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クラニオセイクラル・バイオダイナミクスや身体に関する色々を気まぐれにつづります。
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相変わらずスローペース更新です…。
なんとなく最近「ん?」と感じるのが、「内観」という語の使われ方について。この語については前にもここで書きましたが、正確な定義自体は多分、色んな技法ごとに異なると思われるので、「一般的」にはどういうことを指すのか、私はいまいち分かってないです。ただ、自分が「内観」と書いた時、それに対するリアクションにたまに微妙にずれがある気がすることもあるので、最近その「ずれ」と感じる部分について簡単に書いてみます。あくまで私の勝手な定義ですが。


 内観は「自分の身体内のどこかをじっくり意識する」という意味合いで使われる場合が比較的多いと思いますが、私自身が「内観」という語を用いる時は、「自分の身体全体に何となく意識を向け続けている状態」を指して使っている場合も多いです。内観そのものは殊更に集中力を必要とするものではないので、会話や食事をしながら、同時に身体全体にわずかに意識を向け続けていることは十分可能です。実際、私自身はこれを書いている今も、ごくわずかな注意を自分の身体全体に向けています。自分の身体内部を目をつむってじっくり意識する(眺める)のは、必要な場合もありますし、細かく見られるにこしたことはないですが、じっくり見つめるほどに意識した部位が緊張するので、普段の状態としては、あまりじっくり見つめすぎるとかえって自分の動きを制限してしまい、逆効果でしょう。そういう風に常時さりげなく使えなければ、動き回る武術などでは、状況把握用のセンサー(なお、見るのは相手でなくて自分の身体状態です。自分の身体には「同調」により色々な情報が伝わります。)として使いようもなかろうとも思われます。
 また、身体に意識を向けているといっても、「分析をしているわけではない」ともいえます。ただ、「身体がそこにあることを感じている」という感じでしょうか。例えば、腕が緊張していたとして、それを感じるのは、身体に何となく注意を向けた状態により、勝手に情報として伝わってくる何かからそう判断しているだけであって、普段は「君は緊張しているか、否か?」などと腕と殊更に対話をしているわけではないです。むしろ、情報を過不足無く受け取る邪魔になるので、細かく見たい、という場合も内観に関しては、分析や対話的手法はあまり役に立たない気がします。あとは、分析した場合も、分析されたあたりの部位は更に緊張しそうな気がしますね。
 まあ、内観というのは小難しい言葉ですが、単に全身の手足や頭、胴体がちゃんとそこに存在していることを確認し続けている程度のことなんだろうと思います。私自身はこれを、武術などを学ぶずっと前から無意識にやっている気がするので、いろいろな経験を経て、より色々な状況でも変わらず意識を向けていられるようになった気もしますが、特別なことという気はしません。いわゆる「グラウンディング」に役立つものではあると思いますが、おそらく誰もが持っている身体意識の感知力なんじゃないかなと思っています。


 もっとも、内観によって「特に意識が薄くなる部位」「意識が届きにくい部位」というのもあります。全身を感じていても、緊張している部位などはぽっかりと穴でも空いているかのようで、意図的に細かく感じようとしないと、なかなか存在が感じられなかったりもします。また、なにかにのめり込んでいる時も、内観の精度は鈍りがちです。例えば、最近よく見かける、街中で携帯などをいじっている人が「全身とてつもなく無防備」なのは、「自分の身体に意識が向いていない(自分の身体状態が内観できてない)」からだと思われます。こうなると、後ろから押されでもしたら、ろくに反応もできずに階段等から転落すると思われるので、いちおう武術などをたしなむものとして、見ていて複雑な心境です。携帯を弄りながらでも身体に意識を置いていれば(内観できていれば)、多少は無防備度が減るとは思いますので、甚だ余計なお世話ながら、私の心の平和のためにも、街中においては是非、姿勢を正し、自分の身体を意識しながら紳士的に携帯や携帯ゲーム機を弄って頂きたいものです。結果的にそういった習慣を身につけたほうが、なまじ殴り方や投げ技なんか覚えようとするよりも、余程セルフディフェンスになるとも思います。
 まあ、より全身が過不足無く感じられ、それが自分の行動を制限しない程度の凝視度であるならば、「ふだんの内観」としては、まあまあよいのじゃないかと思っています。要するに身体の存在をいつも感じることで、変にぼんやりしたり、妄想や仮想世界に全力で突貫することなく、目の前の状況に対してふつうの対応力を発揮できるようにする、というだけなんでしょうね。ここに書いたようなことは「全身に意が行き渡っている」などといっても良いですが、多分それは私がここでいう内観を更に高度にしたようなもので、意味合いが異なりそうなので、私はただ「内観」とだけ呼んでいるわけでした。

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朧 こと 今野
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会社員生活の傍ら、ICSBという団体の教程で手技セラピー「クラニオセイクラル・バイオダイナミクス」を学んでいます。

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