏感な場所にいきなり触れると、ショックが大きかったり落ち着かなかったりするので、クライアントさんにとって抵抗がなさそうな部位(肩、身体の側面、足など)に触れます。私が学ぶ教程では身体の側面(「右肩と右膝」など)に触れる事が多いです。身体全体をなんとなく把握できる感じがあるので、個人的にもよく側面から開始します。

4.
プラクティショナーはそのままじっとしています。身体全体のリズムが十分に落ち着くのを待ちます。

5.
プラクティショナーは移動して、「気になる部位」に触れます。何となくここに触れると良さそうだという、ある種の勘で決めます。決定にはある程度慣れも必要です。プラクティショナーが初心者の頃は「身体の停滞感がありそうな場所」に触れてみたりもしますが、実際は必ずしも、クライアントさんが「問題(痛みとか歪みとか)を感じる部分」に触れるとは限りません。逆に、「特に身体の中で元気がある」と感じられる部位に触れることもしばしばです。

「問題を感じる箇所」に必ずしも触れないのは、クラニオバイオダイナミクスが「身体システム全体のバランスが整うのを助ける(「ひたすら整いやすい環境を用意して待っている」ので、「整える」とも違う)」方針でセッションを進めるためです。バランスが取れた結果として問題も解決することを目指しているともいえます。

これは例えば、ある身体の歪みだけをなくしても、その歪みは身体全体としっかり結びついたものでもあるので、全体のバランスが変わらないとまた元に戻ってしまうということもあります。また、問題だろうと思った歪みでも、無理やり変えようとすれば、それに身体が抵抗することもあります。身体全体にとって無理のないように変容を促していくのがクラニオの特徴です。

触れる場所は、「そこに触れる事で特に身体全体の調整作用が適切に働いてくれそうだから」という基準で決まる、と考えても良いかと思います。

6.
触れる場所が決まったら、ここでもやる側はじっと長時間触れます。なお、「気になる場所」が何カ所かある場合は、複数箇所に触れる場合もありますが、せいぜい2,3箇所です。変化が大きすぎると大変なので、1度のセッションでむやみやたらと多くの部位に触れる事はないです。この段階では、プラクティショナーは、クライアントさんの身体が自ら整う様子に気づきつつ、静かに待ちます。

7.
最後に、クライアントさんが落ち着ける場所に触れます。主に足か仙骨であることが多いです。ここでも触れる場所が決まったら、プラクティショナーは触れながらしばらくじっと待ちます。それらの部位に触れることで、身体全体のシステムがセッション中に起きた変化を整理し、日常生活にしっかり戻れるように助けます。

8.
これで終了です。セッションを受けたクライアントさんは眠い場合が多いので、起き上がれるようになるまで待ったり、足を軽くマッサージしたりします。起きられるようになったら、セッションの総括などを話します。

…こんな感じです。ひとくちに「じっとしている」といっても、セッションの進行具合によって、それぞれ多少意味あいが違う、ということですね。まあ、見た目は同じなわけですが。

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◆トラウマワークの非常時の対応
 今回の一連の地震を受け、11日にクラニオの先輩からトラウマワークの「非常時の対応」として送られてきた文章があったので、それを私のほうで若干表現を修正して、ツイッターに転載しました。内容は以下の通りです。

1.まずは自分自身から始めましょう。
 今はまだ地震直後であり、アドレナリンが噴出している時です。こういう時は何かをしたくてたまらなくなりますが、まずはその自分自身の感覚をトラッキング(追跡)しましょう。そして自分自身が安心できる状態・サポートを最初に求めてください。

2. テレビの映像を見過ぎない
 テレビで繰り返し流される悲惨な映像は、強い吸引力を持ちます。人によっては催眠にかけられたようにテレビの前から動けなくなる人もいるでしょう。こうした映像に何度も何度も自分をさらすことは、あなたのためにならないことがあります。
(追記:より正確には、「刺激の強い映像情報の触れすぎに注意」というところです)

3.サポート
 まず必要なのは、身の安全を確保することです。避難場所、食べ物、人々が安全かどうかのチェックを優先しましょう。そして非常時に最も大切なのは、仲間やコミュニティからのサポートです。コミュニティは非常に大切です。もし集まれる仲間がいれば、集まってサポートをし合いましょう。

 これは「ソマテック・エクスペリエンス」という心理学ベースのトラウマセラピーのコミュニティによせられた内容とのことです。前にも書いたとおり、このワークのいくつかの方針は私が習うクラニオ教程にも取り入れられています。
 で、載せてみたはいいが、特に2は、ちと表現がストレートな部分もあるので、若干誤解を招きやすかった部分もあったみたいです。私としては、意味が分かって役に立てられる人が役に立ててくれれば良いと思うので、どう解釈されても、それはそれで構わないのですが、一応本来の意図は明瞭にした方が良いとも思うので、今回はこれの補足説明などしてみます。なお、私自身はソマテック・エクスペリエンスの専門家ではないので、実際は私が書いた内容と少し意味が違っていたり、もっと別の意味が含まれている可能性もあることはお断りしておきます。

◆全体まとめ
 まず、1~3をまとめて言うと、「災害の経験は人間の神経系に大きな興奮をもたらし、なにかしなければ!という思いも誘発する。しかし、そこで、多くの刺激(ここでは、災害の経験そのもの、周囲の人の様子、あらゆる媒体を通じて流れる多くの被災情報など)に触れすぎると、人によっては自律神経系にキャパシティ以上の負荷がかかり、かえって混乱したり、状況に圧倒されて動けなくなってしまう恐れもある。
なので、まずは、1,3で言うように、自分が安心できるように深呼吸でもしてみたり、仲間や家族と連絡が取れるなら励まし合ったりして、ある程度自分が落ち着こう!」…ということですかね。
 その際に2のような、刺激の強い情報を控えめにした方が落ち着きやすい人「も」いる、ということです。ある程度落ち着いた状態なら、すばやい行動もしやすく、色々な災害情報も判断しやすいというものです。

 2で映像について特に書いてあるのは、映像の効果で潜在意識に何か影響があるとか、悲惨な映像がなんとなくマイナス思考を誘発するといった意図ではないです(そういう考えもありだとは思います)。生々しい映像情報は、単純に自律神経系に対して、刺激としての影響力が大きい、という意味です。…というところで、以前も書いたんですが、自律神経系と刺激の関係についてもう一度書いてみます。

◆過活性とは
 人の自律神経系は各種の刺激を受けると「活性化」し、「逃げなきゃ」とか、肉体がすばやくアクションできるモードに入ります。これは生きるために必要な反応です。そして、「活性化」は危機を乗り越えたりして、必要がなくなれば元に戻ります。

 ただ、自律神経系にはキャパシティがあって、あまりに大量の刺激に晒されたり、圧倒的な質量の刺激に晒されたりして、キャパシティを超えてあまりにも活性化しすぎると(自律神経系の「過活性」と呼ばれています)、ささいなことに過敏に反応してしまったり、動けなくなったり(たとえば、パニックのような状態など)、正常な判断ができにくくなることもあります。
 この自律神経系のキャパシティは、休息などにより神経系がリラックスできるとまた元に戻るので、過活性も通常は時間が経てば解消しますが、その間判断力が低下するので、状況に応じた迅速な対応ができることが望ましい危急時においては、ならずにすむなら、ならないほうがいい、というのは確かではあります。
 なお、「過活性」は「火事場の馬鹿力」とは別です。そういう力を出すには、おそらく心身が完璧に統一されるようなある種の強力な集注感が必要で、重心が浮いて、自分自身が落ち着けないような過活性状態では多分出ません。

◆トラウマ化
 また、これに関してもう一つ問題なのが、「活性化状態の常態化(「トラウマ化」と呼ばれています)」です。あまりにも過活性状態を誘発するような状況が連続すると、実際の災害が終わっても自律神経系が活性化したままになり、ちょっとした刺激に過敏に反応するような状態になることもあります。これは、上記の「過活性」が常時起きているということなので、日常生活に影響が結構あります。

 過敏状態であるが故に、ささいなことで身近な人に激しくあたってしまって、自分自身がますます傷ついたり、という負の連鎖につながることもありますし、過ごし方によっては何年も続いてしまうこともあるので、ものによっては結構深刻です。帰還兵や大事故にあった方がその後も既に過ぎた経験に悩まされる、という例はしばしば聞きますよね。そういう深刻な状況でも、上手に過ごせば自然解消するだろうし、効率的に解消するためにサイコセラピーや色んなワークがあるわけなので、解消自体は可能と思いますが、その間しんどいとは思うので、これも避けられるなら避けたいですよね。

◆つまり
 1~3はそういった状態にできるだけなりにくくしたり、もしなっても、できるだけ短時間で復帰しやすくなるためのこつ、ということです。なお、2に関しては、自律神経系のキャパシティや刺激への耐性には個人差があるので、刺激の強い映像を観ても平気な人は平気でしょうし、必要な災害情報が全くないと困りますので、当然ながら、テレビは絶対観るなという意味でもないです(ここで言わんでも2の文面から分かると思いますが)。
 また、これは「災害のほぼ直後」という状況での話で、ある程度状況が落ち着いてからは、自律神経系も(地震の体験という刺激はある程度解消されており)キャパシティに余裕がある状態でしょうから、少々刺激的な映像を見たくらいでは目だった影響が全くないことも多いでしょう。そもそも、状況が落ち着けば生々しい映像自体も減るわけで。

 冒頭のまとめで述べたことと重なりますが、要は、災害直後に、強い刺激への耐性があまりない子供や、特に弱っている人や、敏感になっている人(別の言い方をすれば自律神経系のキャパシティがもともと少ない人や、いっぱいになりかかっている人)が影響力の高い映像などの刺激に釘付けになって、過活性状態を起こし、無力感からますます混乱してしまったり、避難などの動くべき時に動けなくなってしまうような事態を防ごう、ということですね。
 そして、そのような状況では、情報の収集も大事だが、自分自身が仲間と協力し合って安全を確保し、しっかりとおちついて冷静な判断力をもって動ける状況になることが最優先、というわけです。まあ、これは日常の情報の扱い方でも共通かも知れませんが。

 良く漫画などで、小さい子供や繊細そうな女性キャラが悲惨なシーンや残酷なシーンを目の当たりにしそうになった時に、漢気溢れるキャラが「見るな!」と言ってそのキャラの目をふさいだりしますが、これもジェントルマンとしての道義的意味合いの他に、上記のような(トラウマ化や過活性の影響を最小限にする)意味も潜在的に含まれた対応とも解釈できるかも知れないですね。

※3/26追記:
本文では「過活性」の例として、分かりやすい「興奮しやすい状態」を挙げていますが、
過活性には「何もできないくらいもの凄く無気力」という状態もあります。
前者は自律神経のうち交感神経の過活性、後者は副交感神経の過活性の例です。
「興奮しすぎ」か「静かになりすぎ」か、と想像すれば分かりやすいかと思います。

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これまでなんべんか書いているので、しつこい気もしますが、まとめの意味も含め、クラニオ・バイオダイナミクス(以下クラニオ)のセッション中の「距離感」について書いてみます。

◆クラニオの距離感
ここでいう「距離感」というのは、クラニオをやる人と受ける人の間にある、物理的・感覚的、両方の意味での「適切な距離」です。要は「お互いにとって心地よい距離」です。武術っぽく言えば、「適切な間合い」となりますかね。
一般のボディワークでは、「相手の方に触れた時にどうアクションするか」が主眼だと思うので、やる人と受ける人の距離感は、技法体系の中ではあまり重きを置かれていないかも知れないですが(違ったらすみません)、クラニオは能動的アクションがなく、どうやって相手を邪魔しないように居続けられるのかが重要なので、技法における距離感の重要度はかなり高いと思われます。

たとえば、セッションで受ける人の身体が変わろうとし始めても、やる人がその様子を近くでじろじろ見ていたら、受ける方は気になって、変化なんかできないか、警戒して変な風に変わってしまうかも知れません。かといって、やる人があまりに遠くにいて、受ける人がそこらに取り残されている感じだとしたら、やはり身体は気分良く変化する気にはなれないでしょう。
そんなわけで、「受ける人の身体にとって、放置されもせず、近すぎて負担にもならない距離」にやる側の人が居つづけること自体が、セッションの全般にわたって必要と考えられているわけです。むしろ、適切な距離感が分かること自体がクラニオの重要な技術の一部といえるでしょう。

◆適切な距離の発見
「適切な距離感」は、クラニオをやる側の人が、受ける人の身体に触れ、自分の上体の角度を変えたり、視線の位置、意識の置き所を変えたりなど、微妙に動く中で「自分にとって負担でなく、遠過ぎもしない位置」を感じとることによって見つけます。やる人にとって心地よい位置は、受ける人にとっても心地よい、という理屈です。

この「適切な距離感」はセッションの展開につれて微妙に変わってくることがあるので、必要な場合はセッション中に距離を調整することもあります。確か前も書きましたが、セッション中はほとんど意識の置き方のみで距離を調整します。例えば、やる人が自分の背中側や背面後方の空間を意識する、などです。意識の起き場所によって距離が離れた感じが出てくるのです。やる人がある程度慣れてくると、無闇にあっちこっちに意識を動かさずとも(ちょっとした視線や意識の置き方で)大丈夫になってきます。
頭に触れている場合は、触れている手を少し開き気味にするなどの「物理的に動く」対応をすることもありますが、あまり頻繁にばたばた動かしたりすると、受ける人はこれまた落ち着かず、更に急に動かされでもしたら、気分が悪くなることもあるので、通常はそう無闇に動かすものではありません。

◆距離感いろいろ
また、これはあくまで個人的な体感ですが、手を動かすなどの物理的な距離のコントロールが必要なのは、主に「物理的肉体そのもの」に向き合っている時で、「もっと大きな領域(…と書くと微妙にオカルトですが、「物理的肉体を含むその人全体」のような意味合いと思って頂ければ)」に向き合っている時は、あまり必要ないように感じています。
 やる人が、受ける人の身体システムのどの「領域」に向き合っているかによって、「距離」の意味合いも変わってくるということなんでしょうね。なお、個人的に「バイオダイナミクスらしさ」を感じるのは「大きな領域」のほうに向き合っている時です。

距離感の話に戻ると、「適切な距離の調整」が始まっているのは、受ける方に触れる前からだったりします。クラニオのセッションでは、やる人は受ける人に実際に触れる前に、少し離れた場所でしばらく座って、落ち着くまで待つのですが、この時既に「適切な距離」を意識した位置に座っているわけです。
離れたところからスタートするのは、「やる人、受ける人双方が十分落ち着いてから触れる」という意味合いなのですが、「お互いが警戒せずにいられる遠くから徐々に距離を詰めて慣れていく」という距離感の配慮も含まれているものと思われます。東洋の伝統武術では、相手に触れる前から技が始まっているなどと言いますが、まあそんなようなもんでしょう。

◆人との関係性
「適切な距離感」は受ける人によっても異なります。相手に構って欲しいタイプの人やひとりでいることの不安が大きいような人はどうも近い距離を好むことが多いようです。私のように、基本的にほっといて欲しい人は割と遠目の距離が必要です(多分)。
そんなわけで、私が「構って欲しい人」にセッションをする時は、自分が「ふつう」だと思う位置よりも若干近づかないと、良い距離感が見つからなかったりします。このように、「お互いの関係性」によってもセッションや距離感は変わってくるわけです。

結局のところ「相手との適切な距離感」に対応し続けるということは「相手との適切な関係性を見つけていく」作業でもあるんでしょうね。

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プロフィール
HN:
朧 こと 今野
性別:
男性
自己紹介:
会社員生活の傍ら、手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

「★クラニオバイオリンク集」ではここ以外のクラニオバイオ関連サイトを紹介しています。

私自身のクラニオセッション等の活動は現在休止中です。

私のプロフィール的なものはこちら
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